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第三十話 林間学校

 空気が澄んだ山奥のキャンプ場に、数台の大型バスがエンジン音を響かせて停車した。


 ぞろぞろと蜂ヶ海学園の生徒が下車する中、私はつばめ姉の肩を借りながら這いずるようにして外へ出る。


「はぁ…やっと、着いた…」


「大丈夫?車酔いとかしてない?」


「はい、大丈夫です。犀川先生」


 肩身の狭い私を気遣ってかバスに揺られる道中、彼女はずっと私の隣に座ってくれていた。

 担任が隣とあっては普通の生徒なら気を揉むところだろうが、私は彼女の運転する車の助手席に座ったこともある。今さら、遠慮なんて言葉はどこかへ置いてきてしまった。

 

 バスの荷台から受け取ったボストンバッグの隙間から、もふもふとした毛玉が覗いていた。ファスナーを開けると、犀川先輩から貰ったテディベアが、さも当然といった顔で鎮座している。


 これは決して心細いからではなく、なんとなく愛着が湧いてしまったからである。


「集合ー!クラスごとに並んで!」


 つばめ姉の号令で、私たちはヴィラの前に整列した。クラスメイトたちの肩に押し退けられ、私の居場所は自然と列の隅っこになる。


「では、これからの時間は自由行動とします。立ち入り禁止エリアには入らないこと。先生たちはあそこのヴィラにいますので、何かあれば呼んでください」


 解散の合図とともに、波が引くようにクラスメイトたちが散らばっていく。


 しおりを確認すると、そこには望まない親しくないクラスメイトとの班が記されていた。ただ一つ、見覚えのある名前を除いて。


「ま、松島さん…」


 ロッジの前に腰を下ろしていた松島まりに、おずおずと近づいてみる。白崎先輩を巡る一件で多少の面識はあるはずだが、どれだけ視界に入ろうとしても彼女の瞳は私を素通りして遠くの景色を眺めていた。


「ねぇ、まり。この甘野って子、知らない?うちらの班だけど、どこにもいないよね」


 同じ班の女子たちが数人、松島に駆け寄るった。彼女達は私のすぐ目の前で、私を捜索し始める。班員は、私を入れて四人らしい。


 いつもならここで気配を消して立ち去るところだが、一人でキャンプ場をさまようのは流石に寂寥感が勝る。なんとか彼女たちの視界に映り込もうと試みたが、焦点は一度も合わなかった。


「そうだね。たぶん、一人でもう行っちゃったんじゃない?あの子、人見知りっぽいし」


 唯一の頼みの綱だった松島までもが、私を不在として処理した。


 彼女たちは私を置き去りにしたまま、楽しげな声を上げてアスレチック広場へと消えていった。自分の影の薄さをこれほど憎んだ瞬間はない。私は小さく溜息を吐き、一人で歩き出した。


 キャンプ場は制服姿の少年少女の熱気で溢れていたが、中には一般の家族連れやカップルの姿も混じっている。


「一般のお客さんも、いるんだ」


 色とりどりのテントの間を縫うように歩くと、バーベキュースペースの近くで野菜を洗っている二人組の女性が目に留まった。格好からして、大学生くらいだろうか。


「ねぇ、冷たっ!ちょっとやめてよ!」


「いいじゃん、あんた体温高いんだからさ」


 若々しい笑い声が響き渡る。友人同士の微笑ましい光景だと思い、通り過ぎようとしたその時だ。


 唐突に、湿り気を帯びた濃密な空気が私の肌を撫でた。


「ん…っ」


「ちゅ…、ん」


 吸い付くような生々しい音が鼓膜を叩くと、私はその場に縫い付けられた。


「…っ!?」


 反射的に視線を向けると、先ほどのお姉さんたちが、公共の場であることを忘れたかのように唇を重ねていた。絡み合う吐息と、微かに震える指先が視線を奪う。


「ちょ、ちょっと…誰かに見られちゃうよ…」


「大丈夫よ。周りには、誰もいないし…ほら、続きしよ?」


「せ、せめて…テントでしようよ」


 熱を帯びたまま、テントへ消えていく二人の後ろ姿を見送る私の胸は、得体の知れない感情できつく締め上げられた。覗き見てしまった罪悪感と、それ以上に私の脳を溶かすような熱量への当てられである。


