第一話 「街の死角は概念の中に」 5
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意識が戻り、覚醒するヨルは眠くない目を少し擦り、周りを見た。とても安らぐ自分の部屋であることを確認し、外へ出た。太陽が速く昇っている。寝ても太陽というこの感覚にはもう慣れてしまっていた。
人は少ない。まだ住民は自室に篭っているのだろう。彼は自室のある建物「便利屋」へ戻り、リナの姿を見た。その隣に座っているヒビヤも見た。
「こんばんは、皆さん」リナが言うと、ヨルとヒビヤは頷いた。その後ドアが開くとかのんが出てきた。「あらかのん、こんばんは」
かのんは俯いて、こくっと頷いた。男二人とは違って、いい加減なそれではなくきっと恥ずかしがっているのだろう。彼女にとってここは二日目だ。
「二日目にしてここに来れるなんてよかったっすね、かのんちゃん。僕なんて三日間逃げ回っていたよ。最初のこれを乗り切れば最高の生活が送れるようになる! ってね。とにかく悪党から逃げ回っていたのさ」
それは災難だったな、とヨルは感情を込めずに、まるで機械のように相槌を打った。
暫く雑談すると、リナはヒビヤから椅子を奪い――正確には殴って奪い――大きな声で言った。
「早くも仕事だ! 依頼は強弓の奴らから」
それを聞いたヒビヤが「へえ、リバティーゲートの政府から」と驚いた。
強弓という組織の名はただの組織名で、橘のような人の名前ではないが、その組織と言えば隣国のリバティーゲートで一番顔が広く、政治のようなことをしている。法律がないこの世界では何をしても罰を受けない。よって、ある組織が政治をしても問題はない、が政治に逆らう者が出てもそいつを正当な理由で裁くことはできない。
「リバティーゲートも今大変すね、この前の事件と言い、隣国の便利屋である僕達に依頼を出すなんて」ヨルに前の事件とは何だと訊かれ、「知らないんすか? ほら、政府と対立した反乱軍が抗争を始めて、結局一夜にして終わったんすけど両者死人が続出で」とヒビヤ。
「それはお気の毒に」ヨルがいい加減に相槌を打った。
いつも通り、仕事内容はデータに転送された。かのんも含む全員がデータを開く。虚空から出現したスクリーンに詳細が映し出された。
「依頼内容は逃亡者の捕獲。報酬は相当なものらしい、が何よりこの便利屋の名をリバティーゲートへ売ってくれるそうだ」
「偉そうに」とヒビヤは頬を膨らませた。
「逃亡者の特徴は?」ヨルは詳細に逃亡者の特徴が明記されていないことにすぐ気付き、リナへ問うた。
人捜しをしろと言われても、情報が無くては当然不可能だ。何百万のボールの内、自分が捜している物を探してくれ、と言っているようなものだ。
「それがね、自信がなかったのか、私が依頼を受けると返信した後に違うファイルで詳細が渡されたのよ。今転送したわ」
捜している者の特徴がスクリーンへ浮かび上がった。しかしそれを見てヨルは眉を寄せた。
「不完全じゃないか。書かれているのはおおよその身長と、走る速度と、武器を所持していないということだけではないか」
「不完全、だね」これにはヒビヤも笑う。
「年齢も性別も服も書かれちゃいない。身長百五十から百七十なんて男も女もどちらもいるではないか。それに、平均的過ぎる上に幅が広い」
四人は同時に溜息をついた。ヨルは壁に寄りかかり、ヒビヤは机に座り、リナは足を組み、かのんは胸の前で手遊びしていた。
こんな無茶な依頼を受けたおまえは本当何のつもりだよ、とヨルは思ったが言うのをやめた。
「ともかく、外に出よう。隣国の政府がこちらまで依頼するくらいだ、きっと逃亡者も悠々と暮らせるはずがあるまい」
ヨルの指示に皆が便利屋から出た。
ああ、見飽きた風景だ。便利屋のドアの奥には毎度同じ景色しか広がらない。俺は次に、この世界に何を期待しているのだろう。俺は臆病だった自分をこの世界で消せた。現実世界でも臆病ではなくなった。しかし、もうこれまでではないか。これ以上この世界に何を求めているのだろうか。
