お父さんのこと
元魔王なお父さんはとにかく元勇者のおじいちゃんをありとあらゆる事で超えたいという願望が強いようです。それはお父さんが子供の頃から変わることなく。お父さんに前世の記憶はありませんが、まるで勝利を手にしようとする魔王の執念のようなものを感じてしまいます。
幼い頃に始めた剣道を筆頭に、学歴、社会的地位、プライベートに至るまで、おじいちゃんより優れていることに執着しています。そんな様子の息子をおじいちゃんはただ黙って見守っています。
結婚もおじいちゃんが結婚した年よりも早く、子供も早く!といろいろ早まったみたいで、大学生のときに授かり婚をしました(つまりわたしが出来た)。
もちろんおじいちゃんに対する無鉄砲な対抗心だけではなく、ちゃんとお母さんを愛したうえでの結果です。ちゃんとお母さんの同意も得ています。
お母さんが「そんなんじゃなければ最初から握り潰していた」と言ってましたし。何を潰すつもりだったかは聞きませんでしたが。
ですが流石にこの時は「この無責任のバカ息子が!!」とおじいちゃんに思いっきり殴られたらしいです。
それはそれは見事な右ストレートだったようで、なかなかの暴力シーンだったものの、側で見ていたお母さん(もちろんこの時大学生)は「あ、この人がお義父さんなら大丈夫だ」と逆に安心したらしいです。
おばあちゃんは「胎教に悪い!」とおじいちゃんを叱りつけたそうですが、息子のことは一切庇いませんでした。
わたしが三歳の誕生日を迎えて少し経った時、お父さんは大学院を修士課程で修了して就職した大手の証券会社をわずか一年で退職し、自身の会社を立ち上げました。当時専務という役職を持っていたおじいちゃんに対抗するために「社長になるしかない!」という、いささか短絡的とも言える動機のもとに。
そして設立したばかりの会社の運営を軌道に乗せる為、仕事に邁進しました。それは家族を忘れるほどに。
朝早くから出社し、地道な営業に、業界で顔を繋ぐため会合や接待で帰りが遅くなることも増えます。家には寝に帰ってくると言っても過言ではなく、稀に休日家にいてもほとんどパソコンにかじりついている状態です。
お父さんが会社を起ち上げた翌年、産休を経て無事に大学院を修了したお母さんは「子供の面倒もみながら仕事がしたい」と言って、自宅で子育てをしながら出来る範囲でお父さんの会社の仕事を手伝っていました。
わたしは前世の記憶がある分それなりに聞き分けの良い子供だったと思いますが、まだまだ幼子。仕事をしつつ目の離せない子供の世話に家事全般を一手に担っていましたから、お母さんは大変な負担だったと思います。乳母やメイドに囲まれた前世の貴族生活は本当に恵まれていたと思うばかりです。
ですがお父さんは、子育てや会社の運営方針の相談をしたいお母さんに「今忙しい」と言ってまともに会話もしてくれません。
だんだん夫婦で口論も多くなり激しくなっていきました。
わたしも凍り付きそうな家族の空気をどうにかしようと、勇気を出してお父さんに寄って行っても「なんでこんな忙しい時に限って懐いてくるんだよ」と冷たい目を向けるばかりで相手にしてくれません。
典型的な家庭を顧みない男の出来上がりです。
手を上げられることはありませんでしたが、わたしやおかあさんに向ける紫の目はとても恐ろしく、睨まれる度に泣いてしまうほどです。
そして起業して三年目、わたしが五歳のとき。
「仕事してるって、誰にでも出来る程度のものだし、ずっと家にいるんだから子供と家のことはそっちでどうにかしろ。主婦と違ってオレは忙しいんだ。それに会社の運営に口を挟むな。なにも知らないくせに」
というお父さんの言葉にとうとうお母さんがキレました。
ぶっちりキレたお母さんはわたしを連れて家出をしました。そして家出先は…なんとおじいちゃんちです。普通こういう時って自分の実家とか親しい友人の家とかではないでしょうか。
ですがお義父さんとお義母さんをがっちり味方に付けているお母さんの判断は賢明と言えたでしょう。
突然わたしを連れて家出をしてきたお母さんをおじいちゃんとおばあちゃんは快く迎え入れてくれました。
さっそくとお母さんは義両親と家族会議です。幼いわたしには聞かせたくない内容でもあったようなので、わたしは別の部屋で待機です。
子供には聞かせられない大人の事情、というものがあることは分かります。ですので、よい子のセイちゃんは一人お絵かきをして過ごしましょう。最近の個人的ヒット商品、色とりどりのクレヨンを堪能したいことですし。
それにしてもお父さんの目。セイとして生まれて初めてその瞳を見たときは澄んだアメジストのように綺麗な紫をしていましたが、最近はなんだか淀んで見えます。禍々しさを含んでいるような黒さが混じっているかのような…。
そうです、前世の戦いの最中で見た“魔王”の目です。
今まで紫の瞳、というだけで“魔王”と認定していましたが、よくよく前世を思い返すと“お父さん”と“魔王”ではその色味は全く違うものです。
激しい戦いの中で垣間見た魔王の紫の目は禍々しさを濃く孕み、離れた場所からでも黒く光っていることが分かりました。
しかし聖剣の力で黒い魔力が霧散した魔王の瞳は澄んだ紫で。それは宝石ののうにとても美しく、悪意が微塵も感じられない色をしていました。
今世で初めて見た時も綺麗な紫色でしたが、いつの頃からでしょう。その瞳が濁り始めたのは。…会社を立ち上げ、家にゆっくり居られる事も無いほど忙しく、家族の時間が無くなったあたりからでしょうか。
お父さんは“魔王”に戻ってしまうのでしょうか?
