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Go!

「何だと?」

「建物の上に立つ人影がある。あれは、子供? 防護壁の上に平然と立ってる!」

 そびえ立つ、全面真っ白の超高層マンション。その屋上で貯水タンクを背にして水色の髪をした子供が仁王立ちしていた。見上げて、忍を見つめている。ぞくっと背筋が凍る。怖い。体が本能でそう感じ取った。その子供の視線にあるものは恐らく敵意で無い。威圧である。そしてまた悲しみであるように感じる。〈防護壁〉に阻まれている。〈防護壁〉を通る事が出来ない者、『駒』か?

『虚数空間』展開。通信が切れる。世界から色が抜ける。忍の体も変わる。忍は自身のその姿が好きではない。手足が細長く首も長く伸び羽が生えて。まるで虫だ。嫌だと思うが、仕方ない。諦めて先程の超高層マンションを見る。中ほどでぽっきりと折れていて、その先はぼろぼろに風化しながら宙に浮いている。いつ頃折れたのか、忍は知らない。この世界がどういった物理現象の中で動いているか分からない。

 それよりも子供は? 『駒』ならばこの空間でも存在している筈。……居た。高層マンション上空に浮かぶ人影。その姿は――

「う、嘘だろ」

 (まぎ)れもなく人間であった。現実空間と全く変わらない姿の子供であった。そして敵陣がその子供にどんどん集まってきた。襲われているのか? いや違う。そんな様子は微塵(みじん)も見せない。子供は、品定めするように敵陣を見回している。――敵陣? いや、分からない。子供がこちらの側なのかそれが分からない。そしてその敵陣が一斉に『成る』。

「こちら忍、敵陣が一点に集まって『成って』いる! 場所はあのでかいビル!」慌てて忍は全員に報告。

「こちら文、姿が見えねえと思ったら野郎ども、何考えてやがる」

「好都合だ」幸於の声が入る。

 と同時に忍の後ろから物凄い速さで幸於が忍を追い越した。風を切り裂きながら飛ぶ。そして手にした十メートルはあろうかという(つるぎ)で以って、敵陣の集まるその一点を横一線に薙ぎ払った。一瞬、静止。即座に敵が木端(こっぱ)微塵(みじん)に切り刻まれ消し飛ばされる。

「癒し系斬鉄少女、衝撃の幸於ちゃん、見敵必殺(サーチ・アンド・デストロイ)、キル・ゼム・オール」

 幸於は剣を担ぎ忍の方に振り返りにやりと笑った、様に見えた。実際には顔に大きく笑った口が紫で描かれているだけだった。幸於のこの空間での姿は人間の形状に近く、髪は紫でサラサラと(なび)き、手足は金属的な輝きを持つ以外はあまり変わらない。ただ金属的な顔には口以外には目も鼻も描かれていなかった。

「うわ、変なの。虫みてえ」幸於が忍の姿を見て(まさ)に気にしていることを、ズカズカと。

「うるせえよ、サイボーグみてえな(なり)した奴が言えることかよ! それよりあんた、今子供がいなかったか!?」慌てる忍。

「あん? そんなんいたか?」

「居たよ! まさか一緒に切り刻んだんじゃねえだろうな!」

「……え? 本当に? 俺、やっちまった?」

「……おい、てめえ!」

「なーんてな、冗談だ。見ろ」剣で前を指し示した。その先には確かに水色の髪をした子供がふよふよと宙に浮きながらこちらをじっと見つめている。忍は警戒していたが、幸於は気にすることなくその子供の方へ宙に浮きながらゆっくりと近付いた。

「おい、ガキ。てめえなにモンだ。返答次第じゃ切り刻む」

「おいこら! 子供相手にどんな口の利き方だよ!」忍も幸於の後を追った。同時にちらっと子供の姿を(かす)め見る。

 青い髪は細く風に靡き頬は赤みがさし、鼻は低く手足は細く長く肌は白く、男なのか女なのか判然としない。くりくりっとした大きく丸い目で二人の姿をじっと見ている。先程の威圧感はなんだったのか、何かの間違いだったのか。近付いて手を差し伸べようとすると、「油断するな」と幸於に肩を(つか)まれ、制された。強引に掴んだまま忍を後ろへ投げた。

