5*処刑人・ロキア=ディラウン
……赤く
……赫い
……
……紅く
……絳い
……
……血が……流れる。
ーーそれは……彼が少年の頃にみた地獄のような光景。
彼の網膜に焼きついて離れない凄惨な過去の亡霊。耳について消えない断末魔の叫び。たくさんの死を目の当たりにして、自分が生き残った奇跡。
「……奇跡?」
青年となった彼は呟く。
ーー違う! それは奇跡などではない。彼はただ、生かされただけに過ぎない。自分の両親や妹を殺し、知り合いをーー町の人を皆殺しにした殺人鬼に。
「助けてください!! 」
二人の子供の盾となり女性が男に懇願する。
仮面をつけた男は、女性の横で胸から血を流して絶命した男性に向けて、剣を立てる。その剣は男性の胸を貫いた剣でもある。
「私の命はどうなっても構いません! でも、この子達の命は助けてください!!」
涙を流しながら女性は後ろの男の子と女の子、二人の肩を抱いて必死に守る。
「ならば、その母の愛とやらでどちらか一人は助けてやる。さあ選べ! お前はどちらの命が一番に尊く愛おしいと思う?」
仮面の男は冷徹で冷酷な判断を母にもとめた。
「そんなの選べるはずがありません!! 二人とも大切な私の子供です!! 選べとか、そんなことはできません!!」
「早く選べ!」
剣の先を母の喉に当て、男は答えを促す。
「……選べる…はずが……ありま……せん……」
あまりの恐怖に声がかすむ。それでも母は、愚かな選択を受け入れようとはしなかった。
「僕を殺せ!!」
「ロア!! 何を言ってーー」
母親の胸の中で怯えていた少年は必死の虚勢を張って母親の言葉を遮り答えた。
「それで妹と母さんは助けろ!」
恐怖に震える手足で立つのもやっとの少年の必死の抵抗。それを見て、男の剣先は母から少年に移動する。首筋にあてられた鋭利な剣先。
死への恐怖と、男から漂うおぞましさに少年は涙が溢れそうになる。けれど、少年は男の仮面から覗く切れ長の蛇のような眼を睨みつける。少年は必死の虚勢で弱さを隠す。隠しきれるはずなどないその弱さを。
「なあ小僧。お前はわたしを超える殺人鬼になる素質を秘めているかもな」
瞬間!
剣が残像を残すような速さで動いた。
首が二つ飛んだ。
母親と妹の顔。
宙を待って二人の頭部が地面に落ちた。
………………………
………………………
………………………
「ーーえっ?」
少年は言葉を失う。
一瞬の出来事だった。その瞬間のあいだに二人の命が消えた。
「母親の愛に敬意を評して、せめて苦しまずには斬れたはずだ」
仮面の男は剣をおさめる。そこに罪悪感などはみられない。気づかずに踏み潰してしまった虫を見てるような様子だ。
「ーーどうして……?」
目の前の現実を受け入れようとするが頭が真っ白になる。焦点もあわせられない。壊れた心からは自然と涙だけが溢れてくる。
「わたしは最初から誰も生かすことなど考えていない。人を助けることなど考えていては殺意に躊躇が生まれるからな」
「なら早く、僕も殺せばいい」
少年の声に感情はない。もう自分は死ぬのだと、その恐怖よりも、目の前に転がる死んだ二人の顔が視界に入り、その事実を受け入れようとする心の容量のほうが死の恐怖の感情よりもはるかに上回っているからだ。
「死にたいのなら自分で殺せ」
そう言って、仮面の男は自分の剣を少年に投げ捨てる。ついさっき大切な三人の命を奪ったそれを。
「己に虚勢を張ってでも守ろうとした二つの死んだ命。そして守りきれずに生き残った憐れな命だ。わたしが手を下さずとも、もう死んだも同然。トドメを刺すのなら自分で刺せばいい」
少年は足元の剣を拾い上げる。
そしてその剣先を自分には向けずにーー仮面の男に向けた。それは虚勢などでとった行動ではない。目の前の殺人鬼に対していだいた純粋な殺意。勝てるなどとは思っていない。でも、少年は剣を男に向けた。
「どうやらまだ心は死んでないようだな。『お前の大切な命を奪ったわたしを殺す』その憎しみとーー虚勢を張ってでも守ろうとして守れなかった自分の無力さ。『いまの自分ではわたしを殺したくても殺せない』そんな惨な自分」
少年に背を向けて男は静かに言った。
「強くなれ、小僧。もっと強くなってーーその剣でわたしを殺しにこいーーそしてお前の目の前で命を奪ったわたしのように……お前も万人の前でわたしを処刑してみろ」
そして仮面の男とその部下らによって、少年ロア(ロキア)以外の町の人間は殆どが命を落とした。運良く彼らに見つからなかった町の人間と、外の町に出ていた人間が少数人だけ生き延びただけで町は壊滅した。
『殺人鬼』=仮面の男の正体も目的も何もわかってはいない。ロアを殺さなかったのもただの気まぐれだと思われた。
けれど、これが処刑人・ロキア=ディラウンを生んだきっかけであることは間違いない。