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第三四話 球技大会

 忌々しき期末テストが明け、蜂ヶ海学園の高等部は球技大会の熱狂に包まれていた。女子バレーボールが行われている体育館は、今や息をつく余地もないほどの人だかりだ。


 コート内では二年生の決勝戦が佳境を迎えていた。私が上部通路から見下ろす先には、この異常な観客動員数の元凶である二人の先輩が躍動している。


「はい、あやみっ!パスっ!」


「わかりましたっ!とりゃっ!」


 高く上がったボールを鋭いスパイクで叩きつけたのは、犀川先輩だった。今日の彼女は裸眼のままで艶やかな黒髪をポニーテールに束ねている。着地した彼女へ、チームメイトの姫山先輩が親指を立てて笑いかけた。


「ナイスよ、あやみ!」


「ありがとうございます、姫山さん」


「犀川先輩…すごいな」


 普段の理知的で、小悪魔な姿からは想像もつかないほど、彼女の動きはしなやかで力強い。弾ける汗が光を反射し、裸眼の瞳が獲物を狙う鷹のように鋭く光る。学園のマドンナとカリスマの共演に、体育館は張り裂けんばかりの歓声に揺れていた。


 試合終了のブザーと共に、二人がこちらへ歩いてくる。私はあらかじめ自販機で買っておいたスポーツドリンクを差し出した。


「お疲れ様です、先輩。惜しかったですね」


「ありがとうございます、甘野さん。残念ですが、結果は結果ですから」


「ほんと、惜しかったわ…悔しいけど、あっちのチームも気合入ってたもの」


 僅差での敗北だったけれど、彼女たちに暗さはない。むしろ、負けてなお凛とした二人の姿に周囲のファンが色めき立っている。


「そういえば、男子の方はどうなっているのかしら?」


 姫山先輩がふと外を仰ぐと、犀川先輩がボトルを口から離して応じた。


「今は、白崎会長のチームがプレイ中だそうですよ。ファンの子が多すぎて、サッカーコートの周囲が埋め尽くされているみたいですが」


「そう。さすが白崎ね」


 白崎先輩の名前が出た瞬間、私の脳内に例の件がフラッシュバックした。確か私たちが映画に行っていた裏で、彼は姫山先輩をお家デートに誘っていたはずだ。


「ひ、姫山先輩…この前、白崎先輩の家に行ったんですよね?」


「ええ、お邪魔したわよ」


「その…どうでした?白崎先輩」


 恐る恐る尋ねる私に対し、姫山先輩は迷いなく、ポニーテールを勢いよくなびかせて言い放った。


「告白されたけど、振ったわよ」


「ふ、振ったんですか…」


 あまりに潔い即答だった。学園のプリンスが惨敗した事実に戦慄していると、姫山先輩は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。


「だって、あいつ…私に成人向けビデオを見せながら告白してきたのよ?ときめきより困惑が勝つに決まってるじゃない」


「そりゃ、そうですよね…」


 やはり、あの作戦は暴挙でしかなかったのだ。幼馴染にアダルトビデオを見せてムードを作ろうなど、非現実的にも程がある。協力した身としては、申し訳なさと共に納得が勝った。

「ええ〜、お似合いだと思ってたんですけどね」


「何を能天気に言ってんのよ、あやみ…」


 幼馴染二人のそんなやり取りを聞き流しながら、犀川先輩が飲み干したペットボトルを私に手渡す。制汗剤の爽やかな香りが、彼女の熱と共にふわりと届いた。


「そういえば、次は一年生の番ですよね。甘野さんは出場するんですか?」


 期待のこもった視線を向けられ、私は激しく首を横に振った。


「い、いえ…私はベンチですよ。さすがに、誰も私を推薦なんてしませんから」


 先輩たちが不満げな顔を浮かべたその時、焦った様子の犀川先生が駆け寄ってきた。


「ごめんなさい、甘野さん。ちょっといいかしら?」


「どうしました?お母さん」


「犀川先生です!それよりお願いがあるの…」


 娘のボケを秒でツッコむつばめ姉が、私の瞳を射抜くような圧力で覗き込む。


「実は、出場メンバーの一人が転んでしまって…よければ、代わりに出てくれない?」


「…はい?」


 拒否権などなく、気づけば私は強制的にコートの隅へと立たされていた。ネット際ではチームメイトたちが円陣を組んでいるが、私はその輪にすら入れない。


「頑張れ〜!甘野さ〜ん!」


 心細さに涙目になっていると、頭上から声が降ってきた。見上げれば、通路から姫山先輩が身を乗り出して叫んでいる。その隣では犀川先輩が眼鏡もかけず、じっと祈るように私を見つめていた。


