表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬の名のもとに ―吸血鬼の復讐譚―  作者: 雪沢 凛
裏切りの鎖

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/30

第23話 夜を待つものたち

 車は山道の脇に静かに停まっていた。

   エンジンは切られ、辺りには鳥の声すら届かない。

   ただ時間だけが、緩やかに流れている。


 煉は、遮光カーテンの裏で身を起こし日ていた。

   前席との間の仕切りは閉じられ、ここはまるで独立した小さな箱庭のようだ。


「……もう着いたのか?」

   暗がりの中、煉は低く声を投げた。


「え? 起きてたの?」

   前席からリサのやや驚いた声が返ってくる。


  「てっきり、吸血鬼って日中は強制的に寝るもんだと思ってたけど?」


「……普段ならな。日が昇ると身体がだるくなる。寝てないと回復力も落ちるし、頭も回らない」

   煉はそう言いながら、自分の腕に視線を落とした。


 その腕には――フェンリスが、ぴったりと抱きついていた。

   まるで子犬のように煉の肩に頭を乗せ、両手で彼の腕を抱きしめて離さない。


   呼吸は穏やかで、時折ふにゃっと甘えたように顔を擦り寄せてくる。


「……」

   煉はもう抵抗するのをやめていた。

   初めは何度か引き剥がそうとしたが、そのたびに彼女は寝ぼけたように「ぐるる……」と唸り、さらに強く腕を締め付けてきた。


(……こいつ、なんなんだ)


   苛立ちではなく、ただ困惑だった。

   だが、ふと頭に浮かぶ。

   ――あの血の記憶。逃げ惑い、傷だらけになり、咆哮し、繋がれた夜。


(……あのあと、俺の中の何かが……変わったか?)


   ヴィオレットは言っていた。

  「狼の血は毒よ」と。

   実際、吸った直後は体中が焼けるように痛み、倒れ込むほどの衝撃があった。


   けれど――それだけだった。

   後遺症も、力の枯渇もない。

   むしろ、今は不思議なほど頭が冴えている。


「……なに考えてるの?」

   前席からリサの声が落ちてきた。


「いや、なんでもない」

   煉は短く答え、ポケットからスマホを取り出す。

   画面に表示された時刻と、日没の時間。


(……まだ、あと一時間はかかるか)


 彼は息をつき、背にもたれた。

   その瞬間、フェンリスが小さく寝返りを打ち、さらにぴたりと身を寄せてくる。

   煉は一瞬だけ顔をしかめたが、何も言わなかった。


「……懐かしいわね、こうしてあんたと車の中で過ごすのも」

   今度はリサの声が、少し柔らかくなっていた。


「前にそんなこと、あったか?」

   煉は答えながら、目を閉じたまま問い返す。


「あったわよ。ほら、三年前。西郊外で連続失踪事件追ってた時。

   人間の裏取引に吸血鬼が絡んでるって話で――」

   リサは少し笑う。

「あのとき、あんたがまさか吸血鬼になるなんてね。皮肉なもんよ」


「……お前、あの時から変わってねえな」


  「そう? まあ、あんたも似たようなもんだけど」

   リサの声に、わずかな揺れがあった。


 車内には再び沈黙が訪れる。

   しかし、それは息苦しいものではなかった。

   あの頃とは、すでに戻れない時間の向こう――

   それでも、どこかに微かに繋がっている“夜”の匂いが、確かにあった。


 日が沈み、空が群青色に染まる頃。

   煉たちは車を降り、研究施設の外縁部――廃れた山道の奥、岩肌に隠れるように造られたコンクリート構造物を見下ろしていた。


 かつてフェンリスが逃げた「出口」。

   記憶に浮かんだ映像と、今目の前に広がる風景は、ほぼ一致していた。


「……こっちから侵入できそうだな」

   煉が茂みに身を隠しながら、低く呟く。


「ただの山の倉庫にしか見えないけど、中は違うわけね」

   リサが双眼鏡で周囲の監視カメラを確認しながら答える。


 その背後で、フェンリスが大きな欠伸をした。

  「ん~~……まだ眠い……」


「……お前、どれだけ寝れば起きるんだ」

   煉は半ばあきれたように言った。


「まだ体力回復してないの。吸われたせいで」

   フェンリスはじとっとした目で煉を睨むように言い返す。


「……あー……」

   その瞬間、リサの視線がびくりと煉に向いた。


  「……え、ちょっと待って。まさか、吸ったの? 彼女の血を?」


「……仕方なかったんだ。ヴィオレットに乗せられて……」

   煉は頭をかくようにして苦笑する。


 リサは一瞬あきれたようにため息をついたが、次には無言で煉の肩をぽんと叩いた。

  「……あんたも、苦労してるのね」


「……まあな」

   煉は小さく返し、再び前方に視線を戻す。

 そのときだった。


「――ここだ」

   フェンリスが、ふいにぴたりと立ち止まり、目を見開いた。


「ここ……間違いない。わたしがずっと苦しかった場所……あの音、あの臭い、あの……ッ!」


 煉がすぐに問いかける。

  「お前……どうしてここに連れて来られたんだ? もともと北部にいたんじゃ――」


「さあ? アマリリスがそう言ってただけでしょ?

   ほら、キャッチコピー的なやつ。“北方から来た獣”って。格好いいでしょ?」


 言いながら、フェンリスは肩をすくめて笑うが、目は笑っていなかった。


「それに、最初の記憶なんて、ここしかないよ。

   気がついたら檻の中で、首に鎖つけられてて――」


 彼女の声音が微かに震えた。

 その直後。


「で、この人間は誰?」

   フェンリスが煉の隣に立つリサを指差した。


「……え? 今さら?」

   リサが目を瞬かせた。

「リサよ。人間側の協力者」


「ふうん……ふーん……」

   フェンリスがまじまじとリサを見つめる。

  「へぇ、案外かわい……」


 ――その瞬間だった。


 フェンリスの表情が凍りついた。

   地面に落ちていた、半ば土にまみれた「ある物」を見つけたのだ。


「この服……」

   彼女の声は低く、かすれた。


 それは、灰色の研究所用の作業服――

   彼女の記憶に残る「監禁者たち」が着ていた、あの制服とまったく同じだった。


「ッッッ!!」

   次の瞬間、フェンリスが駆け出した。


「おい、待て――!」

   煉が声を上げるも間に合わず。


 彼女は目にも留まらぬ速さで跳び出し、施設入口付近の警備員に襲いかかる。


「――ッ!?」

   制服の男が叫ぶ間もなく、フェンリスの爪が唸り、男の首筋を叩き伏せた。


「……フェンリス!!」

   リサが即座に拳銃を抜き、後を追う。


 煉も走り出しながら、思わず息を呑んだ。

   ――彼女の怒りは、あまりにも本能的で、深かった。


(ここが……彼女の“夜”の始まりか)


 彼の中で、静かに戦慄が走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