楽しかった頃を思い出して書いていた家族の絵でしたが、考えているうちにお父さんの目には紫と黒のクレヨンをグリグリと押し付けていました。おじいちゃんには「お絵かきするとき目の色は黒にするんだよ」と注意されていましたが、無意識のうちに紫も使っていたようです。
擦りすぎて描いていた画用紙一面が黒ずんでしまっています。…だいぶ不気味な雰囲気を醸し出してしまいました。黒い魔力が漂っているようです。
やがてお母さんと家族会議を終えたおじいちゃんが、わたしが一人遊びをしていた部屋に来ました。
夕食の時間で呼びに来たようですが、いつの間にか薄暗くなり電気を付けても振り返らず一心不乱に絵を描き続けるわたしとその絵を見て眉を顰めます。
「…セイちゃん、それは今のお父さんの目なの?」
「あのね、おとうさんのお目々ね、まえはとってもきれいな紫だったのにね、いま魔王みたいな嫌な紫になってるの。ねえおじいちゃん、黒い魔力ってこのせかいにもあるの?おとうさんまた魔王になっちゃうの?」
紫色の目は魔王の証。
その先入観で生まれた時からお父さんを“魔王”として接し、前世の人格とは別であると理解して感情をコントロールできるようになってからも恐怖心を拭えず無意識に距離を取っていたことは否めません。
ですがお父さんはわたしと距離を縮めようと小さな女の子が好みそうなアニメを研究したり、遊びに付き合ってくれたり、いろいろな育児書を読み漁ったりしていました。そのお父さんの頑張りを、体の年齢に感情が引っ張られることを理由に無下にしていたのはわたしです。
いつからかお父さんはわたしと遊んでくれなくなりました。仕事が忙しくなったからとばかり思っていましたが、いつまでも懐かない娘を避けるようになった、とも思えてきます。
「わたしがずっと魔王だとおもっておとうさんきらいって、おとうさんほんとうの魔王になっちゃうかも。どうしようおじいちゃん」
ああ、本当に。
黒い魔力はヒトの負の感情に引き寄せられると、前世の魔力学で学んだというのに。地球には魔力は無いから“魔王”はもう誕生しないと思い込み、優しいお父さんに負の感情を叩き付けていたのは間違い無くわたし自身です。
生まれたばかりでおじいちゃんとお父さんの“言葉”を理解することが出来たことを考えるとわずかながらもこの世界にも“魔力”が存在している可能性は十分あったのに。
前世の記憶や経験に傲る事無く“セイ”として生きていたつもりでしたが、結局『魔力なんて存在しない』という思い込みが取り返しの付かない事態を招いてしまったのではないでしょうか。
そう思い至って、黒い魔力から解放され、優しいお父さんに転生したというのに、娘のせいでまた“魔王”に堕ちてしまうのではないかと思うと涙が溢れてきます。
しゃくり上げるわたしをおじいちゃんは優しく抱き上げてくれます。おじいちゃんの首に腕を回して肩に顔を押し付けてさらに泣いてしまいます。
「大丈夫。お父さんはお仕事頑張りすぎてちょっと疲れているだけだから。まだまだお父さんも子供なんだ。セイちゃんが心配していることにはならないよ」
泣き続けるわたしの背中を優しくぽんぽんとしてくれるおじいちゃんの腕はとても温かくて心地が良いです。そのうち泣き疲れてそのまま眠ってしまいました。
「おじいちゃんは元勇者だ。魔王だって救ってみせるさ」
今度こそ。
お母さんは出がけに『実家に帰らせて頂きます。あなたの』と書き置きを残し、夜中に帰って来てそれを見つけたお父さんは顔面蒼白でおじいちゃんの家に飛んで来ました。
深夜だったのでわたしは寝ていましたが「非常識な時間に押しかけんな」とおじいちゃんはお父さんをポイっと追い返したみたいで、翌朝いい笑顔のお母さんが嬉しそうに教えてくれました。
そんなこんなでおじいちゃんの家に来てから五日経ちました。お父さんは毎晩仕事帰りにおじいちゃんの家に来ていましたが、少し玄関でおじいちゃんと話すとすぐに帰っていたようです(いつも夜だったのでわたしは全く会えませんでしたが)。
そして日曜日の今日、おじいちゃんとお父さんは話し合う約束をしていたようで、おじいちゃんは出かける準備をしています。
「じゃあちょっと行ってくる」
そう言って玄関を出るおじいちゃんの手には、見間違いでなければ竹刀袋が握られています。
え、おじいちゃん?お父さんをどうするおつもりで?穏便に話し合いではなくて「刀で語り合おう」的なですか?お母さん「お義父さん、やってしまってください!」って親指立てないでください。おじいちゃんも親指立てなくていいですから!
