表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬の名のもとに ―吸血鬼の復讐譚―  作者: 雪沢 凛
夜宴の獣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/30

第22話 記憶の抜け道

 ――血の記憶、その深部。


 煉の視界がふわりと揺れた次の瞬間、彼はそこにいた。


 金属の通路。壁の継ぎ目にこびりつく古い血痕。

   どこからか薬品と消毒液の混じる匂い――嗅覚が狂いそうだった。


 走っている。いや、“駆けている”――四肢で。


 フェンリスの記憶が、まるで自分の肉体のように流れ込んでくる。

   呼吸が荒く、空気が熱い。喉が焼ける。

   見下ろす腕が、毛に覆われている。


 背後には、赤色灯が点滅する。警報と怒号。銃声。

   けれど恐怖よりも強く胸を締めつけるのは、怒りと飢えだった。


「ッ、そこだ!止まれ――!」


 叫ぶ声に、身が自然と反応する。

   壁を蹴り、反転。迫る者に向かって爪が振るわれる。


 ……裂けた。皮膚、骨、叫び。

   肉片が飛び、血が霧となって吹き出した。


(止まれない――止まったら、“戻される”)


 咆哮。


 足音が重なる。誰かが横に並ぶ。


「……こっちよ! 早く!」

 振り向くと、そこにいたのは――


「……リサ!?」


 銃を手に、軍用ジャケットを着た彼女が、まっすぐこちらを見ていた。

   弾丸の雨を切り裂くように、迷いなく動いていた。


(なんで……なんで、リサがここに――?)


 煉の意識に、強い混乱と震えが生まれる。

   これはただの記憶じゃない。フェンリスと自分の感情が、どこかで重なっていた。


 ◇ ◇ ◇


 時間は少し巻き戻る――現実世界。


 控室のような空間。

   煉が記憶から戻ったとき、ヴィオレットは彼の頬に手を添えて、いつものように笑っていた。


「おかえり、子猫くん。ちゃんと“記録”は持ち帰ってこれたかしら?」


「……ああ。場所も、逃走ルートも……それに、リサもいた」


 その名前を口にした瞬間、ヴィオレットの指がすっと止まる。

   だが彼女はそれ以上は何も言わず、代わりに優しく煉の髪を撫でる。


「この先は、あなたの試練。だから――私は、ついていかない」


「……は?」


「大丈夫よ。あなたならきっと、乗り越えられるもの。

   それに……」

   指先が煉の顎を撫で、囁くように口元に触れる。

「一人で寂しくなったら、ちゃんと思い出して。私の“牙”、まだあなたの中に残ってるでしょう?」


 煉はため息混じりに視線を逸らす。


「……お前って、ほんと……」


「溺愛してるだけよ?」


 そのやり取りの隣で、アマリリスがくすくすと笑った。


  「ふふっ、もしあなたが飽きたら、その子、私に譲ってね?

   ねえ、煉くん。私も甘やかすの、得意なのよ」


 煉は即座に顔を背けるようにしながら立ち上がった。


「もういい。行くぞ、フェンリス」


「はいはい……あーあ、置いていかれた」


 フェンリスは肩を回しながら付いていく。

   だがその背に、アマリリスが追い打ちのように軽口を投げた。


「でも煉くん、気をつけて?

   その子、借りてるだけだからね?

