聖女様は見つからない
女神イーディスから守護を受けて、あらゆる災害から守られている国、タミアン。
タミアンではおよそ百年の周期で女神から恩寵を受けた聖女が現れる。
百年のめぐりで女神の力が弱まってしまい、異界の境目が開いて国中に瘴気が溢れ出てしまうのだ。
瘴気は人々を死の病に犯し、作物を枯らし、動物を大きく変貌させて凶悪化させてしまう。
建国から百年。己の力の限界点を悟り、国に混乱を起こしてしまった女神は、そんな状況を救うために国民の一人の少女に己の加護を与えた。
瘴気を浄化できる力を持った彼女は、聖女と呼ばれて国中を周り人々を救った。
それから百年ごとに、女神の力が弱まり瘴気があふれる頃に一人の女性に力が与えられ、聖女が誕生してきた。
件の力を持つほか、身体のどこかに聖痕があるのが聖女の証拠である。
そうして百年ごとに瘴気に晒されながらも、女神と聖女の護国タミアンは繁栄してきた。
建国四百年目になる今年。
今年もまた瘴気が開いた異界の境目からあふれ出し始める。
つねに辺境から始まる瘴気の被害が王都、王家に伝えられるようになってから半年。
その瘴気の消失が確認され始めて、一ヶ月。
未だ、今回の聖女は発見されていなかった。
「───まだ聖女は見つからんのか!!」
王宮で、今日も変わらず王太子アーヴィング殿下の苛立った声が響いてくる。
文官はため息を吐いた。
「……やっぱり、隠れているのだろうか」
「先代様たちの悲劇は語り継がれてるからなぁ……」
ひそひそと隣の文官と会話を交わす。
王家がこれまでこの国を救ってくれる聖女へしてきた仕打ちを、国民たちはよく知っている。
その罪の深さを真の意味で理解していないのは未だに王家と、王家を深く信ずる一部の高等貴族のみだ。
きっと、聖女様は見つからない。
いや、そうであって欲しいと。
どうか今回こそは王家に捕まらぬままお役目を果たしてほしいと、多くの国民たちは願っている。
✱✱✱
「───元より聖女さまは教会のものでも王家のものでもありません。女神様に見初められてお力を与えられ、善意でこの国を救ってくださる尊きお方。その身も心も守らなければならぬお方なのです」
「しかし王家はこれまで聖女さまを我がものと独占したうえ、不幸な生涯に見舞わせたのです。女神様がお怒りになるのは当然のことです」
女神に守られるタミアン国であるが、残念ながら教会と王家はたいそう仲が悪い。
権力争いもあるが、一番の理由は聖女だ。
初代の聖女から四百年余り。
現れた聖女は二人。
二人目は王子と結婚し、三人目もそうなりかけた。
それは初代の聖女エメラインが王妃になったことを理由にして、こちらの認可も取らずに王家が独断で決めた規則だった。
聖女は王家のものと婚姻するのだと。
そもそも初代の聖女に選ばれたエメラインが侯爵家の娘であり、当時の第三王子と愛し合っていたから「そうなった」のだ、という前提があることは無視しているらしい。
女神イーディスのお声を受けることができる当代の大司教エイドリアン猊下は、頭を抱えて長いため息を吐いた。
✱✱✱
王子と婚姻すること。聖女自身が望んだなら、もしくは承諾したのならば良かった。
しかし歴史上二人目の聖女となった平民の娘プリシラは、幼馴染の男性と相愛の恋人であり、王子からの求婚を拒んだ。
しかし王子は、権力に物を言わせて強引に彼女を娶った。
以後、聖女プリシラは笑わなくなった。
夫の王子に何を言われようとも儚くなるときまで人形のように無表情で在り続けたという。
別れされられた恋人は神官となり生涯独身を貫いたそうだ。
国を救ってくれた聖女さまにあんまりな仕打ちだと、当時の国民や一部の貴族は王家に反発したと教会の歴史書には記録されている。