 やがて子供が口を開く。「ねえ、あなた達にとってこのモノたちはどういう存在? 敵? 殺すべき相手?」高く可愛らしい声であるのに、内容からは幼さがうかがい知れない。

脅威(きょうい)だ」幸於は手短に答えた。その声からは相手に気圧(けお)されぬようにとの心が見える。

「脅威?」子供が問う。

「そうだ」幸於が答え「お前は何者だ。何故ここにいる。敵か味方か」と続けて問い返す。

「僕? 僕はこのモノらと同じ。『駒』だよ」子供が答える。その声からは感情が全く読み取れない。じっと幸於だけを瞳の中に捉えている。「君たちだってそうでしょう。僕も君たちもこのモノも同じ『駒』。同じモノ。それでもこのモノ達を脅威だと?」

 幸於もまた少しも視線を逸らさずに子供だけをじっと見つめている。「脅威だ。物言わず、破壊するだけのモノ。人を殺すだけのモノ。それを脅威と言わず何と言う。物言わざるモノに何を問う。如何(いか)に問う。問うた(ところ)で答えは返らねえ、争いは静まらねえ。ならば、脅威とみなし排除するが道理だろうが。でなければ我らは滅ぶのみよ」

「そう。では物言うモノがあるならば?」子供の語気が強まり、口調も鋭くなった。

 幸於は剣を構えた。「お前は物言う敵だと言うか」

「敵ではない。どちらにもつかない。僕は君たちとは異なる目的で動いている」

「それは何だ」

「目的は一つ。逃げること。君たちから、世界から、モノたちから、仲間たちから」

「……仲間から?」

「それはいい。今はどうでもいいこと。僕の問いに答えてはいない。物言うモノがあれば何とする? このモノたちの目的が分かったらどうする? 君の目的は人類の守護であると、だからこの子たちは脅威であるとした。でもこのモノたちからしたら?」

「物言わぬ故にこのモノらの目的など分からん」

「嘘だね」子供はぴしゃりと言い放った。「嘘だ。君は知っている(はず)だ。分かっている筈だ。〈内〉と〈外〉の関係を……。知らないとしても、この空間の崩壊を見て何も思わない訳ではないでしょう。この空間が如何なる意味を持つか、知らない訳じゃないでしょう。このモノらにとって何が守護の対象か。……このモノらにとって君たちは脅威だろうね。同じだ。立場が違うだけ」

 忍はじっと二人の言葉を聞いていたが、全く理解できない。同じ? この子供の言うこの子とはつまり敵方の事。敵方と私は同じと言っている訳だ。「冗談じゃない、何が同じだ! こんな化け物と!」

 子供は視線を忍に向ける。「僕の目には同じに見えるよ。獣のような戦い方も、醜い姿も」

「ふ、ざけんな!」忍は目を見開きながら体をガタガタと震わせた。「もし、もしそうだとしても……」

「そっちの人は事情を全く知らなさそうだね」子供は今一度幸於を見た。

 幸於はじっと子供を注意深く見つめている。子供が忍と話している間もずっと。

 ……しかしおかしい、敵の姿はもう見えない筈なのに、何故虚数空間が(いま)だに機能しているのか? 敵の『駒』が消滅したら、本部の奴らが解除する筈だ。

「幸於さん、危ない!」幸次が突然下から飛びあがり幸於に前から抱きついた。幸於の後ろに何者かの影。幸於の左腕が千切れ飛ぶ。幸次は幸於を左手に抱えたまま右手のナイフでそれに切りつける。が、素早い動きで避けられる。「『天狗(てんぐ)』だ、全員構えて、まだ終わっていない!」幸次は幸於を抱えたまま地上に落ちて行った。

 いつの間にやら少年の姿は消えていた。

 上空で忍はその『天狗』と対峙(たいじ)した。全長七メートル程で熊の様な四肢に鋭く長い爪が素敵に(きら)めいている。

「『成る』! 『獅子』!」と叫ぶと、忍の体が金色に光り輝き、相手と同程度に大きくなり、まさに獅子の如く、空中で四つん這いになり、鋭い牙も生え、咆哮(ほうこう)し、硬い針金のような金色の(たてがみ)が相手を威嚇(いかく)する。――確かに化け物でしかない。胸がちくりと痛んだ。

 幸於を抱えたまま幸次はすたっと着地してゆっくりとその体を横にした。

「幸於さん、大丈夫ですか!?」慌てて傷口を見る。左腕がごっそりと切り取られている。

「あーもー、油断したー。やだー」対して幸於は、間延びした声でそんなことを口にする。

「幸於さん、痛みは?」

「ああ、この空間で痛みとかはない。……でも現実世界行ったら、これ下手すりゃ死んじまうなー。やだー」

「そんな、幸於さん!」

「ま、そんときゃそんときで」そう言って幸於は幸次を抱きしめた。現実世界とは違いゴツリとお互いの硬い体の感触が伝わる。「助けてくれてありがとな、幸次。こっちの世界でもイケメンじゃねえか」耳元に(ささや)く。

