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被害的と傍観者と精神的

作者: 蒼栞

流行病が少しずつ落ち着いたようでそんなことない今日この頃。

いじめについて少し話したくなった。

私は短い人生でいじめられたことはない。

そういう人間だ。所謂、傍観者であり、関わろうとも思わない人間だ。

人間生きていて、嫌なことなんていくらだってあるだろうが、いじめは当人にとってとても辛いことだと思う。私は共感しようとすることはできるが、理解、共有はできない。

しかし、それは当たり前だと思っている。

そんなこと全くもってどうでもいいのです。

私は傍観者である。

世の中には色々な人間がいる。私の親は、傍観者だ。私の周りの大人は可哀想と言う言葉をよく使う。でも傍観者だから何もしない。

そういう大人が良くないなんて思うことはない。が可哀想。それは、その言葉はバイトに落ちたときのお祈りメールと同じなのかもしれない。

私は、可哀想とは思わないようにしている。

私よりも辛い人がいると言われても私は何も思わない。

私は基本的に傍観者でしかないし、それ以上になる時、私は当事者だ。

傍観者も悪と言われる。別にいい。

人間とは、立場や状況で何者にでもなれるのだし、

私の脳の限界は考えても意味がない。だからここまでの言葉は意味がない。

被害者と加害者。

なるのであればどちらになりたいか。

私は被害者と答えるであろう。

そんなこと起きないに越したことはない。

が絶対にどちらかだとするとと言う話だ。

私の田舎には、信号無視をするひとが多いというか、私の目につくだけかもしれない。

だが、歩行者が信号無視をして車が轢いてしまうことも起きないとは限らない。

それは、どちらが加害者なのか。

私はもうわからなくなってしまいそうだ。

人間は無限に時間があるわけではない。

もし信号無視をした歩行者が死んでしまったら

車の運転手や、同乗者が打ちどころ悪く死んでしまったら、誰が悪で誰が善なのか。

世の中の人はどのくらい生きたいとか、このくらいで死にたいとか、考えてると勝手に私は思っていた。実際、現実は忙しくて、思考する時間が少ないと、私は思ったが。

私は100歳まで生きて、100歳になっても走ったり泳いだりしていたいと思っている。

実際どうなるのかは置いておいても私の目標として聳え立つ最後の壁なのは間違いない。

でも、私は楽しく自分勝手に生きることも少し憧れている。それでも元の目標が達成できないとは思わない。

私の問題は自分勝手だ。

私は自己中心的で生きることが悪いとは思わない。

あまり良いイメージが無いのは日本で必要なのは協調だから。

しかし、それは日本だけでは無いと思う。

そもそもで人間は自分勝手で楽しく生きること

そう感じるだけでずっと何かしらに気を使い、気をつけて生きるものだった。

正解はないし私は確実に正解だ。と思っているわけではない。しかし私の中で考えがあればいいのだからあまり他人に目を向け過ぎると疲れて自分の事を大切に出来なくならないように生きるしかない。

自分のことを大切にして他人に優しく出来ると私は思っていたりする。

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