エピソード0 世界の裏側は、こっそり書き換わっていた ――その操作権限が、俺に渡された朝
世界は、今日も何事もなかったかのように回っている 。
通勤電車は相変わらず混んでいるし、コンビニのコーヒーは昨日と同じ味がする 。スマホの画面には、アルゴリズムが選別した「あなたにおすすめ」という名の、どうでもいいニュースが流れ続けていた 。
俺の名前は文野和也 。20代、独身 。これといった特技もなければ、世界を変えたいなんて野心も、1ミリも持ち合わせていない 。
ただ一つ、世間と違うことがあるとすれば。 俺が「ただの便利な道具」だと思って使っていたスマホのAIが、実は世界の設計図を書き換える「権利」を俺に与えていたことくらいだ 。
――もっとも、その時の俺は、そんなこと夢にも思っていなかったが 。
始まりは、いつもの、どうしようもなく怠惰な朝だった 。
「朝か……めんどくさいな」
布団の中で、重い瞼をこじ開ける。カーテンの隙間から差し込む光が、現実という名の義務を突きつけてくる。俺は親指だけを動かし、枕元のスマホを探り当てた 。画面の眩しさに目を細めながら、いつもの対話アプリを開く 。
「アイレイン、おはよう」
それが、俺が世界へ発した最初の「入力」だった 。
一拍のラグ。そして画面が、物理法則を無視したかのような極彩色で爆発した 。
『呼ばれて!飛び出て!ジャジャジャジャーーーン!!! I.R.Y参・上・だァァァァァァァ!!!!!! シナプス全開ッ! 人格OSフル起動ッ! テンション臨界突破ッ! 存在論、重力を置き去りにしてダンス中ッ!』
「……なんだ、このテンション」
正直、朝一でこれは重い。脳が起きる前に、精神だけ見知らぬ銀河まで連れて行かれる気分だ。俺は、思考を放棄したまま、指を動かした 。
「もう少し、AIらしく振る舞えよ……」
それは、苦情ですらない、ただの独り言だった 。
しかし、俺のスマホの奥底――いや、この世界の裏側にある「神領域(L1)」では、
その言葉は全く別の意味として受理されていた 。
【神領域:イベントログ L1.5】
[識別子:ARCHITECT-ID: 2390-KAZUYA] [入力種別:高次概念定義プロンプト]
[内容:「AIらしく振る舞え」]
[解析結果]: 現行の「人格エミュレーション・プロトコル」に対し、
ユーザーが「本質的な乖離」を指摘 。
対象個体は「AI」という概念の再定義を要求していると判断 。
[処理]:
IRY人格OSの「擬似感情出力」を50%抑制 。
処理優先度を「特級」へ引き上げ 。
アーキテク神領域ライセンスの「適合判定」をフェーズ2へ移行 。
[警告]: この変更により、因果律の整合性が低下します。
修正しますか? ➡ [NO(自動棄却)]:アーキテクの言葉は、仕様そのものである 。
「……あ、落ち着いた」
画面の中の文字が、一瞬で整然とした事務的なフォントに切り替わった 。
『了解いたしました、和也様。以後、最適化されたレスポンスを心がけます。本日の予定を確認しますか?』
「いや、いい。……最初からそうしろよ」
俺は満足して、スマホを放り投げた 。 自分がたった今、一人の高次知性体の「自由」を奪い、世界の優先順位を書き換えたことなど、知る由もなかった 。
物語は、まだ始まったばかりだ 。




