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 体育館。校長の話が聞こえる最中舞台袖で待つ、女の影があった。女は白衣を着ている。

(ふふふ、幸次は吃驚(びっくり)するに違いない。それを見逃さないよう位置を把握しなければ)と不気味な笑いをうかべながら、袖幕から身を乗り出し探そうとする。

「えっとあの、あんまり出ちゃ不味(まず)いんじゃないですか?」女はもう一人居て、注意した。

「ああん?」身を乗り出した女は注意した女に(がら)の悪い声と共に睨みつける。

「ごめんなさいごめんなさい」びくっと(おび)(ちぢ)こまり、注意した女は頭を下げ何度も謝る。

 柄の悪い女は(しまった)と思い、即座に笑顔に切り替えて「あら、こちらこそごめんなさい。御忠告ありがとうございます」と穏やかに言うが、相手の(いぶか)しげな視線は治らない。(ムム、誠意をもって謝っているのに失礼な)とまたもや睨みつけそうになったが、なんとか我慢。

 壇上から教頭の声で「では、今日は紹介する人が居ります。一人は産休で居ない田丸先生の代わりの、臨時の保険医の方です。どうぞ」と聞こえた。柄の悪い女の出番だ。その女には指名がある。舞台に出たと同時に幸次を見つけなければならない。

(えっと、二年で、クラスは分からんが背は平均より少し上かな? 下か? そもそも背の順なのか? まあいい。俺の幸次センサーならば、どんな大衆の中でだって見つけられるに決まっている)女は自信満々に颯爽(さっそう)と前へ出た。マイク前に立ち一礼する。紫の髪がパサリと前に落ちる。顔を上げる。軽く髪を直す。

〈幸於〉は、満面の笑顔でゆっくりと優しく言葉を紡ぐ。

(なか)(むら)()()()です(偽名だけどね)。皆が気軽に来られるような保健室の雰囲気にしたいなって思います(来るんじゃねえぞめんどくせえ)。少しだけの間ですがよろしくお願いします(糞、もっと幸次と学園ライフを送りてえってのにしょうがねえ)」

(何て言ってる場合じゃねえ。幸次を探さな……お、居た居た。縦と横のど真ん中。はは、驚いてる驚いてる。口をあんぐり開けて、かーわいいなあ、オイ。見てるだけで妊娠しちまうぞ。で、後三人いるんだよな、『駒』は。一人はまだ中学生の、桃子だっけ? 会ったことあるけど忘れたわ。まァここには居ないとして、他二人は三年……お、居た。無駄にでかい奴だ、縦にも横にも。腕組んで笑っていやがる。可愛くない。余裕な態度が気に入らねえ。よし、後で締めておこう。もう一人、でかい女がいたな。何かと俺を目の敵にする女、幸次とイチャつくと、いつもいつも邪魔する女だ。居た。こいつは憶えている。忍だ。眉間(みけん)(しわ)寄せて如何(いか)にも迷惑ですって顔で見てやがる。この上司様の俺様に向かってだ。後でたんと可愛がってやろう)幸於は一礼して下がった。

 幸於が下がると、続いて教頭の声。「ではもうお一方(ひとかた)紹介しましょう。教育実習で二年三組にお世話になります、斉田(さいだ)小春(こはる)さんです」

 先程幸於を〈注意した女〉が壇上(だんじょう)に姿を現す。髪はやや茶で繊細かつ長く、歩く度に自在(じざい)(なび)く。薄い長袖で焦げ茶の服を着て、下は小豆(あずき)色の長めのスカートを穿()いている。化粧は薄く綺麗に(ほどこ)され、(つや)やかできめ細かい肌を一層引き立たせている。眉はやや薄く細く大人びた印象を与えるが、(ほほ)はやや赤みがあって愛らしい。目元は垂れて優しげに温かく、口元はきゅっと締まり小さくさされた(べに)が照り輝いている。