これだけでも十分だったが……先代の、三人目の聖女リネット。こちらはもっと最悪だった。
彼女は教会の修道女だった。すでに生涯女神に仕えると決めて、そんな自分が聖女に選ばれたことを心から喜び誇りに思っていた、献身的な女性だった。
故にキッパリと当時の王弟からの求婚を断った。国民もそれを支持した。
聖女プリシラの時のように無理矢理娶るような真似をするなと。
聖女自身の意思を尊重しろと。
───だが王弟は、プリシラの時以上に強引な手段に出た。無理矢理、彼女を自分のものにしようとしたのだ。
リネットは、その身が汚される前に、その場で自ら命を立った。
リネットの献身により国の瘴気は多く浄化されていたが、まだ一部の領地に残っていた。幸い外に溢れ出るようなことはなかったがその領地はとうてい人も動物も住める場所ではなくなり、“死の領地”として閑散とした地となった。
力が回復した女神自らによりかの地が浄化されたのは、その五十年後。
様々な意味を込め、その領地は重い罪人を生涯閉じ込める流刑地となり今も存在している。
聖女リネットの突然死について王家は箝口令を敷いたが、それでもどこかから話は漏れ、国民たちにも聖女に何があったのか、王弟が何をしようとしたのかを知った。
教会の騎士団が成立するきっかけになった事例である。
✱✱✱
「───よって今回の“聖女”には、あなたを選んだということです」
「なるほど…」
教会の騎士団、“リネット守護騎士団”の一人、ローレンスは凛々しい少年である。
まだ十七歳ながらその槍の腕は他のものの髄を許さない。
幼い頃から十数年後に現れる“四人目の聖女”の守護騎士となるべく、研鑽を積んできた。
そんな彼の胸元に、聖女の証たる聖痕が浮かび上がったのは二日前のことだった。
これはどういうことなのか、混乱した矢先に大司教猊下から呼び出しを受けることになった。
神託を授かれる大司教猊下ならば、この聖痕の理由を知っているのだと悟り、ローレンスは素直に召喚に応じた。
そして聞かされたのは、女神イーディスの悲しみと静かな怒りだった。
女神はもう、愛し子が王子によって辛い人生を送る姿は見たくないと望み、女を選ばないことにしたのだと。
「女神様はこの神託と共に、この槍を授けて行かれました」
「失礼ながら、ただの槍しか見えませんが…」
「あなたが振るって初めてその力が現れるそうです。この“聖槍ドラゴーネ”を振るうだけで、周辺の瘴気が浄化される仕組みなのだと。……同時に、この槍がなくてはあなたは浄化の力を発揮できないと」
「なるほど、私が聖女だとさとられないようにと、いうことでしょうか」
「そういう事です。では……教会騎士のあなたに、各地方にて凶暴化している魔物の討伐をお願いいたしします」
「承ります」
無論、ローレンスが“聖女”であることは大司教エイドリアンのみとの秘密だ。ローレンスはあくまで、教会から各地に派遣される討伐部隊の、騎士の一人として討伐に旅立つ。
「では頼みましたよ聖女さま…いいえ───“聖騎士”、ローレンス」
「はっ」
✱✱✱
槍を振り回すと、“何か”を切っている手応えを確かに感じる。
おそらく瘴気だろう。視覚からは何も変わっていないように見えるのは、女神様の気遣いのようだ。
女神様は本気で、今世の聖女が誰なのか周囲に悟らせないようにしている。
実際瘴気は、ローレンスが立ち去った後から目に見えて減り始めるのだ。
(本当に、これまでの聖女様への仕打ちにお怒りなのだな……)
より浄化できるのではないかと考えて、戦闘中もあえて大げさに槍を振り回すことにした。
