二
大都市名古屋。大橋はモニターがぎっしりと飾り尽くされた指令室でどっかりと椅子に凭れ目を瞑る。大橋は大柄でがっしりとした三十代の男であるが、オールバックの髪には頓着なく放置された白髪が交じり、顔には深い皺が苦労と共に刻まれている為に多分に老けて見える。軍服らしきものを着用しており勲章らしき飾りが幾つもじゃらじゃらとぶら下がっている。周りには何十名かの同じような軍服らしきものを着た作業員が居て、モニターから目を離し、伸びをしたり談笑したりしている。真面目な顔で未だに手元のキーを叩く者、画面に触れて操作している者も何人かは居る。モニターには『桂馬』『白駒』『火鬼』『麒麟』などと書かれた『駒』が映し出されている。
そこに五十台位の男がコーヒーを淹れたカップを二つ持ってきて一つを前の机に置いた。
「いやー、『西戎』様はやけにあの幸次とかいうのに優しいな。まあお前さんの好みそうな人柄ではあるが。な。しかし肝心の実力の程は飛び抜けたものがあるとは思えなんだ。『桂馬』……トリッキーな動きで相手を撹乱するのに長ける。とはいえ器用さはあっても力の程は大したものではない。『麒麟』や『鳳凰』の下位互換と言ってしまえばそれまでだ。あの坊やのどこにそこまで入れ込む要素があると言うのかね。あの、最強とまで謳われた百戦無傷の大橋が」男は口の中の抜けた歯を遠慮なく見せるように、にっと笑った。
「藤井さん……別に私は彼を特別扱いしているわけではありませんよ。単にそれが必要だと思ったからそうしただけで……それに無傷だなんて言っても……私だけ無傷では意味がない」大橋は置かれたカップに手を付けた。香りを嗅いで楽しんでから一口飲んだ。そして思い付いたように手元のキーを叩くと、手近なディスプレイに何やら表示された。
「こりゃなんだお前。あの幸次ってのの……」藤井は目を細め覗き込んだ。
「幸次の所属した隊の成績の変動です。彼事態の成績は先程仰られていた通り、並ですが。彼が所属した隊は、駆逐時間の平均が軒並み減少している」
「ほう」藤井は興味深そうに見る。
「しかも、特筆すべきは……彼が所属していた期間、死傷者が一人も出ていないんです」
「一人も? 怪我さえ無いってのかい?」驚く藤井。
「はい……こんなこと私でも到底叶わぬことでした」
「ふうむ……」藤井はディスプレイと睨めっこした後視線を外し机に凭れた。「偶然、とは思わんのだな」
「そうですね、そう考えるのが普通かもしれませんが……しかし不思議でなりません。これほどまで危険な現場……戦場であるのに」
大橋は藤井が視線を外したのを見てタンとキーを叩きディスプレイを消した。藤井は顎に手を当て考えた。「じゃあ、お前は彼が司令官か何かに向いているとでも?」
「……それさえも分かりかねます。しかし、私がこの『西戎』をもっても尚成しえなかった事を、彼は『桂馬』でもって実現しているのです。……そう考えると、矢張り少し大事に行きたい」
「ふうむ成程ねえ。相分かった」藤井は漸く納得したのか、頷いてコーヒーを口にする。
そこへ一人の女がコツコツとヒールを響かせながら二人へ近付いた。「大橋。ああ何だ、藤井もいたのか。丁度良い。『酔象』がお呼びだぞ」その声は女にしてはやや低く、またどこか人を舐めた様な態度が感ぜられる。大橋が振り向く。ミニスカートで白衣を着た女だ。髪は紫で、膝のあたりまで真っ直ぐに伸びていて自己主張が激しい。眼鏡をかけ、垂れた目元には隈が濃くはっきりと見えまたその下にはそばかすが点々とある。眉毛は手入れをしていないように太い。足は細く長く美しくそもそも体全体が細く、また背は女性にしても低い。口には煙草を咥えて、見下したような笑みを湛えている。
「幸於……いい加減に知仁様に対してその呼び方は止せ。」大橋は睨みつけながら非難。
「ハッ! 知ったこっちゃねえ。陰で言った所でわかりゃしないさ。本人の前じゃ確り隠す。あんまりかたいことゴチャゴチャ言うんじゃねえよ」幸於は全く負けていない。不機嫌そうに睨み返しながら語気を強める。
「それと、ここは禁煙だ」不機嫌そうに眉間に皺を寄せる大橋。
