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第五十話 一学期初日

 新春の風が校庭をいたずらに吹き抜け、期待に胸を弾ませる学生たちが押し寄せる蜂ヶ海学園。さっきまで手にしていた、車椅子の感触がまだ掌にじんわりと残っている。その余韻を噛み締めるように、私は自分の歩調をゆっくりと昇降口へと向かっていた。

 

 すると唐突に私の肩へ、自分のものではない重みが預けられた。


「おっはよ~、甘野さん!」


 耳元ではじける快活な声に、私は肩越しに見えた腕を器用にすり抜けさせながら背後の人影を振り返る。そこには松島が私の反応を値踏みするように目を輝かせ、子犬のように小刻みに跳ねていた。


「おはよう、松島さん」


 私なりに精一杯の愛想を振りまいたつもりだったが、直後に頭の上へぽん、と温かい掌が載せられた。驚愕して再び振り向くと、そこには林間学校以来の付き合いであるクラスのリーダー格・・・沢柳ノノアが、相変わらずの爽やかな笑顔で佇んでいる。


「どうしたの、浮かない顔して。何かあったら、私達に相談しなよ?」


「あ、ありがとう・・・」


 悩んでいるつもりなど毛頭なかったけれど、無意識に耳の奥で再生される車椅子の轍が砂利を噛む音が、私の表情を新学期にふさわしくないほど沈ませていたのかもしれない。私は彼女達の手に引かれるようにして、喧噪の渦巻く昇降口をくぐった。


 ローファーを履き替え、掲示されたクラス名簿の前に立つ。自分の名前を探すより早く、再び松島が背後から抱きついてきた。その勢いにたたらを踏みそうになると、彼女は歓喜の声を上げながら名簿の一角を指さす。


「やった! 私たち、また同じクラスだよ!」


「ほ、本当だ…」


 示された二年四組の無機質な文字列の中に、私の名と松島、沢柳の名が並んでいる。運が良いのか悪いのか、今年も彼女達に巻き込まれる生活を覚悟しなければならないようだ。



「よし! 今年も楽しくなりそうじゃん!」


 にこやかに笑う沢柳の後を追い、私たちは真新しい二年生の教室へと向かう。廊下を曲がると、塗りたてのワックスの、鼻を突くようなツンとした匂いが漂ってきた。開け放たれた教室の扉が全貌を晒している。


 教卓には見慣れすぎていて、もはや吐き気すら覚えるほどの人影が他のクラスメイトと談笑していた。白いワイシャツ姿で手慣れた様子で髪をまとめた彼女は、まごうことなき犀川先生だった。


「えぇ~!?担任、また犀川先生なの~!?」


「そうですよ~。皆さん、今年も仲良くしてね~」


 松島さんが駆け寄って目を輝かせる傍ら、隣の沢柳が深いため息を吐いて私に同情の視線を向けてくる。


「今年もかぁ…二年連続だね、甘野」


「そ、そうだね…」


 気まずい沈黙を噛み締めながら、私は黒板の座席表に従って自分の席に腰を下ろした。周囲を見渡せば、顔見知りは松島と沢柳くらいでほとんどが初対面だ。それなのに私が着席した途端、周囲のクラスメイトたちが次々と話しかけてくる。


 去年までの私には想像もできなかったこの光景に困惑していると、チャイムが鳴って犀川先生が教卓で名簿を広げた。


「では、出席を取ります」


 クラス中の視線が教卓へ集まると、先生は名簿を慈しむように見つめて一人ひとりの名前を、まるで愛情を込めるようにゆっくりと読み上げていく。その過剰な丁寧さが、円滑さに欠けてもどかしい。


「えっと…大石さん!」


「…早くしろよ」


 あ行を終えるだけで数分を費やす先生の点呼に、私は苛立ちを隠せなかった。よりによって今年も彼女が担任だなんて・・・これからの一年間を想像するだけで、指先から寒気が止まらない。