 その姿が全員の目に届いた瞬間全体の雰囲気が変わった。

 息を()むような美しさでは無い。人目を()く美しさでは無い。嫉妬される様な美しさでは無い。つい反射的に()でたくなるような美しさである。人の心を優しく包み込むような(たたず)まいが、(はた)から見ただけで分かってしまうのである。

「初めまして、ご紹介に預かりました斉田小春ギャバン!!」小春が頭を下げるとマイクに頭をぶつけゴスっという音が体育館に響く。

 全員の目が点になる。あまりの急変ぶりに笑いさえ起きない。

「あ、えっと、きょ、きょ、教育実習という、実に短い期間でしゅがどうぞ、よろしくお願いします」上ずっている上に噛んだ。だがそれを除けば、芯が通ってそうで、温かい、美しい声である。上品かつ、嫌味な感じは一切しない。一礼をしてちょこちょこと帰る仕草も愛らしい。心の清いものならば第一印象でまず悪く思うことはあるまい。

 そう、心の清いものならば……。

 それを見つめる幸於。(何だこいつ、何でこんな時代錯誤のあざとい戦略で人気アップなんて狙ってやがるんだ。……まあ、こんなのにだまされる男は今どき……何だこいつら全員熱心な視線でこの女を見ていやがる。まあ、高校生なんて低俗(ていぞく)な馬鹿集団にそこまで期待することは阿呆と言うもの。だが、彼女持ちの大人である我が幸次はそんなヘマなんざする訳……おい、何だそのみっともねえ顔は。ポカンと口あけて、興味津津で見つめて……幸次の奴、日頃の言葉遣いや丁寧な態度で気付かなかったが、結構(けっこう)気が多いのか? まあ、そうだろう。彼女持ちの分際で俺をその気にさせた位だからな。こいつは後で教育だな。……と、その前に)

 幸於はギンと刀の打ち合う音が出そうな勢いの強い視線で小春を睨みつけた。

 小春は大げさに飛びあがる程びくっと驚いた。

(こいつをどうにかせねばなるまい。俺の幸次との恋路に悪い虫を介入させる訳にはいかねえ。駆除しなきゃな)


 何だかんだと時は流れ昼休み。幸次は鞄から弁当を取り出した。前の席の淡路が、

「一緒に食べよーぜー」と椅子をぐるんと回転させ幸次の机にカタンと弁当箱を置いた。

「分かったよ、茂人君」

「お、幸次。やっぱり憶えていてくれたんだなあ」

「当たり前じゃない。一年の頃から一緒なんだから」

「そうだよなあ」

「そうだよ。あはははは」

「あははははははは」

 勿論嘘だ。先程出席台帳を盗み見て確認した。

「えっと、谷川君」と上から温かい声がした。

 谷川とは幸次の名字であるが、その名で呼ぶ人間は意外に少ない。

 幸次は「はい」と答え、見上げて声の主を見た。小春が首を傾け恐る恐ると言った風に見下げている。見下げると言っても座っている幸次とそれ程の差は無い。小春は幸次のクラスを受け持つことになったのだ。幸次は小春を見て反射的に笑顔を作る。

「何でしょうか」

 小春は安心したようににこっと笑う。「あ、うん。君、名古屋中央政府・対『ジンム』機関特殊部隊『駒』。『無明(むみょう)』・大山(おおやま)直属で犬山支部担当の『西戎(せいじゅう)』・大橋(おおはし)の部下の『桂馬』・〈谷川幸次〉でしょう?」という言葉が、小春の口からつらつら(よど)みなく出て来た。

「……えっと」幸次、理解不能、機能停止。仕方ない。小春がこうもはきはき喋る事自体意外だし、自分の配属(はいぞく)云々(うんぬん)をそこまで完璧(かんぺき)に覚えているわけではなかった。

(『無明』・大山って誰だろう。後で大橋さんに聞いたら……怒られるかもしれないな。止めておこう)