「こちら文、『(きょう)(おう)』二騎発見! ていうか皆見えるよなぁ!!」高層ビルほどに大きい、真っ黒のマントの様なものを着た巨大な物体。頭に角が二本、鼻も角のように長く尖り、マントだけでなく全身が真っ黒で一つの目だけが大きく赤く、妖しく光っている。首を左右に振りながら周りの状況を探っている。そしてその二騎が空中の忍に目を付ける。ふわりと飛ぶ。

 文が「まじい! 忍逃げろ!」と叫ぶが忍は『天狗』の相手で手いっぱいで聞こえていない。忍の視界にやっと『教王』二騎の姿が入る。その時に既に『教王』の間合いで、二騎同時にマントの下からばっと太く長い腕を出し、広げて、鋭い爪を忍の胸元に伸ばしていた。忍はその力強い腕を見て、死を覚悟し、目を瞑る。だが何も起きない。

 恐る恐る目を開くと、その『教王』二騎は炎の渦に包まれていた。

「よっしゃあ桃子! ファインプレイ!」「普通です。忍さん逃げて」

 忍の目の端に巨大で黒い手足の細長い巨人の姿が見える。桃子が『火鬼』に成っていた。対峙していた『天狗』は業火(ごうか)に焼かれ消滅。しかし『教王』は身を焼かれつつも、じっと静止したまま倒れない。忍は一旦地上に降り立った。

 五分程だろうか、延々とその身を焼き続けるも『教王』はなかなか倒れない。桃子はじっと我慢する。息も荒くなる。『教王』二騎が同時にくるりと振り向き『火鬼』を視界に入れる。狙いを変えた。ゆっくりとだが桃子へ向かっている。桃子は歯を食いしばる。同時に炎の勢いも強まる。だが『教王』の動きは止まらない。じりじりと距離を詰められる。どすんどすんと地響きを鳴らす。そして、『教王』の間合いに入る。最早桃子も息切れ切れに踏ん張る力もない。「だめ……かも……」

「うおおおおりゃああああ!」とその刹那に幸於の声が耳に響いた。『教王』二騎の体に幾重もの(せん)(こう)が走る。同時にバラバラに切り刻まれる。木端微塵に消し飛ばされる。

 肝心(かんじん)の幸於は空中でバランスを(くず)しそのまま落下する。幸次が飛びついて抱き抱える。

 桃子が『火鬼』を消すと、空間全体がゆがみ、現実空間に戻る。皆、尋常の姿へと戻る。幸於を担いだ幸次がすたっと地に降りる。そっと下ろす。傷口からは大量に血が出ている。幸次はすぐさま傷口を手拭いで包み、カッターシャツの袖を持っているナイフでびりっと切り取りそれで腕をギュッと強く(しば)る。……手を離すと、どばっと一瞬血が大量に出たが、その後一応出血は止まった。腕時計で確認した後胸元に差したペンで時間を記入する。

「手際が良いな。流石俺が惚れた男」笑顔だが、かすれた、元気の無い声は隠せない。

「大橋さん、幸於さんが左腕を負傷しました。ただちに病院を手配して下さい」

「了解。最寄りの病院は中島病院だ。場所は分かるな」大橋は少しも慌てない。

 その頼もしさが嬉しい。

 そこへ文が全身白の甲冑のまま到着した。「よっしゃ! すぐ行きますよ幸於さん!」

「えー、最期くらい幸次の腕の中に居たって罰は当たらねえと思うんだけどなー」

「何馬鹿なこと言ってんですか、こんくらいで死なれちゃ困ります! 文さん、すぐ行ってください」と幸次が言い終らぬうちに、

 文は、「合点(がってん)承知(しょうち)!」と病院向けて飛ぶように駆けて行った。


 幸於は目を覚ました。白い天井が見えた。体を動かすとベッドのばねが軋むと同時に左腕にずきんと鋭い痛みが走った。「あが!」と絞り出すような声で(うめ)いた。どうやら左腕は一応繋(つな)がっているらしい。

「幸於さん、気付きましたか?」そっと優しい幸次の声がした。幸次以外にも人影が見えるが視界がぼやけて見えない。幸次がそっと眼鏡を掛けさせた。流石は幸次、気遣いのレベルが違う。人影を確認すると、文と忍だった。「よし、幸次以外は帰れ」

