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PEREON  作者: 屋久堂義尊
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4.海自からの依頼

 二〇一五年七月九日、神奈川県横浜市港北区。

 坂下総一は新聞を読んでいた。小さなテーブルに、焼かれたトーストはバターと蜂蜜を絡めた上で、皿に二枚置いて有った。これは坂下の分だ。

 一方、テーブルの向かい側には、高校の夏服を着た坂下京子が座った。今日は彼女の所属するバドミントン部の練習試合らしい。京子は、パンを食べながら、坂下の存在がずっとそこに無いかのように振る舞った。

「挨拶も無しか?」

「お父さんがそれをするだけの価値が有る人間だったらするわよ」

「随分なこった」

 坂下は新聞の一面をなめるように読んでいた。

「今日の分のお弁当ですよ」

 奥の台所から坂下の母であるイネが弁当箱を片手にやって来た。

 坂下の弁当は全て彼の母が作っている。昨日早良に「愛妻弁当」と言ったのは見栄だった。

 昔、まだ坂下の妻が生きていた頃は、本当に愛妻弁当だった。あの美味しさは、格別だった。

 今日は坂下は大学に行かないので、京子の分だけだった。

 京子はまだパンを全て食べきっていない内に、テレビのリモコンのスイッチを押した。

 土曜の朝にやるアニメが目当てだった。

「おいおい、飯食っている時くらいテレビを消さんか」

 坂下が文句を垂れる。

「あんたの指図なんか受けないから」

 京子はつっけんどんな態度をとった。

「録画しておいてやるから後で見なよ」

「今見る事に意味が有るって分からないわけ?」

 そのやり取りを見たイネが憤慨した。

「京子ちゃん、貴方誰に養って貰っていると思っているわけ? 学費だって馬鹿に成らない、あが払えるのか? こんな立派なマンションに暮させて貰っているだけで感謝しなさい。お父さんの言う事は聞かなきゃ駄目よ」

 京子はチッと舌打ちをした。

「はいはい、学費は将来返しますから。私にだって自由が有っても良いじゃない」

「望み通り私立の高校に行かせて、部活も自由にやる、バイトはしなくても良い。これで充分自由ではないかい?」

 新聞越しに坂下が陳じた。

「テレビ見る自由くらい許してよ! 高校の大村さんだって、ご飯の時はテレビを点けるって言ってた。皆見ているんだよ。何でうちだけテレビにそんなにうるさいのさ!?」

「お前の言う“皆”は一体どの程度の割合で言っているんだ? 本当に百人が百人そんな事を言うのか?」

「それは、そんなの屁理屈だ」

「京子ちゃん、何を言っているの。貴方事実を自分に都合の良いように捻じ曲げているでしょ!!」

「はいはい分かった分かった。『魔法少女セーナ』が始まっちゃうよ」

 大人二人の話を無視して、京子は手にしたリモコンのボタンでチャンネルを変えた。

 ポップなミュージックのオープニングテーマが始まるのは直ぐの事だった。京子がノリノリでそれを見ていた。

 しかし、彼女のその楽しみは、意外な物に妨害された。突如、アニメの画面が切り替えられ、スーツを着たアナウンサーと無機質な部屋が映し出された。

「え? 何これ」

 京子が唖然としてパンを口に運ぶのを止めると、坂下も新聞から目を逸らし、テレビを見た。

「ここで、臨時放送をお伝えします。今朝未明静岡県清水市にて海上保安庁の巡視船が消息不明と成りました。現場をヘリコプターから撮影した映像が、今私の後ろ、スクリーンに映し出されています」

 坂下も京子もそれをじっと見ている。海にまかれた油が火を噴き、白い船体のバラバラに成った破片が散らばっている。

 坂下が驚いたのは、その船体の壊れ方だった。横から力を加えられ、すり潰されように見える。

 ニュースの映像は一旦途切れ、再び無機質な部屋と深刻な顔をするキャスターの映像に切り替わった。

「この一連の海難事故は、全て同じ手口で行われており、同一犯の可能性が高いとの見解が静岡県警から挙がっています。しかし未だにどのような物が船を沈めたのかははっきりとしていません」

「この前の、生き残った若者への事情聴取はどうなったんだろう」

 坂下は一人呟いた。

「なお、本件は、日本国民の生命の権利を脅かす物と国会で提案され、政府はの防衛案は衆参与党過半数の法案として通り、今後は自衛隊による本格的な海洋調査が行われる事に成りました。仮に、この事件が他国、或いは自国の兵器による攻撃だった場合、海上自衛隊としても攻撃をする可能性が有ります。繰り返します、政府は海上自衛隊に目標の調査、または駆逐を依頼しました。これは……」

「いっけない、もう出る時間だ!!」

 呆気にとられてテレビを見ていた京子は、残ったパンを一気に頬張ると、学生用のスクールバックとラケット、それから音楽を聴く為のウォークマンを持って、急いで玄関へ走った。

