お嬢様は悪役令嬢らしく振る舞ってください。
悪役令嬢のお嬢様は美少女ヒロイン様の日常や恋模様を脅かすはずなのですが、なんとお嬢様は前世の記憶をお持ちでいらっしゃるようで、なかなかその務めを果たそうとしません。
ああ、申し遅れました。わたくし、お嬢様の執事をしております、緑川と申します。
そんなわたくしがなぜ、お嬢様の役どころを把握しているかと言いますと、実はわたくし、この世界の流れを監視する天の使いなのです。
はい、そこのあなた。くれぐれも"天使"なんて呼ぼないでくださいね。わたくしはあんな羽根の生えた後髪のない者とは違うのですから。
わたくしは天界で最も高貴な御方の召使いなのです。この役目に従事することが、あの御方の評判にも繋がるので、なんとしてもお嬢様ーー鏡華院愛衣香様には悪役令嬢を全うしていただかなくてはなりません。
この世界の流れに逆らうことはわたくしが許しません。
気持ちのいい春の日差しが窓辺からこぼれてくる朝。
ご朝食を終え、しっかり制服を着こなすお嬢様のお姿は今日も麗しい。
登校前に艶めく黒髪をコテで巻いてスタイリングをしながら、わたくしは進言いたしました。
「お嬢様、生徒会に入られてはいかがでしょうか」
「いきなりどうしたの緑川?」
お嬢様は白いドレッサーの鏡に映るわたくしを眉に皺を寄せて訝しげに見つめておりました。整ったお顔はどんな表情をしても映えるのですね。羨ましい限りです。
その横に映る自分の顔を見てがっかりすることは諦めました。花がない。その一言に尽きます。
失礼いたしました。これ以上、自分の容姿について語っても時間の無駄なので、再びお嬢様に向けて口を開きます。
「入学して1年が経ちました。なのに部活動にも入らず、習い事もピアノのみでいらっしゃいますでしょう。愛乃様はご成績もよく先生方からも評価が素晴らしいとうかがっております。ですので、今後の進路のためにも、生徒会に入られてみてはいかがかと」
「私は、ああ言うの、苦手なのよ……」
苦い顔をしつつ目を逸らしたお嬢様の心情が手に取るように分かりました。
(生徒会なんかに入ったら、あのヒロインと鉢合わせになるじゃない! この1年、どんなに努力してあの人たちの視界に入らないようにしてると思ってんの!)
と、さしずめ、こんなところでしょうか。実際はもう少し柔らかい物言いだとしたら、申し訳ないのですが。
「生徒会の皆様は、お嬢様のことを小さい頃からご存知でいらっしゃる方が多いですし、苦手なことは無理にさせようとはお思いにならないでしょう」
「みんな、小さいときは子供だったから、色々と考えずにいられたのよ。もうこの歳になると、些細なことでも気を遣わなくてはいけないの」
なにかそう思わせる出来事が学園で起こったのでしょうか。想像して青ざめているお嬢様を見て気の毒におもいました。
ですが、お嬢様が立派に悪役令嬢の役を全うしていただかなければ、ヒロイン様が波乱万丈の末に恋を成就することが出来なくなってしまいます。
ヒロイン様が嫁ぐ先の財閥が、未来の日本経済を大いに牽引し、この国が更なる成長を遂げる一因になるのです。
そうしなければ、いずれ国の経済が崩壊し、弱った自国を取り込もうと他国間での取り合いが始まり、年号が変わる頃には、ついに国内で戦争が勃発することに……。
と、そんな惨い結末を口が裂けてもお伝えすることはできませんが、お嬢様は大事なキーパーソンなのです。
もちろん、ヒロイン様の動きが一番重要なのですが、その後押しをしていただかなければ、より確実な未来を得ることは難しいでしょう。
なので、わたくしはお嬢様にはまず、そのステージに上がっていただかなくてはなりません。
例え、お嬢様が最後にヒロイン様たちからの恐ろしい仕打ちが待っていようとも。
「……差し出がましいようですが、お嬢様はまだ高校生ですし、財閥間にある大人の事情はまだ気にされなくともいいのですよ。そのために、あのような学園を旦那様はお創りになられたのです。どんな高貴な家柄であろうと、純粋に少年少女が高校生活を楽しめるようにと」
まだ納得がいっていないお嬢様は、どうやらご自身が通われている学園の創立者が、旦那様であることをあまりよく思っていないようなのです。
もしかしたら、まだ旦那様は言っていらっしゃらないのでしょうか。
「……別の学校なら、もっと楽しめたわよ」
吐き捨てるように言い放ったお嬢様のあまりにも酷い言葉に動揺し、高温を保つコテが自分の手に触れてしまいました。
「っ……!」
「緑川?」
すぐに親指の付け根が赤くなり、ヒリリとした痛みが走りました。わたくしとしたことが。
くるくるの巻き毛を揺らして振り返るお嬢様は、心配そうにしておりました。ご自身のおっしゃったことでわたくしが傷ついたとお思いなのでしょう。
実際そうなのですが、お嬢様の方があまりにも痛ましいほどに慌てていらっしゃるので、わたくしは笑顔を浮かべました。
「大したことはございませんよ。ご心配をおかけいたしましたね。……さあ、ヘアスタイルも整いましたよ」
仕上がった髪を整え、笑かけると、おずおすと謝罪の言葉をおっしゃったお嬢様。先ほどの行いを恥ているようで、ふさいだ表情のままでした。
「綺麗なお顔にそのような暗い色はお似合いではございませんよ」
それでも心中ではしこりを感じているようで、そぞろなお返事をされておりました。ああ、そんな調子で登校されては、悪役令嬢への道が遠ざかるばかりではありませんか。
僭越ながら一言いわせていただきます。
「それに、例えどんな時でもどんなことがあっても自分のしたいことをして後悔しない人生を送ってほしいと願っていらしたのは、奥様の最期のお言葉でもございますよ。旦那様は、そんな奥様の願いに答えようと必死なのです。……お嬢様は今、高校生活が楽しいですか?」
ハッとした様子で顔を上げたお嬢様は、今にも泣きそうでした。その微かに潤む黒曜石のような瞳の奥がきらめき、わたくしの言葉が少しでもお心に染みたことがうかがえました。
「楽しくないわ……全然、楽しくないっ」
急に立ち上がったお嬢様は、部屋から飛び出して行きました。わたくしは後を追いかけて、家の前で待つ運転手の手を借りて自動車に乗り込もうとしている背中を呼び止めました。
「お嬢様! お忘れ物でございます」
鞄を差し出すと、振り返ったお嬢様はニッコリと笑みを浮かべました。その笑顔は小さい頃、なにか悪戯した時の表情に似ていらして……おや、兆しが見えて参りましたね。
「ありがとう緑川。私、生徒会に入ることに決めたわ」
「それは旦那様もお喜びになるでしょう」
「緑川のおかげよ。この1年、思えば本当に退屈だったの。あなたの一言で、目が覚めたわ」
その言葉通り、お嬢様は自信をお持ちになったようで、高揚した頬は赤みをさし、華奢な体躯で堂々と仁王立ちするお姿は、気高く美しく映りました。
「それは嬉しゅうごさいます。わたくしもお嬢様が心から楽しい学園生活になるよう、陰ながらお支えいたします」
「あら、それなら早速いいかしら。ちょっと気になる子がいて……東海林みかの人物データを調べてちょうだい」
「はい。かしこまりました」
東海林みか、この人物が今後の未来を左右するヒロイン様なのです。
ようやく、お嬢様がやる気になってくれたようで、わたくしこれから張り切ってサポートさせていただきます。