拾
「で、実際の所、何だってこんな所にいるんだ?」幸於が口を開く。存外まともな質問。
幸於、幸次の対面にそれぞれ緑、桃子が座っている。各々の前にお茶が置かれている。弘恵は疲れたらしく帰って来るなり早速店の奥へと引っ込んだ。〈店長〉も店の奥に控えている。店内にはこの四人のみである。
「本当に大丈夫かなこの店」「今はその話は無しです」呟く幸次を桃子が小さくたしなめる。
緑が口を開く。「勿論、成明を探し出す為さ」
「そうだとしても、こんな所でバイトなんてする必要あるめェさ」
「やってみたかったんだよね。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったけど。結果犬山の『駒』全員に会えちゃうんだもん。こっちがびっくりだよ。まァ本当に、ここを選んだ理由なんて、やってみたかったってのと、偶然求人があったからってだけなんだよ。私の人生なんて特に短い訳だし楽しまなくっちゃ損だもん……聞いてるでしょ?」
けろりとした表情で言い放った。その言葉に流石の幸於と幸次、また桃子も同様に事情を知らされているのか、表情が瞬時に硬くなった。
「別に誰しも三十まで生きられる事を保障されている訳じゃないけどね。まあ、私らは三十まで生きられないって事を保障されている訳だけど」目を細め、にやりと笑い、幸於を試す様な視線を投げつけた。
「その短い人生をこれからどう生きるつもりだ? 人捜しに感ける余裕もねェと思うが」
緑はうーん、と腕を組んで考える。「そこが問題かな。本当は……成明と一緒に生きて行きたいってのが私ら三人の共通の思いなんだけど。やっぱり成明は〈逃げ出したい〉が心にある訳だものね。どうしたって難しいや」
幸次は一人〈逃げ出したい〉という言葉にぴくりと反応してしまった。だが他三人には気付かれていない。どうしても――縛られている自分を顧みてしまった。
幸於は腕と足を組み、きっと緑を睨みつける。「端的に聞く。お前はどうしたい?」
「私? 私は、下の子ら皆の幸せを叶えるのが夢さ」
「大層御立派な夢だな」
「ま。無理だってのは分かってんだけどねー。どうすりゃいい?」
「知るか」
「後は、皆ニコニコしてんのがいいな。どうすりゃいい?」
「知るかっての。それで、どうしても成明って奴を連れて帰るのか」
「……ねえ、何でそんなに成明に拘るの? こっちが不思議さ。そちらさんにはもともと関係ないのに」テーブルに肘をついてにやにやと笑みを幸於に向けている。
少しだけだが、幸於の気圧された感じが幸次に伝わった。幸於の頬はぴくりと動き、眉間に少しだけ皺を寄せている。幸次らはそんな顔を今まで殆ど見た事が無かっただけに、意外であり不思議である。(確かにそうだ。幸於さんにしては、無関係である筈の事に拘りすぎている、気にし過ぎている。普段ならこんな事は無いのに)そう思いながら幸於の横顔を見た。幸於は先程の表情のまま、緑を見つめて黙っている。
緑はせせら笑うように口角を上げる。「私らより、成明の方が似ているって思った?」
「……黙れ」幸於は怒ったように椅子をがたりと乱暴に押して立ち上がり、すたすたと店の出口付近まで足を進め、止まる。「もう斉田小春とかいう教師は学校には来ていない。居場所も知らない。俺らに関係した所で、お前らに得は無い。あと、俺はハナから手前ェらや成明ってのに心を許すつもりは無え。特にお前は、幸次に手を出した。そうそう謝ったって罪は消えねえ。憶えておけ」
「っはー、本当にこの人が好きなんだね。確かに妹の言う通り乱暴したのは失敗だったや」
緑は残念そうに、どこか感心した風に幸於の後姿を見送った。幸於は幸次らへの別れのあいさつもなしに、車に乗り込み、うるさいエンジン音を立てながら去って行った。
「うーん、らしくないなあ」幸次もその姿を見て呟いた。そして、残された二人に向かって「あ、僕ちょっと弘恵さんの様子見てくるね」と言って席を外した。
そして卓に二人、マイペース組が残された。
「怒らせちゃったかな。そういうつもりは無かったけど」緑は手を組んで後頭部にあてた。
「別に、仲好くする必要もないじゃない。あの人に拘らなくたって」桃子はお茶を飲んだ。
「あの人は私らと似ているから、つい、ね」
「……聞かない事にしておくわ」
「やっぱり、知らされていないんだね、あの人の事」
「本人が言ってないんだから、知らなくて当然よ」
「言ってないってことは、やっぱり不安なんだろうね。君たちの反応が」
「関係ないわ、私達の考えなんか。幸次さん次第よ。幸次さんに嫌われるかどうか、それだけ。それだけが不安なのよ。今のあの人の判断基準なんて、それ以外にないのよ。言ってしまえば、それだけ不確かで危うい存在なのよ、あの人は。……同時にそんなもの、この世界のあらゆる所にあるわ。この世界は、それだけ危うくて、それだけに愛しいのよ」
桃子は緑を見た。微かに濡れて光る、美しい瞳で。その瞳は深遠で複雑で、それでいて真っ直ぐで純粋で、その思考を慮る事は不可能だった。緑は、桃子の美しさの核心を僅かに、だが確かに見て取った。
「ねえ、桃子ちゃん、私君と仲良くなりたい」
「……あなた達が何をやりたいか分からないけど、難しいんじゃない?」
「出来る限りで構わないから、お願いだよ」
「そう、なら勝手にすればいいわ」
桃子は緑から視線を外してお茶を飲んだ。
