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第8話 月蝕の影

 吸血鬼たちの宴は、静かに進んでいた。


 談笑も歓声もない。

 代わりに、視線と気配が行き交う。

 誰が誰と距離を取り、誰が誰と視線を交わすか――

 その一挙手一投足が、「力」と「立場」を物語っていた。


 煉は周囲を観察していた。

 初めての“夜宴”。だが、その空気はまるで軍の作戦会議のように張り詰めていた。


〈灰血派〉――冷徹な貴族主義者たち。

 彼らの眼差しは「血統の薄い者」を明確に見下している。

 先ほどのサリエルだけでなく、彼の取り巻きもまた、若い吸血鬼たちを命令ひとつで処分できるような態度をとっていた。


〈夜宴派〉――この宴の主催者。

 一見穏やかだが、常に均衡を保つことに執着しているように見える。

 誰の側にもつかず、誰にも背を向けず。

 その実、中立という名の“監視者”だ。


 そして、他の血族たち。

 派閥間の接触は慎重で、睨み合いのような空気が続いていた。


 ――上下の構造。


 煉は無意識に拳を握っていた。

 彼が“人間”だった頃――特務調査官として、追っていたのは常に「失控した吸血鬼」だった。

 飢餓に負けて市民を襲った新生。

 感情を抑えきれず、狂気に呑まれた者。


 だが、今ここにいるのは……そういう存在ではない。

 完全に統制され、規律の中で呼吸する「支配する者たち」だった。


 そのとき、不意に脳裏に過ったのは――


『お前が誰に手を出したか……わかってないんだな。』


 ジェームズ・カーライルが、自分の背中に銃弾を撃ち込む直前に言い放った言葉。


 ……あのとき、自分は何もわかっていなかった。

 カーライルは、ただの裏切り者で、憎むべき仇。

 そう思い込んでいた。

 そうでなければ、二年間も――血と憎しみに呑まれたまま、生き延びることはできなかった。


 だが。


 あいつを殺した後で気づいた。

 本当に終わったはずの夜に、心にぽっかりと空いた穴が残っていた。


 ――何かが違う。終わっていない。


 あの言葉。

『誰に手を出したか……』


 それはカーライルの“意思”ではなかったのかもしれない。

 誰かの命令を、ただ実行しただけだとしたら――

 煉はようやく、そこに目を向け始めていた。


 そして今――


 その「誰か」が、もしかするとこの場のどこかにいる。

 彼の視線が、夜宴の闇を静かに這った。


「考えごと?」


 隣から囁くような声が落ちた。

 ヴィオレットが、いつの間にか彼の視線の先を追っていた。

 彼女の赤い瞳は、観察ではなく「測る」ように煉を見つめている。


「新生の瞳は、普通もっと濁っているの。

 血の渇きに翻弄されて、色が揺らいで不安定。

 でも、あなたの瞳は――」


 彼女はそっと手を伸ばし、煉の頬に触れる。

 そのまま瞳を覗き込むようにして、柔らかく微笑んだ。


「澄んだ琥珀色。太陽の色みたいに綺麗ね。」


「……俺たち、太陽が苦手なんじゃなかったか?」


 煉は軽く皮肉るように言った。

 だが、その言葉にヴィオレットは唇を弧にしながら言った。


「そうね。

 だから惹かれるのよ。

 触れられないものほど、美しい。」


 その声には、戯れと本音が混じっていた。


 煉は視線をそらした。

 照れではない。だが、この場で気を緩めてはいけないと、本能が告げていた。


「もうすぐ、彼が来るわ。」


 ヴィオレットの声が低くなる。

 その目は、会場の奥へと向けられていた。


「〈月蝕盟〉の“紋章持ち”。

 今夜、あなたに“入口”を開けてくれる存在よ。」


 煉は、静かに頷いた。


 ――復讐の先。

 その真実の輪郭に、ようやく手が届きはじめていた。


 重厚な扉が静かに開いた。

 吸血鬼たちのざわめきが、一瞬だけ止まる。


 入ってきたのは、長身の男。

 深い紺のコートに身を包み、肩まで流れる金髪を一筋も乱さず背に垂らす。

 瞳は銀灰。まるで氷塊のような光を湛えながら、ただまっすぐに前を見ている。


 その背後には、二人の従者が控えていた。

 装飾はなく、目立つ印もない。だが彼の存在感だけが、場の温度を変えていた。


「……ディモン=ヴァルグレイ。」

 誰かがその名を呟いた瞬間、空気が一段冷えた。


〈月蝕盟〉。

 吸血鬼五大勢力の一つ。

 最も古い血統を誇る一族にして、狼族に対する強烈な憎悪を掲げる急進派。


 彼はその中でも、“紋章を持つ者”――直属の執行官であり、交渉の代弁者。


 ヴィオレットが傍らで小さく笑う。


「来たわね。あれが、“扉の鍵”よ。」


 煉は一歩も動かず、視線をそっと彼に向けた。


 ――強い。


 それが、第一印象だった。

 殺気はない。だが、何者にも屈しない「核」を持っている。

 まるで、光のない月の裏側をそのまま人の形にしたような存在だった。


 ディモンは、一直線に二人の前へと歩みを進め、立ち止まる。

 そして、ヴィオレットに一礼した。


「〈紅姫(くれないひめ)〉。久しぶりだな。」


「ええ、ディモン。あなたは全然変わらない。」


 ヴィオレットはゆったりと笑いながらも、どこかで警戒を崩さない。

 その笑みの裏に隠されているのは、尊敬ではない。


 均衡。


「そして……彼が?」


 ディモンの視線が、煉へと向く。

 一瞬、その銀の眼が、煉の内側を穿つように鋭く光った。


「……君が、“ヴィオレットの血嗣”か。」


 煉は無言で頷く。

 ディモンはその反応を数秒だけ観察し、低く口を開いた。


「なるほど。確かに、妙だな。」


「……妙?」

 煉が眉をひそめると、ディモンは首を傾げた。


「新生吸血鬼にしては、気配が整いすぎている。

 だが、圧も渇きも中途半端……いや、“均衡が不自然”だ。」


「それは誉め言葉として受け取っても?」

 ヴィオレットが軽くかぶせるように言った。

「もちろんだ。君が血を与えた者だ、愚鈍であるはずがない。」


 そして、ディモンは再び煉に向き直る。

「君に聞きたいことがある。……興味はあるか?」


 煉は短く答えた。

「――内容による。」


 ディモンの口角が、わずかに上がった。


「なら、場所を変えよう。“月蝕盟”は、君にとって無視できない話を持っている。」

 その一言で、煉の中に沈んでいた“記憶”が、波紋のように広がっていった。


 ――狼人。〈血梟〉。カーライルの裏。

 すべての糸が、そこに繋がっているのなら――


 彼は、一歩、前に出た。

「……聞こう。その話。」


 ディモンは頷いた。

 そして、三人は、宴の喧騒から離れ、館の奥――静かな書斎へと歩を進めていく。


 吸血鬼たちの夜は、まだ深まる。

 だが、“真実”の夜は、ようやくここから始まるのだった。

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