転校生は二人!!
日曜日を挟んで月曜日。
苛々が最高に積もった私は、誰よりも早く学校に行った。
私のクラスは一年紅A組。
これが青苓棟のほうだと一年青A組とかになる。
紫苓棟の場合はクラスもなくて、ただ個人のスクールネームで呼ばれる。
スクールネームというのは、入学もしくは編入したときの最初のロングホームルームで決める、学園内での名前だ。
もっとも、普段の生活では使われることはない。
使われるのは、学園祭や体育祭、その他学年レクリエーションのときが多い。
ただ、何でも良いというわけではなく、いくつか決まりがある。
一つ目は、“色が入っていること”。
はっきり言って、聖苓はマンモス校だ。
それが、幼稚舎から大学院までの在学生徒全員に色の名前を付けるという大変さは並大抵のものではない。
重ならないように在学期間の長い生徒及び優秀な生徒順に名簿が作られ、挑戦資格まで明記されるという徹底ぶりだ。
二つ目は、“人の名前でないこと”。
つまり、赤とか青とかはいいけど、たとえば茜は色だから良くても、赤音とかは駄目だということだ。
この辺りの細かい規定は非常に複雑で、最終判断は各部の代表(生徒会長だったりいろいろ)が会議を開いてどうするかを決める。
べつにそこまで熱くなる必要もないと思うけど。
三つ目は、“物の名前でないこと”。
レタスとかキャベツは駄目だということだ。
只、毎年500人位はスクールネームが決まらなくてあぶれる人が出る。
これは個人が決めるわけじゃなく、クラスメイトの意見で決めるものなので仕方がない。
つまりはそのスクールネームが似合わないと、クラスメイトが思ったら、その年は強制的に名前を変えなくてはならないということでもある。
だから毎年変更する人もいれば、在学中に一度も変わらない人もいる。
そして、毎年変更したりする人の中には、決まらなかった人も含まれているのだ。
というのも、決まらなかったら、昨年度で卒業したり中退したりした生徒のスクールネームを使えるのだ。
ただし、これは一年レンタルで、次の年は変えなくてはならない。
その連鎖を脱出する方法としては、外部への受験を希望する先輩もしくは後輩と仲良くなり、在学中にスクールネームの譲渡書を提出させるというものがある。
そうすると、優先順位関係なしに、挑戦権は発動しなくなるのだ。
私の場合は初等部からだったから、案外すんなり決まった。
なにしろ幼稚舎からの持ち上がりは27人で、大学部だろうが高等部だろうが中等部だろうが、新入生の待遇は平等だからだ。
ちなみに私のスクールネームは極光。オーロラのことである。
多分この色は人気が高かったのだと思う。
なにしろ綺麗だから。
虹なんて人も、いるにはいたが。
一体どういう経緯でこの色になったかのかは、覚えていない。
気付いたら決まっていたのだから仕方がない。
もし暁人が懲りずに本当に転校してきたとしたら、一体どんな名前になるのだろう。
万が一同じクラスになったら、クラス内での最終決定権は私にある。
いっそのこと、どどめ色とかはどうだろう。
しかし、それで通るかどうかは、甚だ疑問だが。
――――――と、私が自分の席(窓際の後ろから三番目。つまり前から五番目)に着いて、一人白んでく空を見ながら、悦しげに物思いに耽っていると。
ぎいぃぃぃ
……。言い忘れてたけれども、紅苓棟の教室は全て二枚扉だ。
もちろん押し開きなわけだが、普通はあんな音はたてない。
あんな音をたてるときは。
こっそりだったり、恐る恐るだったり、とにかく変に力んだまま開けようとするときだけだ。 言っておくけれど、紅苓棟に限らず、青苓棟でもそうだが、紫苓棟以外の場所全てが無駄にだだっ広い。
この教室だって、阿呆みたいな面積がある。
窓際の五番目と言ったって、その後ろはさらに広い。
なにが置かれているかと言うと。
ソファだったり本棚だったりティーセットだったり、およそ学校の教室とは思えないものが置かれているのだ。
多分紅苓棟の生徒の中で唯一生まれついてのブルジョワではない私だからこその意見だろうが。
―――――そんなもの、あるだけ無駄だ。
因みに本棚と言っても、参考書が詰まっているわけではない。
漫画本やR指定系書籍ばかり。
せめてミステリー小説ならまだしも、とは思う。
先生も見て見ぬ振りするなよ、とも。