「うん、良かった。じゃあこれからもよろしくね。桃子ちゃ…………ん、どうしたの?」
桃子の顔は蒼くなってじっと固まっている。
「…………トイレ」
「…………飲み過ぎ」
弘恵は店の奥で、畳の上に、薄いタオル毛布に丸まって寝転がっていたが、幸次が襖を開け部屋に入ったのを確認すると、それを押しはがして起き上がった。
「寝ていていいのに」幸次は心配あり気に、囁くような声。
「いいわ、十分休んだから」弘恵は微笑んで顔を傾がせ、傍らの眼鏡を取って掛ける。はらりと黒髪が垂れる。七分袖のシャツを着て、伸びをして欠伸を一つ。そして髪留めで長い髪を後ろに一つにまとめた。
部屋は地味で古めかしい箪笥が角に設置されており窓にはカーテンも無くテレビも無い。
「ねえ、お仕事何日目だっけ?」幸次は聞いた。
「まだ三日目。分からない事ばかりで失敗ばかり。周りは優しい人ばかりで助かるけどね」
「そっか、それはよかった」幸次は素直に喜んだ。
「基本的に、配偶者がそこそこ稼いでいる家庭の、もう少し余裕を持ちたいが為の共働きって感じだから、余裕があるのよね。あれだけの給料で暮らしていこうと思ったら大分きついわ。多分もっとギスギスしていると思う」
「ああ、そ、そうなんだ。…………お年寄りとはどう?」
「何人かと仲良くなったわ」
「あ、よかったじゃん」
「一人お家で死んじゃった。夏になると、もっと大変らしいわね」
「…………」
部屋は沈黙が支配する。僅かな風が電灯の紐を、髪を揺らす。すがすがしく頬を撫でる。
「そっかー……」
「覚悟はしていたけどね。でも実際こういうことになると気が滅入るわ」
「だよね。そりゃそうだぁ」
「でも、今の所平気よ。大した問題も無い。……ねえ幸君、店で喧嘩してから幸於さんと二人で話した?」
「え? い、いや? そ、そういえば、し、してないかな~?」突然の意外な問いに、しどろもどろ、目を泳がせながら必死でごまかすようにあたふたと手を振りながら答える。
「駄目じゃない」弘恵はじとっと幸次を見つめた。
「え?」これまた意外な答えに、今度は幸次が顔を傾がせる。
怒られた、何故だ。坊やだからか、分からない。
弘恵は長い髪をいじりる。「帰ってくる途中、幸於さんに会ってね……驚いてこっちを指差して、何か言うのかなって思ったんだけど、赤くなって黙っちゃって、俯いてズボンの太腿ぎゅっと握って。かわいそうな位緊張していたわ。幸君が放っておけなくなるのも分かるわ、子供みたい」
「ええっと、何というか何というか何というか何というか」
「こっちから声をかけて、その後ゴネる幸於さんを喫茶店に無理矢理にでも連れて行って、色々話したの。最初は借りてきた猫みたいに大人しかったけど、段々と話してくれたわ」
借りてきた猫? 大人しい? 幸於さんが? 赤くなって黙って俯く? そんな馬鹿な。ゴネるはいつも通りとして、他はあり得ない。今日の事といいどうしたというのだ。
「どうしたっていうんでしょう、本当に」
「そりゃ、幸君が話してくれないからじゃない?」
「え、そ、そういうもんでしょうか? でも、一応話してはいると思うけど」
「そうじゃなくって、ちゃんと、ね」
「そうなん、ですか……」幸次は考えた。(弘恵さんは、幸於さんの事をどう思っているんだ? 僕に何をして欲しいんだ? 全くもって考えが分からない)
「ねえ幸君」弘恵は片膝を立てて頬をそこに当て、幸次を真っ直ぐに見た。「逃げ出したいって、思ったことある?」
その質問に、幸次の背筋が凍る。はっと息を飲む。「……どうして、そんな事を?」
「何となく、気付いたの。あの人、あなたの事、物凄く嬉しそうに話していた。それで何て言うか……幸君は、いろんなものに縛られているんじゃないかって思うようになって」
弘恵は真摯な視線を向けている。幸次は、どうしても堪え切れなくって、つい視線を逸らしてしまう。俯いて畳の目を見つめている。そうなると、いよいよどうしてよいか分からなくなりじっと固まっていた。弘恵は続ける。
「お母さんの事、おばあさんの事、仕事の事、学校の事、あの人の事、そして……私の事」
「どうして…………そんな事……」
「あなたの事を話す幸於さんって、嬉しそうで、子供みたいで。でもそれって、昔私が幸君の事をお母さんに話してた時、言われた事なのよね。……それと、話している途中、幸於さんの事を、身勝手だって思ったりもしたの。都合がよくって勝手で、あなたに甘えていて。それで…………それで、ね、私と重ねちゃってね。私も、身勝手だなって。あなたに、甘えてばかり。幸君はただでさえ大変だっていうのに」
嗚咽交じりの声で「ちがう……弘恵さんだって、大変だし、頑張っているし…………僕なんか…………」涙が一粒ぽつりと畳に落ちる。ぽつりぽつりと続く。顔を上げる事も出来ず、重力に任せ藺草を濡らす。悲しいのか悔しいのか情けないのか、自分の感情も分からず涙が溢れて頬を流れる。そんな自分がまた、悲しく悔しく情けない。とにかく苦しい。
そんな幸次の肩を、弘恵はそっと抱いた。「ごめんなさい。分かっていた筈なのに、気付いていた筈なのに。幸君がどれだけつらいかなんて。どれだけ苦しいかなんて」
「違う……僕だけじゃない……皆、つらくって、苦しくって……弘恵さんだって、無理しているのに…………僕だって、分かっている筈なのに、大した事も出来なくって……」
