第3話 赤の姫
永遠の命は、腐敗に過ぎない。
帝国は崩れ、愛した者は灰となり、すべては時の前に塵と化す。
人間は私に問う──「永生とは何か?」
私は答えない。
彼らには理解できず、そもそも、答えるに値しない。
私は〈血梟〉一族の裏切り者。
五百年前、創造者の心臓に短剣を突き立てた。
その代償に得たのは──自由と、孤独。
一族の血は純粋であり、転化は慎重な儀式。
凡人に血を与えるなど、滅多にない。
──だが、あの夜。
ベスナル・グリーンの火の海で。
神城煉の瞳が私の歩みを止めた。血の池に沈み、怒りと無念が燃える。
「復讐したいか?」
そう問いかけた時、彼の瞳が答えていた。
血を吸い尽くし、血を注ぎ、紅玉の儀式が彼を新生させた。
──それは、〈血梟〉の試練。
私は彼に数週間だけ教えた。
その後は放置し、見極めた。
この新しき影が、一族の血にふさわしいか否か。
彼は生き延びた。二年の間、もがき、苦しみ、
ついに、ジェームズ・カーライルの喉を喰い千切った。
その復讐が、死んでいたはずの私の心を、再び目覚めさせた。
◆ ◆ ◆
テムズ川の岸、湿った風が血の匂いを運ぶ。
廃倉庫の鉄骨が月光に凍り、港の灯が揺れる。
傘の先で地面を軽く叩き、霧の中の彼を捉える。
神城煉。
彼の琥珀の瞳は復讐の業火を宿し、月光の下で鋭く燃える。
蒼白な肌はまるで大理石、だがその輪廓──東方の柔らかさと西洋の深邃さが交錯する顔立ちは、吸血鬼の呪いによって致命的な刃と化した。
コートの下、銀の刃と銃を握る姿は、かつて私が創造者の心臓を刺した夜を思い出させる。
粗削りで、不器用。だが、純粋で、鋭利。
私の試練にふさわしい影。
「準備はいい? 小さな子猫。」
皮肉めいた口調で問いかける。
「今夜の遊戯は、一発の弾では終わらない。」
彼は一瞥を寄こし、冷たく言う。
「俺の名は神城煉。忘れるな。」
私は小さく笑い、傘の先で地面を叩いた。
彼の名前は、彼の魂の錨。
かつて私が創造者を殺した刃と、同じように鋭く、熱い。
「……よろしい、レン。失望させないで。」
倉庫の鉄扉は半開きで、
その奥からは低い唸り声と、獣の気配が立ち込めていた。
狼人──吸血鬼の宿敵。
銀の刃と鋭い爪。忌まわしき混血ども。
私は煉を一瞥し、彼の拳が震えているのを見た。
その手の甲には、陽に焼かれた痕が残っていた。
──呪われた肉体の代償。
「カーライルはただの駒よ。」
私は言った。倉庫へ一歩踏み出す。霧が後に従うように流れた。
「〈血梟〉と狼人は手を組んだ。目的は研究所の“血液兵器”。
あの裏切りは──奴らの取引の一部にすぎない。」
煉の目が鋭くなる。
「……血の武器化、か。」
私は頷き、唇を軽く歪めて微笑む。
「吸血鬼の力を、人間の戦争に。
一族は狼人を従えられると思った。でも──裏をかかれたのよ。」
「じゃあ……カーライルはなぜ?」
「家族を人質に取られた。生きるために裏切ったのよ。」
私は興味深く彼を見つめた。
「一方で──
あなたは“名誉”を選んだ。それはあなたの母が教えた『錬』でしょ?」
彼は何も言わなかったが、その眼差しが霧を裂くほど鋭かった。
──名前。
それは、彼にとって遺された最後の人間性。
母の記憶、そして烈火の中でも砕けぬ刃。
その瞬間、暗がりから影が現れる。
三人の〈血梟〉の処刑者。
牙が銀に光り、
その後ろには二頭の狼人。
毛皮は鉄のように硬く、銀刃を持っていた。
「裏切り者が……!」
先頭の吸血鬼が低く唸る。
「お前も、この新参者も、掟に反している!」
「掟?」
私は笑った。傘の先を弧を描くように振り下ろし、
指先から血が滴り、赤の槍となる。
「狼人と手を組んだあなたたちこそ──穢れだわ。」
戦闘が始まる。
煉の姿が霧に溶け、
銀の刃が一人目の喉を裂いた。血が鉄の地に飛び散る。
転がり、銃声。
弾丸は狼人の肩に突き刺さり、銀光が毛皮を焼いた。
私は血槍を振るい、二人目の心臓を貫いた。
──灰になる。灰が落ちる。
私は囁く。
「〈血梟〉の血は、純粋な者にしかふさわしくない。」
狼人が襲いかかる。
銀刃が私のコートを裂き、皮膚が焼けた。
私は痛みに歯を食いしばり、
流れる血を盾とし、次の攻撃を防ぐ。
煉は三人目に押し込まれ、
爪がコートを裂き、血の匂いが立ちこめる。
その目が飢えに染まり、牙が伸びる。
「制御して、煉! あなたは──神城煉よ!」
私の叫びに、彼の目が揺れる。
一瞬の沈黙。
煉の血が傷口から霧となり、次の瞬間、敵の背後に現れる。
──血影。血を霧に変える、血梟の技。
私の天賦を、彼が覚醒させた。
銀の刃が心臓を貫き、三人目が灰に崩れた。
最後の狼人が咆哮し、銀刃を振り下ろす。
私は身をかわし、血槍で胸を貫いた。
血の光と銀光が交錯し、
そしてその体は煙となって消えた。
霧の中、鉄の匂いと血の残り香だけが漂う。
煉は肩で息をし、破れたコートの下で銀刃を握りしめる。
琥珀の瞳が私を見据え、低く問う。
「……真実は?」
私は血槍を解き、血が逆流して傷口を塞ぐ。
「研究所は、始まりにすぎない。」
傘の先で地面を突きながら言った。
「〈血梟〉と狼人の同盟の裏には、もっと大きな影がある。」
彼は拳を握る。
その声は──決意そのものだった。
「神城煉は、止まらない。」
私は、久々に微笑んだ。
あの五百年前の、ある瞬間のように。
一歩、彼に近づき、ささやく。
「私の名は、ヴィオレット。
小さな玩具、遊びはまだ終わっていないわ。」
彼は答えなかった。
けれど、その目は刃のように研ぎ澄まされていた。
私たちは肩を並べて歩く。
霧が濃くなり、テムズのさざ波が静かに響く。
鼓動を持たぬ二つの影が、
月に背を向け、果てなき呪いへと足を踏み出す。
──港の灯が揺れる。
まるで、死の目が見つめているように。
終わらぬ復讐の、はじまりを。