多分家に置いておくと使用人にバレるとか、そういうのが理由なのだろうが。
それをあっさり黙認してしまっている学園も、どうだろう。
―――――と、嘆いてる場合ではない。
私はこの学園の異常さについて振り返るのを止めて、教室の丁度半分の位置にある扉の方向の見る。
―――――――そこには、朝焼けで青に輝く髪を持った、二人の男が立っていた。
その姿に絶句しないわけがない。
その男たちは全くの瓜二つ、だが瞳の輝きだけが違う。
双方とも、銀に輝いてはいるが虹彩が違う。
向かって左が紅色。つまり、暁人だ。
そして、右は。
桜を見る度、想い出そう。
―――貴方の笑顔を。
桜が咲く度、信じよう。
―――貴方にもう一度、逢えると。
桜が散る度、願おう。
―――貴方のあの瞳を、もう一度見せて欲しい、と。
知らず、笑みが零れる。
逢いたくて。でも、その手がかりも何もなくて。
忘れてしまえば全てを諦められるのに、それだけにすがって生きている弱い自分が、とても嫌いだった。
でも、とても現金な話、今は諦めなくて、忘れなくて良かったと、心の底から思う。
―――――――貴方にもう一度、逢えたのだから。
緑に輝く銀の瞳を持つ少年は、唇だけを動かす。
――――――キセキ、と。
そのことで、余計に感情は膨れ上がる。
私は扉の前まで歩いていくと、二人の目の前に立つ。
「お久しぶり、僑苡」
「……綺夕」
あの頃の面影を残すその笑顔に、夢ではないことを確認する。
夢でも、想像でも、16歳になった僑苡の姿は見えなかったから。
「転校……、してきたの?」
その問いに僑苡は頷く。
「そう。よろしくね、僑苡。――――それと私の名前、今は紫藤緋月だから、うっかり校内で呼ばないでね」
「俺も…、今は海棠風葉って名乗ってる。海棠グループの養子になったから」
海棠グループといえば、日本でも十指に入る巨大グループで、紫藤グループとも仲が良く、取引もある会社だ。
因みに弓削グループとは取引こそないが、仲は悪くない。 「…いつ、養子に入ったの?」
扉の前の壁に凭れて、私と僑苡は会話を進める。
暁人はやや居心地悪そうにして、今は本棚の本に愕然としているようだった。
「綺夕が紫藤に引き取られてから二ヶ月後。半ば強引に籍を入れられて、名前も変えられて―――――」
「でも、結局名前なんて最初から偽名だったようなものじゃない」
‘綺夕’は‘キユウ’と読まれて‘輝悠’となり、‘僑苡’は‘鏡威’となっていた、施設時代と、何が変わったのだろう。
赤ん坊のころに捨てられたとき、そこには一通の手紙が入っていたという。
この子たちに罪はありませんが、訳あって家で育てることができなくなりました。
ですが、この子たちを愛しているからこその選択です。
どうか見捨てないでください。
女の子の方は綺夕、男の子の方は僑苡と言いますが、どうか別の名前で育ててやってください。
的な内容の手紙と共に、トランクにぎっしり詰まった札束が、施設の正面の道路に捨てられていたのだという。
一体いくら入っていたのかは知らないが、とにかく拾われた私と僑苡は輝悠と鏡威として育てられた。
施設側は徹底して口をつぐんでいたが、恐らく本当の親がどういう経緯で捨てざるを得なくなったのかは、朧気ながらに気付いていたようだった。
恐らく誕生日や血液型も完全に把握していたのだと思う。
紫藤に引き取られたときに義父が確認したところ、本当に十二月十五日生まれだったらしいから。
私と僑苡が自分の本当の名前を知ったのは、多分五歳のころだ。
誕生日も半月過ぎた大晦日、職員室のロッカーを片付けていると、一通の手紙がでてきた。
当たり前だがその手紙は実の母親からのもので、自分の名前が綺夕だということもそのとき知った。
何故‘綺夕’の読みが‘キユウ’でなく‘キセキ’だと気付いたのかは、良く分からない。
もともと輝悠と呼ばれてもしっくり来なかった私にとって、‘キセキ’は納得のいく響きにしか思えなかったのは確かだ。
「輝悠なんて、綺夕には似合わない名前だったな」
「そういう僑苡こそ、鏡の威力だなんて、笑っちゃうわね」
相変わらず、兄はすごいと思う。
私をこんなにも、普通の感情にさせてくれるのだから。
また、心の底から笑える日が来ることに、今はとても満足している。
僑苡をよろしくお願いします。