 ガチャリと音がして、京子が家を飛び出て行ったのが分かった。

「……、挨拶も無しか」

 坂下は何事も無かったかのように、ゆっくりとハニートーストを食べた。新聞を片手に読むと、イネが声をかけて来た。

「また海難事故みたいだねえ」

「また海難事故だ。それも駿河湾。何か有るのかな」

「何かって?」

「魚雷射出機とか」

 イネは聞いて目を丸くした。

「まぁ怖い、どうすれば良いのやら」

 坂下は何故か慌て出した母を抑えるのだった。

「大丈夫。そんな本格的に海に行く事は無いからね」

 坂下はテレビのスイッチを切った。

「まさか海自が本格的に動き出すとは。戦争はしないで貰いたいな」

 彼は、マイペースにトーストをかじり、そうしていつの間にか皿は空っぽに成っていた。



 それは、お昼頃だった。

 坂下は、交流の有る清水の漁師達に連絡を取っていた。

 案の定研究補佐費がいくらか出た。

 その為、簡単に乗ってくれるだろうと思っていたが、何故か皆渋るのだ。

 とうとう一人の漁師が白状した。

 海自の船が行ったり来たりする海に出るのは気が引けるのだ。加えてその“何か”に船を沈められてはたまった物では無い。生存者は今の所一人だけ。そんなリスクの大きい賭け事は、漁師の皆がやりたがらないのだ。

 ここずっと続く海難事故に怯えているのは清水の漁師だけでは無い。伊豆半島にも大学に協力的な漁師が何人かいたが、彼等も今は海に出たく無いそうだ。

「どうした物か……」

 坂下が電話帳を机にしまった時、インターフォンが鳴った。早良の為に紹介状を書いた彼は、席を立ち上がると、玄関の方へと向かって行った。

 覗き窓から見ると、見知らぬ男だった。

「どちら様?」

「私は海上自衛隊の渡辺と言う者です。坂下総一先生に相談が有りまして、参りました」

 坂下はドアの鍵を開けて、中へと渡辺を招きよせた。

「海自がどんな相談で?」

 坂下に誘われて、先程まで京子が座っていた席に渡辺が着座する。その向かい、いつもの席に坂下が座った。

「麦茶ですが」

 イネが湯飲みにキンキンに冷えた麦茶を注いだ。それを、渡辺、坂下の順に差し出した。

 そして、急いでその場から離れて自室へと入って行った。

 分かっているのだ。

 渡辺も、イネの気遣いには感謝するのだった。

「それで、本題なのですが。今度私達の調査船に同乗して頂きたいのです」

 これには坂下も驚いた。

 何故潜水艦相手の調査隊に生物学者の彼に白羽の矢が刺さるとは。

 だから坂下は笑った。馬鹿にされていると思った。面白い冗談だ。

「私、兵器に関しては本当にど素人だよ?」

 笑いを噛み殺し、坂下は主張する。分からない事だらけだ。

 しかしそんな彼の思っているのとは明らかに渡辺のテンションは違っていた。

「これを聞いて頂ければ、貴方の考えは変わるかもしれません」

 渡辺は、鞄から小さなDATを取り出した。そしてイヤホンを繋げると、それを坂下の方へ寄越した。

「これは、今朝沈んだ海保の通信データです。聞いて下さい」

 成る程先程ニュースで出ていたあの事故の船外無線だというわけだ。坂下はそれを見て、いそいそと耳にイヤホンを当てた。それを見た渡辺は、DATのスイッチを入れた。



『こちら、こちらしらさぎ、現在、ソナーに反応有り。巨大な何かが接近して来ます』

『取り舵いっぱい!! かわせ、見切るんだ』

『そんな無茶な』

 ゴゴゴゴゴ!!

『左舷損傷!!』

『何だあれは、巨大な……』

 グワシュ!!



 坂下はDATのイヤホンを耳から外した。その眼には、今までに無い感情が宿っていた。

「どう感じられますか?」

 坂下は頭を横に振った。海の怪物が、クラーケンがいるとでも言いたいのか。それこそ、人造兵器の極みはそんな感じで我々が恐れているモンスターに姿を似せる物も有るのだから、余計怪しい。

 ただ……。

「分かった、私も調査隊に加えてくれ」

 渡辺はそれを聞いて、フッと息を吐いた。肩の荷が降りたのだろうなと坂下は察した。

「では、調査隊は火曜日に出ます。蒲原から調査船は出航するので当日は宜しくお願いいたします」

 渡辺は立ち上がって直角に腰を曲げて礼を述べた。

 そして、麦茶を一気に飲み干すと、ご馳走様でしたと、奥の部屋に閉じこもっているイネに挨拶をして玄関へと向かった。

「あ、そうだ」

 坂下が声を上げた。

「何かされましたか?」

 渡辺がきょとんとした顔を見せた。

「いやね、調査船だけどさ、私以外にもう一人追加で乗せる事は出来ないかな?」

 渡辺は、何とも言えない表情をしていた。怒っているようにも、呆れているようにも、笑っているようにも、どれにも見えて、どれとも違った。

「もう一人、と仰いますと?」

 坂下は渡辺の顔を直視出来ないまま、しかし退く事無く話を続けた。

「うちの院のゼミ生でね、今年度卒業してしまうんだけれども、最後に海洋調査がしたいって言う子が一人いるんだ。彼女を乗せてあげられないかなってさ」

 渡辺と坂下の間に沈黙が走る。

 それを割ったのは渡辺だった。

「私達の調査は、学術的に役に立つか分かりませんよ」

「それでも構わない。研究は彼女が勝手にやるよ」

 次の一手が出ればやられる。坂下は手に汗の雫を握り締めていた。

「分かりました、許可しましょう」

 渡辺のその一言で、坂下は救われた気分だった。

 早良を何とか調査の現場に連れて行く事が出来るのだから。

「それでは当日」

 渡辺がまた腰を九十度に曲げるのを坂下は苦笑した。

 坂下の部屋から去って行った彼は、階段を下りて見えなくなった。

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