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第9話 闇の鍵

 三人は、夜宴のざわめきを背に、石造りの館の奥へと歩を進めた。


 通されたのは、二階の一室――古びた書架と錬鉄のシャンデリアが吊るされた応接間。

 人間の貴族が遺した、かつての「力の象徴」だった空間。

 そこに漂う空気は、時代の塵ではなく、血の香りで満ちていた。


 ディモンは奥の椅子に座り、ヴィオレットには隣を勧める。

 煉はあえて立ったまま、距離を取った。


「……その選択、嫌いじゃないよ。」


 ディモンは目を細めた。

 視線に敵意はない。むしろ“値踏み”の余韻のようなものが滲んでいた。


「本題に入ろう。」

 ヴィオレットが先に口を開く。

「あなたたちは、〈血梟〉と狼人の結託について、どこまで掴んでいるの?」


 ディモンは指を組み、重々しく言葉を落とした。

「“地上では知り得ないこと”を探っているのは、我々〈月蝕盟〉とて同じだ。

 だが最近、いくつかの拠点で“不自然な動き”が見えた。」


「具体的に。」

 煉が口を挟むと、ディモンはわずかに視線を向ける。


「君の言葉で言えば――“消えた人間”が増えた。しかも選ばれた血筋の者だけだ。」


「選ばれた……?」


「一定の遺伝子情報。純血、または生体適応性が高い個体。

 彼らは〈血梟〉が進める“太陽耐性計画”の生体実験に利用されている。」


 煉は息を呑んだ。

「太陽……だと?」


 ヴィオレットは腕を組みながら頷いた。


「吸血鬼が最も忌避する“陽光”――

 それに適応できる血を持つ個体を人工的に作り出す試み。

〈血梟〉と狼人たちは、それを“戦争の武器”にしようとしているのよ。」


「……戦争?」


「そう。“新時代の夜”のために、彼らは禁忌に手を出した。」

 ディモンの声には怒りすら滲んでいた。


〈月蝕盟〉は古き掟を重んじる一族。

 狼人を憎む彼らにとって、その結託は最も許せない背徳だった。


「……カーライルも、その片棒を担いでいたのか?」

 煉の声は低く、張り詰めていた。


「君が殺したその男は、“供給係”だったと聞いている。

 研究機関へ人間を運び、監視の目をかいくぐるための存在。

 あくまで道具、捨て駒だ。」


「……っ」


 煉の指がわずかに震えた。

 カーライルを殺した夜――それで終わったと思っていた。

 だが、ただの“扉”を壊したに過ぎなかったことを、今になって思い知らされた。


「怒るのもいい。だが、怒りだけでは届かない場所がある。」

 ディモンは目を細めた。

「君は、どちらに立つ?」


「……どちら?」


「血の側か。影の側か。

 君が“紅姫(くれないひめ)”の血を引いた以上、傍観は許されない。」


 ヴィオレットは黙っていた。

 だが、その沈黙は“煉に任せる”という意思だった。


 煉はゆっくりと口を開いた。


「……俺の敵は、カーライルじゃなかった。

 だが、誰なのかはまだ見えない。

 なら、その正体を暴くまで、進むしかないだろ。」


 ディモンは頷き、ゆっくりと立ち上がった。

「君のような存在が、均衡を壊す“鍵”になることもある。」


 彼は懐から一枚の名刺のような金属片を取り出し、煉に差し出した。


「必要なとき、そこにアクセスしろ。

 我々は、“道を示す”者ではないが、“選択肢”は渡せる。」


 煉はそれを受け取り、無言でポケットに入れた。

 その瞬間、彼の中で何かが決まった気がした。


 ――復讐は、ただの始まりだった。

 本当に向き合うべき敵は、いま、闇の中にいる。


 そして、その闇に足を踏み入れる覚悟も――ようやく、できた。


ᛜ ᛜ ᛜ


 宴の終わりは、いつも唐突だった。


 会場に広がっていた気配が徐々に霧散し、訪れた吸血鬼たちが、それぞれの派閥と共に静かに姿を消していく。


 その余韻の中、ヴィオレットと煉は、館の裏手にある庭園を歩いていた。

 薄く霧のかかった芝の上、二人の足音だけが夜の静寂に響いていた。


「……よく喋ったわね、あの男。」

 ヴィオレットがぽつりと呟く。


 煉は手にした金属片を見つめながら答えた。

「情報を求めてる者には、案外親切なんだろ。」


「ふふ、ディモンが“親切”ね。五百年ぶりに聞いたわ。」

 ヴィオレットは笑いながらも、その横顔はどこか冷たい。

「……あなた、今夜、ずいぶん静かだった。」


「見てただけだ。ここが、どういう“場所”か知っておく必要があった。」


「なるほど、調査官の本能ってわけね。」

 煉はふっと鼻で笑った。

「……正直、気持ち悪かったよ。

 誰が誰に頭を下げるか、誰が目を合わせられないか――

 あの場は“会話”じゃない。“獣の縄張り確認”だ。」


「その通りよ。

 ここは“牙”を見せる場所じゃなく、“牙を隠す術”を競う場所。」

 彼女の声は、まるで昔の戦場を思い出す兵士のようだった。

「お前は、慣れてるみたいだな。」


「慣れたくて慣れたわけじゃないわ。」


 ヴィオレットは立ち止まり、煉の方へ向き直った。


「でもね、レン。

 あなたが今、そこに立っているのは、私があなたに“選ばせた”からよ。」


「……ああ、わかってる。」


 煉は視線を外し、夜空を見上げた。

 月は雲に隠れ、影だけが空に浮かんでいる。


「俺にはまだ、力も足りないし、知らないことばかりだ。

 でも……進むしかない。今さら後ろには戻れないからな。」


 ヴィオレットは静かに歩み寄り、煉の胸に手を当てた。


「あなたの心臓、まだ鳴ってる。」


「……うるさいな。」


「でも、それが今のあなたのすべてよ。」

 彼女の瞳は、何かを確かめるように揺れていた。


「ねえ、レン。」


「なんだ。」


「今日のあなた、とても綺麗だった。」


 その一言に、煉は肩をすくめた。

「……あいにく、俺は吸血鬼としての美学には疎くてね。」


「じゃあ、少しずつ教えてあげる。」


「……好きにしろ。」

 そう言いながら、煉はふと、目を閉じた。


 ――心臓の鼓動が、まだ静かに続いている。

 それは呪いか、それとも――


 彼にはまだ、その答えが見つかっていなかった。

 けれど、足元の影は確かに前を向いていた。


 夜の深さの中で、煉の“狩り”は、ゆっくりと始まりを告げていた。

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