「起きて第一声がそれかよ、こっちは心配して待ってたんだぞ!」と忍は怒ったようなふりをしたが、安堵の感が声から見て取れる。

「そうですよ、腕を見付けて届けてくれたの忍なんですから」文も安心して笑った。

「知らん」幸於はぴしゃりと言い放った。流石に場の空気が凍る。

「オイ、ゴルァア! 心配してたっつってんだろうがよ! なんかこう、他に言うことねえのか!」と、今度の忍の声には怒りだけがありありとうかがえる。

「流石に桃子は帰しましたけど。中学生にこんな深夜まで居させるわけにはいかないので」

「感心だ。よし、お前らもさっさと帰れ。幸次以外は」二人の言葉に無関心にそう返す。

 流石に忍は堪忍(かんにん)(ぶくろ)()が切れたのか、騒ぎたてながらゴチャゴチャ怒鳴(どな)っていたが、文に笑いながら制されて「じゃ、幸次―、後は頼んだぞー」と言って病室を後にした。

 中には二人だけが残る。それを確認して幸於がニヤッと笑う。「よし、二人っきりいたたたたた!」体を起こそうとして左腕に激痛が走った。

「ちょっと、まだ完全に繋がっていないんですから!」

「ぐあー。死ぬほどイテェ」

「そりゃそうですって」

 幸於は顔を上げて、「よし、撫でろ」

「もうちょっと話を繋げる努力を……」

 幸於はゆっくりと体を起こし、そして頭を下げて目を瞑った。こうなると頑として動こうとしない。今までの経験からも幸次は分かっていた。しかしまあ、今日は、という事で幸於の頭を優しく撫でた。

「なんだ、今日はやけに素直だな」

「まあ、やっぱりあれだけの事があった後ですから」

「それに今日はいつもに増して優しくて丁寧で、洒落にならんほど心地いい」

「そんなことまで分かりますか」

「おう、やっぱり優しいなあ幸次は」

「別に、そんなんじゃ」

「今日だってもう駄目だと思ったぞモンだぞ」

「だからそんな……」それきり幸次の言葉が止まってしまった。

 おやっと思い幸於が顔を上げると、幸次の方は黙って下を向いてどうやらぐっと言葉を詰まらせながら何か我慢しているようである。「えっと、幸次、泣いてんの?」

 涙を流す程ではないにしても目元にきらりと光るものがあり、(まぶた)は赤く色付いていた。

 幸次は口を開けば嗚咽(おえつ)()れそうでどうにもこうにも声が出せない。

 幸次は、やっぱり幸於が命の危機にあって、怖かった。怖くって、幸於の元気で変わりない顔を見て安心した。

 幸於はそんな幸次を見て目をぱちくりさせながら吃驚(びっくり)したが、やがて体をひねって右手で幸次の頭を撫でた。お互いがお互いを撫でると言う(はた)から見ればおかしな光景。

「なんだよー、そんなに心配してくれてたのか? 俺は大丈夫だからな。左腕だってすぐに治してやっからよ。泣きやめよ。な?」

 ついさっきまで死ぬだ何だと騒いでいたくせに何を大人の様な事を言っているんだこの人は。と思ったものの声も出ないし、どうやらこの人は不器用なりに慰めてくてているようだし、ここはありがたく言葉を頂き、こくんと頷いて感謝の念を表した。幸於の顔を見ると、頬を赤らめながら、さも嬉しそうに口角を上げて幸次の顔をずっと見つめている。少し照れている様な感じも受ける。(そんなに嬉しいことかな)そっと心の中で呟いた。