「……やっぱり、ごめんなさいを言うのは私の方だわ。無理してるなんて、思わせちゃったら駄目よね。もっと強くならないと駄目ね。結局それしかないって、いつも思い知らされている。そうね……あなたを、ちゃんと解放しないといけないわね」
「それでも、僕は……縛られたままでいい」そっと弘恵の手に手を乗せた。「弘恵さんと、家族と、皆と、一緒にいたい。逃げ出したら、全部なくなってしまう。そんなの、嫌だ」
結局それだった。悲しいとか悔しいとか情けないとか、それは一部でしかなくって。
失うのが怖い、その子供じみた恐怖心こそが涙の理由であり、幸次を苦しめる素。
涙を流し続ける幸次を見て、弘恵はくすりと笑う。そしてこつんと頭と頭を触れさせ合う。「そういうこと言ってんじゃないわよ。別に、幸君を離そうだなんて全然思ってないんだから、むしろ覚悟しなさいね。……そうじゃなくって、私自身、もっとちゃんと稼げるようになって、強くなって、幸君に心配かけないように頑張りたいの。幸君を縛る鎖を、少しずつでもいいから緩めていきたいなって、そう思ってるの。もう、私も弱音なんか吐かずに、強くなるから。ね、泣かないで、顔を上げて」
幸次は顔を上げた。みっともない、くしゃくしゃになった顔を弘恵に見せた。そこには敵前に、凛として立つ勇ましさも、毅然と落ち着いたしなやかさも無い。だだをこねる子供の如く、弘恵に抱きついた。「僕も強くなります……ちゃんとした大人になります……」
「……うん、期待してるわ」
「でも……弘恵さん」幸次は腕を伸ばして、しっかりと弘恵の顔を見つめた。涙の跡は残っているがもう流れていない。「あの、ちゃんと、言いたい事は、今まで通り言って下さい。弱音も、いっぱい吐いて下さい。そうじゃないと、駄目になっちゃうから……」幸次は真摯に弘恵を見つめた。真剣にそれを願った。
そんな幸次の子供っぽい勇士に、弘恵は目を丸くして、ついついぷっと笑ってしまう。
「あ、いや、あの」幸次は己の言葉を反芻して、恥ずかしくなって赤くなってしまう。
そんな幸次の反応が面白くって、弘恵は我慢しきれずにけたけたと笑いだす。「本当に、しっかりしてんのかしてないのか、子供なのか大人なのか、分かんないんだから、もう」
「う……あの、すみません」幸次は困り顔で幸於を見つめる。
「ううん、いいのよ。それより……幸君も、ちゃんと愚痴でも何でも言わなきゃ駄目よ? それこそ心配なんだからね。いつも弱音吐かないんだもん」弘恵は幸次を抱きしめた。
「ええっと、はい、分かりました」幸次も、恥ずかしながらも、それに応じた。
そんな二人の姿を、部屋の外で緑と桃子がそれを覗き見ていた。そして二人が抱き合うのを見て、忍び足でそこを離れた。
「うわー、大変なモン見ちゃったな。ラブだな」いいものを見た、という風の緑。
「ラブね」いつも通りの桃子。
「ラブか。とは言え……なんか、弘恵さんも、あの幸次って人も両方子供だなァ。何となく拍子抜けしちゃった。いいのかね? あんなんで」
「二人とも、あれで精一杯よ。仕方ないのよ。……それと言っておくけど、あれが平均よ」
「そんなもん?」
「あんなもんよ。……あなたが女性科学党の内部で見た人間なんて、性格が何であれ、優秀な人間ばかりよ。それを基準に考えない方が良いわね」
「そんなもん?」
「こんなもん」桃子は卓に戻り、帽子を取り財布をポケットから取り出し、そこにちゃらちゃらと硬貨を置いた。「ねこばばしないでね?」
「……信用ないな」緑はにっと笑った。
笑顔を向けられた桃子は特に表情を変えることなく、店を出た。その後姿に不図緑は、
「友達になりたいから教えてあげる。妹には気をつけた方が良い。黄色髪の女の子だ。あの子は私ほど甘くない。私じゃ出来ない、もっとえげつないやり方でやってくる」
その忠告に、桃子は振り向いた。緑の笑みは消えていて、代わりに曇りない一心な視線が桃子に向けられていた。一瞥し、振り返り、また歩みを進めた。緑はその後姿を真面目な顔で見送った。
かの『河東ビル』の前に、『駒』五人が一所に集まった。陽は既に沈む寸前で、身近な道辺の樹木を照らす光は届いていない。そして、道には人一人いない。五分後には襲撃が予測されている。
「今回は大丈夫か?」背中に羽を生やした忍はそう漏らした。
「多分、大丈夫だろ。センサーもプログラムの不具合も直ってるって話だし。流石に、この間みてえなことは無いだろな―、多分」槍を担いだ文が忍に安心させるように答えた。
「多分って二回言ったな」不安げに顔をしかめる忍。
「まあ、ね。そこんとこは実際敵兵が来てくれない事には。ねえ、幸於さん……幸於さん?」
文は幸於を見た。いつも何かと騒がしい幸於だが、今日は静かにぼけっと宙を見ている。
「どうしたんですか? 幸於さん」文は幸於に近付いた。
「あン? いや、別に、何でもねえさ。考え事していただけだ」
いつもの元気さが無い。あったらあったで鬱陶しいが、無ければ無いで心配。などと考えるのは忍である。幸次も心配そうに幸於を見た。すると幸於も幸次の方を向いて目があった、がしかし、何故か直ぐに逸らされてしまった。
やっぱり、何かあるんだろうな。力になれればいいけど。と幸次は考える。「あ、そうだ」
幸次は幸於に近付いて「ねえ、幸於さん」と優しげな声をかける。
「ん、んあ?」幸於は裏返った声で、どこか緊張した、ドギマギした態度で幸次を見上げた。「お、おう、どうしたんだ幸次、どうしたんだ?」
