命と種とその花と…
世界はいつも僕たちにどうしようもない試練を与える。この世界はいつも、いつも僕たちから奪う。
でも、この世界は僕たちに尊いものを与えてくれる。それは真実であり、この世界を恨むことができない要因である。
あの世界は、汚染されてしまった。
川の水は濁り、海は黒く染まっている。海には魚の死骸、数々の船の残骸が浮いている。
そして、大地は枯れ果て、木は一本も生えてはいない。広がるのは渇いた茶色の土ばかり。
その大地には、命の壊れた器がいくつも、いくつも転がっている。
逃げ遅れ、その大地とともに果ててしまった多くの命があった。
誰が想像したのだろうか、こんな地獄のような世界を。
誰が創造したのだろうか、こんな悲壮感に満ちた世界を。
水は濁り、土は渇き、いったいなにが残るのだろうか。そう、何もこの地に残ってはいない。
濁った水さえも渇えていく、この先きっと何もなくなってしまうだろう。
それでも、空だけは青かった。
すべてを浄化してくれそうなその青に、人々は手を伸ばし、そして、手に入れようとした。
人間は選択した。
終わった世界と終わっていない世界。
人間は終わりの世界を捨てた。
終わりはあまりにも人々の心を疲弊させたからだ。
ひとつひとつ、積み重ねた思い、努力、技術、命。それらが崩れ去ったあの世界を受け入れることなど出来なかった。
だから、人間たちはその世界を捨てた。
楽をしたかったのかもしれない。それでも、どうしても、あの青に焦がれたのは確かだ。
生き残った人間は必死に世界の外に出た。新しい、緑か茂っている世界、水の清らかな世界、大地が生き生きとした世界を見つけて。
~~~~~
僕らはそこに生きている。
100年前のあの大避難から、ずっと。
「100年前、この世界にくる前の世界はどんなものだったの?」
僕は知りたかった。僕たちが捨ててしまった世界のことを。そして、その世界を見てみたい。たとえ、そこがどんな地獄であろうとも。
知っておくべきなのだ。終わった世界はあれからどうなっていったのか。
本やネットにはその後のことが書いていなかった。あの世界の汚染と人々の渇望しか載っていなかったのだ。
確かにあの世界にはもう誰も近づいてはいない。いや、恐れて近づくことが出来ないのだ。情報でみる限りでは誰も行きたいと思わないだろう。
それでも、行くこと事態は可能なのだ。だから、足りていないのは意志だけだった。終わりを見るという意志は誰にも存在していなかった。
学者も政治家も僕たち一般市民もこの世界を見つめている。捨てた世界、もう一つの世界を無いものとしている。
だから、僕があの世界を見に行くのだ。世界の終わりというものをこの目で見たい。忘れたくない、もう一つの世界を。
小さい頃から望んでいたその願いはようやく叶う。僕の望みはあと一歩踏み出せば叶うのだ。
僕1人だけが乗れる小さな機体に身を滑り込ませる。緊張と期待で高鳴った胸を深呼吸で落ち着かせる。
閉められていないドアの向こうで同僚たちが不安そうに僕を見ている。きっと、内心は変な奴って思っているかもしれない。
「本当に行くのか?」
1人が尋ねた。僕は躊躇うことなく「勿論。」と頷く。これは僕の願いなのだ。誰にも邪魔することは出来ない、僕の小さな頃からの願い。
不安そうな人たちの顔が見えなくなり、カウントダウンが始まる。そう、もうすぐあの世界に出会える。
そして、僕はあの世界と出会う。
ドアを開けて外に降り立った。
「この世界は……。」
僕は重たい防護服を脱ぎ捨て、マスクも外した。
この世界にこんなもの必要ない。
防護服にマスクなんて、この世界に失礼ではないか。
人々が捨てた世界は人々が望んだ世界だった。
あの青は今も健在であり、水は清く美しく緑の隙間を流れていた。耳を澄ませばせせらぎが聞こえてきて心を和やかにする。
木々は生い茂り、その葉は懸命に太陽の光を集めている。葉と葉が風でせせらぎに新たな音を重ねている。
そして、大地は潤い多くの命を宿していた。濃い緑、薄黄緑、黄緑、あれはなんという緑だったっけ……。
そして、多くの花が咲いていた。
花に詳しくないのが少し残念だ。
花は今の世界でも見ることができるが、こっちの花の方が美しく輝いて見えたのはなぜだろうか。
懸命に生き、厳しい自然に逞しく花開かせている。
その健気な姿からだろうか。
この世界に人はいなかった。いるのは人間以外の生き物だった。
100年前、全てが無になった筈だった。それでも、この世界はなくならなかった。
終わったのではなく、始まったのだ。
僕たち人間は大きな勘違いをしていた。始まりに戻った世界を、人々が終わったと思い込んだのだ。
それでも、始まるにはきっかけが必要なはずである。それは間もなく発見した。僕は膝から崩れ落ちた。
この世界を忘れようとしなかったのは僕だけではなかったのだ。それは僕にとって喜びだった。
でも、素直には喜ぶことはできなかった。
「……お話がしたかったです。」
僕は手を合わせてその少女に語りかけた。
見た目は10代くらいだろう。そんな少女がそこにはいたのだ。
少女はバスケットいっぱいに花を持っていた。バスケットからも緑が溢れかえっている。少女自身も多くの草花に覆われている。
近くにはジョウロやスコップと思わしきものが転がっていた。どれもかろうじて形が残っている程度だったが。
少女の体は綺麗なままだった。
息を引き取ってからだいぶ経っている様だが、その姿は美しかった。
まるで、草花たちが彼女を護っているようだった。命を懸けて命を与えてくれたその少女に寄り添って、感謝しているみたいだった。
この少女はこの世界を愛していたのだ。
人々が捨て、始まるはずだったこの世界をこの少女だけは捨てはしなかった。
この少女は世界を疑うことなく愛し、この世界に愛された。少女は愛した世界が生まれ変わった時を見ることができただろうか。
僕はもう一度少女に手を合わせた。
そして、この世界を記録に残そうと思っていたが、そんな気になれなかった。
人間はこの世界を捨てたのだ。それがまた美しくなっていたらどうなる。それを求めるのではないか。
この世界を容易にさらしてはいけないと思った。それはあの少女がいたからかもしれない。
僕はこの世界を記憶に残し、また今の世界へと帰った。
僕はあの世界を胸に秘めたままこれからも暮らすであろう。
そして、少女のようにこの世界を愛し、一生を終えたい。
〈完〉
読んでいただきありがとうございました。
勢いで書いた作品ではありますが、描写を頑張りました。
伝わると良いのですが、私の力不足なのですいません。
では、また別の作品でお会いできることを願っております。
2014/9 秋桜 空