「なんつーか、改めてありがとうな、助けてくれて。それとすまねえな、記録無くなっちまって」幸於は照れながらも少しバツが悪そうに謝った。

「そんなのいいですよ。そんなのより幸於さんの方が……」しまった。

「ん? 幸於さんの方が何だって? (しっか)りと言いなさい。ちゃんと最後まで。心の限り」

「……えっと……幸於さんの方が……大切ですから」幸次の顔がみるみる赤くなる。

「よし幸次。俺の処女を今やる。今すぐに。ここでやらねばいつやる」迫真の表情で迫る。

「そんなの知りません。今は休んで傷を治すことだけを考えて下さい。お願いですから」

「ん? 今何でもするって言ったよね。たまげたなあ」

「え、何それは。そんな事言ってません!」そう叫んで幸次は立ち上がった。「ともかく、養護教諭・就任二日目からアレですけど、ちゃんとここで休んでいてくださいね」

「はーい。残念だが今日の所は諦めてやるよ」

「いや、今日はとかそう言うことじゃなくて……まあいいや。じゃあ、また」

 幸次は扉前で一度振り向いて幸於を見て一礼し病室を後にした。幸於はそれに手を振って別れを告げた。そしてふう、と一息ついてから、横の机に置いてある薄型のノートパソコンを膝の上に置き、電源を入れた。すぐさま画面が点き、ちょっと考えた後右手だけでカタカタッターンとキィを叩いた。一度立ち上がり、柱にかけてある自身の上着の胸ポケットから音楽プレイヤーを取り出して、イヤホンを引っこ抜いた。そしてまたベッドに座り今度は胡坐をかいて、ベッドに直接パソコンを置いた。そしてイヤホンでパソコンと耳を繋いだ。繋ぎ終わると同時にイヤホンから低い男の声が聞こえた。「大橋だ。幸於か?」

「ああ……よくお前こんな夜遅くまで起きていたな」

「まあな。お前を待っていた」

「んあ? おいこら待て。お前気持ち悪いこと言うな。マジで寒気がしたぞ」

「どうせ連絡があると思っただけだ。色々報告し合うことがある。……先ず、その左腕、完全には治らんそうだ」

「フン、だろうな。傷口を見たとき分かった。無理矢理引きちぎった様な感じで生きられるかどうかも分からんかった。幸次には言ったか?」

「言っていない。どうせ言わない気だろう?」

「御明察。流石名指揮官様」

「茶化すな」

「別に、戦闘に於いては何の不備もない。右手しか使ってねえし。黙っておくつもりさ」

「そうか。……それともう一つ。襲撃予測の件だがな、センサーの熱損傷と、ソフトウェアの不具合によるものだと分かった。今、(しゅう)(ぜん)作業に全力で取り組んでいる」

「そんなモンの為に命の危機に(さら)されたってのか。馬鹿らしいったりゃありゃしねえ」

「二度と起こらぬように徹底(てってい)させる。私からも謝罪を」

「〈()び〉はいい。それよりも〈(じつ)〉だ」

「分かった。それと最後に、このソフトウェアの修繕の際にな、クラッキングの(あと)を発見」

「ちッ、ザル警備め」

「細心の注意は払っている、それでもだ。かなりの腕だそうだ」

「どうだか」

「まあ、こっちからは以上だ。そっちからの報告を聞こう」

 幸於は胡坐にしていた足を解いてがばっと開き、前のめりになって嬉しそうな顔をして、「おう! 聞け。さっきな、俺が怪我をしたのを心配して幸次が泣いちゃってな!」

 ついさっきの出来事を反芻(はんすう)するように思い出すと、また顔が赤くなって頬が自然緩む。

「……は?」勿論大橋からはつれない、気の無い答えしか返ってこない。

「いや、だからよ、幸次がなー? 俺の事すっごく心配していたらしく顔を見たらぼろぼろ泣いてやンの。いやー、ああまで俺の事を思ってくれてたなんてね。いやーほんと」

「……まあ、お前の事だから誇張(こちょう)はありそうだが」

「なんだよー、俺が大切とか言ってくれたんだぜ? 嬉しいこと言ってくれるじゃないのマッタク! 実はな、昼は俺が泣かされたからよー、何とかやり返してやりたかったんだがな? そんなもん全部吹っ飛んだぞ!」

「高校生相手に泣かされるな…………あのな。そう言うことが聞きたいんじゃなくって、お前が態々(わざわざ)軍に繋がず、個人経由でこちらに繋いだには訳があるだろうから聞いたんだ」

「ちッ、御明察。流石名指揮官様」「いいから」

 幸於はまた胡坐を組みなおして緩んでいた頬を緊張させた。「子供の件、聞いたか?」

「ああ。忍から報告を受けた。青髪で、子供らしくなくって……『虚数空間』でも人と同じ形をしていたと。それと、一瞬だがこちらでもセンサーが『青龍』という『駒』を観測した。恐らくその子供の事だ」大橋も真面目な声。大幅に崩れることも珍しいので、いつものそれと大差ないが。

「そうか『青龍』か。聞いた事ねえが。……上に言ったか?」

「言っていない。今の所センサーの誤動作ということにしてある。忍にも口止めしてある」

「そうかい」

「どう思う?」

「知らん」

「……」

「黙るな。知らんもんは知らん。でもあれは自然に生まれるものではない。何かしら人為(じんい)的にいじらにゃならんだろう。俺みてえにな。知らんけど。『駒』としての能力も多分強力だ。見てねえけど。味方になる事は無いだろうが敵意もなさそうだ。自信ねえけど」