「いえ、なんか変だなって」
「そ、そうか? 別に、俺は、いつも通りというか、何と言うか」それだけ言うと、居心地が悪そうにもじもじとして俯いた。
そんな幸於に幸次は笑顔で「ねえ、仕事が終わったら、久しぶりに二人でどこか喫茶店でも行きません?」と提案。
「え? えっと、二人で? いいのか?」幸於は顔を上げ視線を上げ、ぱちくりと瞬きをする。こくりと幸次が首を縦に振ると、直ぐに子供の様な笑顔になった。「お、おう! 行く、絶対行く! 本当だな、本当にいいんだな! 行く、絶対行くからよ! 今日は直ぐに終わらせちまおうぜ! そっかー、うん、絶対に行く。こんなの、久しぶりだぜ!」途端にいつも通りの元気と強引さが戻って、目を輝かせて幸次の腕に絡みつく。
「じゃあ、そうしましょうか」幸次の、どこか大人な笑顔。
「おう! 絶対だぞ、約束だぞ!」
「分かってますから、離れて下さいって」幸次は笑いながら幸於の頭を撫でた。
「へっへー。そっかそっかー」幸於は楽しそうに、嬉しそうに目を細めた。
ススっと文は忍に寄った。「忍さん忍さん、解説よろしくお願いします」
「モチベーションは重要です。幸次君のファインプレーだと思います。とでも言っておこうか?」忍はつんと澄ましている。
「はーい、日が沈みます、敵襲きますよー。暗中での戦闘ですのでお気を付け下さーい」全身黒の布に包まれた桃子が溜息交じりに四人に注意。
日が沈んだ。とほぼ同時に、警報が鳴り響き、通信が入る。五人が腕の釦を押す。
月の無い漆黒の空に油絵を混ぜた様な空間の歪みが出来る。
「……凄いな、場所も時間もぴったりだ」感心する文。
「これが普通だ。今までが異常だったんだ」幸於はけろりとした表情と口調。
既に五人の手には、各々の武器が装備されている。特に幸於の強力な能力も、すぐさま使えるとあって、余裕があるように感ずる――
「ようなこと考えてんだろうが、油断はすんじゃねえぞ。『古猿』、『悪狼』、『力士』が三騎ずつ、『蟠蛇』と『臥龍』が一騎ずつ。特に後ろ二つは『成ら』せると厄介だし、『力士』はそのままでも十分強力だ」幸於は四名に釘を刺す。
「いえっさー。では僕は今回、桃子ちゃんの傍に――」との幸次の言葉が終わらぬうちに、
「うらぁあ! 行くぞォォォオオ!」文は槍を担いで走って行った。
「あの馬鹿」忍はやれやれといった体で硝子の様な翼を広げて飛翔し、それを追った。
幸於が幸次ににやりとした笑みを向ける。「よし、じゃあ、俺もあいつらを追う。幸次、じゃあ頼んだぞ。……まァ、桃子が『成る』前には決着付けてやっけどよ」
「油断しとるやないですか」呆れる幸次。
「へへ、本気でやるさ。直ぐに終わらせてやる。デートはなるべく長く楽しみたい」
幸於はふわりと体を浮かせ、ビュンと宙を走った。そこで、五人の頭に大橋の声が響く。
「どうやら敵襲も予想通りだ。虚数空間展開まであと三十秒だ、追撃の様子も無い」
「『古猿』、『悪狼』二騎ずつと『力士』一騎を落とした」即座に幸於の通信が入った。
大橋が驚いた様に「速いな」
「まァな。能力と年季が違うっての」
大橋はいつもと違う雰囲気の幸於に驚きつつ「また随分やる気だな」
さも当然という風の幸於は、「当たり前だ。なんせ、この後幸次とデートが――」
「あーっと、大橋さん! そろそろ空間が展開しますよね、通信途絶えますよね、他に何か重要な事はありませんか!?」幸次が幸於の言葉を遮って喋った。
やや間。こほんと咳払いをした後「先程も言った通り、追撃の気配は無い。『蟠蛇』と『臥龍』が残っているのが気がかりだから、気をつけてくれ。この二つは『成る』まであまり自分の持ち場を離れない性質がある。恐らく文が追うことになる。忍はその助力を頼む」
「「分かっています」」忍と文の二人同時に答えた。
「頼もしい限りだ。……それと幸次」
「あ、はい、なんですか?」
「……女性関係であまりトラブルを起こさぬようにな。展開五秒前」
「ぎゃーすか!!」
虚数空間展開。景色から色が抜け、白と黒の世界になる。が、今回は既に陽も落ちて、深い深い闇が空間を支配している。空気はひんやり冷たいが、風は宙の埃を飛ばす程の強さも無い。音は敵兵の咆哮が途切れ途切れに僅かに聞こえるだけで、他は何もない。空気、闇、無音が溶け合って、一層不気味に感ぜられる。
幸次も桃子も、その時空に合わせるように、メタリックで不気味な姿に成り下がる。
文は白い甲冑に全身を覆われ両手に長槍を担いでいる。既に『白駒』へと『成って』いた。前からぴょんぴょんと跳ねて近付いてきた、銀色に光る、卵の様な体から細長い手足がひょろひょろと伸びる『古猿』が、その卵型の胴体から鉤爪を飛びださせ、文を見ると跳躍して抱きついてきた。が、爪は届かない。文の長槍の餌食となり、さらさらと灰の様に消えた。と後ろから斜に、灰色の名前の通り狼の様な外見の『悪狼』が闇に乗じて音も無く牙をむいて襲いかかってきた。が、それを振り向きもせずに、相手の跳びかかる位置を予測して、そこに槍を構えると、難なく槍先を通してしまった。キィという高い断末魔と共に灰になって消えた。
「こちら文。『悪狼』と『古猿』を仕留めた。しかし『蟠蛇』と『臥龍』が見つからない。忍、空から見えるか?」
「こちら忍。『力士』は二騎仕留めた」
「おお、頑張ったな」
