ある宿屋主人の話
俺はある領地で宿屋を営んでいる。この宿屋も開業から20年経ち、俺で二代目だ。
しかしながら、この宿屋は毎日、閑古鳥が鳴いている。1ヶ月で宿泊客の合計は10人。居酒屋を兼業しているが、毎月赤字だ。
何事もない停滞した毎日が繰り返されている。
普通の神経ならこんな田舎で宿屋なんか、やってられない。
ーーつまり、普通ではない。
俺の正体は、数十年単位で地元住民に溶け込んで情報を集める間諜だ。親父・・・といっても実際は他人だが、前任者の後を継いで宿屋の主人をやっている。
ここにやってきて数年になるが、毎月の報告では『特記事項なし』と書くのが常だった。
ーー楽なものだった。領主が暗殺されるまでは・・・
跡を継いだのは小太りな若造だった。継ぐ前は大半は屋敷に引きこもり、5日に1日程度の頻度で農民に混じって土いじりをしていただけだった。
しかし、領主を継いでからは頻繁に外に出るようになった。どのような心境の変化か、最近は道路工事の指揮まで執っている。
◇◇◇
ひと目見て何処かの廻し者だと判る奴も入ってきた。阿呆な密偵は俺の宿屋に泊ったりしているから、バレバレだ。
殆どが情報収集のための諜報員だが、稀に違う臭いをさせる奴もいる。外から来た明らかにヤバそうな奴は連絡して処理してもらう。
それ以外の密偵とはお互いに不干渉のスタンスだ。
あの若造は死なれると困るというのだから、面倒くさい。
理由は知らない。知ってもやることは変わらないし、知らない方が長生きできる。好奇心は猫も殺す、とも云うしな。
「宿屋主人、あの家って、あんたの物なんだって? オレに売ってくれないか?」
ある時、若造領主が訪ねて来てとんでもない事を言い放った。
あの家は見た目、自宅兼倉庫だがの地下にはヤバいモノが溜まっている。領主だからこそ、おいそれとは売れない。
・・・どうやれば断れるか。
「風の通りも良く、酒を置いておくのに丁度ピッタリな冷暗所でしてね。もしかしたら、酒の保管に別の場所を要してもらえるのかな? 中々条件に合う場所はないけどね。
どうしてもと言うのなら、別に家を建てる時間を貰わないと・・・」
領主の命令となれば断るのは難しい。その場合は時間を稼いでブツを移動させて地下室を埋めないと。
俺の主の素性が公になる場合は、最悪の手段も考えないとならない。
「嫌なら、良いや。別を当たる」
領主はそれ以上ごり押しもせずに、引く。
やけにあっさり諦めたな。もしや、カマを掛けただけか?
が、その家の隣を買い取り、商売を始める。
何のつもりだ? こちらを怪しんでいる様子はないが、油断は禁物だ。
そのあおりを喰らって近所の商人がとうとう、商売が立ち行かなくなって出て行った。口が軽くてイイ商人だったんだがな。
領地が発展するに従って、宿泊客も増えてきた。王都に増援を要請し、地元のおばさんも雇う。他からの密偵の数も増えてきた。
全く、面倒なことだ。
◇◇◇
それからさらに年月が経ったある日、領主の2番目の娘が訪ねてきた。他に店員も客もおらず、俺が直接対応する。
「嬢ちゃん。こんな所に何の用だ? 嬢ちゃんには酒はまだ早いぜ」
「妹が旅に出るから、そのお知らせに来た」
「はっ、何で俺にそんなことを言うんだ? 俺はただの宿屋の主人だぜ」
「ただのお知らせ。他意はない」
こいつは何を考えてやがる。無表情で思考が読めない。
「・・・・・」
「お嬢様~。荷物を少し持って下さいよ」
両腕一杯に荷物を抱えたメイドらしき女性が遅れてやって来る。
「仕事をさぼった罰。一人で持つ」
ーー娘はメイドとしてこき使っているようだが、正気か?
こいつは、ヤバい。情報収集が主だから、俺は戦闘力は皆無だ。それでも、相手の強さは判る。遠くで見たときは気づかなかったが、ヤバい。
大量の荷物を抱えているにも関わらず、足の運び、重心のブレのなさ。
ーー間違いない。コイツは手練れの暗殺者だ。どこの派閥の奴だ?
「出発は6日後を予定。おそらく国外にも行く」
メイドに気を取られていると、娘は言いたいことだけ言って出ていく。
「あれ? お嬢様、お酒を買いに来たんじゃないの?」
メイドもあっさりと娘について出ていく。
本当に、ただ知らせに来ただけのようだ。
領主はともかく、あの娘は確実に俺の素性を把握しているのだろう。
国外ということは・・・隣国にも行くのだろう。
やれやれ。妹って、まだ10歳の子供じゃないか。末っ子が旅に出るなんて、初耳だ。
何が目的の旅か分からんが、早急に護衛を手配しないといけないのか。6日って、連絡がぎりぎりじゃないか。わざとか? ガセかどうか確認する暇もありゃしない。
全く、面倒なことを気軽に言ってくれるもんだぜ。
今回、間諜さんが出てきたので領主の主な死亡フラグをご紹介。ほのぼのコメディなので、全て回避前提フラグですけど・・・
・父親が死んだ時に王都に居た場合、死亡
・父親の仕事を正しく理解していると、死亡
・父親の残した宝石箱の中身を適当な店で売ると、死亡
・商人の隣の家を強引に買い取ろうとすると、死亡
・領主を継いだ時点で家令やおばちゃんを解雇すると、死亡
・元婚約者令嬢・先輩メイド以外と結婚すると、死亡
・父親・母親の過去を探ろうとすると、死亡
殺される理由や、狙われる相手は様々ですが、何やかんやあって死にます。複数の筋からスパイが入り込んでいる設定なので、死なれると困る一派の密偵さんたちは色々大変です。宿屋の主人は死なれると困る派閥に属しています。
当然、娘たちもフラグがあります。例えば末娘ちゃんは駄メイドさん以外と料理修行に出かけると、旅先で死にます。
更に言及すると、『駄メイドの話』で『むやみやたらに喧嘩を売る訳にもいかず』というのは、人知れず護衛をしてくれて遠巻きに様子を窺っている密偵さんたちに対しての言葉です。
こっそりついて来ている密偵さん達が先に危険を排除してしまっているので、駄メイドさんが実力を見せる機会は回ってきません。
彼女は家事は役立たずですが、実は中距離戦を得意とする武闘派メイドです。剣はまだ練習中だけれども、領地で十指に入る腕前です。
なお、その内8人は領地外から来た武闘派工作員の人達が占めています。