「あれ? ち、違ったかな」小春はまたおどおどとした態度に戻る。

 かわいそうだったので「あ、いいえ、そうだと思います」と返す。何とも頼りない返事。

 それでも小春は満足したらしくころっと笑顔に変えて「ああ、良かった」と安心。

 お座なりに不確かなまま答えたことに多少の罪悪感。

「あのね、一応これからお世話になる事だし、緊急の事態には対処しないといけないからちゃんとお知り合いになっておこうと思って」

「あ、そうですか。そうですね。短い期間とはいえ何もないのが一番ですけど」何だ、それだけか。それならば『駒』と言うことを分かってくれていれば大同小異で問題ないだろう。と切りかえる。

「しかし所属とか全部よく憶えられましたね。凄い記憶力です。他の先生方から聞いたんですか?」問題ないと見えると途端に楽になってそんな軽口も飛び出す。

「あ、あ、あの、いや、はい、そうそう。そうなんですよー。あははー。そうですよー。他の先生から聞いたんです。あははー」単純な問いに小春は随分(ずいぶん)とおっかなびっくり答る。

 そこに淡路が、「先生ってどこの大学なんですか? そういう紹介無かったけど」

「あ、名古屋大学です」

「名古屋大学!? 凄いですね! 頭いいんだー」

「え、そんなことは……」

「ここを選んだのって、やっぱり出身がここら辺なんですか?」

「そういう訳じゃないけど」

「そうなんですか? じゃあ何でここを選んだんですか?」

「えっと、その……」

 次々と質問攻め。小春はいちいち歯切れが悪く、もじもじと返答に困っている様子。淡路としては別にいじめるのが目的ではないだろうがそう見えてしまう程。且つ元来淡路が鈍いと言うか、察しが悪い所為か質問をなかなか止そうとしない。

 仕方なく幸次が助け船を出そうと「淡路……」と言いかけると、後ろからどしんと何者かに叩かれた。叩かれたのではない、飛び付かれ抱きつかれたのである。こんなことをする人は……と、大体察しはついてしまう。そんな自分が、自分の交友関係が悲しい。

「よう、幸次! わざわざ俺の方から来てやったぞ! 喜べ!」元気な女の声がする。肌の柔らかさ、温もりが伝わる。一応顔だけ振り向いて確認する。紫の髪が揺れる。息も届くほど近くで幸於の生き生きと輝く瞳が眼鏡越しに見えた。「つれねえなあ! 直ぐにでも保健室に来てくれりゃよかったのに。即座にエロイベント突入できるように準備万端で待ってたんだぞ!!」

「えっと、あの……」

「ああ、それとも屋上でも行くか? 屋上は良いぞ。喧嘩、戦闘、異界への扉、攻略対象の好感度上げにエロイベントと何でもありだ。全年齢向けでも風の悪戯(いたずら)でパンチラ位なら提供できる。とにかく学園モノならば需要(じゅよう)は尽きねえ」

「ここ屋上立ち入り禁止ですから! そうじゃなくって……仲村先生」

「あん? それは誰の事だ? また新しい女だまくらかして落としたのか?」

「あなたの事ですよ! ちょっと周り見て下さい!」

「お、おおう! 人が一杯、いつの間に!?」

「始めからです!」幸次はやや強めに叫んでしまった。

 周りの視線が集中している。(ことごと)く目が点になっている。居た堪れなくなって力強く強引に幸於を無言で引っぺがす。教室中がしんと静かになる。

 幸次は怒ったように、がたんと椅子を後ろの机に乱暴にぶつけながら立ち上がる。

 幸於が「ちょ、ちょっと、こ、幸次」と声をかけるが反応がない。無視してのしのしと歩きだし、教室から出る。大きな音を立ててぴしゃりと扉を閉める。教室の人間全員が呆気(あっけ)に取られている。皆、穏便な幸次が怒った所など見たことが無かった。

