表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/35

始まりは…

ゆるい設定で始まります。気楽に読んでいただければ幸いです。



「いらっしゃいませ」

 古めかしいカウベルの音が久しぶりに鳴った音で反射的にそう声を上げて、男は顔を店の入口へと向ける。

 入ってきたのは、制服を着た女、だ。

 少女というには大人びた、黒髪の長身の女。もっとも、この近辺は、黒髪の人間がほとんどで、男もそれに擬態している。制服を着ているところから判断すると高校生だろうと予測する。

―それにしても…。

 入ってきた女は、一歩店内に進んだ所で立ち止まり、目を細めたり閉じたり見開いてみたりと、所構わず舐めまわすような目線を、店の至る所に向けている。

―女子高生が入るには、不向きな店構えのはず、そもそも、扉を開くことができる人間も珍しい…。

 男も、その女に少し注意を向けた。

 そうは言っても、ほんの少し珍しいだけで、年に数回ほど、そういうことも、ある。それに、その珍しい年に数回の結末はいつも同じだ。だから、いつものように、その女も今立っている玄関マットの上でしばらく佇んだ後に思考をもぎ取られたように回れ右をして出て行くだろうと、男は経験的に判断していた。

 そして、作業の続きに取り掛かる。

―ここがちょっとやっかいなんだよなぁ…。

 そんなことを思いながら、それでもいつもの要領で、右手をすっと壁に並んだ小箱の一つに差し込んで、中身ごとそれを腕にひっかけるような要領で自分の方へと、ゆっくりと下ろす。たぷんたぷんと中身がゆれる気配と質感が手のひらに踊るが、それから意識を引きはがして、ゆっくりと、カウンターの方へ体を反転させる。その間に、ゆっくりと手から自ら抜けてゆき、手のひらに浮かんだ箱を、そのカウンターの作業台へと、そっと降ろした。

 当初苦手としたこの作業だが、数えきれないほど繰り返してきたおかげで、いつしか男にとっては少し集中力を増す程度でできる作業になっていた。

 そうは言っても、片手で全てやってしまう手練れもいると聞く。悠久の時と同じく、そんな輩に比べると自分の能力はまだまだだ。

 男がそんなことを思いながら、箱の上部にある鍵穴にキーを差し込もうとした時だった。


「ね、何やってんの?」


 耳元近くではっきりと聞こえた声に、心底驚いて、男は、手に持っていたキーを取り落してしまった。

 思わず、舌打ちをする。

 初めからやり直しじゃないか。

 男は、次の作業への工程を頭で考えながら、そっと目を上げた。


「お客様、いかがしましたか?」


 男が上げた目線の先に、先ほどの女が、さほど興味もなさそうな表情で、男を見ていた。

 もうとっくに外へ出ても良い頃なのだが…どういうことだ?なぜ、ここへ入り込んでいる?

 いや、そもそも、入ることが、なぜ、できている?


 不測の事態というやつだ。

 男は、少し考えて、女の答えを待った。


「だから、何をやってるの?マジック?」

 そんなことを言いながら、女は、店をもう一度ぐるりと見回す。

「…でもさぁ、マジックの種売ってるような店にも見えないんだよねぇ…ここって何屋さんなの?」

「見ての通り、当店は、世界各国から収集した珍しい骨とう品や絵画などを取り扱っています。何かお探しですか?まだ、店頭にはお出しできていない、珍しい絵画や品も、奥にございます。お客様のお好みのラインなどをお教えいただけましたら、ほんの少しでしたら、お見せすることもできますよ」

 務めて、明るく、男はそう答えた。内心はさておいて、表情をそれなりに作る訓練もたくさんしたし、実践も多少は重ねてきたつもりだった。

 それでも、このカウンターまで悠々とやってきた人間は、この女が初めてだが…どういうことだ?

 本部に問い合わせることを、頭の中で整理しながら、男は女の方へと促すような目線を送る。

「…う~ん。なんかさぁ…骨とう品、ねぇ…」

 女は、言うべきか、どうしようかと、考えているような素振りで言葉を続けた。

「あのさ、外から見たときは、ショーウィンドウに、アールヌーボーとアールデコをごちゃ混ぜにしたようなディスプレイを、カッコ良く飾ってあったと思うんだ」

「お褒めいただき、ありがとうございます。アールヌーボーは当店の得意分野なのですよ」

「…そうね、私も嫌いじゃないから、入ってきたんだよねぇ…」

「では、奥にあるミュシャのマッチをお持ちしましょうか。数十年前の復刻版ですが、質も再現性も良く、デザインもお嬢さんのような方に、お似合いの逸品だと思いますよ」

 奥に行けば、不測の事態に備えた茶がある。

 使ったことが今までにない、それを、研修の度に、しつこく教え込まれた。億劫に思いながら、かなり面倒な所作を毎回履修させられていたことを、男は初めて感謝する。そこに思い至ると、それを飲ませれば済む話だと思った。少しばかり焦っていた心が、すぐに落ち着く。不測の事態ではあるが、茶を飲ませたと報告すれば、終わり。そんな風に男は考えた。