魔物を倒したあとも、血を振り払うだけでなく余計にぐるんぐるん回して、ダンッと強い音を立てて地面に穂先をめり込ませる。
そんなローレンスの仕草に従騎士たちが怪訝な顔をする。
「ローレンス卿。少し、槍を大きく回しすぎていませんか?」
「あー……このほうがカッコいい感じ、だろ?」
「……左様ですか」
「ローレンス卿。魔物を倒したあとのその、……やや大仰な仕草は何なのでしょう?」
「ええと………、勝利の決めポーズだ!」
「……左様ですか」
「なぁ……卿、なんかおかしくないか」
「そりゃあまあ………大司教猊下じきじきに討伐隊隊長に任命されて、槍まで賜ったんだぞ? 多少は……な?」
「……それもそうか……まだ十代だしな……」
なんだか不名誉な誤解を受けている気配を察したローレンスだったが、己が“聖女”であるとバレないことが大事だと飲み込んで受け入れるしかなかった。
✱✱✱
ローレンスが旅立って二ヶ月ほど過ぎた頃、嵐が教会へやってきた。
「貴様らが隠しているのだろう!! 聖女を差し出せ!!」
王太子アーヴィングの、事前連絡も一切ない突然の訪問。
俗に言う“殴り込み”であった。
清廉を美徳とする教会の、最も神聖とされる女神イーディスの像が佇む聖堂で、アーヴィングのよく通る声が響く。
怯えて何も言えない修道女や神官たちを守る教会騎士たちと、王太子の近衛騎士たちが睨み合う。
「聖女を差し出せ。従わないのなら」
「───失礼いたします」
奥から大司教エイドリアンが現れる。教会騎士の一人が素早く呼びに行ったのだ。
この場で王太子に対抗できる立場の者は大司教猊下以外にいない。
エイドリアンは少しばかりわざとらしくため息を吐いた。
「突撃してきて何を仰るのやら……。事前連絡もないお方のご相談はお受け出来ません。お引き取りを、王太子殿下」
「貴様らは聖女を探す素振りも見せない! それが証拠だ!」
「たとえそうだとしても、それがなんだと仰いますか?」
「なんだと」
「我らが先に聖女様を見つけたのならば、二度と王家には渡さぬと考えても何もおかしくはないと思いますが。
王太子殿下は初代以外の聖女さまの人生は存じておられませんかな」
「………」
「リネット様の悲劇をくり返すおつもりか。だと言うならば、我ら教会も、今度は躊躇しませんよ」
空気が冷たくなる。
「王太子を脅すか、大司教」
「先に仕掛けて来られたのはそちらです。今この場での話でなく。二百年前から、ずっと」
二人目の聖女、プリシラ。無理矢理相愛の恋人と別れさせられて王妃にさせられた彼女は、当時の人々の心を癒やした笑顔を二度と見せることはなかったという。
三人目の聖女、リネット。選ばれた彼女はどこまでも凛として誇らしく、健気に国を人を瘴気から救おうとした。
それを無残に喪わせたのは当時の王弟だった。
彼女とてあんな形で女神のみもとへ旅立ちたくはなかったはずだ。
───無論、王家とて聖女プリシラの悲劇をくり返そうとしたわけではなかったのだと、教会もエイドリアンも理解している。
少なくとも当時の国王ジュリアンはそうだった。聖女リネットに弟との婚姻を打診したが、断られたら素直に引き下がったと教会の歴史書には記されている。
しかし人間の中にはまれにどうしようもない阿呆がいる。
家族が品行方正でも関係なく、そういういうものは現れる。
聖女リネットの代に、その阿呆がいた。それも当時の王族で唯一聖女と婚姻できる立場にあった、王弟マイルズが。
それが王家にとっての不運だったのだ。
もとからマイルズは、生まれたときから王座を約束されていた己の実兄に対して強いコンプレックスを抱いて育ったらしい。
聖女を妻にすれば、その座が手に入るかもしれないと思ってあのような強行な手段を取ろうとしたのだろうといわれている。