「はいはいどうも。しかし『蟠蛇』も『臥龍』も見つからねえ。何処行きやがった?」
「おい、文、忍、上空の俺を見ろ。厄介なモンが居やがるぞッと」幸於の声が割り込んだ。
文は上空を見上げ、忍は横を見る。幸於が何者かと対峙している。その何者かとは――
虚数空間の中、〈人間の姿の少女〉が、蛇の様な化け物の首を絞めながら片手にぶら下げている。黄色い髪の少女である。その蛇の様な化け物こそ『蟠蛇』であるが、既に虫の息で、ぴくぴくと体を痙攣させている。少女はきりっとした表情で銀縁の眼鏡越しに、幸於の目を真っ直ぐに捉えている。少女の周りだけに風が吹いているかのように、白のワンピースがひらひらと風に靡く。
「はじめまして。手前ェが次女だな? また随分なご登場じゃねえか」幸於が前に出る。
「近付かないで、近付いたらこの子を殺すわ」少女が『蟠蛇』を締める力を強める。締められた方は、きゅうと苦しそうな甲高い声を出す。
「別に、お前が殺してくれたって構わないんだぜ? 手透きになって楽だ」
「分かっているでしょう? 私が手を下す意味を。下手をすれば過去の再来、大参事よ。あなたが初めて出撃した時の様にね。『ジンム』が私を敵と認めれば、どうなるか。分からない筈は無いわよね」
「へえ、よく調べてるじゃねえか。そいつは恐れ入った」幸於の声が低くなり、眦が上がり、武器を持つ手がぎゅっと強くなる。
「私の目的は、成明ただ一人。従えばあなた方にも、誰にも危害は加えないわ」
「へえ、脅しかい? やり方がやくざだな。やっと女性科学党らしい人間に会えたモンだ」
「好きに言いなさい。これが私のやり方よ」少女は動じない。
睨みあい、牽制。お互い強気で視線を外そうとしない。緊張。
その周りを旋回する忍。とその一瞬に隙が出来る。忍の後ろ斜め上、死角からの襲撃。前を向く首一つ、斜め前を向く首二つ、後ろを向く首三つの、翼の生えた竜。『臥龍』の『成った』『奔龍』。でかい図体の割に動きは機敏で速い。忍がその姿を捉えた時には既に牙が頭を飲み込まんとしていた。「死んだ」と思って目を瞑る。しばしの間――痛みも何もない。目を開けると、映る景色がまったく違う。『奔龍』の姿は百メートルは先。
そして『奔龍』はきょろきょろと獲物を探す様子。その隙を、下から飛びあがった幸次によって六本の首を順繰りに切り刻まれる。意外な展開。何故助かったのか、疑問が浮上。
「『白虎』! 僕はここだ!!」と傍らで少年の様な声。ぎょっとして忍はその方を見ると、青髪の少年は堂々と宙に微動だにせず立つ。ちらりと忍を見る。――もしや助けられた?
黄色髪の少女は幸於から目を離して青髪の少年〈成明〉を捉える。ただその瞳には憐憫にも似た湿り気が見える。やがて少女が口を開く。「久しぶりね『青龍』。会いたかったわ」
「先ずはそのモノを離せ『白虎』。無粋だ」
少女は黙ったまま手を離す。丁度その下にいた文によって『蟠蛇』はとどめを刺される。
幸於の声。「文、幸次、忍。ここから離れろ。どうも嫌な感じしかしねえ」
幸次は桃子のもとへ、忍と文と幸於は一か所に固まって離れた。見つめ合う少年少女。周りに邪魔者は誰もいない。少女の裾を靡かせていた風も、いつの間にか止んでいた。
少女が手を差し伸べる。「〈成明〉、私達と共に来なさい。子供じみた逃避行は終わりよ」
成明は首をゆっくりと振る。「子供じみた幻想は、『白虎』、君の方だ。僕らじゃどうしようも出来ない。この国を変えるなんて、僕らには無理だ。僕らはどうしようもなく子供だ」
少女の目が妖しく光り、前に差し出した手を握り拳を作る。「私達は、確かに年齢の上では子供だけど、無力ではないわ。それどころか、この国の人間よりも、どの国の人間よりも、私達の方が遥かに高位の存在よ。……この国は、やがて変わらざるを得なくなる。その時、世を変え、民を導くのは、誰でもない、私達よ。私達でなければならないのよ」
成明は目を見開く。「傲慢だ!! 僕らだけではどうしようもない!!」
「それでも、今の世の理は誰かが変えなければならない。革命を……」
成明は少女の言葉を遮る。「やるならば自分たちだけでやれ、僕を巻き込むな!! 何が変革だ革命だ!! 僕はそんな言葉大嫌いだ!! 悪政を人間の暴力によって力ずくで殺しただけの事!! 血みどろなだけの歴史を言葉で飾り立てるな!!」
「人間にはそれ以外に世を変える手段はあり得ない。仕方ないのよ」
「ふざけるな! その勝手な革命に犠牲になる人間はたくさんいるのに、それも仕方ないで済ませる気か! どれだけ傲慢なんだお前は!!」
「……どれだけ完璧なシステムでも、〈永劫〉はあり得ない。やがて腐り、断ち切らなければならない。手遅れになる前に。放置しておいたら、それこそ被害は広がる」
「人間の進歩に必要なのは科学的成長以外にあり得ない」
「随分と科学至上主義者的な発言ね。あなたの方が傲慢よ。女性科学党でかぶれたの?」
「あんな所でも一定の真理はあるさ。何より歴史がそう言っている。結局のところ、哲学者も社会学者も政治家も、科学技術の後追いに過ぎない」
「……なら、帰って来なさい、成明。私達のもとへ」少女は宙を抱くように両手を広げる。
「……それでも、僕は逃げる。この国には居場所がない」
「聞き分けのない子供ね」少女は目を見開き、拳をぎゅっと力強く握りしめると、その身体が、ゆらゆらと揺らめく白い炎の様な光に包まれる。「無理矢理、力ずくでも帰ってもらうわ。私達にはあなたが必要なの」