ヨルの肩が二度突かれた。黙り込んでいたヨルは少し驚き、すぐにいつもの愛想のない表情へ戻して自分を呼んだかのんへ目をやった。
「すみません……あの、昨日のことなのですけれど」かのんがおどおどと問う。「どう思い出しても、人技とは思えなくて……今日授業に集中できませんでした」
ヨルは、ああと理解し笑った。きっと、橘に手を出した組織と戦っていた時に、自分が銃弾を全て避けたり、物理的にありない距離人を投げ飛ばしたり、触れてさえもいないのに敵を後ろへ吹き飛ばしたり、そういうことを訊きたいのだろう。
「あまり関わらない方がいい。深淵を除けばまた暗闇に飲まれる。あれはただの、冥土での土産って奴さ」
俺はこの世界に何を求めているのだろうか。冷酷で憂鬱な現実から逃げた臆病な俺は、麻薬の中毒者になり夜を過ごしていた。
偽りの世界で、偽りの自分を生き、偽りの名前で、偽りの言葉を発する。何をしても許される世界、例えのうのうと生きようとも、例え人を殺そうとも、例え女を襲おうとも、例え正義の英雄になろうとも、誰からか文句は言われようとも許されてしまう。俺はそれに魅了されて暗闇に足をすくわれた。
結局、俺は臆病だったのだ、鈴科夜神はどこへ行こうとも鈴科夜神で、臆病なごみくずなのだ。現実世界への失望と、その世界を信じてしまった失態への果てしない後悔。仮想空間は鈴科夜神にとって望む世界だった。
人生の分岐点、運命の日は唐突でもなく訪れた。情報は耳に入っていたはずだ。しかし臆病を克服しようと思ったのがつき、ヨルという一人のキャラクターは仮想空間内の世界大戦によって命を落とした。
『超能力』の存在を知った時は死ぬ直前だった。自分は他の人間とは違う何かを持っている。そう思い込んでしまった。超能力の発現の条件を全て満たしてしまっていたのだろう、条件の一つに「術者の死亡」があるなどと知る由もなかった。そして、それを教えてくれた人物が誰かも、この世界にいる全員が知らない。条件を知っている者はいないが、少なくとも死亡した後に能力が発現するという説が有力である。
俺は超能力者になって、この世界の頂点に立って、一体何を望むのだろう。思えば人殺しをし、ほぼ無意味な報酬を貰い、ほぼ無意味な生活を送っている。
止めようと思えば簡単にいなくなれる世界。痛い、殺されると思うならば、明日から電源を入れなければいい。しかし俺はあの時、炎に焼かれ命を奪われた挙句超能力者になったあの時、この世界には失望しなかった。だから〝死〟という痛みを知っても尚、この無法地帯に棲み着いている。
俺は、人殺しを誰よりも憎む人間から、残虐に人を殺していく鬼になっていた。自分の心に巣食う暗闇の正体と言えば、それがこの人殺しの才能以外ない。かつてその暗闇の所為で現実世界を限りなく憎んでいた。
俺は麻薬を毎日夜から朝にかけて使用している。副作用のない危険な麻薬だ。未成年であることを知っていながら、仮想の現実で煙草を吸い、酒を飲んでいる。
鐘の音と共に暗転し、やがて覚醒する意識。周りは本当は見たくもない自室。夕方まで下らない学校へ行き、退屈に過ごす。と言っても麻薬の時間は夜から朝までだ。貧乏ゆすりをし、卒業まで待っている。
俺は一体、人生に何を求めているのだろうか。
こんなことを続けて、何かが変わったりするのだろうか。
考え込むヨルの肩に何かが強くぶつかった。少女だ、身長は低くもない、高過ぎでもない。きっとどこかの小説の主人公は、こんなことで人生が劇的に変わるのだろう。自惚れるな、俺は主人公ではない。
ヨルは軽く謝罪の礼をしたが、少女は彼をぐっと見た後何もせずに走り去った。
「何の情報もなしに人探しとか、不可能に決まってるよ」ヒビヤが文句を吐く。「せめて敵勢力正体がわかるといいんだけどな」
「敵勢力?」リナが疑問点を確認した。
「あれ? 逃亡者は何かから逃げているんすよね。だから、逃亡者の敵を知れればなって」
