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錬の名のもとに ―吸血鬼の復讐譚―  作者: 雪沢 凛
間章

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17/30

第17話 夜街に咲くもの

 霧のように薄く、冷たい風がロンドンの石畳を撫でていた。

  夜は深いが、街はまだ眠っていない。

  店の灯り、鉄の街灯、遠くを走るバスの音。

  人の影はまばらだが、空気には確かに「生の匂い」が残っていた。


 そんな通りを、煉とヴィオレットは並んで歩いていた。


 煉は黒いフード付きの上着を着て、フードを深く被っていた。

 顔の輪郭がほとんど見えないように、無意識に視線も下げている。

 まるで、夜の街に紛れ、誰の視線からも逃れようとしているかのように。


 吸血鬼としての「いま」の姿で、目的もなく街を歩くことに、

  彼はまだ慣れていなかった。

  それでも、隣を歩くヴィオレットの足取りはあまりに軽くて、

  その対比に、ほんのわずか息苦しさを覚える。


「……わざわざ外に出るような用があるとは思えないが」

  煉がぼそりと呟く。


「“用”じゃないわ。“気分転換”よ」


 ヴィオレットは傘を手に、ヒールの音も軽やかに歩を進める。

  相変わらず目立つ出で立ちだが、それ以上にこの街に溶け込んでいた。

  闇に馴染むのではなく、闇そのものを引き連れているような気配。


「この時間、人間もほとんどいないし。あなたでも気楽でしょう?」


「……どこへ向かってる」


「歩きながら考えるのが散歩の醍醐味よ。予定通りにならないのが一番楽しいんだから」


 煉は小さくため息をつくが、それ以上は言わなかった。

  夜風は冷たく、吸血鬼の体にはまるで痛覚のように染みる。

  それでも、街の景色はどこか――懐かしかった。


 しばらく歩いたあと、ヴィオレットがふと立ち止まる。


「ねえ、あれ見て」


 彼女が指差したのは、とあるショーウィンドウ。

  モダンな和服風のジャケットが飾られ、背後には日本の浮世絵を模したディスプレイ。

  横には「J-Modern / Tokyo Line」と記された看板。


「日本の“夜”も、こうして輸出される時代になったのね」

  「……どう? あれ、あなたに似合うと思わない?」


「は?」


「似合うと思うのよ。夜色の髪に、琥珀の瞳。

   それに、あなたの名前――『れん』って、日本の名前でしょう?」


 煉は一瞬だけヴィオレットを見返した。

  その瞳に、わずかな驚きと、微かな警戒が宿る。


「……お前、なんで知ってる」


「何を?」


「この“煉”という名前が、日本人の母親に付けられたものだってこと」


 ヴィオレットは答えず、かわりにショーウィンドウに視線を向け、肩をすくめた。


「最初はね、ただの勘よ。

   今の時代、姓を母方から取るのは珍しいし……何より、“煉”という字は、血に近い匂いがする」


 彼女はくす、と笑った。


「でも、あなたが初めて“私の血”を飲んだときに、わかったの。

   その名は、あの人が遺した誇り――あなたが、選んで背負ったものだったって」


「……」


「ふふ、思い出したでしょう?

 吸血のとき、記憶は流れるものよ。私ね、あなたの心を全部味わったの。

 子供の頃の声も、誰にも言えなかった怒りも、ぜんぶ、ね」


「……お前、最初から全部……」


「もちろん。あなたの“名前”だけじゃない。

 あなたが“なぜ、父方の名じゃなく、母の名を名乗っているのか”――

 それすら、あなたの中にあった。あなた自身は、まだ気づいてないようだけど」


 ヴィオレットは微笑を深めた。


「気になるなら、今夜のうちに少しずつ思い出してみなさい?

 あなたの“血”が知っているから。……私より、ずっと深くね」


「……お前、ほんと……言い方が気持ち悪いんだよ」


 煉は小さく嘆息し、目を逸らした。

 その目の奥に、一瞬――エミリーの名残がよぎったのを、ヴィオレットは見逃さなかった。


「……あら、エミリーのことを思い出したの?」


「……」


「だめよ。いまは私とデート中なんだから」


  彼女は軽やかにそう言い、少しだけ歩調を緩めて煉の隣に並ぶ。

「昔の女より、いま隣にいる“血縁者”に集中なさい。ね、子猫?」


 そう言いながら、ヴィオレットは煉のフードの端に指をかけ、まるで愛おしむようにそっとずらした。

  隠れていた琥珀の瞳が夜の光を受けて揺れるのを見て、彼女は静かに微笑む。

「ふふ……こんなに綺麗な目を隠すなんて、もったいないわ」


  「そんな目で何かを隠しても、私には全部見えてるのよ。……だからね、

  隠し事なんて、無駄よ?」

 その声音は、優しさとも挑発ともつかず、けれど確かに、彼の内側の何かに触れてくるものだった。


 煉は、その瞳をまっすぐに見返しながら、低く問いかけた。

  「……お前、自分が人間だったこと……まだ覚えてるか?」


 ヴィオレットは目を細め、ほんの一瞬だけ瞬きを落とす。

 その問いに、最初は肩をすくめるだけだった。


  「ええ? いまさらそんなこと聞くなんて……私に興味でも出てきたの?」


 その声音はいつもの調子――どこか挑発的で、冗談めいている。

  けれど、煉は顔をそらさず、低く言った。


「……わからない。ただ……」

  「どれくらいの時間が経てば、人間だったことを……忘れるのか、それが気になっただけだ」


 沈黙が一拍、夜の空気に落ちる。

  その後で、ヴィオレットはふっと笑った。

  けれど、その笑みに滲むのは、いつもの茶化しとは少し違う感情だった。


「――さあ、どうかしらね」

  「忘れる人もいるし、忘れたふりをしてるだけの人もいる」


 彼女は軽く首を傾け、ショーウィンドウに映る煉の姿をちらりと見やる。

  その横顔には影が差していたが、瞳だけは澄んでいた。


「でも……あなたは、なかなか忘れられないタイプだと思うわ」

  「ねえ、“れん”。あなたのその名前が、何よりそれを物語ってるもの」


「それが強さになるか、重荷になるかは……自分で決めなさい。子猫くん」


 その声はやさしく、どこかくすぐったいような響きだった。

  けれど、夜の静寂のなかで、確かに煉の胸に届いた。


 ほんの一拍の沈黙のあと、ヴィオレットはゆっくりと歩き出す。


 煉もそれに続き、二人は並んで夜の街を歩き始めた。

 ヴィオレットは歩調を合わせながら、少しだけ身体を寄せる。

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