第5話 三人が会います
「ちょっと、青、ひどくない!?」
そう文句を垂れながら、滉大は階段をすべるように降りてきた。
「ったく。何、この『姫、朝ですよ』ってメモ。起こせば、良いじゃん!起こしてよ!」
目くじらを立てていることが想像できて、青の口角が少し上がる。その表情の変化を目の前で見ていた千晴は、驚きで目を見開いた。
「おっさんでも、そういう笑い方することあるんだねぇ」
上から降りてくる人が存在することに、多少驚きながら、千晴はそんなことをこぼした。
そのまま目線を、声の聞こえる方向へ向ける。声が聞こえる、それも、上から。千晴は、そのカウンター内に上階へ直結する階段があることに、初めて気づいた。その降り口には、パーテーションとワードローブが連ねて置かれているので、店から階段はほとんど見えない。
壁にしか見えない所から滉大が顔を見せて、千晴はまた驚く。
2階から降りてきた滉大も、そこにいるもう一人に、純粋に驚いた。
「っと、来客中か。ごめんね。驚かせちゃったね」
千晴に謝りながら、滉大は青の横に立った。
「青、置いてくなっ」
「自分の胸に聞いてみろ、僕に何の落ち度もねぇ」
「あるだろ、置いて行ったことだよ。起こしてよ」
「はっ。お前、人の話の途中で寝ておいて、よく言う」
「あんな所に置いて行かれては、困ることくらい、青だって想像できるはずだよ」
「良いんじゃないか。今は、ここに居るんだし」
「はぁ?けっこうエゲツない…あのまま寝てたら、閉じてしまって出られなくなったり、色々思うところがいっぱいあるんだけどっ」
「…念を押すが、寝たのはおまえだからな」
「だから、さあぁ、オマエじゃなくって滉大だって」
こちらに聞こえないように、小声で言っているのだろうが、距離が近いため、全て千晴の耳に入って来る。カウンターの前の椅子に腰かけて、二人のやりとりをしばらく眺めていた千晴が、くすくすと笑い始めた。
男二人が千晴が笑っているのに気づいて、目を向ける。
「…どうしました?」
青がそう尋ねると、また、千晴は笑う。
「何?何か面白いこと?」
滉大も不思議そうにしている。
気が済むまで笑った後で、千晴は胸に手を当てて、深く息を吸い込んだ。
「だって、おっさん、私と話す時と、話し方がぜんぜん違ってて、別人かと思っちゃった。それに、おっさんでも、子どもっぽいやり取りするんだなぁって思って。それが、だんだん、おかしくっておかしくって…」
また笑い出した千晴を青が見下ろす。
「…ああ、そういうことですか」
「ほら、話し方、戻ってる、でしょ?」
「それは、しょうがないでしょう。この人物と、あなたとでは、私の立場が違うのですから」
「立場?」
「うわ。硬いこと言うね、青。お嬢さん、初めまして。滉大って言って、こいつの仲間兼同業者筋のものです。あなたが噂の女子高校生かな?」
「…うわさ?」
「誤解です。営業妨害されているから、小売業を営む此奴に、少し助言をもらおうと、少し話しただけです。ただの、話題の一つですよ」
「…なぁんか、ディスられてる気がして、心がざらざらする…」
「あなたに言っていることしか此奴には言ってませんから、安心してください」
「ぜんぜん安心できない気がする…何?本当に、営業妨害してるの?私?」
カウンターに片肘をついて、だらしなく座ったまま、千晴が眉根を寄せて、青を見上げた。
「…そうだね、そこまで、はっきり言わなくても。もっと他に言いようがあると思うよ、青」
「え、本当なの…?なんか、むかつく…」
ふてくされた千晴を見て、笑いながら滉大が千晴に声をかける。
「ね、こんな面白みのないクソが着くほど生真面目なアンティーク家具屋なんてわざわざ寄らなくっても、他に良い店、周りにも駅にもあるじゃん?なんで、ここに?」
「…なんで?」
「そう、どうして?」
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
若干不機嫌そうな青が、二人の会話に割り込むように、文句を言う。
「理由によっては、より面白みが増す…から?」
「面白いだと?」
「ま、俺的にって前置きあり、だけど」
「は?」
二人の掛け合いのようなやり取りがまた始まって、それを眺めながら千晴は、滉大に聞かれたことを頭の中で繰り返した。
なぜ、どうして、私はここに足を運んでしまうんだろう?
なぜ?
この店に?
―バイト帰りに気になっていたから。
―ディスプレイが好きだから。
―存在感に目が行ってしまって。
―店を覘くと―。
色んな連想が続いていって、ふっと、思わず声が漏れる。
「…おっさんのことが…気になる…から…?」
小さな声でつぶやいたそれが、二人の掛け合いが落ち着いて静かになったタイミングに、店に響いた。
そして、二つのそれぞれの表情が、千晴を見つめる。
それに気づいたように、千晴も顔を上げて行った先で、青と目が合った。
「…おっさん、顔、どうしたの?」
眉間に皺を寄せて千晴が青にまじまじと問いかける。
「ぐっ」
青の顔を見た滉大が、むせ返って笑い始める。
「なんだ!?」
青は自分の顔を片手で覆う。
「赤い?熱ある?」
千晴が青のおでこへと手を伸ばそうと、カウンターのフットマンに足をかけて伸びあがって、青に近づくように身を乗り出した。
それを避けるように、後ろへと上体を逸らして青は、顔を赤らめさせたまま、千晴を見つめた。
その二人のやり取りを眺めながら、笑いを収めた滉大が、息を切らしながら言う。
「あ、あの、さ…おっさん、じゃなくて、青って呼んであげてよ」
「青?」
そう言われて青は、顔を赤らめたまま、しかめっ面をして滉大を睨みつけた。
それを見て、滉大が再び大笑いをする。
「色?」
ふっと漏れた本心に、青が心底嫌そうな顔をする。
―『青』とは、そもそも、滉大が勝手に決めた名前なんだよ…。
言いたいことを、千晴の前で言ってしまう訳にはいかない青が、また眉根を寄せて滉大を一睨みすると、それを受け流すように滉大が千晴へと問いかける。
「お嬢さんの名前は?」
「千晴」
「千晴ちゃんね」
滉大がそう呼ぶと、嬉しそうに千晴が笑う。
「よろしくね」
それを面白くなさそうに眺める青は、まだまだ、ホダサレたことに気付いてもいない。