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PEREON  作者: 屋久堂義尊
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15.それから

 二〇一五年七月二十五日、静岡県静岡市清水区、清水産業大学内。



 早良は長谷川と二人、中庭でご飯を突いていた。

 坂下の葬儀は家族間で行われる事と成り、学生達は坂下宛に最後の手紙を出すに留まった。

 指導教員を失った早良達坂下ゼミの人間は、代理の教員が見付かるまでゼミを休止し、それぞれの独自の研究に精を出す事と成った。早良は深海の生物に関する論文を更に発展させて、ペレオンについて論じるつもりだでいた。しかしその事を知っているのは目下の所早良と長谷川、そして早良同様に静岡へ帰って来た丈の三人だけだった。

「貴子、坂下先生の最期、見届けたんでしょ? 大丈夫なの?」

 長谷川が心配になるのも無理は無い。

 あの事件からまだ数日しか経っていない。

 早良達は、あの戦いを生き延びた奇跡の民間人として、マスコミの恰好の獲物に成っていたが、政府が動いたのか、別のスキャンダルが起きたのか、妙な静けさが今日の早良の周りに有った。

 長谷川は、早良が謂わば「師」を失ったのでそれについてショックを受けているのではと心配していた。だから彼女は早良がペレオンについて論文を書くと知ると、少しばかり不安な気持ちに成ったのだ。

「貴子」

「何?」

「アイスでも食べない? 暑いしね」

 早良がポンと手を叩く。

「ナイスアイディアだね」

「じゃあ、学食で買って来るよ」

「あ、抹茶でお願い」

「あいよ」

 長谷川はそのまま行ってしまった。

 早良は空を見て、弁当の残りを口に運んだ。

「坂下先生、見ていて下さい。必ずや先生の犠牲を無駄にはしません」

 早良は天に誓うのだった。



 静岡沖、五キロ地点。

 丈は海保の海洋調査船に乗り込んでいた。

 魚の姿はちらほらと見えるようになった。セトが壊した生態系が蘇っているらしい。

「あのセトが、最初のセトだけれども、最後のセトだとは限らないですからね」

 日に焼けた肌を見せる海保の中年男性が笑いながら語った。

 丈は今、一介の漁師と言う立場からでは無く、セトとペレオンから生きて帰って来た唯一の漁師として、調査船に引っ張りだこだった。彼の体験が有れば、セトやペレオンと言った、一種の異常事態に面した時も、何か知恵が引き出されるのではと、そんな考えから彼は呼ばれるのだった。

 だが、丈に言わせれば、彼はそんなに役に立つ知恵を持ち合わせてはいない。セトやペレオンについて詳しいのは、むしろ彼の恋人である早良の方であると丈は思っていた。いや、それが事実だった。

 早良がペレオンについて論文を書くと聞かされた丈は、その背中を押してやった。生物学的に早良がどうその問題を捌くのか楽しみだった。もっとも、難しい事は全く分からないのだが。

 正直な話をすれば、丈はもう海に出たいと思えなかった。船長の事を思い出して、気分が沈んでしまうからだった。でもそんな彼を再び海へと送り出したのは早良だった。早良が、坂下を失った事から立ち直ろうとする姿に、丈も決意を固めたのだった。そんな折に、海保の調査船のユニットリーダーにならないかと言う誘いを受けて、今回海へ出たのだった。

「倉田さん、また魚の群れがいますね」

「漁に出るにはまだ苦しいけれど、この調子ならばすぐに元通りになるでしょう」

「海の回復力には驚かされますね」

 全くその通りだ。

 丈は、海を覗き込んだ。海は回復する。あのヘドロに犯された駿河湾がここまで復元されたのだから。

 丈は復活した駿河湾で、再び漁師として生計を立てたかった。大物を釣って、早良に見せて、傷付いた者同士、寄り添いあって暮らしていきたかった。

「さぁ、このまま、もっと沖の方へ行きましょう」

 丈は甲板に出て沖合を指差したのだった。


 神奈川県横浜市港北区。

 京子は、久方振りに、一人外出していた。

 坂下が死んだという事実を最後まで受け入れなかったのは彼女の祖母であるイネだった。イネは京子を責めた。京子さえいなければ、坂下が死ぬ事は無かったと彼女を責めたのだった。

