第一話 「街の死角は概念の中に」 3
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陽が真上に昇った頃。赤い液体が辺りへ散り、砂色の壁を汚した。この場にいる人間は四人。つい先ほど二人が離脱した、そう死んだのだ。
かのんは口を押さえ、目を丸くして眼前の光景を凝視していた。煙の出る銃を持ったヨルと、上出来だと言うリナ、呆気なく死んでいった二人の敵、断末魔に似た絶叫を上げて腰を抜かしている標的が視界に映っている。
「なあ、何故橘に手を出そうとした? 一体、何人殺した?」ヨルは恐怖に震え泣く標的に問う。淡々と、何の感情も持たずに。
「規則が、ないのが、ここの、モットーだろう」敵の男は体を震わせながらも、そう必死に訴えた。
トワイライトゲートは砂漠のような砂色が特徴の街だ。建物もまたその色と噛み合っている。ただし、裏通りはその色よりも黒く滲んだ血の色が目立つ。悪人の集まる街での殺人は絶えない。住人はそれを認識しながらも、ここで生活しなくてはならない。
「嫌だと思うなら、あれは見ない方がいい」リナは口を押さえて事実戦いているかのんへ囁いた。かのんは一度リナの顔を見、それでも気になって残酷な光景へ視線をやった。
橘、と称されているものは、いわばトワイライトゲートで大規模且つ権利を持っている組織である。リナやヨルなどの便利屋を殺人の為に雇うくらい容易だ。何せ、今回は仲間を数人殺されている。
「俺はおまえらを縛ろうとしているのではない。おまえらを殺せと雇われているのだ。法のない街でおまえらを裁いているわけではなくて、ただの仕事で――そう汚れ仕事でおまえらを殺しているのだ」
ヨルはそう敵の問いに答えて、震える敵へ銃口を向けた。敵の顔色がいっそう悪くなり、汗と涙が止まずに流れ続ける。
直後、銃声が轟いたと思うと、しかしヨルのいた空間を銃弾が貫いた。ヨルはトランポリンも使用していないのに二メートル上へ跳び上がり、その奇襲を避けた――がどうやら少し反応が遅れていたらしく右手に握っていた拳銃が持って行かれた。痺れる右手を思う暇もなく、彼は着地した。
すると、奥の曲がりから敵が五人ほど現れた。全員がライフルを乱射している。
リナはかのんを連れて表大通りへ逃走し、ヨルは敵へ構えたが、かのんはその場を動こうとはしなかった為に、リナに引っ張られながらも彼に釘付けにされていた。
乾いた銃声が空気を裂く。銃弾は空間を貫く。ヨルは目の前で泣きながら笑う不気味な、先ほどまでの標的の胸倉を掴むと、近い壁へ埋め込んだ。頭が割れ、血が大量に溢れてくる。
振り向き、自分を射撃したと思われる敵を発見し、彼自身は動かずに手を標的へ差し出した。水を押すような、掌底の動作だ。何があったのか、触れもしていないのに標的が後方へ強く吹き飛ばされた。その後すぐに彼は華麗に乱雑に飛んでくる銃弾を全てかわし、異常な速度で敵へ突っ込んで行った。敵の群れに到着した途端、近くの一人の頭を鷲掴みにし、地面へ全力で叩きつけた。ナイフを取り出し、立つと同時に回転し、近くのもう一人を蹴り飛ばした。その敵は壁を突き抜け、現れた倉庫のような部屋で息絶えた。
ナイフを中距離にいる標的の首に投げ、見事に刺さった。血が宙を舞うが、ナイフは宙へ放り出さず、元々付いていたワイヤーでヨルのナイフホルスターへ戻った。
二人分の弾幕を余裕で潜り、手前の敵の顎めがけて右拳を振るった。鈍い音が狭い裏通りに反響し、奥にいる敵を通り越して更に奥の壁に衝突した。ヨルはすぐに先ほど狙撃手へした掌底の動作をすると、最後の敵が彼の掌の方へ飛んできた。吸い寄せられたかのようだった。敵の胸倉を掴み、左手で敵の右腰にあった拳銃を取り出し、奥へ吹き飛ばした一人へ躊躇せずに射撃した。
彼は胸倉を掴んで少し上へ持ち上げている最後の敵の耳を自分の口元に寄せ、言った。
「あまり悪人をなめない方がいい。待っているのは死だ。それを死後のここで自分の頭にねじ込んでおけ」
言い終えると突然、胸倉を掴まれている敵の体が痙攣し、すぐに止んだ、と思ったら今度は脱力し、頭をがくっと落とした。口が開き、涎が砂色の地面へ垂れる。目は虚ろで、怯えるように丸く開いたまま固定されている。息はしていない。
