セクハラ先輩は、もしかするとセクハラ野郎なのかもしれない。
「ここだよ」
「……立派なマンションですね」
真太が居たネットカフェから、歩くこと約8分……。
朱音について行ってみれば、目の前にあるのは……何階まであるのか目視では到底確認出来ない、超高層のマンションだった。
外装は……言わずもがな、真太が元々住んでいたマンションとは全く違う。
薄汚れた壁ではなく、ピカピカのよく分からない黒い石で作られた土台部分と、空を突き刺す勢いで上に伸びるマンション。
いずれも、一般人の真太には、「こういう家住んでみたいなー」とか、妄想の程度で済ますようなマンションである。
「……築何年ですか?これ」
「んー?4年だよ」
「あぁ……なるほど」
真太の元々住んでいた家は築40年……差は、築年齢だけで歴然だった。
「ついておいで」と声をかけた朱音に、「はい」とだけ軽く返事をして、再び背中を追う。
無駄にデカい入口をくぐれば、異様な程にピカピカのエントランス。エントランスなんてのがあるのにも驚きなのに、まるでホテルのように清潔感に溢れている。
「ちょっと。早く来てよ。置いてくよ?」
「出来ればこのまま置いて言ってくれた方が……」
「年齢詐称、バラすよ」
「脅されると、なんともなぁ……」
朱音の冷めたような目は、その美貌と相まってか、やけに迫力がある。
手のひらを秒速で返した後、これまた綺麗なエレベーターに乗り込み、朱音が慣れた手つきで19階を押す。
言わずもがな、それの階は最上階だった。
ウィーン……と、エレベーターの機械音が鳴る中で、真太はふと、隣の朱音に顔を向けた。
芸能界でも活躍できるのではないか……そう感じさせる程の美貌と、抜群のスタイル。
こんな美人とエレベーターで二人乗りかぁ……。などという雑念は押し殺し、スマホを取りだし、画面を開く。
時刻は既に日を越して1時。明日土曜日だから安心だが、普通に考えたら寝ている時間だ。
ポーンと、到着のチャイムがなり、二人でエレベーターから降り、しばらく廊下を真っ直ぐ進んだ後……
「目的地到着です。ここまでお疲れ様でした」
「そんなスマホのナビ機能の音声風に言われても……」
「変な例えだねぇ……ほら。早く家入って」
苦笑している真太をよそに、朱音はさっさと家に入る。真太もそれに続いた。
靴を玄関の端に寄せてから、改めて家の中を見る。
玄関に飾られているのは、色んなアニメのタペストリー。
カワイイ系というよりかはクール系統な朱音にはあまりに合わない、ラブコメのタペストリーが飾られており、そのギャップに軽く驚きながら、部屋の中へと進む。
「わたしの家、広すぎて部屋余ってるんだよね」
「だから俺を?」
「1割そう」
「全然違うじゃないですか」
リビングに入ってみれば、広がる本棚の列。
普通の家にあるはずの、テレビやキッチン用品なんてのは一切なく、あるのは本とソファだけ。
思わずその光景に、真太は口をぽかんと開けて停止していた。
「あれ、どうしたの?」
そんな真太に気付き、首を傾げる朱音。
「いや……テレビも冷蔵庫もないなと思って……」
「そりゃ、テレビ見ないし料理もしないからね。無駄なものは削いでいかないと」
「削ぐて」
困惑気味にそう返すが、朱音は一切気にした様子もなく、家を案内し始める。
風呂はデカいし、トイレも無駄に大きいし……。部屋はやけに多いしで、真太からすればどれもこれもが異質。
「つかぬ事をお聞きしますが、ここの家賃は……」
「14万」
「じゅうよ……!?」
驚愕し、口をあんぐりと開ける真太。
「さっきから口を開けすぎだよ?お腹すいたの?」
「いえ……そういう訳では……」
「せっかく美人な先輩の家に上がれたんだし、私の事を食べてもいいんだよ?」
「ははは。グロいですねそりゃ」
「何その反応。可愛くないなー」
「別に、可愛さを求めて生きるタイプじゃないんで」
「じゃあ君は何を求めてるの?」
「そりゃあ……」
適当な理由で答えようとしたところで、真太は口を閉じる。
「そりゃあ……なに?」
振り返る朱音の顔に……一切の笑いが含まれていなかったから。
怒りも、妬みも、ましてや悲しみなんてのも。
感情を一切持たないその顔が、真太に対し、本当の答えを求める。真太の心にある、本当の答えを。
一瞬、たじろぐ。
ついさっきまでからかうように話していた人の真顔は、意外と刺さるんだな。と思いつつ、軽く咳払いをしてから、口を開いた。