彼は罪を犯したあと病気静養の名目で表から姿を消してしまったので、その心のうちは教会側は知り得ようがないことだが。
しかし今回の王太子、アーヴィングは一体どういうことなのだろうか。
年頃の合う高位貴族の令嬢も隣国の姫君もいると言うのに、そのほうがずっと国の有意義となるだろうに。何故か自国の“聖女”を迎えようとしている。
疑問に感じたエイドリアンは素直に尋ねる。
「殿下は、何故聖女さまにこだわられるのですか」
「何を言っている? 聖女を娶るのはこの国の王族として当然のことだ」
「いいえ違います。聖女さまは女神イーディス様の愛し子。本人の意志なくして、人のものになることはないお方です。
先程も申し上げましたが、初代のエメライン様以外の聖女さまを王家はどうなさったか、本当にご存知で無いのですか?」
「……俺はけして、かつてのお二人のような人生はおくらせない。今度は権力も使わないし、無理強いもしない。
ただ、俺の妻となってほしいと誠実に頼むだけだ」
「まだお会いすらしていない状況で、ただ聖女であるということが理由でそのおっしゃりよう。───要するにご自分の箔付けのために欲しいと言うことですか? 歴代の方々となにもお変わりなく」
「先程から無礼極まりないぞ、大司教!」
「先触れもなくおしかけて来られた方々に振る舞う礼儀はございません。私とて一人の人間ですから。それに、………女神様も怒っておいでなのですよ?」
「その物言い、やはり聖女を隠しているとはっきりしたな。差し出せ。さもないと……」
「さもないと、なんですかな。誠実に頼むだけだなどとおっしゃった舌の根も乾かぬうちに、なんとも横暴な」
国教会の最頂点───大司教猊下エイドリアンは堂々と答えてみせた。
「聖女さまを隠すことが罪というならばどうぞ、処罰なさってください。もっともこの場の我らだけでなく、国の半数以上の国民が対象となるでしょうが」
王家が今回の聖女を今も見つけられないでいる理由の一つは、国民たちの非協力が大きいのだと、アーヴィング王太子もわかっているはずだ。
今の民たちは、聖女を王家に差し出すことを望んでいない者が圧倒的に占めている。
民だけではない。少なくない貴族もだ。
実はエイドリアンは秘密裏に、一部の領主たちに伝えてあるのだ。
力を持つ者がそちらに参ります、と。
エイドリアンが自らの目で選出した彼らはみな、聖女を敬い尊ぶ“反王家”派だ。
故に、正確な浄化の情報も王家に伝えない。伝わらない。
領主の中には、もしかしたらつねに派遣されている“一人の騎士”に気づいているものもいるかもしれないが……。
女性であるという先入観で探す王家の使いは、浄化が確認された土地で「見かけない女性が、不思議な力を持つ女性がいたはずだ」としか問えない。
「いいえ、そのような女性は見かけておりません」と。
嘘ではない言葉が返ってくるだけ。
「───国民も無く教会も無く、王侯だけでお国を維持なさればよろしい」
それは果たして国と呼べる形態をしているのだろうか。
エイドリアンは皮肉に嗤う。
アーヴィング王太子は今は愚かな行動をしているが、頭自体は悪くない。
半数以上にのぼるであろう国民にけして少なくない貴族、そして国を統べるもう一つの権力である教会そのもの。すべて喪うとどういうことになるのか、わからないほど阿呆ではない。
………黙ったアーヴィング王太子は、腕をさげて近衛騎士たちを下がらせた。
「ひとつだけ聞かせろ。……貴族か、平民か」
「どちらでもございません」
「……そうか」
主語は抜けているが通じ合った言葉。
「邪魔をしたな」
殴り込んできたときとは裏腹に、アーヴィング王太子は近衛騎士たちを率いて静かに去っていった。