抜け殻の死骸を無造作に捨て、逃げてしまった彼女達の元へと彼は戻ろうとした。
「いや、お見事だ」と老いた声が背後から聞こえたため、ヨルはその場で止まり、振り返った。
「橘のとっつぁん、そういえば報酬をまだ貰っていなかったな」
ヨルに話しかけた人物と言えば、この街で顔が広い橘のリーダーである。名前はそのまま橘という。しわの見える中年の男性で、しかし戦場にいそうな雰囲気をかもし出している。偉い組織の長というのは漫画に限らずこうなのだろうか。
ヨルは仕事を任されていた。故に、依頼人からの報酬があって当たり前だ。それでなくては、彼ら便利屋は動かない。万屋なんてものは所詮、金に集る蠅のようなものだ。人助けをしようなどと言う善人ではない。虫も殺せぬ善良な人間が、悪人を法に基づかず裁けるわけが、簡単に言って人を殺せるわけがない。
「何を現実的に。報酬など直接渡さなくとも、データで転送できるだろう」
「そもそも金銭なんて馬鹿げたものを作るのが間違いだったんだ」とヨルは悪びれもせず、年上の依頼人へ愚痴を言った。「物々交換とはいえ、宝石でも宝玉でも何でも、金という概念をこの街に植えつけては、全くの無意味だと俺は思うのだが?」
「これは金銭じゃない。いわば、特権だ」橘は声に出して笑い、答えた。「何かが欲しければ盗むがいい。しかしそれでは解決はしても成立はせん。だから、特権を与えるのだよ」
商売に置いて特権がついているものと、そうでないものがある。例えば図書カードと呼ばれるものは硬貨ではないが、金として使用できる。他にも入場券や招待券など紙切れなのに価値がある特権が存在する。橘はそういった物をヨルへ渡そうとしているのだ。
二人はデータを開き、交渉の項目を選択した。橘は「特権」を選択し、ヨルは何も選ばずに決定を押した。端末のスクリーンで交換されるモーションが浮かび、その後ダイアログに『交渉成立』と表示されたのを確認し、二人はデータを閉じた。
「全く、曖昧な世界だ。街や自然があるのに、NPCの商人もいない。データには広告しかなく、作り方を知っている職人や暇人共が人生を放り出して俺達悪人の為に武器やら煙草やらを作るなんて、馬鹿げた世界だ」ヨルは文句を年寄りの橘へ言った。
「おまえは、煙草は吸えんだろう」嘲りの笑いで橘。
「その通りだよ、とっつぁん。現実から亡命して法を破るただの不良高校生だよ」
ヨルも嘲笑し、しばらくすると静寂が訪れた。橘のとっつぁん、まさかまだ仕事があるとは言わないだろうな、と彼が言うと、少し驚いて橘が笑って答えを示した。仕事はもうないが、情報を渡そう、と。
「何だよ、便利屋に情報は必要ない」
「そう言うな、おまえ達にとって得する話だ」
「と言うと、俺達を狙う組織があるとか、そこらへんの下らない情報か? 悪いがその情報を渡したところで俺はあんたに金なんてあげないし、報酬も返さないぞ」
中年の渋い笑い声が死体の転がる裏道に響く。
「そんなものではない。おまえ達に得する、と言ったのは今後のおまえ達のことではなくて、今後のおまえ達がどうするか、となった時に役立つからだ」と橘は笑い飛ばして言ったが、「しかし私がどう噛もうと、あのリナという女はきっと情報を掴むだろうけどな」とも言った。「まあ、その時に役立つかも知れぬ、という話だ」
もったいぶるなよ、とヨル。俺はせっかちなんだ。迂遠な説明をされると困る。
橘は笑いを止め、にたりと口を逆「へ」の字に吊り上げ、こう切り出した。
「おまえは今の今までそいつに頼ってきたそうだが」橘はヨルの腕を見る。
ヨルもそれにつられ彼自身の腕を見た。その後、ああと理解し、視線を橘へ戻す。
「それで? どう関係がある」
橘は意地悪な表情で、口調で、声色で、真相といえばヨルにとって非常に嫌な事実をつきつけた。それを今この場で理解する必要もなければ、納得しなくてもいい、頭に入れておけ、その内得することになる、と言いたげなのがヨルには見て取れた。
「新たな超能力者が現れた――能力は『破壊』だ。おまえは彼女を殺せない」
それを聞いた彼が何かを言おうとする前に、どこか遠くの方で大きな鐘の音が響き渡り、世界を覆った。無論その連続して響く音は彼にも聞こえた。
彼らの視界は徐々に暗転し、意識は暗闇へ消えた。