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錬の名のもとに ―吸血鬼の復讐譚―  作者: 雪沢 凛


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第30話 夜に溺れる、その先へ

 夜が深まるほど、思考は冴えていく――


 それが、今の俺の“生”なのだ。


 ソファに身を沈めたまま、天井を見上げる。

 星の光が高窓から差し込んで、机の端を淡く照らしていた。


 ……それを、ただぼんやり眺めていた。

 何を考えるでもなく、けれど、何も考えないふりもできなかった。


 ふと横を見れば、窓辺に置きっぱなしの紅茶が目に入る。


 そういえば、さっきメイドに持ってきてもらったままだ。

 口をつけることもなく、もうすっかり冷めきっていて、かすかに血の腥い甘さが漂っている。


 胃の奥が、まだわずかに熱かった。

 じんわりと焼けるような、乾いた痛み。


 ……もう血は、とうに身体から抜けているはずだ。

 けれど、あの「熱」だけが、どこかに残っている。

 燃え尽きたはずの残骸みたいに、俺の中に居座ってる。


 ――エミリーの血。


 たった一口だったのに。

 あれだけで、崩れそうになった。


 味なんて、どうでもよかった。

 怖かったのは……あの瞬間、俺の中に流れ込んできた「記憶」だ。

 光景、感情、匂い、声……。


 まるで、俺の心に直接焼きつけられるように。


「……見せられたんじゃない、刻まれたんだ……」


 俺は、自分の声がかすれているのを自覚していた。

 無理もない。

 あの血が、俺に何を見せたのか――全部、まだ胸にこびりついている。


 ……吸った血は、ただの“栄養”じゃない。


“媒介”であり、“鏡”。

 あいつの「裏切り」も、

 俺が信じていたものの脆さも、

 全部、血が語ってきた。


(……俺は、なんで生き延びたんだ?)


(なんで……ヴィオレットは、あの夜、俺を拾った?)


(……そして――なんで二年も放置した?)


 前に一度だけ、彼女にそれを訊いた。

 でも――返ってきたのは、あまりにも甘い声。


「惜しい命」「可愛い子猫」

 まるで、濃密な霧に包まれるみたいだった。


 確かに、あの声音には抗いがたいものがあった。

 でも……


「……それって、所有物と、何が違うんだよ」


 囁くように吐き出したその言葉は、

 誰にも届かないのを知っていた。

 けれど、自分の中では、確かに“何か”がはじけた音がした。


 立ち上がった俺は、無意識のまま部屋の隅にある姿見の前へと歩いた。

 シャツの襟元に手をかけ、ゆっくりと開いていく。


 胸元、脇腹、肩……

 そこには、火傷、銃創、刃の跡――

 人間だった頃に受けた傷の痕跡が、今もくっきりと刻まれている。


(……やっぱり、消えてない)


 ヴィオレットの言っていたとおりだった。

 吸血鬼になっても、それ以前の傷は癒えない。

 転化の瞬間に負ったものだけが“清算”され、それ以前はすべて“人間だった証”として残る。


 つまり、この痕は――

 俺がどんな風に生きてきたかを、否応なく物語っている。


 手のひらを裏返す。

 あの夜、陽の光に焼かれた手の甲は、今や白くて滑らかにすら見える。

 けれど指先は、まだあの“裂かれるような痛み”を覚えていた。


 それは恐怖じゃない。

 むしろ――

 確かに「生きていた」と言える、唯一の証だった。


(……エミリーの血で、回復した)


 ヴィオレットは、あれを“適性”だと言った。

 だけど、そんな抽象的な言葉じゃ、俺には納得できない。


 適性――本当に、それだけの話なのか?

 あの血に、あれほど反応したのは、偶然なのか?


 気づけば、いくつもの「偶然」が頭の中に浮かんできていた。

 特務調査官になったこと。

 母が病で倒れたこと。


 そして……あの夜。

 俺が死に、ヴィオレットに拾われ、今ここにいること。


 全部、偶然だと言えるか?

 俺はそう信じてきたつもりだった。

 だけど今になって、どこかで誰かの手が、この道を“設計”していたんじゃないかという疑念が、拭いきれなくなっている。



(……俺は、彼女の実験体か?)


 その考えが浮かんだ瞬間、自分の中で何かが軋んだ。

 でも、それを打ち消す材料は何もなかった。


 あの午後、ディモンが見せてきた資料。

 そして――ヴィオレットのあの言葉。


『君の目は……壊れるかもしれないものの、目をしている』


“壊れるかもしれない”って、なんだ。

 どこまでが彼女の「観察」で、どこからが「感情」だった?

 わからない。何一つ、はっきりしない。


 ……だけど、もしかしたら――


 ヴィオレットは、俺がいつか牙を向けるのを、望んでるのかもしれない。

 そう思った瞬間、喉の奥に、何か熱いものが突き上げてきた。


 吸血鬼にとって、自分の“創造者”の血を吸うことは――禁忌。

 絆を断ち、すべてを否定する行為。

 彼女はそれを口には出さなかったが……きっと、自分も同じ道を通ってきた。


 誰かを喰らい、誰かを裏切って、それでも“自由”を選んだんだ。


(だったら……)


 足が自然に、窓の方へと向かっていた。

 分厚いカーテンを引くと、夜の風が静かに入り込んでくる。


 冷たい。

 でも――どこか澄んでいた。

 人のいない夜の匂い。

 それは、俺にとって「始まり」の匂いだった。


「だったら……その先を、俺が選ぶ」


 低く、けれど確かな声が、自分の喉から零れ落ちた。

 これは、復讐のためじゃない。

 誰かのためでもない。

 ましてや、過去を清算するためでもない。


 ――俺が、俺自身であり続けるための、選択だ。


(……俺も、いつかヴィオレットを裏切るかもしれない)


(それでも……それが、俺の意志だ)


 ゆっくりと窓を閉じる。

 そして、机の前に戻り、ノートパソコンのスリープを解除する。


 研究所で得たデータ。

 まだ解析しきれていないファイル。

 コードネーム、名前、重複する数字、食い違う記録――


 まだ全体像は見えない。

 けれど、俺の中にはもう迷いはなかった。


 ……夜は長い。

 でも、俺の夜は――今、ここから始まる。


-第一部 (完)-

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