「命令・規則の多いこっちゃ」ぷっと煙草を地面に吐き出し踏みつけた。
「しかし犬山の『桂馬』の所は今日も良かったな。モニターで見ていたぞ。あんなに追撃があったんじゃ一人二人死んでもしょうがねえなと思っていたが」幸於はころっと一瞬にして明るい表情に変化。
対して大橋の表情は険しい。「生死を簡単に言うな。あの子らは我々の道具じゃないぞ」
幸於の眉尻がピクっと動き、また不機嫌そうな表情に変化した。「また夢見がちなことほざきやがって。どっちにしたって扱いは変わらねえさ。俺らもあの子らも昔っから『駒』でしかねえんだ」
「生身の人間だ」お互い引かない。
「お前一人そう思おうと変わらんさ。上や敵方がそう思わねえ限りな。『ジンム』は無作為に人を『駒』として選定し、同時に『駒』を製造しそれと戦わせる。遊びでしかねえのさ。俺らは遊び道具でしかねえのさ。『ジンム』にとってはな」
幸於と大橋は暫く睨みあった。だが大橋が根負けしたように視線をずらしコーヒーを飲み干し、椅子を立ち上がった。それを見て、じっと押し黙っていた藤井も凭れていた机から離れ口を開いた。「しかしなあ。大橋だけじゃなくって幸於迄もあの幸次って男に注目しているとはな。今日だって一番戦果を上げたのは『火鬼』だろうに」
「関係ねえ。好みなんだよ。見た目も性格も」
「そんなものかい」
「そんなものだ。枯れたジジイにゃ分からんさ」
「枯れちゃいないが、分からんね」
幸於はそんな藤井を無視して、「なあ、大橋よう。あいつは今度いつ名古屋に来るんだ? 暫く会ってなくていい加減寂しいんだが。ビタミン幸次が足りない。ビタミン幸次を所望する」と大橋に向く。
「今度の日曜には来るように言ってある。が、当然長居は出来んぞ」流石の大橋も呆れ顔。
「けちー」ぶー、と幸於はわざとらしく膨れた。
「ケチでも何でもない。後これも言っておくが、あいつは付き合っている彼女が居るぞ」
「うげー。そうなのか。つっても流石に俺も十は離れた相手にそこまで期待してはいねえ」
「……いや、その彼女と十歳くらい離れているんじゃなかったかな」
「おう、マジかよ。ってことは、もしかしてチャンスあったのか? ッて言うか大橋、何でそんなこと知ってんだよお前!」
「さあな」大橋は振り向いて大股で歩きだす。藤井もそれに続く。やや遅れ小さい幸於は小走りに二人に追い付き、ちょこちょこと早足で二人に続く。三人は指令室を後にした。
そしてその日曜。幸次は制服姿で一人名古屋に来た。駅周りの人口は多く車はごろごろと走り、見える建物は全て高く、空は折角の澄み渡る様な青なのに、切り取られたように狭い。様々な格好の人間がうようよと蠢いている。元来人混みが苦手な性質なので、それを見ただけでも参ってしまった。とは言っても来慣れているので、真新しい感じも目を回す様な感覚も全くない。兎にも角にもただただ疲れるのである。そこへ一台の黒塗りの見慣れた車が静かに止まった。ぱっと見では分からないが、所謂組織のものである。自分を迎えに来たのだろう。近付くと同時にドアが開く。すると中から紫の頭がこちらへ向かってきた。いや、飛んできた。
「いやっほーう、幸次! 久々だなあこのこの、元気だったか!」幸於は幸次に飛びついて抱きついた。幸次の胸のあたりに顔をうずめている。幸次と幸於は頭一個分ほど身長が違う。幸次は突然の事に反応できないでいる……こんなことばっかりだな。
幸於は痩せ形で胸は全く出っ張ってはいないが、肌はぷにぷにと柔らかい。香水は付けていないのか、幸於自身の匂いが強く幸次に届く。反射的に顔がぽうっと熱くなる。自分の事だから分からないが、きっと赤くなっているに違いない。幸於の紫の目立つ髪も相まって、他人の視線が一点に集まる。気不味く感じて幸於を無理矢理引っぺがす。
「ああっと。もう少し臭いを堪能していたかったのに」大袈裟に残念がる幸於。
「止めて下さい。いい大人でしょう」
「いいから俺の頭を撫でろ」
「聞いてください。いい大人でしょう」
「ほら。さっさと」幸於は俯いて、犬のようにじっと待ち続ける。
「……え、本当にここでやんなきゃ駄目ですか?」
