セクハラ先輩は、意外と寂しがり屋なのかもしれない
『輝く〜光〜の元〜に〜走れ〜』
朱音と入れ替わる形で風呂をあがり、服の整理などをしていると、風呂場から、そんな上機嫌な歌声(しかも結構上手い)が聞こえてきて、真太は「楽しそうでなにより……」と1人でつぶやく。
改めて時間を確認してみると、時刻は午前2時半。
「結局、今日は夜更かしだな……」
元々は、さっさとネカフェで寝る予定だっただけに、まぶたは既に重い。重いのだが、朱音の部屋と言うだけで、どうにも『寝る』という所までは行き着かない。
『おーい。タオル取ってー』
「自分で取ってくださいよ!」
『だって私濡れてるし!あ、そっちの意味じゃなくてね?』
「良くもそう恥ずかしげもなくセクハラ発言出来ますね。いっそ尊敬します」
『風邪ひくんだけど。早く持ってきてよ』
「いや、どこにあるのか分かりませんし」
『服入れてるとこにあるよ』
「はいはい……」
先程、朱音が風呂に行く際に、クローゼットがどこかは確認している。そのクローゼットの一番大きな棚を開く。
『あ、下着とかあるかもだけど気にしないでね』
「あぁ……どんどん俺が汚されていく……」
開いた先には、服と、タオルと、下着。
色とりどりのそいつらから目を背け、タオルを素早く取る。いい匂いがしたが、そんなものには目もくれず、急いでクローゼットを閉じた。
「……置いておきますね」
『届けてはくれないの?』
「痴女なんですか?」
『君以外にこんな事しないよ』
「嬉しいなぁ」
『薄っぺらい言葉で喜ばれても』
鼻歌を歌いだして、体を吹き始めた様子の朱音。
衣擦れの音なんて聞いたら、さすがに頭がおかしくなってしまいそうなので、早めに部屋に戻る真太。
そして、部屋に戻った勢いそのまま、リビングへと歩みを進めた。
立ち並ぶ、本の数々。
その殆どがライトノベルで、真太が読んだことがあるものもちらほらと。
とはいえ、量があまりにも違いすぎる。読んだことが無い本もあれば、題名すら知らない本、気になってはいたけど読んでいなかった本などがあり、真太としては、なんとも高揚感を抑えきれない。
ふと、一つの作品を手に取る。
その本は、偶然か必然か……。
『創世記の幻始龍』
著者名は──アカネ。
言わずもがな、今同じマンションで、同じ階で、同じ部屋の中にいる、静華朱音のペンネーム。
表紙イラストは、『ばかなめこ』さんによる、圧倒的色彩と画力で彩られており、この絵だけでも、十分集客効果がある。
実際、真太自身もこのイラストに引き寄せられた1人だ。
下の帯コメントには、「快挙!100万部突破!」とデカデカとかかれている。
4巻まで発売して、累計100万部。ラノベ作家の事情はよく分からない真太ですらも、その数が異常ということだけは分かっていた。
ペラペラとページを何となくめくり、辿り着くあとがき。
そこにに書かれた、『私は、多分小説を書くために生きている。多分』という、冗談交じりのその1文。
真太も、初めてこれを読んだ時は、曖昧だなぁ……と笑い飛ばしていた訳だが……
『じゃあ君は、何を求めてるの?』
先程聞いたその言葉が、彼女のあの表情と共に頭に蘇る。
あれを見たあとでは、この一文を冗談だとは思えない。
この人は……静華朱音は、小説を書くために生きている。
それは本当なのか……?
