第四二話 カラオケ
薄暗い密室の中で、モニターだけが青白く発光するカラオケのワンルーム。重たい防音扉を押し開けてまず空間に侵入したのは、テンションが最高潮に達した犀川先輩だった。
「よっしゃー!カラオケじゃー!歌うぞー!」
マイクを片手に猛獣のように宣言する彼女の背中を追って、姫山先輩と私が入室する。少し遅れて、ドリンクを載せた盆を運ぶ白崎先輩がやってきた。
「カラオケなんて、何年ぶりかしら」
「ほら、みんな。ドリンクバーで注いできたから、好きなものを選んでくれ」
「あ、ありがとうございます。白崎先輩」
それぞれが吸い込まれるように備え付けのソファへ腰を下ろし、冷えたグラスを手に取って乾杯する。モニターに映るアーティストのインタビュー映像を背景に喉を潤していると、私の隣に犀川先輩が滑り込んできた。
「でも、本当によかったよ~。ゆいなが良い点取れてさ」
不意に子供をあやすような乱暴で優しい手つきで、彼女は私を撫でた。いつもなら照れ隠しで拒絶していたはずなのに、恋心を自覚してしまった今の私には彼女の体温が心臓まで突き抜けるほど熱く感じた。
「あ、ありがとうございます…先輩方のおかげです」
私の返却された期末テストの点が良いことを口実に計画されたカラオケなので、主役はあくまでも私だという視線が突き刺してくる。頬に集まる熱を誤魔化すように視線を逸らすと、先輩が私の顔を覗き込んできた。至近距離で見つめる爛漫な瞳に胸の高鳴りが限界を超えそうになり、私は気を紛らわすように目の前のマイクをひったくるように掲げた。
「じゃあ、誰が最初に歌いましょうか…っ」
震える声で提案すると、対面に座る白崎先輩が唸るように首を傾げた。
「一曲目を歌うのって、勇気がいるよね」
「何言ってるのよ、最適な人材がここにいるじゃない」
優雅な手つきでタッチパネルを操作していた姫山先輩が、ペン先で犀川先輩を指した。すると犀川先輩は私の手からマイクを奪い取り、誇らしげに胸を張る。
「はーい!切り込み隊長、いっきまーす!」
流れるように予約が入り、モニターに楽曲タイトルが表示された。期待に目を輝かせる私たちを前に、彼女が繰り出したのは『Won(*3*)Chu Kiss Me!』というアニメ主題歌である。
エレクトロニックなイントロが響き渡るや否や、彼女は小悪魔的な色気をはらんだ声で、流暢に歌い出した。それを聴いた姫山先輩は、記憶の糸を辿るように眉を寄せる。
「なんだっけ、この曲…」
「確か、アニメの主題歌でしたよね」
「いいね。犀川さんの愛らしさにぴったりじゃないか」
気分を否応なしに浮き立たせるアップテンポな曲調に、自然と身体が揺れる。独占欲を隠さない可愛いの暴力のような歌詞に、普通の歌手なら赤面してしまいそうなフレーズも、彼女は羞恥心を捨てて天真爛漫に歌い切ってみせた。
「うっひゃ~、疲れた~!この曲、本当は六人で歌うやつだからね!」
「よく歌いきりましたね…さすがです、先輩」
へとへとになった彼女に、労いを込めてグラスを手渡す。ソフトドリンクを一気に飲み干した犀川先輩は、その勢いのまま隣の姫山先輩にマイクを突き出した。
「よし、次はちぐさだよ!」
「え、私…?」
戸惑いながらもマイクを受け取る姫山先輩・・・お嬢様育ちの彼女が、一体何を歌うのかは気になるところだ。
「姫山先輩って、普段はどういう曲を聴くんですか?」
純粋な疑問をぶつけてみると、彼女の傍らで足を組んでいた白崎先輩が鼻で笑った。
「オペラとかじゃないかな」
「適当なことを言わないで、白崎!」
彼を睨みつけ、姫山先輩はマイクの先端を頬に押し当てて抗議する。だが無情にもモニターに表示されたのは、indigo la Endの『名前は片想い』だった。
邦ロックという意外な選曲に、私たちは一斉に感嘆の声を漏らした。
「indigo la End…良いセンスじゃないか」
「へぇ~、ちぐさってこういうのも聴くんだね」
「ですね。クラシック専門かとばかり…」
「あんたたち、好き勝手言いすぎよ…」
吟味するような白崎先輩の視線を振り払うように、彼女はイントロに合わせて足でリズムを刻んだ。洗練されたギターリフに乗せて、切なくもキャッチーなメロディが紡がれる。その凛とした歌声に、私たちは息を呑んで聞き入ってしまった。
演奏が終わると彼女は小さく溜息をつき、グラスを傾ける。犀川先輩が、とろんとした瞳で彼女を見つめた。
「いや~、エモいね。ちぐさに似合ってたよ」
「それ、褒めてるの?」
複雑そうな表情を浮かべる姫山先輩の肩に、白崎先輩が親しげに腕を回す。
「流石だよ。惚れ直した」
「なんであんたはずっと偉そうなの? あと、二度と惚れないで」