「そりゃあ、二次元に生きるためですよ」
ふざけてなんかいない。大真面目な。真太の本心。
クラスでこんなことを言ってみれば、間違いなく嘲笑のマトとなる。一般人からすれば、そもそも理解するのも難しいその本心。
ただ、それが真太の本心だ。
それを聞いた朱音は、しばらく真太の顔を見つめてから、
「へぇ……。やっぱり君、面白いや」
と、上機嫌そうに笑った。どうやらお気に召したようだ。
「面白いですか。学校だと、ふざけたことを言うとよくスベるんだけどな」
「嘘つき。学校でボケれるようなカーストにいないでしょ?君」
「よくおわかりのようで……俺のストーカーか何か?」
「雰囲気で、何となくわかるよ」
バカにされているような笑みを向けられるが、仮にも美人なのであんまし嫌な気分にはならない。
「ほんとに綺麗な方ですね」
「当然でしょ」
とはいえ、褒めたところでこれだ。
なんかイラッと来るので、今後は褒めないようにしよう……と心に近いつつ、真太はふと思った疑問を問うた。
「そういえばなんですが、俺はどこで寝れば?」
「え?私の部屋」
「あー、お前は床で寝とけ的なやつですか」
「違うよ。ベットで寝るんだよ」
「もう一個出すんですね」
「ベットはシングルベッドしかないから、窮屈だけど許してね」
「もちろんふたつあるんですよね?シングルベッドが」
「違うけど」
さも当然のように言われたその回答に、思わず頭を抱える真太。
この人に、恥はないのか……?と、困惑気味に思う。
「別に胸触っても抱きついてもいいからね?年上の貫禄で許してあげる」
「いいです。俺は幼女好きなので」
「それほんと?」
「嘘ですよ。嘘なんで、そのケータイをですね……」
サラッと通報されそうになる真太。
ぶっちゃけ通報されて、警察のお世話になった方が……と考えるも、『家族と会う』可能性があるため、あっさりと諦めた。
そもそも、女性の家に上がるのが生まれて初めてなのに、その始めてて何故か泊まることになっているし、挙句の果てにシングルベッドで寝ろ……と。
「俺の初めてが……次々奪われていく……」
「童貞も奪われちゃうかもね」
「それだけは本当にやめてください……」
もはや涙目で懇願する。
「さすがに嘘。でも、ベットは本当。寝なかったら、バラして一発退学だからね☆」
「くっ……」
苦痛に顔を歪ませながら、床に片膝を着く真太。
奴隷というのはあながち間違いではなかった……。
「あ、私のベットで寝るんだから、お風呂入んないとだね。一緒に入る?」
「先に入ります」
「私を先に入らせて、風呂の水を……」
「セクハラがすぎるぞこの先輩!」
絶叫(涙目)しながらバスルームに駆け込み、鍵を閉める。
「この鍵……なんのためにあるんだとか思ってたけど、こういう時のためか……」
ひとりで勝手に納得しながら、真太はふぅ……と呼吸を整えた。
「早く上がってねー」と急かすような声が聞こえてきて、「分かりましたー」と適当に返す。
「……はぁ……」
何も意図していないのに、口から出てきたため息は、今日の疲労困憊を示しているのだろうか……。
バスルームには、一般家庭にもあるものが充実しており、生活感がある。化粧水であったり、歯ブラシであったり、洗濯機があったりで、この家で1番、一般家庭に近い部屋なのかもしれない……。
キョロキョロしていても仕方ない……と、服を脱いでいく。
上着を脱ぎ、Tシャツも脱ぎ捨ててふと鏡を見つめると、
そこに居たのは、痣とカサブタだらけの体を持つ、見るも惨めな少年がいた。
他ならぬ自分自身の体を見て、軽く舌打ちしながら浴室に入り、シャワーを浴びる。
家出して半年たっても、その傷が全て癒えたわけではなかった。
その証拠からなのか、まだ治りきっていないカサブタに、水がよく染みる。
腕に切り刻まれた大量のリストカットと、額に出来た大きな傷跡も、真太を縛り付ける戒めかのようにヒリヒリと痛んだ。
「……あの日々を忘れるなって呪いなのか。これは」
頭に浮かんだ、実の母親の顔を振り払い、無心で、でこぼことした体を洗っていく。
どこで間違えたのかなんて分からない。
そもそも、真太自身は間違えていないかもしれない。
誰かが、どこかで、母親の人生を狂わせたのかもしれないし、母親が自ら道を踏み外したのかもしれない。
目の前で狂っていく母親の様は、今でも脳裏に焼き付いていた。
「呪いだとしたら……恐ろしいったらありゃしない」
か細い言葉が、浴室に響く。