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第1話 千晴

「女」の独り言。暗いなぁっていう感じの。



 数えきれないほど晴れ間が広がるような、明るく有意義な毎日が過ごせるように。

 そんな願いを込めて名付けられたと聞いたのは、小学校の国語の作文で『名前の由来について』という宿題が、長い休みの時に出た際だったような記憶がある。

『千晴』

 その名前負けした自分を同級生に揶揄られる度に、憎々しく思っていたのはもう十年ほど前か。

 今では、静かに、周囲との関わりを、最低限に抑えて回避している。最低限ではあるが、その最低の数回で悪意を持たれないように、媚びずに居丈高にも見えないように、ある程度の表情を取ることも忘れない。

 それを仮面とか、自分の内面と違うペルソナだとか、そんな風には千晴は思ってはいない。

 自分という人間が生きていく上の、処世術だと、思っている。

 そんな、切り離したような考え方だから、きっと、子どもの頃から、周囲から距離を取っているように見えて、名前ごとからかわれていたのだろうなと、分析してしまう自分もいて。

 ただ、そうなってしまったというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 自分として、自分は、そうなんだろうと、思う。

 気を付けておかないと、集団からはみ出てしまって揶揄られてしまうかもしれない。その面倒を避けるための処世術を、自分はある程度こなせるようになったのだろうと思う。

 ただ、それだけだ。

 学校でお昼を一緒に食べる数人の友達もいる。週に数回しているバイト先でも、求められる接客や対応は、時給が順当に上がる程度にはできている。服装だって、中間の中間を目指している。おしゃれでも華美でも質素でもなく、高校生ってこれくらいというレベルで合格点だと思っている。少々やせ気味で身長が高めなのは、仕方がない。これは、資質のようなもので、変更不可だ。

 それ以外の、自分でできる所で、できる限り中間を目指す。

 ただ、それだけ。


 バイト先から駅へ向かう途中、その店を見かけた。

 と言っても、そこにあるのだから、量販店やファストファッションの店やドラッグストアやコンビニと同じ、馴染みゆく景色・景観の一区画のようなものなのだが。

 何か月経っても、そこだけは、目に留まる。

 駅からバイト先へ向かう夕暮れ時、バイト帰りには街灯が輝く暗闇の元、どこが、という訳ではない何かが、千晴の目をその店へと向けさせた。

 きれいだな。

 初めは、そんなことを思って、通り過ぎ様に一睨みする程度だった。

 そのうち、ディスプレイされた家具やランプに目が向いて、少し調べる程度の興味を持った。

 近頃は、そのショーウィンドウを眺めていると、飾られたモノたちの前や後ろで、キラキラと輝く軌跡のようなものが、チラチラ見えた。

 目を凝らすと、消える。見ようとしないと、ちらつく。まるで、見てくれるな、と思っているような生態が、自分と重なるような気がした。

 それが気になるようになって、バイト先から一番近い交差点で駅とは反対方向になる対面へわざわざ渡って、その店の前を通って帰るようになった。時々、足を止めて中をのぞくと、毎回、同じ男がカウンターの中で何か作業をしているのが見えた。

 その手つきが、とても、綺麗で。

 女とは違うが隆々とはしていない、骨ばった長い指が、大切そうに小さな箱を扱っているのが、サンドブラストとエッジング加工されたショーウインドウのガラス越しに、ぼんやりと見える。

 その様子が、ぼんやりとしたガラス越しの視界のせいか、ひどく、美しく見えた。

 時々、木製の脚立に乗って、壁面の高い所に手を伸ばしたり、天井へと手をやったりしていることもあった。電球を替えているのか、ポスターなどの掲示物の張り替えをしているのかと、初めは考えた。電車の乗り継ぎの時間のこともあり、毎回、そこに足を止めるのは、長くても2・3分だったから、一連の作業を見たことがない。千晴のビューは細切れで、繋ぎ合わせるのが難しいものだった。

 だから、想像して、愉しんだ。

 あの男が販売しているものは何なのか、あの小箱には何が入っているんだろうか、と。

 きっと、余財のある男が道楽でやっている思い入れのある店に違いない。じゃないと、あんな地価の高そうな場所で、あんな小さな一軒家が長く店を続けられるわけがない。

 そこまで考えると、千晴は、なんとなく寂しい気持ちになった。

 夢なんて、持てるわけがないじゃないか、と。

 高校にも通えている。来年からは、自宅から通える大学に行く予定だ。バイトはバイト代として、自分で使って良い。おこずかいは少ないけれど、それでも、もらえている。帰れば夕食があり、学校へ出るまでの時間に、温かく栄養価ある朝食も、時々は手を抜かれるけれど、ちゃんと間違いなく用意されている。料理も家事も時々は手伝うけれど、やらないと家が崩壊するというわけでもない。家族の誕生日が近くなると、未だに冷蔵庫の中に大きなケーキが用意される。生活時間帯がバラバラだから、一緒に食べるのはまれだけれど、家に一人で居る時間が長いからと言って、不幸なわけじゃあない。

 自分は、恵まれている。

 そう理解している。

 だけど、将来や夢のような幻想を、ずっと持てないでいる。千晴は、大学を卒業して自分が何をやっているのか、さっぱり、想像できなかった。それでも、周囲がスタートさせれば、そのスタートラインを守って、きっと、就職活動を始め、そこそこの給料のそこそこの内容の自宅から通えるような会社を何社も受けているのは想像できる。

 それで、おわり。


 なのに。


 あの男は、なんて、大切そうに、あの小箱を持つんだろう。

 あの手の中は、どんな風だろう。

 少し照明を落とした店内で、時々浮かび上がるように見える男の所作が、千晴をほんの少し揺さぶる。


 自分の手の中にも、何か、あんな風に大切なことが、いつか、やってくるのだろうか。


 千晴は、あの男のことを想う。


 そう、ほとんど、初めて、と言って良い。


―誰かに、興味を持つなんて。


 それが、どんな名前を持つ感情なのか、千晴には、ちっとも、思い浮かばなかったけれど。



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