多分、多分と曖昧に誤魔化して。
実際は、違う生きる理由が……
「わっ!」
「……足音、意外と聞こえてましたよ」
「つまんないの」
背後から驚かしに来たらしい朱音。
本をあった場所に戻して、朱音に向き直る。
「あ、私のじゃん。やだなー。目の前で読まれると恥ずかしい」
「先輩に羞恥心なんてあったんですね」
「君に裸を見られたらさすがに恥ずかしいかも」
「乙女ですね」
「じゃあ、早いところ部屋に戻って、二人で寝るとしますか」
「先輩が言うと、なんかセンシティブな意味にしか聞こえなくなってきた自分が嫌だ……」
部屋に戻ると、朱音が、「ほんとに襲ってもいいからね?」なんて言ってきたから、「襲う利点がないです」と、真太は返した。
「君は壁側で寝たい?」
シングルベッドを指差す朱音。
「床ですかね」
「ネカフェ……年齢詐称……」
「壁側で寝させて貰おうかなって考えてました」
さっさと布団に入る真太。
それに続いて、小さいベットに朱音も入ってくる。
真太は背を向けているのだが、朱音がこちらを向いているため、吐息が首元にかかり、おもわず震える。
きっとこれは武者震い……と心にいいきかせて、さっさと寝ようと試みたが、やはりと言うべきか……寝ることは出来なかった。
布団に入ってから、体感30分くらいたった所で、「そろそろ寝てるかな……」と、ふと朱音の方を向く。
「やっとこっちみてくれたね」
「起きてたんですか」
しかしそこに居たのは、バッチリ目を覚ましている朱音がいた。
再び背を向けようとしたが、朱音はそれを例によって脅して止める。
超至近距離。抱きつこうと思えば直ぐにできるし、なんならキスだってできる距離。
朱音の髪から匂う香りが、真太の鼻をくすぐる。
「キスする?」
「深夜テンションはそこまでにして早く寝ませんか?」
「貞操はもちろん捨ててないよね?」
「まるで話が噛み合わない」
「それで、キスはしないの?」
「学校一の美少女とキスなんて、恐れ多くて出来ません」
「本当はただしたくないだけでしょ?ハッキリ言いなよ〜」
「誤魔化さないと、先輩泣いちゃうかと思って」
「生意気を〜」
たはは、と笑う朱音。
真太は、そこでふと、疑問だったことを質問する事にした。
「あの、先輩。突然であれなんですけど、なんで、僕をここに連れてきたんですか?」
「子犬を拾った感じ?」
「ペットですか俺は」
「冗談」
自然と零れた様子の笑みは、今日見せてくれた表情の中で、一番可愛らしかった。
「私の両親さ、帰ってこないんだよね……あ、死んだ的な意味じゃなくてね。仕事が忙しくて」
そう語る彼女の横顔には、寂しさが感じられた。
「中学校の頃に、仕事が忙しくなり始めて、今じゃ帰れないんだよ。去年も今年も、顔合わせてないんだ」
「そんなブラックな仕事あります?」
社長と、研究員なんだよ。と、儚げな顔で教えてくれる。
「でも、さすがに休みはあるでしょ?娘と顔を合わせるくらい……」
「多分、怖いんだと思う。私が変化して、なにか別のものになってるんじゃないか……とか。きっと色々あるんだよ」
一呼吸置いて、
「私さ、17の時、年齢詐称してネカフェで住んでたんだよね」
「っ……」
それを聞いて思い浮かぶのは、他でもない、自分自身。
「ほら、一人って、意外と寂しいじゃん」
「俺は、別に寂しくなかったですけど」
「死んだ魚のような目してたじゃん」
「そうだったのか……」
ふわぁ……と、小さくあくびをする朱音。
「だから、昔の私みたいだなって思って。一人の生活も飽きたし。あ、あと好みの顔してたし。これ5割」
「これまでの話をぶち壊しましたね」
「悪い気しないでしょ?美人先輩に誘われる生活も」
悪魔的な笑みを浮かべて、そう言った朱音に対し、
「美人先輩にセクハラされる生活の間違いでしょ」
と、真顔で答える真太。
「そう言って、また答えを避ける」
「そんなつもりはないです」
「でも、美人って言ってくれたから許そう」
「それは助かります」
まだ向かい合っているのに、さっきまでの恐怖心であったりは、もう感じていない。
そこからは、早く眠りに着くために目を閉じる。
時刻は遅いし、ここに来てどっと疲労感が襲ってきた。
そのまま直ぐに寝る──
「ホントに忘れてるんだ……」
──前に。意識を手放す前に聞こえたその言葉は、果たして夢なのか現実なのか、真太に確かめるすべはない。