第三一話 レンタルビデオ店
授業終わりの放課後、私はとあるレンタルビデオ店を訪れた。中古ショップを兼ねる店内には安っぽいスピーカーから流れる流行歌や映画予告が入り混じり、ひどく耳障りだ。
私は棚に並ぶビデオの背表紙を指でなぞりながら、目的を失ったゾンビのように通路をさまよっていた。
「ええと…あの映画は、ロマンスの棚だから…」
ふと無性に、見返したくなったロマンス映画を探しに来たのだが、見つかる気配がしない。膨大なパッケージの海に視線を酔わせていると、不意に肩へと確かな衝撃が走った。
「あ…っ」
角を曲がった拍子に、誰かとぶつかった。謝罪の言葉を口にしようと顔を上げるとそこには、この場に似つかわしくないほど、おどけた顔が立っていた。
「か、甘野さん…」
白銀のような髪を揺らして立っていたのは、白崎先輩だった。私の顔を見るなり獲物を見つけた子供のように口角を上げた彼を見て、私の背中に冷たい汗が伝わる。
「し、失礼します…」
直感的な危険を感じて身を翻したが、私の腕を白崎先輩の手が強引に引き留める。その指先の力は、今まで見てきた彼のどの振る舞いよりも必死で強固だった。
「待ってくれたまえ、甘野さん! ちょうどいいところに顔を見せるじゃないか!」
「離してください、白崎先輩!」
この人と関わると、ろくなことにならない。本能的な自己防衛に従って必死に抗ったが、先輩は私を離さなかった。
「そんな冷たいことを言わないでくれ! 君にしか頼めない、一生のお願いがあるんだ!」
「どうせ、ろくなことじゃないんでしょう!」
監視カメラだけが冷ややかに見下ろす店の隅で、しばしの攻防が続いた。ようやく腕が放されたかと思うと、今度は白崎先輩が信じられないほど深く、丁寧な動作で私に頭を下げ始めた。
「…本当に、君にしか頼めないんだ。手伝ってほしい」
その声は白崎先輩にしては珍しく、真剣だった。実の両親を人質に取られているのかというほど険しいその表情に、私は思わずため息を吐く。
「…わかりましたよ。それで、何をすれば良いんですか?」
私が折れると、先輩はぱっと顔を輝かせ、今度は熱烈に私の両手を握りしめた。語り始めた悩みはカリスマ性に似合わない、ひどく初心なものだった。
「実はこの週末…姫山さんを自宅に迎えることになってね。その時に鑑賞するビデオを、一緒に選んでほしいんだ」
この男は学園中の女子を虜にするくせに、自分の恋路となれば途端に知能が退行するらしい。ただ大勢のファンに見向きもせず、姫山先輩だけを一途に想っている点だけは、認めざるを得ないのだが。
「お家デート、というわけですか…いいでしょう。姫山先輩の好みに合う映画なら、私が選びます。彼女がどんな系統が好きか知っていますか?」
生粋のお嬢様で、頭の切れる姫山先輩だ。さぞかし格式高い名作や、難解な芸術映画を好むのだろう・・・そう予想した私を、先輩は無言で力強く首を横に振った。
「…実は、今日見に来たのは映画ではないんだよ」
「…はい?」
困惑する私を導き、先輩が向かったのは店の最奥である。厚手の重々しい黒いのれんの向こう側だった。そこに広がる文字通りの桃源郷に、私は即座に両手で顔を覆って火が出るほど赤らめた。
「なんで・・・お家デートで鑑賞するのが、エッチなビデオなんですか!」
目の前には、欲望のままに並べられた成人向けビデオの光景が広がる。周囲の男性客は、品評会のような眼差しでパッケージを吟味していた。
「彼女は生粋のお嬢様だろう? そんじょそこらの普遍的な映画は見尽くしているはずだ。ならば、あえて庶民的で、かつ刺激的な映像を見せるのが効果的だろう!」
「馬鹿なんですか?ねぇ、馬鹿なんですか?」
唐突に大人の聖域に放り込まれた私。人生で味わったことのない疎外感と、隣のイケメンに対する猛烈な蔑みを込めて罵倒したが、彼は動じなかった。真剣な顔で棚からビデオを抜き取っては、裏面の詳細を確認してまた戻す。
周囲の客たちは、場違いな白崎先輩の姿に一瞬しらけた目を向けたが、彼の放つ謎の威圧感に気圧され、再び自分の欲求へと没頭していった。
「ビデオがクライマックスを迎えた瞬間、すぐさま愛の告白…完璧だ」
「下心と呼ぶのもおこがましいですよ!…本当にこの人、生徒会長なのか?」