「はよしろ」
言う通りにせねば頑として動かぬ様子だ。じっとされても迷惑なので幸次は仕方なく頭を撫でた。幸於は嬉しそうに目を細める。
「いやあ。いいぞいいぞ。お前の撫でかたは恐らく世界でも五本の指に入るだろう」
「マジですか」幸次、周りの視線が痛い。居心地が悪い。
「いや。知らんが」
「でしょうね。聞いた僕が愚かでした」
「しかしいい感じだ。お前をナデラーとして雇いたい」
「……まあ、隊より報酬が良ければ考えてもいいですけどね」
「本当か!?」キラキラした目を剥く幸於。
「嘘です! 貴女本当に払いそうですね!」撫でたまま叫ぶ。
ふふんと不敵に笑う幸於。「(独女+国家公務員)×仕事が趣味=小金持ち、だ。憶えておけ。俺の銀行でのビップ扱いを舐めない方が良い」
「いや、言われましても、知ったこっちゃありませんよ」
「出来るならば全身なでなでして欲しい位だ。ここら辺ラブホあったか?」
「それこそ知りやせんわ! 高校生をそんないかがわしい事に誘わないでください!」情けないことに想像して幸次の顔は真っ赤になってしまった。俯いたままの幸於にはばれていないだろうが。そのまま大人しく撫で続ける。「で、これいつまでやればいいんですか」
「ふー。後五分経ったら止めていいぞ」
「そんな長いことできやせんわ!」流石に付き合っていられないので手を頭から離す。
幸於はただでさえ垂れ気味なのに、その目をじとっと半目にして、不平不満を視線に乗せてぶつけ、不機嫌を精一杯主張している。――そんな顔をされても困る。
そこに、車中から男の呼び掛ける声。「幸於様、幸次様。そろそろ出発いたしましょうか」
「いや、歩く。出せ」幸於がその声の主を見ることなく答える。
「はっ」男が反応すると、車はすーっと行ってしまう。取り残されてしまった二人。
「え、ええええ!?」幸次が絶叫。正当な反応である。
「何だ幸次。水差し野郎が荷物まとめて本部に行っただけの事。驚くことでもあるまい」
「ちょっと、待って下さい、驚きますよ!! 名古屋城まで二キロはありますよ!? 歩くんですか!? そこまで! 何のための送迎だ! 運転手もおかしいよ、少しは反対しろよ! 逆らわない。逆らいたくないのか逆らう度胸もないのか! こんなこと言いたくないけど」
「よっしゃ、れっつごー」幸於は幸次の左腕に絡みついて歩みを始めた。
「微塵も聞いちゃいねえ!」それにつられて幸次も足を前へ出さざるを得ない。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。というかイタすぎる。
「離れて下さい」「なるべくゆっくり歩くぞ」「えー、これで二キロ歩くの……?」
幸次は肩をがっくりと落とし、力なく呟いた。
二人はくっついたままのろのろと歩いた。
「ていうか、あの、幸於さん私服なんですね。それで本部に行っていいんですか?」
幸於は白いTシャツの上からピンクの薄いカーディガンを羽織り、下はホットパンツで真っ白な肌を惜しげもなく露出している。「ふん。いちいち規則に従うのは癪に障る。今日は別にお偉いさんに会うわけでもねえ、第一俺らに指図の出来る人間なんてそうはいねえ。あ、でもお前は制服の方が良いな。そっちの方が萌える」
「萌えないでください」
その途中、広場で何やら選挙演説らしきものが行われていた。薄桃のスーツを着て茶色でひらひらのスカーフを首に巻いた、目元から気の強さが分かる女が台上で堂々たる演説を行っていた。だがあまり世間受けが良くないのか立ち止る人は稀で、その女性の立つ台の前には熱狂的な支援者らしき人の群れ――見えるのは全て女性である。プラカードを懸命に掲げている。そしてその支援者らの前には険しい顔をした警官らが配備されていて、それを隔てて反対派らしき人々、これには男女とも存在するが、それが演説の合間に激しい怒号を飛ばしていて、まさに一触即発という雰囲気で殺伐としている。演説の途中からであるが、台上の女の声が聞こえる。