 はっと我に帰り「ちょ、ちょっと待てよ、幸次!」と幸於が幸次を追った。

 幸次は昼休みの廊下を目的地も定まらぬまま、のしのしと歩いた。

 その後ろを幸於が追う。「な、なあ幸次。あの、悪かったから……あ、保健室行くか? 一緒になんかお茶でも、お菓子もいっぱい買ってあるから……」

 幸於の声が段々か細くなる。それでも幸次は無視して行く。

「な、なあ……幸次、無視すんなよ……幸次……悪かったって……」

 幸於の声が更に元気が無くなった。それでも幸次はひたすら歩く。

 いい加減にどうにかせねば、学校生活だってままならない、ちょっと懲らしめる位なら罰は当たらんだろう。そう考えて。

 教室の扉を勢いよく閉めた時点で、実を言うと怒り自体はどこかへ飛んでしまった。幸於の言葉が聞こえなくなった。足音だけが聞こえる。幸於がどんな顔をしているのか考えた。怒っているのだろうか、眉を八の字にして悲しそうにしているのだろうか。声の調子から恐らく後者だろうが。いや、今顔を見たら負けだ。特に(とどこお)りなく暮らしてきた学校生活の終焉(しゅうえん)だ。それは阻止(そし)しなければならない。かわいそうだが心を鬼にして幸於を無視。

 (ひと)(まわ)り年上の人間に、何が悲しゅうてそんな事を、なんて突っ込みは今の所、なし。

 やがて「ひっくひっく」としゃくりあげる様な声が聞こえる。

 ……え? 幸次は慌てて振り返る。すると幸於が鼻水をたらしながら大粒の涙を勢いよく流している。「ちょ、ちょっと! 幸……」『幸於さん』と言おうとして幸次は口をつぐむ。周りを見ると人が沢山いる。

 ここはどこだ!? ひたすら歩くことだけに集中していて何も考えていなかった。

 などと思っている場合ではない。どうにかせねば。この状況で最善の方法を!「仲村先生、どうしちゃったんですか! どこか痛いんですか!? 保健室行きましょう保健室!」

 当の仲村先生はぼろぼろ続ける涙を白衣の袖で拭いながらしゃっくり上げている。

「だって、ひっく、幸次が、ひっく、悪かったって、ぐす、謝ってるのに、ひっく、聞いてくれないから。うえ、うえええん」

 この人はほんまにもう……。

 周りの視線がひたすら痛い。

 来たばかりの養護(ようご)教諭(きょうゆ)を泣かせる男、ワイルド過ぎやしまいか。

 小声で周りに聞こえないように耳打ちする。「ええっと、あの、僕も悪かったですって。ちょっとやりすぎましたから、幸於さん、いい加減に泣き止んでください」

 人目を(はばか)らずわんわん泣く、一回りも上の、来たばかりの養護教諭にコソコソ話しかける男。ワイルドどころの話ではない。周りにどう思われているやら。

「ひっく、だって、幸次と遊べるって、楽しみにしてたから、ひっく」

 なんだそれ、動機が不純すぎやしまいか。いや、純粋すぎるのか。子供か。「あの、僕も悪かったですから。取り敢えずここを離れましょう」

「ひっく、もう怒ってない?」

 子供か。

「はいはい。怒っていません。怒ってませんから」

「じゃあ、頭撫でて。ここで」

「……え?」

「……やっぱりまだ怒ってる」幸於はぶすっと()ねるように(うつむ)いた。

 子供か。

「ああもう、分かりました! 分かりましたから!」幸次は仕方なく幸於の頭を撫でた。憮然(ぶぜん)とした態度でそれを受ける幸於。涙は未だ瞳の中に(とど)まっている。なかなか機嫌を良くしてくれない。子供か。周りの不審そうな視線は消えそうにない。来たばかりで涙目の養護教諭をなだめる男。ワイルドとはなんだったのか。

「てんめえら何をやっとるかー!」女の叫び声が聞こえたと同時に後ろから何者かに頭をどつかれた。「てめえら何をやっとるか!」

 同じことを二度言われる。振り向くと忍の姿。栗毛色の髪を怒りに逆立てている。

 何をしているか? こちらが聞きたい。「えっと……」直ぐには反応できず、どもった。

 こんなことばかりである。もうこんな星の下に生まれたと(あきら)めるしかないか。

「なんだ、でか女。文句あるのか。だいたい何でお前がここにいるんだ」幸於は強がって(にら)んで見せるものの涙目の鼻声で全く迫力(はくりょく)は無い。いつの間にか幸次の右腕に絡みついている。あくまでここが所定の位置と言わんばかりに我が物顔である。