少女は上半身を捻り、拳を開き、捻りを勢いよく戻し、空を掴むように横薙ぎに払う。すると少年のすぐ傍の空間がゆがみ、〈口を開けて牙をむいた虎の形をした白い炎〉が出て、襲う。喰われた。遠巻きの目からはそう見えた。不図少女は下を見る。そして身体をふわりと浮かせたままでうつ伏せになり、目を細め、きょろきょろと下の様子を窺っている。そして、何かを見付けたのか目を見開いて、拳を下に打ち付ける。空間がゆがみ、虎の形の炎が、その下の灰色の建物を押し潰す。粉塵が舞う。青い影がヒュンと風のように通る。
「そこだ!!」少女は体を仰け反らせ、両手を後ろに引き、先ず右手を前に突き出し、空を掴む。目で追えない程の速さで走る青い影の頭上で空間がゆがみ、虎の形の白い炎が地面に打ち付けられる。間髪いれずに、右手を引きつつ左手を出す。同様のゆがみと同様の炎。そして連打。次々と炎が地面に打ち付けられ、打ちつけられた所には大きな凹みが作られてゆく。青い影は炎を避けるように、灰色の、光がない為に真ッ黒の建物の間を縫ってジグザグに走る。ちらりと眦で上空の少女を捉える。一瞬だが前方への注意を怠る。建物が迫る。左右にも障碍物。少女は両手を前に伸ばし、指を絡ませるようにしながら掌をパンと合わせる。青い影の左右の空間がゆがみ、周りの建物を押し倒しながら青い影を握りつぶすように迫る。なんとか上へ飛び逃れる。逃れた先には少女が予測したように飛び出していて、白い炎を纏いながら、右手で直接少年を後ろから殴りかかる。青い影が少女の姿を捉えた時には既にその間合いにいて、防御姿勢を取れずに背中に強烈な一撃をくらうと、そのまま勢いよく吹っ飛ばされる。青い影が例の壊滅した『河東ビル』にぶつかる直前、少女は空を抱き寄せる様に掴むと、空間がゆがみ、出てきた虎の形の白い炎が青い影を、頭と足の上下逆さまに掴み、拿捕する。少女が握り拳の力を強める。すると虎の形の炎は蛇のような姿に変じて、青い影・(勿論)成明を頭を下にしたまま、きりきりと締めつける。
「観念なさい、『青龍』!!」少女は声高に凄む。
「捕まってたまるか!! 僕は〈ハル姉〉と一緒に、〈外〉へ行くんだ!!」成明は歯を食いしばると、身体からゆらゆらと揺れる青い炎の様な光が長く伸びて、うねうねとその先を左右に動かした。と同時にその身を縛る白い炎を断ち切って、空中で逆さまのまま腰をかがめ、両手を力強く握る。「邪魔をするな! 僕を縛りつけるな!!!」と叫びながら突進。
少女は青い炎に包まれながら接近する成明を前に、その物凄い速さに一瞬たじろぎ、身体を僅かに引きながらも、右手を握り拳を前に突き出す。白い炎は、しかし成明の正面から僅かに外れると、いとも簡単に避けられる。
一瞬の焦りがそうさせたのか? 少女は顔をしかめ、今度はしっかりと落ち着いて成明を目で捉え、両足で空中を掴むように踏ん張り、左手を握り拳を前へ。成明の真正面の空間がゆがみ、虎の炎が襲う。成明は減速しながら左に避ける。しかしその成明の真横から虎の炎が襲い、かぶりつく。少女を見ると、右フックを出した後の様な姿。
《捕えた》少女の一瞬の油断。成明の身体を包む青い炎の尾が、くねり、少女の脇腹に一撃を喰らわせる。決して強く無い一撃だが、怯ませるのに十分だった。少年は白い炎を青い炎で焼き尽くし、少女へ突進し、右で顔を殴りつけるようなフェイントを仕掛け、少女が避けようとした所で、左足で腹部に一撃を入れた。今度は強い。後ろに、地面に向かって吹っ飛ぶ。しかし吹っ飛びながらも少女は、右拳を前に。今度は成明の、一撃を入れたという油断。もろにそれを受け、吹っ飛ぶ。少女はくるりと空中で一回転して減速しつつ地面に膝を曲げたまま両足を付けた、かと思うと間髪いれずに地面をけって成明の方向へ飛翔。宙に吹き飛ばされた成明も一回転して、何かの遮蔽物があるかのごとく空中で静止。向かい来る少女にそのまま突進。少女は成明へ向かいながらも、右と左の拳を連続で次々に前に突き出す。次々と空間がゆがみ、絶え間なく虎の形の白い炎が、正確に成明を襲う。成明はそれを紙一重で、縫うように避けながら、怯むことなく、緩めることなく突進する。
そしてぶつかり合う拳と拳。衝撃波が周りに伝搬。震える空間。
「おいおい、ヤムチャ視点か」文はその圧倒的な光景に、素直に感心。
忍は目を凝らして暗闇を注視。「どうするってんだ? これ、『虚数空間』が解除されないってことは、本部はあいつらを敵として認識しているってことだよな?」
幸於、地面に座ってだらけてながら、「終われば、解除されるだろ。多分奴らは気配を消してセンサーから逃れられる。どうやってっか知らねえけどな。そうじゃないと、〈青髪〉潜伏の辻褄が合わん。まァ本部じゃ大混乱だろうな。味方がこうやって固まっていて、訳分かんねえ敵がお互いにやり合ってんだから」と苦笑。
「つっても、止めなくって大丈夫?」忍は幸於に目をやる。
幸於はだらけたまま適当に手を振る。「止めとけ。ありゃ、何にも出来ん」
「……一応、助けてもらった……んだよな」忍は二人を見上げながらぼそっと呟く。
その時、真っ暗な空間の全体がたわむように僅かに七色に光った事に、誰も気づかずにいた。その向こうで、成明と少女の肉弾戦(且つ舌戦)が始まる。