「……上に報告しておくか?」

「止めとけ。どうせ対応できんさ、あいつらじゃな」

「そうか。……じゃあ、話を変えるが、幸次の記録が途絶えたな」

「クソ! 気にしてんのに! なあ、それどうにかなんねえか? 俺の傷の事秘密にしてってもいいからよォ」

「そうなると隊から金が出ないぞ」

「……」幸於は顎に手を当てる。

「おい、考えるな。まったく。それにもう報告は済んでいるからな。遅いぞ」

「くそー、ケチー。俺があいつの記録破っちまったなんざなあ……」

「ケチじゃない。それにどうせ本人もそこは気にしていないだろう」

「まあな。あいつはそんな奴じゃない。だからこそこの俺が――」

「それに、死者ゼロは継続中だ。その記録は守ってくれ。全力でな」優しげな大橋の声。

「だから、手前ェなんざに心配されるのは気色悪(わり)いっつってんだろうがよ!」

「分かった分かった。もう切るぞ」


 学校終わり、幸次は弘恵の店へ向けて足を運んでいた。最近会えていない為に心は弾んで自然足取りは軽い。会えてないなどと言ってもせいぜい三日か四日だが。そうは言ってもわくわくするのは仕方ない。頬が緩む。その途中、公園で異様に盛り上がる集団があった。浮浪者(ふろうしゃ)の集まりかというとそうでもない。小汚い恰好(かっこう)小奇麗(こぎれい)な恰好の様々な歳の男女が大声で歌ったりしている。同時に調子外れの琵琶の声もする。クスリでもキメているのかと(まゆ)(ひそ)めたが手や足元にはごろごろと(さか)(びん)や缶が転がっているのが見えたので一応合法的な乱痴(らんち)()騒ぎだろうと決め込んで、さっさと離れてしまおうと歩幅を大きくした。何かいやな感じである。折角恋人に会えるのを楽しみにしていたのに水を差された。足の歩みを速くしても耳には音速で酔っ払い共の歌声が届く。


  逃げろや逃げろ、そら逃げろ

  どいつが正しくどいつが悪か、今の世の中トンと分からぬ

  分からぬうちは正誤(せいご)もない、正誤の無くば去るのみよ

  さても生きるはつらいけど、死んだところで何もない

  正誤なんざは無関係、我慢(がまん)我慢と耐え続け、仕舞にゃ三途(さんず)に流される

  善悪なんざは無関係、死ぬのが怖いかそらやめろ、やめる為にはそら逃げろ

  逃げろや逃げろ、ひたすら逃げろ

  足が無ければ手で逃げろ、手も無けりゃ這っても逃げろ

  逃げ遅れれば死の待つばかり

  死んで(みち)()の草となるなら何を戸惑(とまど)う事がある、三十六計逃げるに()かず

  逃げろや逃げろ、そら逃げろ


 仕舞には、幸次は一目散に走り出していた。とにかくそこから速く離れたかった。まだ陽は完全には落ちておらず、(でん)(とう)も点くか点かぬか迷う程に明るいが、心の中一面には黒い霧が濃く黒々とかかっている。湿った(ぬる)い微風が幸次の体に(まと)わりつく。漠々(ばくばく)たる不安を後に後に追いやる様に、兎に角前へ前へと突き進む。しかし不安というものは過去にあるものではない、常に漠々たる未来にあるもの。一秒一秒時が過ぎるにつれ、一歩一歩歩むにつれ漠々たる不安の中へ沈むのと同じ。息を切らして走った所で、体中に汗を流した所で、不安は一向に消えはしない。むしろ雑念が消え頭が()えて、ただただ不安が、未来が襲うのである。

 しかし幸い幸次は(うず)もれる人間ではなかった。彼には光があった。すがる様に光の下へ走った。坂を上ってやがて辿(たど)り着く。店の暖簾(のれん)をくぐって内を見る。スーツを着て一人で黙ってうどんをすする者が居た。三人で作業着姿でビール片手に愚痴(ぐち)を語り合う男たちが居た。そして、そんな人たちを気怠(けだる)く眼鏡越しに見回す弘恵が我が物顔で店の椅子に座っていた。弘恵は幸次を見止めるとさも嬉しそうに感情を隠すことなく笑顔になった。


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