「人の歴史に於いて女性はいつも、どの時代でも虐げられてきた。いつも男の野蛮に付き合わされてきた! 女性は肉体的に男に勝つことは敵わない。敵わないゆえに、男は女性を守らなければならない。その義務がある。それでしか対等にならない。ならないのに男らはそれを放棄してきた! 何故か? 女性と対等に立つことを恐れているに他ならない! 何故恐れるか? 簡単である。皆分かっている筈である。そうだ。男が肉体ばかりが強固で、肝心の頭は身勝手で未熟な子供である。男は……(ここで種々(しゅじゅ)の野次が飛ぶ)黙れ、うるさい黙れ! そうやって女性の言動を無理矢理にでも抑える行為が野蛮だと何故気付かん! それに従う恥知らずの女共もだ! 貴様らは下衆で邪悪な淫売婦と何ら変わらん、女性社会の進展を妨げる女性の敵だ! 男どもの顔を良く見ろ! 意地汚く馬鹿で、どうしようもなく子供で、人間社会の屑だ! こんなやつらに期待するのはもう止めだ! 女性は女性だけで生きねばならない。(ここで支援者らから『そうだ!』の声)女性が女性のみで生きる為に必要なこと、それは何だ? 男の介入なしでしか出来ぬこと、それは何だ? ……子供だ。女性だけでは子供は出来ない。動物としての限界である。それが人間の限界である。……いや、そうではない。人間は科学によって動物を超えた。女性一人でも子供を作ることができる、超えられた! クローンでは無い。クローンは全く同じ遺伝子配列を持つが、この『エイリス』技術は自分と、より相性のいい遺伝子を導き出し掛け合わせ『自分の』子供を作ることができる。いわば神との交配である! (支援者から鬨の声が上がる)さあ女性よ、男を捨てよ、セックスを捨てよ! 女性を危険な状態にさらす妊娠などは暴力である、野蛮である! 断固許してはならない! そして全ての『恋愛』を否定せよ! 拒絶せよ! 『恋愛』など所詮媚び諂うだけの『演技』だということを、いい加減に気付け! (堰を切ったかのように支援者と反団体の人間が衝突を起こす。警官隊が懸命に鎮圧に動く)うるさい、黙れ! 恋愛? そんなものにかまけるな! 科学をもっと尊重せよ! 遵守せよ! 今まで女性を解放たらしめたのは何か? 科学だ! 社会学者の思い付きでも哲学者の寝言でもない!! 重火器を作り車を作り、洗濯機を作り肉体労働から解放した科学こそが、それだけが我々女性の味方だ!!」
幸次と幸於は足早にその場を去った。大分離れた筈だが未だいざこざの音が聞こえる。疲れた。聞くまいとしていたのに耳に入るのは仕方がない。色々な事を考えて、怖くて、頭が沸騰しそうで顔が真っ赤になって、やや肌寒い位の天気なのに汗も大量に出て来た。
「女性科学党。かなり急進的な団体でひと時はカルト認定されたほどだ。公約には銃刀法の緩和なんかも盛り込まれていた筈だ。『男に対峙し対等の関係にする為』だってさ。馬鹿に鋏だ、笑えねえ。始めはあまり支持者が居なかったんだが、今は無視できない程にはなっている。それだけ馬鹿の声が大きいってことだ。……お前、本当に大丈夫か?」
幸次の顔は青くなっていたが、やがて息も整って楽になってきた。「はい、大丈夫です」
「全く、本当に優しいんだな。そんなんでよく戦っていられるもんだ」幸於も幸次のその様子に安心したせいかぶっきらぼうに、そんな風に呆れて見せた。
「いえ、優しいってわけじゃないんですけど……何ていうか自分とか周りの人が否定されているみたいで、苦しくって、つらくなっちゃって……」
「それが優しいって言ってんだ。あんな婚期の逃したババアどもの妬ましさ全開の与太話なんざ真面目に聞く必要なんざねえんだよ、笑ってやりゃあいいんだ」
「婚期逃したって……」
「あん? 何だ? お前が言うなってか?」
「いやそんなことは全然!」一生懸命首を振る幸次。
幸於は苦笑し、「ま、そんだけ元気が出りゃ大丈夫だ。さあ行くぞ」幸次の手を引っ張って歩いたが「ああ、そう言えば」二三歩行った所でふと幸於は立ち止った。「なんか、台上に変な髪色のやつが三人位いたが気付いたか? なんか目立っておかしな奴らだったが」
「えっと、離れるのに精一杯で気付きませんでしたが、これは言えます。あなたが言うな」
「だな」幸於は不敵に長い紫の髪の毛を大仰にかき上げた。