少女、右回し蹴りと左後ろ回し蹴りの連続攻撃。「変わる事を、世界が望んでいる!」
成明、しゃがんで避ける。同時に青い炎の尾で薙ぎ払う。「妄想に過ぎないよそれは! 革命なんて誰も望んじゃいない、皆安寧な日々が壊されたくなくって必死だ!!」
少女、バックステップでそれを避けながら、右拳を下から上へ突き上げる(アッパーカット)。「その安寧な日々に永劫はあり得ない! だから私達が導こうというのだ! 分からないか!」
成明の真下の空間がゆがみ、白い炎が噴き出す。それを成明は、宙に手をつき側転で避ける。側転の途中、逆さまのまま宙を蹴り接近、右ストレート。「そっちこそ! 急進的な発展はあり得ない! いつの時代も成長には多大な歴史・時間と多大な資金・人材が必要だ! それを周りの雑多な喧騒で掻き乱すな! 世界が望んでいるだって? 馬鹿を言うな! お前の言う世界には人がいない!! 小事に足を取られながらも、少しずつ物事を良くして、一日一日を過ごす〈人〉の事だ!! 〈人〉の望まない変革なんてあるか!!」
少女は身体を仰け反らせながら避け、その勢いで成明の後頭部に蹴りを食らわせる。「何をネットの腐れサヨクみたいな事を言ってんだ!! 〈外〉に行きたいとか、意識の高い系のグローバルな地球市民思想のくせに!! どんだけ女性科学党でかぶれたんだ!!」
成明、後頭部の蹴りは入れられるが、身体を一回転させて衝撃を和らげる。それを利用して、踵落としの要領で少女の顔面めがけて攻撃。「そっちだってなんだその愚民思想は!! それこそ女性科学党の思想じゃないか!! 昔っからそうだ!! 僕が勝手なことすると、すぐに上から目線でごちゃごちゃ言ってきて!! 単に構って貰いたがりなくせに!!」
少女、その言葉に顔を赤くして硬直。「はにゃん!!」顔に成明の蹴りがもろに当たる。
「あ……あれ?」成明、当たったのが意外なのか、びっくりしたように目を丸くする。
「こ、この!!」少女、涙目で成明を睨む。「あんただって、何が〈外〉へ行きたいよ、偉そうに!! 昔は怖がりの引きこもりだったじゃない!! あんたが夜起きて、怖い夢見たからって、私のベッドに入ってきて、しかもおねしょした事忘れないわよ!!」と喚きながら両手拳で連打。大量に現れた空間のゆがみ。白い炎が一斉に成明を襲う。
「うわ!!」成明はびっくりしながら上空へと逃れる。今度の白い虎の形の炎は長く伸びて成明を追って来る。「そ、そんな昔のこと、なに憶えてんのさ!!」
少女、ひたすら連打。「忘れられるもんかあんな事!! 最初怒られたの私なんだからね!!」
成明、ひたすら避けるしか出来ない。「誤解は解けたじゃん!! それに、僕がベッドに入った時凄く嬉しそうだったよ!! 頼られたのがよっぽど嬉しかったんでしょ、アレ!!」
少女、更に更に連打。「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!」
「……子供か」ぼそっと、目を瞑って地上で聞き耳を立てる幸於。「まァ、子供だが……」
「え、なんですか?」幸於を覗きこむ文。
「二人の会話を聞いている。あんま話しかけンな」
「そんな事も出来るんだ」顔をしかめる忍。「なのになんであの時避けられなかったの」
「集中しねえとダメなんだよ。繊細なんだよ」眉間に皺を寄せて面倒臭そうに答える幸於。
少女の動きを避け続ける成明だが、次第に疲労がたまり、息が切れる。防戦一方では駄目だ、落ち着いて隙を探さなければ。そう思い、空を駆けながらも一旦深呼吸。周りを見渡す。すると、辺り一面が一瞬たわんだように紫にぼわんと光ったのに気付く。眉尻がぴくりと反応。その刹那成明の動きが鈍る。
「そこだ!!」少女の声。
白い炎が腹部に打撃。衝撃が伝搬。成明が苦しむ隙さえ与えず、少女の両手が空を掴む。そして白い炎が成明を掴み、きりきりと締めつける。が、成明も負けてはいない、身体に纏う青い炎の尾を振り上げて少女に襲いかかる。だがそれを少女はいとも簡単に、白い炎を纏った左手で掴み、バシンと握りつぶした。すると成明を纏う青い炎が一所に消えた。成明を締めつけながら、睨み続ける少女。締めつけられながらも睨み返す成明。少女はゆっくりと宙を一歩一歩歩き、成明との距離を縮める。
「成明。あなたは、どうしてそう強情なのよ。〈外〉がどれ程のものだと思っているのよ」
「……〈茉莉香〉。僕は君ほど強くない。居場所の無いこの世界で、居場所を作れる程強くないんだ。結局逃げることしか僕には出来ないんだ」
「〈外〉に、あなたの居場所があるとでもいうの? 完全未知の世界に期待できるの?」
「居場所なんて、無いだろうさ。だから僕は一生、逃げ続けるんだ。その覚悟だ」
「……成明。私はどうしてもあなたを止める。両手両足を引きちぎってでも、あなたをこの国に止める。あなたは〈外〉に行くべきじゃない。ここに居るべきだわ」
「……両手両足が無くなっても、這ってでも僕は逃げる。僕はここに居るべきじゃない」
「分からず屋ね。いつからそうなったのかしら。なら――」
ドゴォォォン!! 突然の鋭い轟音。まるで巨人が天地を切り裂いた如く。
そして、空が七色に光る。空全体がゆがむ。
「やばい!!」幸於は突然の轟音に劈かれた澄ましていた耳を、痛そうに抑えながらも、飛翔。「二人を止めえねえと!! 全員聞こえるか! 戦闘態勢だ!!」
