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錬の名のもとに ―吸血鬼の復讐譚―  作者: 雪沢 凛
血霧の夜

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第16話 目覚め、静寂の中で

 暗がりの中、静寂だけが支配していた。


 煉は、微かな違和感と共に意識を浮上させる。

   意識が朦朧としたまま、瞼をゆっくりと開く。


 ――部屋の天井。外はまだ深い夜。

   カーテンの隙間からわずかに差し込むのは、街灯の冷たい光だった。


 寝具の感触。柔らかい枕。

   そして、何より――

   すぐ隣に感じる、かすかな体の気配。


(……まさか)


 煉は静かに視線を横へ向けた。

   そこには、眠るヴィオレットの姿があった。

   彼の肩に腕を絡め、まるで抱きつくようにして寄り添っていた。


 唇はわずかに弛み、銀灰の髪が頬にかかっている。

   まるで、何もかもが「当然」であるかのように。


(……動けない。いや、動きたくない、か……?)


 そんな葛藤の最中――

   彼女のまつげが震え、やがてゆっくりと開いた。


「……ふふ、おはよう。可愛い子猫くん」

 ヴィオレットは眠たげに笑いながら、片肘をついて身を起こす。

「ようやく目が覚めたのね。ずいぶん長く、ぐっすり寝てたわよ?」


 彼女はそのまま身を屈め、煉の額に手を伸ばした。

   指先が前髪をそっとかき上げ、額をなぞる。


「……ふふ、もう大丈夫ね。血の気も戻って、冷静になってる」


 くすぐったさと共に、妙な安心感が胸を満たす。

   煉は視線を逸らし、かすかに咳払いをしてから言った。


「……お前、なんで俺の隣で寝てんだよ」


「え? だってベッドの方が断然ふかふかでしょ?」


   ヴィオレットはさらりと応える。

  「それに棺はね、子猫専用。私はちゃんと、広くて柔らかいところで寝たいの」


「……子猫って言うな」


 煉は額を押さえて、深くため息をついた。

   だが、彼女は笑いを含ませたまま、今度は彼の肩へと視線を移す。


「……痛む?」


「……いや。もう、なんともない」


「じゃあ、ちょっと見せて」


 ヴィオレットは布団をめくり、彼の右脇腹――

   以前サリエルに抉られた部位に指先を滑らせる。


 すでに傷は塞がっているが、肌には淡く紅い痕が残っていた。

   彼女はその跡に、まるで宝石を扱うような優しい手付きで触れた。


「……“血影”を使ったのね」


 言葉は問いではなかった。

   穏やかだが、確信に満ちている。


 煉は視線を伏せ、低く答えた。

「……気がついたら、体が勝手に……。

   あれが何だったのか、正直まだよく分からない」


 ヴィオレットは微笑を浮かべたまま、指先で彼の胸元を軽くなぞる。


「ふふ……血は嘘をつかないわよ。

 あなたの“奥”には、ちゃんと刻まれてるもの」


 その言葉に、煉の記憶が揺れた。


 ――霧の中。

   自らの血が武器となり、視界を裂いたあの感覚。


 あの瞬間、たしかに「何か」が自分の中で変わった。

   だが、それが進化なのか――堕落なのか。


   煉はまだ、答えを見出せずにいた。


(……サリエルを、倒した。それは間違いない。でも……)


 煉は拳を握る。

   微かに、血の気配が蘇るような錯覚を覚えて――彼はわずかに眉を寄せて口を開いた。


「……あの時、俺……どうなってた?」


 ヴィオレットは、彼の問いにすぐには答えなかった。

 代わりに、指先を煉の首筋にそっと滑らせながら、からかうように囁く。


「何って……そうね。

 “彼女”に飛びかかって、首筋に牙を立てて、服を乱して、血を――」


「……」


「もう、どう表現すればいいのかしら。

 まるで、吸血衝動に身を任せた獣そのものだったわ」


 煉は無言で彼女を見つめた。

 その目には確かに一瞬、驚きが走ったが――

 次の瞬間、彼はすっと視線を伏せ、淡々と答えた。


「……それで?」


「え?」


「お前の“冗談”が終わったなら、本当のことを話してくれ」


「……ふふっ」


 ヴィオレットは肩をすくめ、小さく笑った。


「つまらないわね、反応が。

   ……大丈夫。ちゃんと止めたわ。

   リサは無事。あの子もなかなか根性があるじゃない?」


 煉はため息を吐くと、ベッドから足を下ろした。

「そうか。ならいい」


 立ち上がり、上着を手に取りながら、彼は尋ねた。

「……で、サリエルの残した情報は?」


「素っ気ないわね。もう少し“余韻”ってものを大事にしてもいいのに」


 そう言いながら、ヴィオレットはベッドの脇で足を組み、

   頬杖をついたまま煉の背を眺めていた。


 その時――

 煉の目に、床の上に転がる使い終えた血液パックが映った。


 外袋はしぼみ、周囲の空気にわずかな冷気だけを残している。

 彼がそれに目を落としたのを見て、ヴィオレットがくすりと笑う。


「――あら、気づいちゃった?」


「……これも、お前が?」


「ええ。あなたのために“用意”しておいたの」


「せっかく“供血者”になってくれそうな子がいるのに……

 お願いすれば、きっと血を差し出してくれるわよ?

 ねえ、活きた血って……本当に、強くなれるのよ?」


 煉は視線を落としたまま、無言で返した。

   けれどその背には、確かな意志が宿っていた。


「……もったいないわね」

   ヴィオレットの声には、どこか本当に“残念そうな”響きがあった。


「せっかく、牙を研いで牙を使えるようになったのに……

   まさか、“使うべき瞬間”から目を背けるなんて」


 煉は、静かに上着の襟元を整えながら答えた。


「……使うかどうかは、俺が決める」

  「誰の血を、何のために――それも、全部な」


 ヴィオレットは目を細め、唇の端だけで笑った。


「……いいわ。好きにしなさい。

   でも、“誇り”ってやつもね、あんまり硬すぎると……牙が折れるわよ?」


「そのときは――お前に削らせてやるよ」

 それは、短いが確かなやり取りだった。


 ベッドの上には、微かに残る気配と、冷えた空気の沈黙だけがあった。

   けれど、煉の足取りは、もはやその柔らかさに戻ることはなかった。

   彼の中にあるのは、ただ一つ。


   ――進むべき夜、その先の闇だけだった。


 その闇を、どこまで進めばいいのか――


   煉は、最後にもう一度だけ、背後の気配を振り返らずに尋ねた。

「……俺は、次に何をすればいい?」


 その問いに、ヴィオレットの声は、あくまで緩やかに、気の抜けた調子で返ってきた。


「急がないの。焦っても夜は逃げないわ」

  「私たちは吸血鬼。時間なら、いくらでもある」


「……意味が分からない」


「つまり――今夜は“休息”の番ってこと。明日はちゃんと予定があるから」


「……お前、さっき“休め”って言ったばかりだろ」


「そうよ? でも、“遊ぶ”のと“休む”って、全然違うわ。知らなかった?」


 煉は眉をひそめた。

   だが、ヴィオレットの口元には、いつものように読めない笑みが浮かんでいる。


「……好きにしろ」


「ふふ、そうするわ」


 ――そうして、夜がまた静かに深まっていく。

 それが、“次の狩り”の前、ほんの短い休息のはじまりだった。

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