ヨルとリナが溜息を思わずつく。かのんはよく理解できずに話を聞いていた。
「じゃあ何故強弓の連中は俺達なんかに依頼した。追っているのは強弓だ。強弓がもし国を治める為に逃亡者を狙う連中を排除したいと考えるならば、隣国にまで手を出さないで奴らが直接片付けるだろう」
リナは大きく頷く。ヒビヤはああと納得する。
「そうか、あそこには……」
彼らは辺りをくまなく探したが、結局候補すら見つからなかったため、特徴を絞った。
「何故逃亡者は強弓に狙われている」
ヨルの問いにリナ。「あそこは強い奴を欲しがる。おそらく強い人間だろう」
「ならば男性か、女性か」
今度はヒビヤ。「そうなれば男だろうけれど、この世界はリナさんみたいに女でも強い人はいるからね」
「どんな形で追放されている」
再びヒビヤが答える。「武力、だろうね」
「それまでの経緯は」
「一度も対面していないのなら、きっと私達に依頼はしない」続けてリナは返す。「一度会い、こちらへ入らないかと要求。拒否されたが有能な人材の為無理矢理でも捕まえたかった――これが一番愉快な状況だ」
「それでは政治家の名が泣くな。無理矢理でも捕まえたかった人材という説ならば、それこそ奴らの規則によって裁かれるはずだ。きっと、こう……」ヨルは深く考えた。が、考え過ぎていたらしく簡単な話だった。「こう、危険な人物だ。しかし事情があって取り逃がした。それを俺達に任せた」
全員が考える時間は静寂に変わり、やがて空気は重くなっていった。危険人物がリバティーゲートにいた。強弓という国政の連中は危険人物を排除しようと試みる、が有能な奴らでも歯が立たなかった。危険人物はトワイライトゲートへ移動し、奴らは俺達に排除を要求した。皆がその考えには達していたが、一体どのような危険性を持っているのかが全くわからなかった。
そこで矛盾点に気が付き、かのんが口を開いた。
「おかしくない、ですか? もし一度会っていて、倒すことに専念しているなら、特徴や名前を知っていて、それを私達に教えてくれるはずです」
「確かにそうだ」ヒビヤが遅れて気付く。何故、簡単な問題点にさえ気が付かなくなっていたのだろう。「確かに会った、でも会った人は全員殺された。だから、本当にわずかな情報のみを渡してきた」
強弓が上げた逃亡者の特徴は三つ。身長が百五十から百七十。走る速度は遅め。武器を所持せず逃走に成功。
「そうか、実際に会った人間が死んでいるのなら明日になれば……いや、明日になれば逃亡者はきっとこの世界へやって来なくなる」そうなれば俺達の任務は失敗。それに、あの強弓を潜った人物ならば相当危険なはずだ。色々と彼が動く必要があった。「すまない、少しここを離れる」とヨルは言い残して返事を待たず裏通りへ消えた。
*
「さて整理しよう」リナは、ヨルが席を外している状況だが気にせず全員に言った。
ヨルがいなくても便利屋は成立する。元々、この便利屋はリナが作ったものだ。この世界でヨルと出会い、それを契機に決意した彼女の家である。彼女達はこの世界で初対面だった。しかし彼女は憂鬱と失望感に満ちた少年を救うと決めた。彼女は最初に彼と会った時に――勿論まだ無いはずの――便利屋へと誘ったのだ。それからしばらく彼女らは二人で便利屋を経営していた。彼女らは互いに強い信頼を持っている。
「優先度が変わった。一時的にトワイライトゲートの防衛としよう。強弓を欺いたとされる危険人物がこちらの街へ迷い込んでいる。だから、この街の防衛だ」
リナはヒビヤとかのんへ命令をするが如く言った。逆らう者はいなかった。彼らは便利屋の新人だ。かのんは参加して二日目である。
「危険人物、と言ったが、その根拠は武器を所持せずに強弓を欺いたことだ。それに仮説を立てるならば、おそらく異常な身体能力を持つ人間か、あるいは暗殺に優れた人間か、あるいは『超能力者』だ」
「超能力者?」かのんが驚いて問う。その自分自身の態度に、すぐに俯いた。