あの姫山先輩が、こんなビデオを見てときめくはずがない。目の前の、ネジが完全に飛んでしまったイケメンを眺めながら、私は頭痛を覚えた。
しかし、選別に勤しむ先輩の姿はあまりに必死だった。協力すると言ってしまった手前、棒立ちなのも悪い気がして、私はしぶしぶ視線を棚へと落とした。
男の幻想を詰め込んだパッケージを眺めていると、不思議なことに姫山先輩の特徴をどこか彷彿とさせる女優がいくつも見つかった。
「…先輩、これとかどうですか?」
とりあえず、彼女の雰囲気に近そうなものを三つほど手渡してみる。
「…これ、は?」
受け取ったビデオを凝視し、眉間にシワを寄せる先輩に私は解説を加えた。
「これが褐色モノ、こっちが陸上部モノ、最後にお嬢様モノです」
私がシチュエーションを丁寧に補足するたび、白崎先輩の頬が赤色に染まっていく。心なしか彼の腰はいつもの堂々とした構えではなく、へっぴり腰のように引けていた。
「…ド直球すぎやしないかい?これでは、僕がそういう展開を望んでいるようではないか」
「え?違うんですか?」
てっきり、ビデオの勢いを借りて一線を越えるつもりだと思っていた。意外なまでの純情さに拍子抜けすると同時に、私は改めて彼を哀れみの目で見つめた。
「…これとか、いいんじゃないかな」
「…女性同士、ですか」
白崎先輩が指し示したのは、意外にも女性同士が肌を重ね合う作品だった。白崎先輩が告白するための景気づけとしては、いささか逆効果な気がするが。
「いいんですか? これを姫山先輩に見せるんですよね?」
「…だからだよ」
彼は何かに納得したように頷き、そのビデオを手にそそくさと黒いのれんをくぐり抜けた。取り残された私は、肌を刺すような居心地の悪さに耐えきれず、すぐにその場を離れようとした。
だが、のれんを潜り抜ける寸前に棚の端に貼られた一枚のポップが、私の視線を釘付けにした。
「うん?どうしたんだい、甘野さん」
出てこない私を不審に思ったのか、先輩が覗き込んでくる。私は注目作品として紹介されていたビデオのジャケットから、目を離すことができなかった。
「…いえ。なんだかこのパッケージ、見覚えがある気がして」
それは二人の女性が恍惚とした表情で、互いの脚を絡ませ合っている・・・そんな、倒錯的なほどに美しい構図のビデオだった。なぜか、それは私の意識の奥底に強く刻まれている。
拭えない既視感に後ろ髪を引かれながら、私はカウンターへ向かった。隣では、いかがわしいビデオを抱えた白崎先輩が、使命を終えた騎士のような顔で立っている。
「さて、僕の目的は遂行された。君のお目当ては見つかったかい?」
尋ねられ、私は本来の目的を思い出した。改めて店内を見回すと、探し求めていた映画は、入り口近くの特設コーナーにこれ見よがしに並べられていた。
「…ありました。これを探していたんです」
自分の思い出のピースを拾い上げるようにビデオを手に取ると、隣で先輩が首を傾げた。
「それは…そろそろ続編が公開される映画じゃないか」
「えっ!?そうなんですか!?」
「確か、今週末からだったような…もし良ければ、これで観に行くといい」
どこでそんな情報を仕入れるのか、白崎先輩はポケットから無造作に二枚の紙切れを取り出して私に差し出した。
「クーポン…しかも、ペアチケット…?」
「そう。本来は姫山さんと行くつもりで手配したのだが、使う必要がなくなったからね」
なるほど、映画館では成人向けビデオは上映してくれない。だから計画を切り替えたというわけだ。そのあまりに不純で、かつ真っ直ぐすぎる計画に、私はついに耐えきれず小さく吹き出した。
「誰か誘って、観に行きなよ。じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
「…ありがとう、ございます」
意気揚々と去っていく白崎先輩の、どこか頼りなくも誇らしげな背中を見送りながら私はペアチケットと借りたビデオを握りしめた。
今週末の公開までに、もう一度この物語を自分の中に刻んでおく必要がありそうだ。
作者の『月雲とすず』です!
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!
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