ある農民の話
領主様が代替わりした年は不作の年となりました。
当地が不作となったのは7年ぶりだそうです。
税として収穫した作物を納めると手元に残るのはほんの少し。
領主代行様が主導していた頃なら、備蓄麦の支給もありえたかもしれませんが、新しい領主様では行われるかどうか不明です。
そもそも、私はその候補から外れていました。
備蓄麦を受け取る資格があるのは備蓄麦を事前に納めた家のみ。元々、備蓄麦とは飢饉などに備えて事前に麦を預けておき、その際に返却する制度です。
他の領地で聞いたことのない独自の制度は15年前にできた制度だそうです。
備蓄麦を前回納めたのは3年前。2年前新たに引っ越してきた私には備蓄麦を納める年にはまだここにはいませんでした。
息子を売るか、他の家の慈悲にすがって、麦を分けてもらう他ありません。
昔からこの地へ住んでいる者なら備蓄麦で冬を越せます。しかし、どれだけの者がこの冬を越せないことでしょう・・・
近年引っ越してきたのは私だけではありません。2年前に引っ越してきたのは私たち家族を含め、4組。去年、今年引っ越してきた者たちもいます。
しかし、それを憂いた領主様は我々を集め仕事をさせるという建前で食事を与えました。例年の冬場の内職の収入など高が知れています。高騰した麦には手が出ません。
単純な仕事をするだけで、備蓄麦を腹一杯の食事が出て飢えることはありません。
また、どこでその知識を得たのか、冬山でも得られる食料の見分け方・取り方を領主様自ら指導していました。
領主代行様も備蓄麦を支給するはずだった家々を訪ね、私たちに施すことで減ってしまった支給量は麦を買い直すことで支給することの説明に奔走していたそうです。
領主様たちのおかげでこの冬、餓死者ゼロ。他領地の者たちが聞いたら驚くことでしょう。
有難うございます、敬愛する領主様、そして領主代行様。
あれ? 十五年前って領主が生まれた年?
次回、ネタバレ説明回有の予定。