「……また、来るのでしょうか」
「いいえ、もう来ないでしょう」
欲しかった答えは、得たようですしね。
✱✱✱
ローレンスは半年ほどかけて、全領地の浄化を終えて教会へ帰ってきた。
そこで王太子の殴り込みを聞いた。
討伐の途中から、王家は変わらず聖女を探してはいるが、以前程の熱気と真剣さがなくなったことは感じていたが。
どうやらアーヴィング王太子が、探すのはもう上辺にだけでいいと命じたからだったらしい。
「つまり諦めたということでよろしいのですか?」
「有り体に言えばそうなるでしょうね」
「では今後王太子はどうするのでしょうか? 隣国の姫君を迎えるのでしょうか」
「いいえ、恐らくですが……この国の適正な地位の女性にタトゥーを入れて、聖女様だと公表するのではないかと思います」
「………それは重罪では」
「そうですね。しかし王家が自らするのならば止めようがございませんよ。
こちらも、まさかあなたを差し出すわけにも行きませんし、しませんからね」
「………何故、そこまで“聖女を妃にする”ことに王太子はこだわるのですか?」
「さあ………我らにはわかりません。ニ百年前から、ずっと」
繰り返すがアーヴィング王太子は、頭は悪くない。
教会が隠す“聖女”は貴族でも平民でもない。おそらくは先代と同じ修道女もしくは孤児であると察した。
その立場ではいくら王太子自身が誠実に求愛したと言い張っても、信じる国民は少ないだろう。
よって最初から見合った相手を仕立て上げることを選ぶのではと、エイドリアンは推察する。
この国では女性はタトゥーを刻むことは禁忌とされている。聖女の御印、聖痕があることから、自然と定められた。
偽物を見破るのは容易い。聖痕と浄化の力を持つことが聖女の証なのだから。
しかしそれでも、タトゥーをいれて己が聖女だと言い張る女が出現したことはあった。
本物の聖女であれば、瘴気の真っ只中に放り出されても浄化できてその身は安全だ。
よって自ら聖女だと名乗り出てきた女性は、そうするのが通過儀礼だ。本物ならば助かるし、偽物ならば死ぬだけ。聖女を騙るのは死罪、慈悲はない。
それは王家でも教会でも同じだ。
しかし、王家が率先してそれをするならば。
そして本物の聖女を王家に渡さぬと隠している教会も、それを黙認するとふんで。
“聖女を妻にして幸せにした”というパフォーマンスを世間に見せつけようと………これまで積み上げてきた不信を、欺瞞や虚構で塗りかえそうとしている。
私室でひとり。エイドリアンは女神イーディスの声を思い出す。
『もう女にするのはやめるわ』
『もうあの子の悲痛な声は聞きたくないの』
『ずっと泣いてるのよ、嫌、嫌って』
『どうして彼はあの子にこだわるのかしら?』
あの子。
彼。
“あの子”とは聖女様のことだろう。なら“彼”は………。
初代聖女エメラインの夫、元第三王子デービッドのことなのではないか。
───おそらくだがアーヴィングはデービッドの生まれ変わりだ。
いや、デービッドだけではない。プリシラを無理矢理娶った第二王子ハワードも、リネットを強引に己のものにしようとした王弟マイルズも。
きっと、ずっとそうなのだ。
聖女を妻にと求め続ける王子はずっと、“彼”なのだ。
そして聖女も。
初代のエメラインから始まって。プリシラも、リネットも、今のローレンスも。
その魂は同じ。
女神イーディスが寵愛し続ける存在なのだ。
初代聖女のエメラインは王子デービッドと相愛であり、幸せな生涯を送ったと伝わっているが。
───本当に、そうだったのだろうか?
『ずっと泣いてるのよ、嫌、嫌って』
ずっと泣いている?
まさか最初の、エメラインのときから?