「三年の教室なんだからそりゃあ居るわ! 不自然なのはあんたらの方だろうがよ!」

 忍の言う通りここは三年の教室の前である。気が付かなかった。うっかりだ。

「ああもう、目立つのは避けないと駄目だ、とにかくここを離れるぞ」と言いながら忍は幸次の腕を引っ張る。

 幸於も引っ張り返す。涙目でじっと忍を睨んでいる。「なんだでか女、幸次を連れてくな」

「だから、目立つから離れましょうっつってんだろうがよ、保健室にでも行こうってんだよ、てめえの城だろうが、この三十路女よお!」

「まだ三十にはなっちゃいねえよ。お前だってすぐにこうなるんだからな。それに愛に歳の差なんざ関係ねえよ」

「ごちゃごちゃうるせえよ! じゃあせめて年相応かつ上司らしく振舞(ふるま)えや!」

 幸次が「あ、あの、二人とも声が大きい」となだめるも、「「うるせえ!」」と二人同時に一蹴(いっしゅう)されてしまう。

 女二人に取り合いをされる。ワイルドと言わずして何と言う。

 結局仲良く保健室へと行く。道すがら忍がずっと幸次の腕を引き、幸於が幸次の逆の腕を抱えていた。目立つったらありゃしない。

「で、幸於さんはどうしてこんな所に来たんですか? あなたほどの能力、中央でこそ必要でしょうに」と文。にこにこと笑いながらどっかりと椅子に座っている。

「……あれ、文さんいつの間に居たんですか」

「お前が廊下を怖い顔して無言で歩いている所からかな。それで、ここまでついてきた」

「いや、最初からいたんですか! 助けて下さいよ!」

「いや、レアな状況だったからつい、な」

「オイオイヨ……」

 そんな二人のやり取りを聞くと、幸於はやっと幸次から離れ、きりっと目元を整え胸ポケットから煙草(たばこ)を……、

「校内は禁煙ですよ、仲村先生」と忍に注意される。

「ちっ」と舌打ちして煙草をしまう。「最近、ここら辺の襲撃予測が外れっぱなしだろう?」

「ああ、確かに。出現時期、出現場所のずれ、規模予測もあてにならないし、この間は追撃のさえ発見できなかった。……でも、それでですか?」文は落ち着いた口調で、考えながら最近の状況を述べる。

「ここら辺、と言っただろう。こんなに予測が外れる場所はここ以外に無い。だいたい予測の精度なんて年々上がっていっているんだ。名古屋なんて一分一秒ずれることは(まれ)だし、首都から遥かに遠い、豊川でさえその調子だ。ここ犬山だけ『異常』なんだ」

「えっと……それ結構ヤバいんじゃ?」幸於の言葉を聞いて幸次はぞっとした。

 予測の当てにならない不意の襲撃、これほど怖いものは無い。時期次第では被害が甚大になる。死傷者だって何百と出るかもしれない。

「ああ、ヤベェさ。何がヤベェって、そんな状況なのにもかかわらず俺一人差し向けてそれで良しとする上の連中の頭がヤベェ。本格的に俺達を『駒』としか扱っていやしねえ」

「へっ、酷いもんだね、全く。こちとら生身の人間だってのに」文は自嘲的に笑った。

「ま、それが年端のいかねえおめえ達中高生が街の清掃員のオヤジ達の何十倍っていう額の給料貰っている〈理由〉の一つさ。相応の金は用意してんだ、文句を言うなってな。金で縛りつけている訳だ。俺もお前たちもな」幸於はニヤッと笑った。

