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穴のないドーナツ

作者: Astah

 世界はひとつの巨大なうねりのように回り続けている.誰もが気づかぬうちにその一部となり,情報の流線上を漂う.皆,何かの”データ”に過ぎない.時代はカオスと無意味な無秩序に満ち満ちており,どこかで聞いたような言葉,どこかで見たような景色,そして誰もが抱える答えのない問いが,今日もまた消費されては消えてゆく.

 その日は何かが違った.ホームカミングデーの朝,教室の窓から見える景色が,まるで壁のように感じられる.無限の空が,突然四角く切り取られて,閉ざされた空間に引き込まれてゆくかのように感じられた.隣に座るクラスメートの顔も,少しずつその輪郭が曖昧になり見覚えのない人物に代わってゆく.意味を失ったそのぶよぶよした塊に,多少の嘔気を催す.空気が,呼吸するごとに引き締まってゆく感覚.--ああ,これが日常という牢獄の中で何もかもがルーチンとして繰り返されている証拠だと,確信した.

教室が沈黙に包まれたまま,教壇の男が口を開く.「君ら,何を思ってこの乱世の時代に生まれてきたんや.永久の輪廻から解脱しようとは思わへんかったんか」.男が言う.その目は深海魚のように冷たく,しかし確固たる意志を持って我々を覗き込む.男はさらに続ける.「ほいでやな,みんな学校にテロリストが来るゆう妄想したことあるけ.お,君あるんか,おお,おお」.「さっき図工室に”これ”,落ちてました.いまから”これ”で皆さんを殴って消し--」.

 「--というようなことが実際に起こった時なら皆さんならどうしますか.授業がなくなってほしい.学校は吹き飛んで果たしてその原因は妄想が原因で妄想が同じですか.日々の積み重ねが大事やから一生の積み重ねから大事にしてください.ピンチに打ち勝つチャンスは継続できるからピンチに打ち勝つチャンスを掴むんや」.「わしはといえば,無人兵器のAIの独自の開発やったっちゅうわけや.ほいでその総数が...総数?SNSの総フォロワー数?なんで足すねん!積集合になっとるやろがい!フェイクニュース拡散罪や!」.男の左手薬指第二関節が震える.

「わしはそこで神を見た!この世の奇跡がそこにあった!」.生徒たちは退屈そうな顔で窓の外を眺める.

「ところで,みんな,窓側好っきゃな.外の景色がそないええか.自由があって,太陽があって,楽しそうやな」.--「そはほんまか?」

「歯列矯正をしている人は,ガムを食べるのを禁止される.そして歯列矯正が終わった後も,ガムを食べない.AI使うより人間使った方が安い.人類の時給は300円の時代や.”脳死で~する”っていう表現はある日突然炎上するし,人工知能という言葉はそのうち差別用語になる.2060年の健康診断には鼓動より早い通知音を鳴らすスマホ依存度チェックが含まれるし,エコバックを忘れて焦る政治家の妾は地球の心配より明日の夕飯の心配をしている.これらは,それや」.あまりに現実的で奇妙な未来像.

「ほな,木星行快速来たみたいやから,帰るわ.はっはっは,草草草」

空間が歪んでいるのを感じる.教室の床が波打ち,空がひとしずくのインクのように滲んでゆく.時間そのものが引き伸ばされ、消えていく感覚だ.男の発した言葉の断片が脳内で螺旋を描く.彼の語った「未来」は,もはやただの観念ではなく,現実そのものに溶け込んでいる.誰もが知っているはずの場所が,知らない場所に変わり,私たちの体もまた,その場所の一部となり,徐々に消失してゆく.

「もし君が今,この瞬間を永遠に繰り返すことができたなら,どうする?」


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