「それでは試合、開始!」


 審判役の実行員によるブザーが鳴り、試合が始まった。数分が経過するも、私と相手チームの実力はほぼ互角である。


「オッケー!いったよ、まり!」


「わかった!とうっ!」


 セッターの上げたボールを、松島が叩き込む間も私は、コートの隅で存在感を消して小さくなっていた。私という欠員もどきがあるはずなのに、むしろチームはいつもより結束しているようにさえ見える。


「残り一分で、同点…」


 しかし攻防が続くにつれて完璧な連携を見せる相手チームに対し、こちらの体力は削られていく。松島たちの肩が激しく上下しているのを見て、申し訳なさが胸を突いた。


「これで…トドメだっ!」


「ちょっと待って・・・きゃあっ!」


 相手チームの渾身のアタックに、ネット際の松島がボールを捉えきれずコートに崩れ落ちた。


「まりっ!まずい…誰もいない!」


 剛速球は横たわる松島を越え、隅で大人しくしていた私の正面へと迫る。


「え…えぇ!?」

 

 瞬きする間もなく、ボールは私の目と鼻の先にまで接近していた。私がここでミスをしたところで、責められることはないのだから避けてしまおうとも考えた。


 しかし、逃げようとした私の背中を上空からの絶叫が押しとどめた。


「甘野さん!いっちゃえーーっ!」


 喉を潰さんばかりの姫山先輩のエールが私を貫く。そして隣で、犀川先輩が胸の前で手を握りしめ、私の名前を紡いでいた。


「…ゆいな」


 その唇の動きを見た瞬間、私の思考は限界を突破した。その間にも、ボールの勢いは止まらなかった。


「もう、どうにでもなれぇーっ!」

 

 自暴自棄の叫びと共にぎこちなく腕を突き出すと、バチンッと衝撃が走った。涙が出るほど痛かったが、折れる寸前の根性でボールを空高く跳ね上げた。


 ボールは体育館の天井近くまで高く舞い上がり、全観衆の視線を奪った。そして重力に従って落下したそれは、ネットを越えて相手コートのど真ん中へ、無慈悲に叩きつけられた。


 鼓膜が破れてしまったのか錯覚するほど思い静寂が場を包む。ボールが虚しく跳ねる音だけが響き、やがて終了のブザーが沈黙を切り裂いた。


「試合終了ーっ!」


「…は?」


 何が起きたか理解できず、私はその場に立ちすくむ。得点板が動いた次の瞬間、鼓膜が破れるほどの歓声が爆発した。


「七対、八・・・ということで、一年四組の勝利です!」


「か、勝った…?」


 けたましい歓声に呆然とする私へと、一人の少女が猛烈な勢いで飛びついた。


「甘野さ〜ん!」


「ま、松島さんっ!?」


 押し倒された私の胸に、松島が顔を埋めてくと制汗剤の香りがツンと鼻を突く。彼女がゴールデンレトリバーのようにじゃれついてくるのを必死で引き剥がそうとしていると、クラスのリーダー格の女子が近づいてきた。


「あなたが、甘野さん…?」


 床に転がったまま見上げると、彼女は林間学校の際に同じ班だった女子と同一人物であった。勝手な行動に叱責されるのかと怯えていたが、彼女はやがて堪えきれないように吹き出した。


「ふっ、ははは!どんな根暗かと思ってたけど、意外とやるじゃん!」


 彼女が差し出してきた手を見て、私は悟った。影の薄い生活を送っていた私が、再び光の中に引きずり出された瞬間だったのだ。


 久しぶりの感覚に困惑していると、他のチームメイトや相手チーム、周囲の観客までもが雪崩のように押し寄せてきた。


「甘野さん!すごいよ!」


「さっきのどうやったの? 教えて!」


 蜂ヶ海学園に入学して以来、味わったことのない注目の熱に、私はひどい人酔いを起こしそうだった。


「いや、あの、ちょっと!助けて〜!」


 狂乱の体育館に、私の悲鳴が虚しく響き渡る。


 結果として決勝には届かなかったけれど、この日を境に私の評価が決定的に変わってしまったことだけは嫌というほど理解できた。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!

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