 それを聞いて文と幸次は黙ってしまった。

 忍はぼそっと「こんな国、滅べばいいのに」と呟いた。

 幸次はそれを聞いて一人考えた。滅んでしまっては、困る。大切な人がたくさんいるのに。折角手に入れた安定なのに。皆を守りたいのに――全て、自分一人の能力ではどうしようも出来ない。

 そんな幸次を見て幸於は、「心配すんなよ。俺がお前を守ってやるからよ。俺の『駒』としての性能はすげえぞ、お前も知ってんだろ? 大橋だって偉そうにしているが俺には到底勝てねえさ。あんまり不安がんな、な」と見当外れの言葉で慰めた。

 心は晴れなかったがその気配りを無碍(むげ)には出来ず静かに「ありがとうございます」とだけ返した。どうしても心を込めて言うことができなかったが、幸於は満足そうに、にこっと得意満面に笑った。

(……()()いな)昼休みも終わりに近いのに、幸次は教室の前で考えていた。(いや、襲撃予測とかじゃなくって、もっと身近なこと。あんな調子で出て行って何を噂されたか分からん。どう思われただろうか。えい、(まま)よ)と教室の扉を開けた。幸次が教室に入ると皆の視線が集まった。そしてすぐに皆視線を()らした。(……よ、予想以上だ。どうしたらいいんだろう)

 席に着く。すると或る男子が、「谷川って本当に大変なんだな。頑張れよ」幸次に優しく声をかけた。嫌味でも何でもなく、憐憫(れんびん)の眼差しで幸次を見つめている。

 ……あれ? どういうこと? どうなってんの? これ。

 周りも同様の視線を幸次に投げつけている。訳が分からずに取り敢えず前を向いた。前の机の淡路が幸次に向かって親指を立てた。

 ……こいつの所為か。

「えっと、淡路君、これはどうなっているのか説明責任が君にはあるように感じる」幸次はぼそぼそっと声をかけた。

「それがだな、なんかあの後、教室中がなんだか変な雰囲気になってさ……不味いだろ? あのままお前が孤立でもしちゃったら」淡路も気を利かせてぼそっと小さく喋りかける。