 京子はそれを聞く事が出来なかった。泣き叫びながら京子に迫る、そんな祖母の姿は見ていられなかった。

 葬儀一式の関係も有って、京子は彼女の叱責から逃れられなかった。坂下の遺体が渡された時、その姿は目を当てられない程の物だったらしい。自衛隊が回収した後の彼の姿を京子が見た時は、身体の殆どがプラスチックで補完された物だった。それを火葬場で焼いた後の骨は、粉々だった。

 京子はそれを、箸でつまんで壺に収めた。墓場まで持っていき、墓石の下にそれを埋葬した時、京子は己の愚かさを泣いた。

 その悲しみの渦の中から京子を救う者は誰もいなかった。家には、坂下宛てに大量の手紙が届いた。その殆どは、坂下の遺体と共に燃やした。

 火葬に間に合わなかった物も、墓石の下に収める事と成った。

 そんな中、京子は一通の封筒を手にしていた。

「坂下京子様江」

 そう書かれた手紙が見付かった時、京子の心は震え上がった。もしかしたら、この手紙も、京子の事を責め立てる物かもしれない。

 そう恐怖し、恐る恐る差出人を見ると、そこには「早良貴子」と書かれていた。

「早良さんならば、もうお父さんに手紙をくれていたはず……」

 早良はあの死の瞬間を、共に目撃した仲だった。早良の事は詳しく知らなかったが、あの戦いの後、坂下の為に涙を流した事から、彼女もまた坂下を信頼した人間だったはず。だとしたら、坂下の最期の責任を問いて来てもおかしくは無かった。

「でも、そうよね、受け入れなくちゃダメよね」

 近くの公園に辿り着いた彼女は、封筒を開けて、中から書簡を取り出すのだった。

「坂下京子様」

 青い字で書かれていた文字を、京子は眼で追った。

「お父様の事で、気持ちを落ち込ませている事と思います。しかし、貴方だからこそ出来る事が有るはずです。ペレオンの事、セトの事、私も研究していきます。貴方が果たさなければならないのは、自分を責める事では無くて、貴方のお父様が研究しようとした事、その志を引き継ぐ事ではないでしょうか。貴方の青春を、私のしょうもない戯言で決め付ける事も、私自身も愚かな事だと思っています。でも忘れないで下さい。貴方には貴方にしか出来ない事が有るのです」

 京子は手紙を思わず握り締めた。

「もしも、私に出来る事が有るならば、是非連絡下さい。私は、お父様の死を受け止め、ペレオンについて研究していきたいと思っています。一緒に研究していきませんか? それが、貴方のお父様の意思を継ぐ事だと思いますから。一人で抱え込まないで、私はずっと味方だよ」

 京子は涙をこぼした。暫く彼女は声を漏らして泣いた。早良の書いた文章は、ずっとずっと色んな事にがんじがらめにされた京子の心を揉みほぐした。京子はハンカチーフを取り出すと、涙を拭いた。

「そうね、私にしか出来ない事……」

 京子が鼻を啜る。そしてゆっくりと立ち上がった。

「お父さんの後を、私が継げば良いのね」

 京子は、早良の手紙を再び封筒に入れると、それをポケットに詰め込んだ。

「いつまでも、泣いていたら駄目ね」

 京子は、自宅に向かい、足を向けた。



 東京都千代田区霞が関。

 渡辺はコーヒーを飲んでいた。

 これから、対ペレオンの自衛隊の対策会議が開かれる事に成っていた。

 渡辺は、ペレオンが味方であると主張するつもりでいた。

 しかし上層部は、元々、ペレオンとセトに対して、“勝った方が我々の敵”と言うスタンスだった。そして、勝ったのはペレオンだった。自衛隊としてはすぐさま、対ペレオンの態度に移らなければ成らなかった。

 しかしながら渡辺は、そんな上層部の考えに幾らか疑問を抱えていた。渡辺が見て来たのは、早良や丈が主張した物だった。ペレオンは決して人間を襲わなかった。死者の殆どが、セトによる物だった。ペレオンが丈や早良を身を挺して守ったと言うのも決して彼等の思い違いでは無いのではないかと渡辺は思っていた。

 コーヒーを飲み終わると、渡辺は空に成った缶をゴミ箱に突っ込んだ。

「さて、行きますか」

 指定されたビルに入ろうとした渡辺は、空を見上げた。

 聞こえたような気がした。

 ペレオンの雄叫びが。

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