「あれ、てっきりヨルから聞いていたと思っていたけれど、聞かされていないかしら。困った、かのんにはわからない言葉が多かったね」
正直、殆ど理解できなかったと言いたげな視線を送るかのん。それに気が付いたリナは超能力者についての説明を始めた。
「この世界には超能力者がいるの。たったの十人程だけれどね。彼らは世界から恐れられている。いわば危険人物だ。ただし、例外もいるもので、人気な奴も見る。武器を所持せずに強い勢力を持つ組織と戦うことは困難だが、例えば超能力者ならばあり得ない話ではない」ここで一呼吸をし、「ヨルなら簡単にできる」
「ヨルさんは、やはり超能力者……なんですか?」
それすらも聞かされていないのか、とリナは思うが、かのんを見て頷いた。ヨルは超能力者だ。
「危険人物、つまり今の逃亡者は、元々リバティーゲートにいたが、危険と判断されて強弓に排除されそうになる。強弓を超能力で欺き、逃亡した。その際近くの敵は全員殺した為、私達へ回された情報は僅かなものだった。トワイライトゲートへ移動し、今に至る」
整理するとこんなものだが、この後が正直ぴんとこない、と続けた。
「これはわかりゃしないや、僕には。とにかく超能力者と仮定した時の話がそれでも、強弓の連中がへまをして殺された、とか。そもそも奴らにとっての損得は何だろうね。排除しようと思えばできるのではないかな。あっちにも超能力者はいるからね」
「あちらにもいるのですか?」かのんはまたも驚きヒビヤへ問う。
「ああ、ランキング四位の……確かアーキアだったような」
ランキングとは超能力者内の順位である。四位という順位は強いところではあるが、上三人よりは劣ることを示している。
「そんな話はいいだろう。とにかく逃亡者の特徴だ。性別すらわからないようでは人探しは不可能だ」リナが話を強制的に終わらせ、戻した。「性別を考えると、どちらでも問題ない。女性の超能力者もいると聞く。身長は平均的な百五十から百七十で間違いないだろう。走る速度は遅めと表記されている。このことから弱っているか、あるいは運動ができない人間か、女かだ」
「そもそも超能力者ではない、という考え方はしないのかい?」とヒビヤ。
「もし超能力もなしに強弓を潜れるならば、とっくに強弓全員を殺しているはずだわ。それに、考えるべきことに逃亡者は何故逃亡したのか、という項目もある」
リナは深く考えた。単純に考えれば逃亡者は超能力者だが、強弓を欺き、その所為で弱ってトワイライトゲートへ逃亡した、と仮説が立てられる。何せ相手はランク四位の超能力者。弱っても仕方がない。
逃亡者が強弓に狙われた理由は、危険人物だから、で問題はないだろう。自分が危険人物だとは自覚しておらず、突然襲撃されたために近くの敵を殺し、逃亡した。だが、単純すぎる。何か違うような気がする。
もう自分達では答えを出せないと諦めたその時。リナのデータダイアログが開いた。メールだ。急いで確認する。宛先は無論リナ、差出人は強弓だった。
題名無し、本文を読んだリナは急に真面目な表情に変えた。内容を読み取っていくに連れ、何か爆発しそうな感情が込み上げてきたからだ。自分にはわからないが、おそらくこうだろうと見当の付く感情が。
無言のまま別のウィンドウを開き、ヨルをコールした。ここへ来い、と。暫く待つとヨルが帰って来た。到着を確認してリナは口を開いた。この説明はヨルのためだ。
「今回の目標は霊猫という女性。リバティーゲートの抗争の巻き添えに一度死亡。現在はトワイライトゲートへ逃亡中。強弓の提示する任務は、彼女の抹殺、あるいは捕獲だ。それに、間違いではなかった――新星だ」
この言葉はつまり、少女の殺害を意味している。リナはヨルだけを見つめていた。
「俺は女だから殺さないとかぬかす馬鹿野郎じゃない。何度も殺してきたさ」沈黙が場を支配した。彼はその後、いや見殺しと言った方がまだいいか、と続けた。「ただ、嫌なんだ。女が死ぬ瞬間を見るのが」