「マッチはいらない。見るのは好きだけどぉ…美術品とか高い雑貨って、私が持ってても意味ないし」

「そうですか?」

「そんなことよりも、どうして、ショーウィンドウのディスプレイ、外から見るのと、内側から見るので、内容が違って見えるの?何かのマジック?外は見えるから…大きなモニター置いてる訳でもないでしょ…日も差し込んでるしさぁ…」

「…と、言いますと?」

「ほら、おっさんが持ってるその箱も、壁から引き出した時は光ってたのに、ここ置いたらくすんじゃって。そもそも、その壁からどうやったら、小箱が出てくるの?ショーウィンドウは、何、あれ、どうやってんの?ぐるぐる輪っかが回ったり、何か小さいものが浮かんだり消えたり?」

 男は、女の言葉に、しばし聞き入ってしまう。

「それにさぁ、時々、よおく目を細めると、アンティークの家具屋さんみたいに見えるんだよねぇ…ほら、ここからだと良く分かるんだけど…ここ、おっさんも見て、ここから。あのテーブルの上に、おっさんが言ってた、アール何とか風の、変なオブジェ?みたいなの、あるじゃん?で、こうやって首を振って目を閉じて、ふーって息を吐いてから目を開けると…、この白と青の近未来っぽい、妙なインテリアの部屋?店じゃないよねぇ…になるんだよねぇ…」

 部屋を見渡していた女が、きりっとした目線を男に戻した。

「ね、私、頭、おかしいのかな?この店、おかしくない?私がおかしいの?前々から不思議に思ってたんだよねぇ、通るたびに。おっさん?大丈夫?どうしたの?」

 ふっと我に返って男は女を見る。

「あ、奥に、おいしい茶葉があるんですよ。私も、そろそろ休憩にしようか、なんて思っていましたので、ご一緒にいかがですか?」

 これまで、この場所に配属されて以来の、最上級の笑顔を作り、男は女へと愛想を振る。

「…おっさんと、お茶っ…。やだよ、炭酸水とかのが好きだもん。お茶って…」

 ぷっと女が笑う。

「分かりました。そのお客様の不思議に思うところを、じっくりとお話しいただきたいと申し上げたら、お付き合いいただけますか?私も、お客様のお話に、とても興味があります。それに、炭酸水もコーラもカフェオレもありますよ。クッキーだってスナック菓子だってあります」

「私、あの通りの向こうにあるお店のガトーショコラが好き」

「…分かりました。ちょうど、今朝、買っていたものがありますので、それもつけましょう」

 買ってきたわけではないが、願えばその程度のものの再現は、男でも可能だった。

「今朝?用意良いね。なんか、必死?」

「いえ、必死なんてそんな。先ほども申し上げました通り、ちょうど休憩したかったんです。ガトーショコラは、私も好きなのでよく買います。開店時間は当店の方が少し遅いので、今朝は買い求めた後で店を開けたんですよ。私と折半になりますが、他にクッキーなども一緒に用意しましょう。うら若い女性が、こんなお店に入ってくださるのは、珍しいことですから、サービスですよ」

「そう?そんなに言われちゃうと、おっさんに付き合ってあげようかなって思うね。でも、奥はやだ。ここでなら、良いよ」

「…良いでしょう。奥と言っても、暗いわけでも出口がないわけでもありませんよ。念のため、申し上げておきますが…。良いでしょう。こちらでお待ちください。すぐ用意いたしますから」


 男はそう言って、手元にあった箱を小脇にかかえ、ガラスの入口扉にある『open』を『close』に反転させた後で、店の奥へ向かい、その奥へと続くドアに手をかけた。


「良いでしょう。炭酸水ですね?」


 振り向いて、そう女に念押した。


「そう、よろしくね。ガトーショコラも忘れないでよ」


 女も、気軽に応じたように見えた。




「うそだろぉ…」


 『open』『close』の札は、一見するとただのそれだが、それはセキュリティーの要だ。

 その札のセキュリティーが発動している最中に、ここから、抜け出せる外部の人間はいない、とされていた。そう、男は教えられていた。

 だから、油断したのだが…。

 ティーセットを持って店に戻ると、女はすでに消えていた。


「…確実に、始末書か…ここ以上の僻地に飛ばされるってことも…まぁ、それもアリか…?」


 セキュリティをかいくぐって抜け出てしまった女の顔を、なんとか思い起こしながら、男は長いため息を吐き出した。

 そして、しばらく考えを巡らせた後で、通信用のピアスに、ようやく手をのばしたのだった。













ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