空間のゆがみから、敵がわらわらと這い出し、蠢いている。
「どういう事ですかコレ!!」慌てた感じの忍の通信。
「分からん!! 分からんが、あいつらを止めねえとヤバイってことは確かだ!!」
数十の敵がゆがみから現れる。通常ではこれでゆがみは消えるが、今回はそうではない。
試している。幸於は邪魔する敵を手にした剣で簡単に切り刻みながら思う。なら、まだ間に合う。あの悲劇を繰り返してはならない。柄にない使命感に、自分のことながら苦笑。
戸惑う〈茉莉香〉。「これは……一体どういう事?」
辺りを見回す成明。「〈観測〉されたんだ、『ジンム』に。多分、誰の敵になり得るか、見定めているんだ」
幸於が二人のもとへ到着し、叫ぶ。「おい、手前ェ!! さっさとそいつを離して消えろ!! 間に合わなくなる前に!!」
「私はあなたの敵でも、こいつらの敵でもない、どちらも攻撃していない!! 問題は無い筈だ……」
「ンなコト、お前に言われんでも分かっとるっ!! 大事なのはこの状況をどう判断するかだ、まだ間に合う、戦闘を解除しろ、今すぐにだッ!!」
茉莉香の指先が微かに震える。しかしその震えを抑える様に手をぐっと握り締め、口を真一文字に結び、幸於をしっかりと睨んだ。強固な意志がそこにはある。「成明が私の要求に首を縦に振らない限りは、解放できない。無理矢理にでも帰ってもらう」
「く……この分からず屋」そして幸於は成明の方を見る。「どっちかが折れろ、頼むから!!」
「僕は、この国がどうなろうと、逃げ切ってみせる!!」
「こんの糞餓鬼どもォ!! こっちはどうにかなってもらっちゃ困るんだよォ!!」
その時、桃子の声。「『成る』。『火鬼』!!」
巨大な、燃え盛る卵が現れる。そして、割れて、中から無機質の巨人が現れる。全身黒の、細長い胴と手足、こめかみから生える角、白い右目が三人を捉えている。桃子の『火鬼』。桃子が右手を前に突き出すと、巨人はゆっくりと左手を前に突き出す。
「敵か味方か分からないけど、どきなさい。さもないと、焼き尽くすわよ?」桃子が物騒な事を口にしながら、目も鼻も口も失い顔で、首を傾げる。
「分かっているの? 私達を攻撃する事の意味を!!」茉莉香は焦っている。
対して桃子は「さあ? 知らないけど。何かあるの? もし邪魔するのであれば、子供の形をしていたって容赦はしないわ。その程度の訓練は受けているから」と涼しい〈声〉。
幸於にはこれがハッタリだと分かる。それで黙っている。
だが初対面の少年・少女には分からない。
茉莉香は悔しそうに臍を噛む。「子供だと思って……ッ!!」
しばしの間。しかし敵は待ってはくれない。やがて空の三人を取り囲むように集まる。
「幸於さん、どいて下さい。燃やしちゃうので」桃子は手をぎゅっと握る。攻撃態勢。
茉莉香は眼鏡の端で桃子を睨みつけ、そして右手をすっと横に薙ぐ。すると成明を拘束していた白い炎が、音も無く消える。
茉莉香の、少し悲しげな声。「成明。〈外〉はあなたの思っている様な理想郷では無いわ。この国を〈閉じ込め〉、〈利用〉する様な奴らよ」
「分かっているよ。どこへ行ったって、きっと世の中碌でなしばかりさ。それでも、僕は逃げる」成明の、強固な意志を帯びる、きっぱりと、はっきりとした声。
「あの子達、悲しむわよ。あなたの事が好きだから。……勿論、私もね」
成明、目を瞑る。そして、しっかりと開いて、真っ直ぐに見つめ返す。「僕も、好きだよ」
「……今日は引いてあげる」茉莉香はそれだけ言うと自由落下で地に落ち、気配を消した。
気配を消しただけでは訳が分からないだろうが、その言い方しか出来ない感覚だった。幸於は遠く地面に降り行く茉莉香を見つめていたが、その姿が豆粒ほどになった途端、不図存在が無くなったように感ぜられた。目でしっかり捉えていた筈なのに、瞬きをしたら消えていた。幸於は、奇態な事もあるものだと思いつつも、今は目の前の大事に集中した。
幸於は成明を見る。「お前も一旦気配を消せ。だが後で話がある。後で出て来い」
「……何の為に?」
「お前らだけでは逃げられん。分かっているだろうがな」
「……助けてくれると?」
「まだ決まっていない」
「……信用するとでも?」
「因みに、小春とは連絡を取り合っている。なんならここでアドレスを諳んじてもいい」
「ハル姉さんが? ……そんなの僕も知らない」
「だろうな。俺が口止めしてある」
「……どうしてそんな事を」
「俺と繋がっているって言ったら、お前は反対しそうだからな。ああ後、お前の捕獲命令が本部から出ているが、俺がちゃんと握りつぶしている。どうだ、信用するか?」
「……なるべくゆっくり倒してくれ。少し考えたい」成明は幸於に背を向ける。
「すぐに片付ける」幸於は剣を担いだ。
成明はちらりと幸於を一瞥し、身を重力に任せ落下し、茉莉香同様気配を消した。とほぼ同時に空のゆがみが消えた。残るのは、一所に集まった敵兵のみ。
「……桃子。何か聞きたい事はあるか?」幸於は桃子をちらりと見る。
桃子はのっぺらぼうの顔を横に振る。「いいえ、今は何も。……敵、目視で三十程度ですが、一か所にかたまっていて好都合です。焼きます。一気に行きますよ」
「行け。残った奴は一掃する」
桃子は一旦、手を開く。すると巨人は手を握りしめる。そして、桃子が力強く握ると、巨人は手を開き、各所から火の手が上がった。
幸於は空を駆けた。




