第27話 地下の気配
車内に、柔らかな揺れが続いていた。
窓の外にはもう陽光がない。いや、正確には、光すら届かない場所に車が入っていく。
煉は、うっすらとまぶたを開いた。頭が重く、体の芯がじんわりと熱を帯びていた。
(……使いすぎたか)
先ほどの「血影」。今回は明確な意志を持って制御できたせいか、前回よりは負担が軽い。それでも、日中という時間帯が煉の体を蝕むように鈍く、眠気を誘っていた。
隣の席では、フェンリスがすっかり小柄な少女の姿に戻り、丸くなって眠っていた。
戦闘の傷が癒えきっていないのか、その呼吸はやや浅く、意識の気配はない。
来たときのような甘えた気配は、今はもうなかった。
それが少しだけ、煉の中に寂しさを滲ませる。
(……俺も、少しだけ……)
思考が薄れていく。
眠気が、闇のように広がって――。
……そのとき。
車が急に速度を落とし、タイヤがコンクリートをこすりながら、斜面を下っていく感覚が伝わってきた。
「……ん……」
煉はハッと目を見開いた。
(……今、どこに……?)
周囲はすでに地下のような構造に入り込んでおり、車窓の外にはコンクリートの壁と、赤い誘導灯だけがゆらめいていた。
「……リサ」
低く、しかし警戒を滲ませた声。
リサはハンドルを操作しながら、ふと笑った。
「起こしちゃった? ……ごめんね。
でも、もう着くから」
「ここは……どこだ」
煉の視線が鋭くなる。スマホの画面を点けると、まだ午後二時を少し過ぎた頃。
「まだ日が高い……」
「大丈夫。ここは地下施設。太陽なんて一切届かない。
――だから、あなたでも安心して歩けるわ」
「……それより、どこへ連れて行く気だ」
リサの笑みが、わずかに意味深なものへと変わる。
「会ってほしい人がいるの。
あなたに……伝えたいことがあるらしいのよ」
「……誰だ」
煉の問いに、リサはちらりと目を向けただけで答えず、かわりに静かに言った。
「――着いたわ。すぐにわかる」
車が地下空間の最深部に停まった。薄暗い照明が天井に灯り、微かな機械音とともに空調が唸っている。周囲には古い施設の名残があるが、今も整備され、使われている気配が濃い。
煉とリサが車を降りた瞬間、彼の感覚が警鐘を鳴らす。
(……いる。何人か、周囲に潜んでる)
無音の中に散る、吸血鬼特有の冷たい気配。
一つ、二つ、いや――五、六人。
「……リサ。これはどういうことだ」
煉の声は低く、鋭い。
「俺をここへ連れてきた目的を、説明してくれ」
リサは正面を見据えたまま、答えなかった。
「……フェンリスは、私が責任を持って《ノクターン》へ戻す。安心して」
「それとこれとは別だ。俺を勝手に連れてきておいて、“安心して”で済む話じゃないだろ」
煉が一歩踏み出す。背筋に微かな違和感が走る。
周囲の気配は、確実に彼を包囲していた。
リサは静かに、だが冷たく答えた。
「……煉、あなたがここで“騒ぐ”のは、誰のためにもならない。
今は……少し、流れに乗ってみて」
「……何が“流れ”だ。ふざけるな。
お前、まさか――」
言いかけたその時。
「――神城煉」
低く、張り詰めた声が周囲に響いた。
いつの間にか現れていた数人の吸血鬼が、彼を取り囲むように立ち並ぶ。
黒いスーツに身を包み、皆が一斉に頭を下げた。
「我らが主――ディモン=ヴァルグレイ様が、お待ちです。どうか、こちらへ」
煉は即座に構えかけた。だが、この数と、今の時間帯。下手に動けば逃げ場はない。
(……チッ、最悪なタイミングだ)
その時――
「下がれ」
静かだが威厳ある声が、闇の奥から響いた。
その声とともに、姿を現したのは、一人の男だった。
金色の髪。彫刻のように整った輪郭と、冷たく光る銀灰の瞳。
その佇まいは、まるで夜そのものが人の形を取ったかのようだった。
品格と圧が同居する存在感――まさに、吸血鬼の中の“王”の風格。
ディモン=ヴァルグレイ。
彼の姿を見るや、周囲の吸血鬼たちは一斉にひざまずいた。
「……神城煉。ようこそお越しくださった。
まずは、礼を言わせてくれ。君がこの場に現れてくれたこと――感謝する」
「……ふざけるな」
煉が低く唸る。
「俺を連れてきたのは、こいつの差し金か」
横目でリサを睨む。
リサは無言のまま視線を外した。
肯定も否定もしない――それが、何よりの答えだった。
「……リサ、答えろ。お前は、あいつの“手の者”か?」
リサは一瞬だけ視線を戻したが、静かに首を振った。
「私は“あなたの味方”のつもりよ、煉。……ただ、ここに来れば、きっと“答え”があると思った。それだけ」
そして、彼女は踵を返す。
「――フェンリスを連れて、《ノクターン》に戻るわ。
煉、あなたがここで何を選ぶにせよ……生きて、戻ってきて」
それだけ言い残し、リサは車へと戻っていった。
ブレーキ音が鳴り、エンジンが遠ざかる。
地下の空間には、煉とディモン、そして取り巻きたちの気配だけが残されていた。
煉は唇を噛みしめた。
(……リサ。お前も、何かを隠してる)
エミリー、カーライル、そして今――また一人、信じることの難しさが胸に突き刺さる。
その刹那、ディモンが微笑みながら歩み寄る。
「君に話したい“真実”がある、神城煉。
――ヴィオレットが君に隠していることも、含めてね」