 居ても立ってもいられなくなった私は、逃げるように教員のヴィラへと引き返した。



 ロビーに入ると、つばめ姉がソファで備え付けのコーヒーをすすっていた。近くに寄ると、彼女は私に微笑みかけてくる。


「あら、どうしたの?甘野さん」


 私は淑やかに座る彼女の膝に、吸い寄せられるように自分の体重を預けた。


「…っ!?な、なにっ?」


 驚愕したつばめ姉の身体が、ハゼのように跳ねる。


「いえ…単に、人肌が恋しくなったので…」


 私の頭の下で、彼女の太ももが強張るのがわかる。上目遣いで彼女を見上げると、つばめ姉の頬は見る間に紅潮していった。


「わ、私は…っ、生徒とそんな不純な関係には、なりませんからねっ!」


「つ、つばめ姉…?」


 両手で顔を覆い、あわあわと狼狽える彼女の膝に頬を寄せたまま、私はしばしその熱を独占することにした。


 時刻が変わり、月明かりがロッジの屋根を青白く照らし出した頃。共同のシャワーを浴びて部屋に戻ると、班員の女子達がベッドの上で恋バナに花を咲かせていた。


「てか、その時彼氏がさー!」


「マジ?やばくない?」


 その輪に加わる隙など微塵もない。私は重い空気を感じながら、自分のベッドの枕元に置いたテディベアを抱きしめた。もふもふとした毛並みが鼻腔をくすぐり、思わずくしゃみが漏れるが、彼女達からの視線は集まらなかった。


「そういえば、そっちのベッドって誰が使うの?」


 ふいに、リーダー格の女子が私の座っているベッドを指差した。突然向けられた人差し指に心臓が跳ねる。


「あぁ、その熊のぬいぐるみが置いてあるやつ?」


「甘野さんじゃない?一応、来てるらしいし」


 松島が記憶を辿るように補足したが、他の二人の表情は険しいままだった。


「私、そいつの顔見たことないんだけど…不登校?」


「いや、先生が言うには皆勤らしいよ」


「保健室登校ってこと?どうせ根暗で、男ウケもしなそうなツラなんでしょ」


「…いや。結構かわいかったよ、甘野さん。なんていうか、顔が整ってるっていうか」


 松島が私を庇うように呟くと、リーダー格の女子が不機嫌そうに舌打ちをした。部屋に冷ややかな空気が流れる。


「まり。なんであんただけ会ったことあるわけ?そいつの家にでも行ったの?」


「教室にいるのを見かけた時、話しかけただけだよ…でも、次の日からまた来なくなった。神出鬼没な子なんだよね」


 あの日、松島が私に話しかけた瞬間の冷ややかな視線を思い出し、胸が刺されたように痛む。


「まぁ、いいや。このベッド、私が使う。窓際が良かったし」


 プライドの高そうなその女子が、土足同然の勢いで私のベッドへ近づいてくる。彼女のベッドには荷物が放り出されているため、ここを失うと私は床で眠ることになってしまう。


 なんとか死守したかった私は、テディベアを強く抱きしめギュッと目を閉じた。彼女の手が熊の腕に掛かった、その時だ。


「…っ!?なに、このぬいぐるみ…重たい…っ」


 私の体重が乗っているのだから当然なのだが、彼女の目には、ぬいぐるみが異様に重くなったように映ったらしい。必死に引き剥がそうとしていた彼女だったが、不意に動きを止め、熊のガラス玉のような瞳を凝視した。


「…今、こいつの目…動いた…?」


 あり得ない現象だが、私の憎悪が伝わったのかもしれない。彼女は悲鳴に近い声を飲み込み、慌てて手を離した。


「…っ、なんか気味悪いわ!やめた、私もう寝る!」


「えーっ!まだ話そうよ!」


 自分のベッドへ逃げ帰る彼女に取り巻きが不満を漏らしたが、松島が問答無用で壁のスイッチを叩く。カチリ、という音とともに部屋は沈黙と暗闇に包まれた。


 月明かりが照らす中、私はシーツに潜り込み毛布を被る。同じ部屋に三人も人間がいるのに、襲いかかってくるのは底冷えするような疎外感だった。


「…先輩、寂しいよ」


 テディベアの耳元で、自分でも驚くほどか細い声が漏れた。それが旅の疲労のせいなのか、それとも、昼間に目撃したお姉さん達のせいなのか、私にはわからなかった。

作者の『月雲とすず』です!

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました!

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次回も、お楽しみください!

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