 一刻も早く自分の名前を呼ばれ、この緊張から解放されたい。そう願っていた私の耳に届いたのは、想定外の名前だった。


「次は…喜来さん!」


「…は?」


 犀川先生が、私の名前を飛ばしたのだ。


 一年間どころか、私が幼い頃から付き合いのある彼女が私の名前を見落とすとは、つまらない冗談だとしても質が悪すぎる。頭が真っ白になり周囲をキョロキョロと見渡してしまった私を救ったのは、後方の席から手を挙げた松島だった。


「ちょっと、先生~!甘野さん飛ばしてますよ~!」


 指摘された先生は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で名簿を見直し、それから慌てて瞳孔を揺らしながら私の顔を見つめた。


「えぇ…?うわっ、本当だ!ごめんなさい、甘野さん!」


「…は、はい」


 嫌がらせではないかと思えるほどの不自然さに、胸の中に釈然としないモヤが広がる。結局そのわだかまりを抱えたままホームルームは終了し、先生は時計をチラリと見て指示を出した。


「それでは始業式ですので、ホールへ移動してくださいね~」


 そそくさと教室を去る彼女の背中に、思わず心の中で舌打ちをする。すると遠くの席から松島と沢柳が、笑いをこらえきれないといった様子で近寄ってきた。


「災難だったね~。担任に名前を飛ばされるなんて、ある?」


「だよね。去年からずっと一緒なのに。運が悪いのかもな!」


「あ、あははは…」


 沢柳の慰めるような手が背中を撫で、私はぎこちない笑いを返す。先生のあれが冗談ならまだ救いがあるが、教卓での彼女はいつになく真剣だった。それが余計に不可解でならない。


 飲み込めない違和感を抱えたまま私は二人に手を引かれ、蜂ヶ海ホールへと連行された。


 高等部の全生徒と教職員がひしめき合うホールで学園長の長く退屈な講話を聞いていると、抗いようのない睡魔が押し寄せてくる。周囲を見渡しても真面目に聞いている生徒などおらず、私も夢の世界へ足を踏み入れようとした時だった。


 話し終えて満足げな学園長が舞台袖へ消え、私は反射的に姿勢を正す。次は生徒会長の挨拶なので、白崎先輩のくだらない話が始まるのだ。身構える私をよそに、司会の生徒会役員が戸惑った様子でマイクへ向かった。


「次は生徒会長の挨拶…の予定でしたが、欠席のため、副会長の挨拶となります」


「あの男は、また…」


 昨年度の三学期始業式に続き今日も欠席とは、なんたる体たらくだ。けれど、そういえば彼は犀川先輩へのプレゼントを全国を巡って探してくると豪語していた。何か良からぬ企みではないことだけが、せめてもの心の支えだった。


 思考にふけっていた私の耳に、舞台袖からあの音が聞こえてきた。硬い床を転がる、規則的な車輪の回転音である。


 登壇したのは、姫山先輩が押す車椅子に乗った犀川先輩だった。マイクの前に据えられた彼女の姿が目に入った瞬間、ホールは悲鳴に近いざわめきに包まれた。


 私は悟った・・・春休みから事情を知っている私や姫山先輩にとっては日常の一部でも、一般の生徒たちにとって、彼女の変貌は衝撃以外の何物でもないのだ。


「え…車椅子? どういうこと…?」


「何かあったのかな、犀川先輩…」


 止むことのない動揺がホールを支配する中で犀川先輩は焦る様子もなく、むしろ注目を楽しむようにマイクを引き寄せた。


「皆さん、落ち着いてください。私は春休みに、交通事故に遭ってしまいました」


 その一言で、喧噪はさらに加速する。しかし彼女は自嘲気味に、けれどどこか誇らしげに自分の足を指さし、にこやかに補足した。


「ですが、今日もこうして元気にマイクを握っています。皆さんも、体調管理にはくれぐれもご注意くださいね」


「…誰が言ってるんですか、全く」


 気遣われるべき本人が何を言っているのか、一度鏡を見てから発言してほしい。

 

 けれど副会長としての責務を平然と全うする彼女の横顔に、私はやはり抗いようのない強さを見て、密かに安堵の息を漏らすのだった。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!


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