………エメラインは本当に夫を愛していたのだろうか。
生まれ変わりのプリシラは彼を拒んだ。
これまた生まれ変わりのリネットも彼を拒絶した。
本当は………本当は───
『私の寵愛を授けていない時すら見つけたりしてるのよ』
「時代も魂も超えたストーカーですか? ………シャレになりませんね……恐ろしい」
まあ所詮は自分の想像である。
何代にも渡り異様なくらい聖女に執着を見せる王子がいた件について、もしかしたらと思っただけだ。
今回のアーヴィング王太子は聖女自身にはそれほど執着していないように見えたし、おそらく違うだろう。
もしかしたら無意識下で今世の聖女とは婚姻ができないのだと悟って、そうなったのかもしれないが。
とにかく今後の“聖女”は平穏に生きられる可能性が高い。
それが一番大事なことである。
エイドリアンはこの推測を誰にも告げず、手記にも記さなかった。
どのみち、真実を知るのは女神イーディスだけだろう。
完全浄化を終えたとき、その瞬間に聖槍ドラゴーネはただの槍となった。
そしてその日の夜、ローレンスの身体から聖痕は消えた。
もう彼はただの槍使いの、ひとりの教会騎士に戻った。
聖槍ドラゴーネは今後秘密裏に保管され、然るべき百年後にまた振るわれることになるだろう。
聖痕と聖槍。この二つを持ってその者は“聖騎士”と成る。そして役割を終えればその証は消える。
それが、女神イーディスが決めた新たな救いの制度。
今後百年のめぐりで女神から加護を与えられ、国を救ってくれる存在は“聖女”ではなくなる。
大司教エイドリアンはこの女神からの神託を、新たな制度を王家には伝えないことにした。
「彼が変われば、次の大司教なり聖騎士自身なりが明かすでしょう」
その時までは秘匿でいい。
王家に聖女が嫁ぐこと。それは王家そのものの存続に関わることでも、そうしなければ国の平和を脅かされるわけでもない。
ただ王家が、一部の王子がやたらそれにこだわっているだけに過ぎない。
だから知らせる必要などないと、エイドリアンは判断をくだした。
「………ストーカーの可能性も否定しきれませんしね……」
大司教のちいさな独り言は幸い誰の耳にも届かなかった。
そしてその後。エイドリアンが予想したとおりのことが起こった。
ある侯爵家の娘をこたびの聖女であると王家が公表したのだ。
その侯爵家は初代の聖女エメラインの血筋だった。
右の手の甲に“聖痕”をかかげた彼女は心から嬉しそうな笑みで、自分は王太子妃になると、ゆくゆくは王妃として国をアーヴィングと共に支えていくと誓いを立てた。
アーヴィングと並ぶ姿は、普通に愛し合い尊重し合う仲に見えた。
王家への不信感が強い貴族や国民たちが、正直それを信じているのかどうかはわからない。
それでも、瘴気が綺麗に払われ、また百年の平和を約束された国はおめでたい空気に包まれ賑やかとなっている。
「………滑稽だな」
ただの教会騎士の一人に戻ったローレンスは、教会の庭から見える王城を眺めた。
外から見るだけならば歴史のある美しく荘厳な城だが、中身は滑稽と意地でできたハリボテの城に見える。
聖女という存在に、この国の誰よりも囚われ続けている。
今世にいたっては欺瞞と虚構も含まれた。
何故そこまで“聖女の妃”にこだわるのか。
次に来る百年後は、どうなっているのだろう。
「まあ………別にいいか」
滑稽でも欺瞞でも虚構でも、国そのものは平和なのだ。
よって問題はない。ローレンスはそう結論づけた。
きっと次の“聖騎士”も、平穏に暮らせるだろうと信じて。
『そうだといいわねぇ……』
『人間の執着って、怖いのよね…』
この女神イーディスの言葉が聞こえたのかどうかは、大司教エイドリアンの胸のうちに秘められた。
✱完✱