   下等種の血、吸いすぎて癖になっちゃダメよ?」


 煉は返事もせず、足を速めた。


 そのとき、ヴィオレットの声が後ろから届いた。


「――それと。もう一人、あなたに会う予定の子がいるわ。

   きっと、すぐに“出会う”ことになるわよ?」


 振り返ることなく、煉は静かに答えた。


「……わかった」


 夜の回廊を、彼とフェンリスは歩き出す。

   新たな情報と、新たな謎と共に――


 ――“血の記憶”は、まだ続いている。


 ◆ ◆ ◆


 夜明け前。

   空の端がわずかに白み始めた頃――煉は、《ノクターン》の闘技場を後にし、フェンリスとともに人の少ない市街地へ向かっていた。


 二人きり。

   フェンリスは途中から無言になり、肩で息をしながらも、並んで歩く煉に不思議な視線を投げていた。

   だが、煉は特に何も言わず、与えられた地点まで黙々と進んでいった。


 そして。


 レンガ造りの建物が連なる裏通りの一角。

   そこには、一台の黒いSUVが静かに停まっていた。


 その傍らで待っていたのは――リサ・クレアモントだった。


「遅かったわね。……ほんとにフェンリスを連れて来るなんて、ちょっと驚いたわ」

   リサは腕を組んで煉たちを見下ろすように言った。


「お前が……ヴィオレットの言ってた“もう一人”か。それに、フェンリスのことも――最初から知ってたのか?」


   煉が目を細めながら問い返すと、リサは小さく笑い、肩をすくめた。


「名前と噂ぐらいはね。彼女、《ノクターン》じゃちょっとした看板娘だったんでしょ?

  〈灰嵐(はいらん)〉の戦乙女って呼ばれて、吸血鬼の間でも結構人気があったらしいわよ。もちろん私は、実物を見るのはこれが初めてだけど」


   彼女はちらりと煉の隣――150cmほどの背丈で眠たげに立っている少女の姿へと視線を送った。


  「思ってたより……小さいのね、こうなると」

   言葉にはわずかな戸惑いと興味が混じっていた。


 フェンリスは聞こえているのかいないのか、軽くあくびをして背伸びをしただけだった。


 煉はその様子を見て、しばらく黙ったままだったが――やがてリサへと目を戻す。


「……まさか、“あの言い方”で伝わるとは思ってなかった、か」


   皮肉のような声音に、リサは苦笑いを浮かべた。


「ええ、私もね。……でも通じたんだから、結果オーライでしょ?」

 彼女が軽く顎をしゃくり、後ろに停めてある車を指差す。

「さあ、乗って。陽が出る前に、出発するわよ」


 煉は無言で頷く。

   その横で、フェンリスがフードを脱ぎながら、面倒そうに口を開いた。


「車の中で寝ていい? ちょっと……疲れた」


「勝手にしろ」


 フェンリスはためらいなく後部座席に乗り込むと、シートに足を投げ出して丸くなった。


「おいおい、アンタどこまで図太いんだよ……」

   リサが半分あきれながら運転席に座り、ドアを閉める。


 煉も無言で後部座席に乗り込んだ。

 リサが特別に用意した遮光処理の空間――外光を完全に遮断した密閉型の後部シェルターだった。

 ドアを閉じた瞬間、夜の残光すら届かず、車内は薄暗く静かな照明に包まれる。

 エンジンが静かに唸る。


「で、目的地は?」

 リサが問うと、煉は持っていた地図をディスプレイに転送する。


「記憶の中で見た。フェンリスが逃げた通路、外の風景、光の角度――全部照らし合わせて辿った。

   ……ここだ。郊外の旧研究開発区の裏山。人間の開発計画から外されたまま、手付かずで残ってる」


 リサが唸るように頷く。

「よく調べたわね。じゃあ、夜になるまでは近くで待機。それまで仮眠でも取っときなさい」


 車はゆっくりと発進する。


 数分後、沈黙のなかで――煉がぼそりと口を開いた。


「……なあ。お前、本当にあの研究施設のこと……何も知らないのか」


「ん? 研究施設?」


 リサはルームミラー越しにちらりと煉を見やり、それから何事もなかったように前を向いた。

「悪いけど、初耳よ。……なんで?」


「いや……気にするな。こっちの問題だ」


 煉はそれ以上言わなかった。

   だが、胸の奥には拭いきれぬ違和感が残っていた。


 そのとき、後部座席の隅で身体を丸めていたフェンリスが、うつらうつらしながら煉の方へもたれかかってきた。


  「ん……いい匂い、する……」

   寝言のように呟いて、煉の肩口に鼻先を押し付ける。


  「おい、やめろ」

   煉は小さく呻きながらフェンリスを押し返したが、彼女は気にせずそのまま眠りに落ちていった。


 煉は疲れたように額に手を当て、再び静かに瞼を閉じる。


(……“記憶”が混じった? それとも――)


 胸の内に渦巻く違和感は、まだ晴れそうになかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