鬱陶しそうに彼を引き剥がそうとする姫山先輩。そのあまりに遠慮のない距離感に、私は気になっていたことを口にした。
「…白崎先輩って、姫山先輩にフラれたんですよね?」
告白して撃沈したのは事実だが、二人の空気にはそんな気まずさが微塵も感じられないのだ。すると、彼らは互いの顔を見合わせてから当然のように頷く。
「うん、間違いなくね」
「ええ、そうよ」
「なんでそんなに仲良しなんですか?少しは気まずくなるかと思ってましたけど」
困惑する私に、姫山先輩は微笑みながら白崎先輩の頬を指先で突いた。
「私達、腐っても幼馴染だもの。ちょっとやそっとじゃ、気まずくなったりしないわ」
長年積み重ねた信頼が生む距離感に納得しかけたその時、白崎先輩がマイクを奪い取った。
「では、僕は失恋の哀しみでも歌おうかな」
「ちょっと、どういう意味よ!」
ツッコミを無視して彼が選んだのは、back numberの『ブルーアンバー』である。哀愁漂うアコギの音色に、彼は普段の活発なトーンとは違う、湿り気を帯びた大人びた声で歌い始めた。
「へぇ、back numberか…」
「白崎のくせに、いい選曲じゃない」
今にも泣き出しそうな、痛切なまでの感情を込めた歌唱が空間を包む。その必死な姿には、惹かれる女子の多いことだろう。この場に私達しかいないことが、唯一の救いだった。
「やっぱり、イケメンは歌も上手いんですね…」
素直な感想が漏れると、歌い終わりに白崎先輩は自信たっぷりでこちらを振り返った。
「…どうだったかな、僕の歌は」
「腹立つけど…良かったわよ」
「最高だった~! さすがヒカリ!」
不服そうな姫山先輩と、素直に褒め称える犀川先輩の温度差に吹き出しそうになっていると、唐突に目の前にマイクが差し出された。
「じゃあ、最後は甘野さんだね」
「えぇっ!?私ですか!?」
「そりゃあね。ここに来て一曲も歌わずに帰れるわけないだろう?」
逃げ道を塞がれ、先輩方の期待に満ちた眼差しに射抜かれる。腹を括った私は、やけっぱちでタッチパネルを操作した。
ランキングや新着の楽曲を覗いてみるが、私に似合いそうな曲とは出会えない。結局選んだのは、最近繰り返し聴いていた米津玄師の『がらくた』だった。
「米津玄師か…」
「彼の曲は難しいけれど、大丈夫かしら…」
心配そうな声にマイクを握る指が強張ったその時、隣の犀川先輩が優しく微笑みかけてくれた。
「大丈夫だよ、ゆいななら歌いきれるはず!」
「は、ハードル上げないでくださいっ!」
照れ隠しの叫びと共に、メトロノームの音がカウントを刻んだ。文学的で、泥臭い感情が渦巻くブルースに、最初は文字を追うだけで精一杯だった。けれど歌い進めるうちに、自然と私の肩が曲に合わせてリズムを取り始める。
ボーカルの感情が爆発しそうな歌唱を真似ながら必死に歌い繋げていると、いつの間にか最後の音が消えるまで歌い切っていた。
脱力感に襲われてソファに深く沈み込むと、首筋を熱い液体が伝った。
「…ど、どうでしたか?」
息を整えながら周囲を見ると、先輩たちの様子が明らかにおかしかった。皆、両手で顔を覆ったり俯いたりしている。
「う、うぅ…」
「な、なんで皆さん泣いてるんですか!?」
驚くことに、犀川先輩どころか白崎先輩や姫山先輩まで涙を浮かべている。下手すぎて呆れられたのかと不安になり犀川先輩を覗き込むと、彼女は堪らずといった様子で私を抱きしめてきた。
「だってぇ…ゆいなが泣きながら歌うんだもん…っ」
「…へ?」
慌てて頬を触ると指先に触れたのは、汗ではなく熱い涙の跡だった。無意識だった・・・目頭が熱くなっていることにも気づかないほど、歌に心を乗せてしまっていたらしい。
「最高だったわ…甘野さん」
「うん、ブラボーだ!」
対面で拍手を送る二人の表情はどこまでも温かかったけれど、それ以上に心臓を跳ねさせたのは、肩に回された犀川先輩の腕の強さだった。
顔が火を噴きそうなほど熱くなる中、彼女はマイクを私達の間に割り込ませる。
「よし、ゆいな! 一緒に歌おう!」
「甘野さん、私もよ!」
「もちろん僕もだ!」
強制的に手を引かれながら選曲されたのは、四人で歌うにはあまりに賑やかすぎるナンバーだった。意思に反したモニターが、私を追い詰めるように演奏の開始を示す。
「ま、待ってください!た、助けて~!」
一つのマイクを四人で奪い合い、肩を寄せ合う異様な光景に助けを求めても、防音の壁に守られたこの小部屋で私の悲鳴が外に届くことはない。
先輩達の熱気と混ざり合う香りのなかで、私は目を回しながら残りの時間を過ごし続けることになったのだ。
作者の『月雲とすず』です!
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