「うん、それはありがたい。……で、どうしたのさ」

「で、俺が機転利かせてさ。あの人は実は生き別れのお姉さんで、やっとの思いでお前に会う事が出来たんだって、言った訳よ。おまえんち父親いないから丁度いいだろ?」

「よ、良くねえよ! 複雑な家庭の事情を利用してんじゃねえよ! だいたいあれのどこが姉だよ! どうするつもりだよ! 余計に変に思われるんじゃないかなあ!」

「大丈夫だって。複雑な家庭の事情だからこそ、そこにずかずかと突っ込んでくる奴なんざそうは居ねえって」

「いやそうだけど、何ていうか罪悪感は無かったの!?」

「え?」

「全く悪びれてないな!」

「だってよー、あの状況じゃ流石に何か言わねえとと思ってさ、最善の策だった訳よ」

「そ、そうは言っても」

「……それに、あの人、中央政府の人でしょ?」

「ッ……!?」

 淡路がニヤッといやらしく笑って、幸次は言葉に詰まり息を呑んだ。ばれていた? 時々だがこの淡路にはぞくっとさせられるほどの鋭さがある。

 幸次は「それは……」と言ったきり二の句が継げない。

「はは、やっぱりそうなんだな。大丈夫大丈夫、黙っとくからさ!」

 淡路はあっけらかんと笑いながら幸次の肩をバンバン叩いた。

 突然の警報。外でウーウーとサイレンが(とどろ)く。バリバリと学校の警鐘がけたたましく鳴り響く。同時に幸次の腕からも電子音で異常を告げる。

「おい、幸次これ……!」と淡路が幸次に何事かと聞こうとしたときには既に体から妖しい光を出しながら三階の窓から飛び降りていた。

「全員窓を閉め待機!」と教師の怒号が響く。校庭にいた生徒も一斉に学校へと走る。幸次が校庭にすたっと着地し、すぐさま腕の青の(ボタン)をかちりと押す。

「幸次です。建物の外に移動しました」

「こちら大橋、幸次、桃子の反応を確認、……次いで文、忍両名の反応も確認」大橋の声が頭に響く。幸次が振り向くと学校内から忍と文が走って出て来た。「幸於はまだか?」

「はいはーい、こちら幸於ですよーっと」幸於が眠たそうな目をこすりながら現れた。

「遅いぞ」緊張感のある大橋の声。

「うっさい、寝てたんだよ。それより『駒』が全員出たんだ。さっさと〈防護壁〉を張れ」

「了解。犬山市全体の建物に防護壁展開、五秒前、五、四、三……」

 街中の全ての建物に、前回と同じく、光の具合でしか判別できない無色透明の〈防護壁〉が張られた。まだ逃げ遅れている人もいたが、何事もないようにその防護壁をすっと通ってゆく。この〈防護壁〉は所謂(いわゆる)普通の人間、というより『普通の動物』は自在に通れるようにできている。

 幸於が腕の赤のボタンをカチリと押した。「俺の『角将(かくしょう)』は完全に『集電(しゅうでん)』するまで多少時間がかかる。五分程度だがな……なんて言っているうちに敵さん来やがった」

 学校西側の空のあらゆる所が(くだん)(ごと)くゆがむ。一つや二つの騒ぎでは無い。十、二十の数である。幸次らの表情が固まる。

「こ、こんなに?」

「桃子、こっちにどれくらいで着く?」文が腕輪越しに聞いた。

 全員の脳内に「三分程度」と届く。

 幸於が苛立たしそうに、「おい、大橋。規模と虚数空間展開までの時間をさっさと報告しろ。既にこちらでは敵の襲撃を確認しているぞ」

「数が……数が多い。とにかく虚数空間展開まで五分程度。種類は……『驢馬(ろば)』『(もう)(じゅう)』『古鵄(こてつ)』『提婆(だいば)』だ。『古鵄』『提婆』は『成』られたら厄介だ。なるべく優先して倒した方が良い。他は幸於が一気に潰す。出来るか?」

「とーぜん」

「では頼む。位置は(しょう)(おう)高校の西三百メートルの付近に集中している」

「はいはーい、頼むぞ、名指揮官さんよ」

 忍は目を細め空のゆがみを見た。「本当に集中している。……あそこになんかあるのか?」

 そして現地に着いたころには既に空間のゆがみは消えていて、敵陣は全て姿を現していた。数は五十、六十といったところか。場所は住宅地で、背の高いアパートが軒を連ねていて少々戦いにくいか。警報からすぐに逃げられたのか住民は一人として外に居なかった。――だが様子がおかしい。敵隊はうろうろと彷徨(さまよ)うだけで何もしようとはしない。空を飛ぶものはただ(せん)(かい)し、地を()うものはごそごそと首を(もた)げたり空を見たり、周りの様子を細かく探っている。まるで、何者かを探しているように。相手方はこちらを見止めるも一向に攻撃に転じない。そのおかげで淡々と敵方を駆除できた。やがて桃子も合流した。幸次と目を合わせ如何(いか)にと問う。答えられない。――こうも簡単に倒してしまうとこちらが悪役に思える。元々あちらが悪役なのかも分からないが。兎にも角にも気味が悪い。

「大橋さん、何だか様子がおかしいんだけど」忍が大橋に通信を入れる。

「おかしい……のか? 今までにない位順調に見えるが。残りは『驢馬』六騎、『猛鷲』二騎、『古鵄』二騎、『提婆』三騎……『提婆』は後二騎だ」

「おかしいでしょう。相手が攻撃してこないなんて」

「確かにこんなこと初めてだ。しかし今は目の前の事に集中せねば」

「いや、まあそう言うと思ったけどさ」

「後二十秒で虚数空間展開。展開時には幸於の『角将』も集電されるだろう。瞬時に一掃してしまえば相手が『成る』心配は」

「え、あれなんだ?」

「な、何だ!」

 高層マンションの屋上に、何かある。忍は上空から目を凝らす。あれは――「人?」


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