そして朝日が差し込む玄関をくぐり家を出たおじいちゃんは、なんというか光が溢れる“勇者様”のようでした。前世で見たかつての勇者より勇者っぽいです。手にした竹刀も“聖剣”に見えてきます。
お父さんがガチで討伐されないか祈るばかりです…。
やがて夕刻になりおじいちゃんとお父さんは揃って帰ってきました。二人とも晴々とした表情をしていますが、どことなくお父さんの動きがギクシャクしているのが気になります…。防具は着けていたのでしょうか…。
玄関で二人をお迎えしてお母さんの後ろから見上げると、良かった、お父さんの目はまた綺麗な紫色に戻っています。
そして大人達だけで家族会議です。
またよい子のセイちゃんは離れたお部屋で一人お絵かきをして過ごします。この前描いた家族(黒い魔力風味)の絵はおじいちゃんが「頂戴」と言ったのであげてしまいました。だからもう一度描き直しましょう。
絵のお父さんの紫の目は特に注意されなかったので、今度はきれいなきれいな紫色だけを使います。もちろんわたしの目はかわいいピンクを使って、おじいちゃんは黄色(わたしのクレヨンに金色は無いので)です。
もちろんお母さんとおばあちゃんも描いてますよ?目には黒のクレヨンを使っています。擦れないように丁寧に描き上げました。
けっこう上手く描けたのでは無いでしょうか。
ご機嫌で家族の後ろにたくさんのお花を咲かせていると、誰かが扉を開けました。お父さんです。
顔を上げてお父さんの目を見ます。やっぱり綺麗な紫に戻っています。もう怖くもなんともありません。お父さんもわたしをじっと見つめてくるので何だか照れてしまいます。
恥ずかしくなったのを誤魔化したくて、また一心不乱にお花を咲かせまくります。するとお父さんはわたしの前に座って絵を覗き込み、一瞬息を飲んだみたいです。手には見覚えのある画用紙が握られています。
「…ごめんね、セイちゃん」
と、ぽつりと言います。
なんだかそれがいじらしくて、嬉しくて、お父さんにギュ!と抱きつきます。
お父さんの腕の中から見上げて顔を見ると、泣きそうな顔をして笑っています。濡れた目元がキラキラとして、宝石のようにとても美しくて。
「おとうさんのお目々だいすきだよ。とってもキレイ!」
今度はお父さんが抱きしめてくれます。…強すぎて痛いです。ですがここは我慢時です。空気を読むべきです。ぐぇ…。
「お父さんが子供の時よりセイちゃんを幸せにしないと、おじいちゃんに勝てたとは言えないよな…」
それからお父さんはお仕事がある日でも夕飯の時間には帰って来るようになりました。どうやら今まで大事な仕事は全てお父さん一人で抱え込んでいたようですが、今は一緒に働いている人にも手伝って貰っているようです。
「やっと部下を信頼するようになったわね」とはお母さんの言葉。最近はよく夫婦で会社の経営方針や社員の相談をしているみたいです。
わたしも前世では夫と領地の運営方針をよく話し合っていましたから、とても懐かしい光景です。
「かいしゃのお話するのってとっても仲良しだよね!」
「…普通の夫婦の会話はインサイダー取引とかマル査の事例を肴にこんな盛り上がらないと思うけれど」
ある日「セイちゃんの面倒は見るから、家でゆっくりするといい」というおじいちゃん達のお言葉に甘えて、家族でおじいちゃんちにお泊まりに来たときのお父さんとお母さんの会話内容におじいちゃんは困惑しているようです。でも「共通の話題を言い合える夫婦は長く良好な関係を続けられるわよ」とおばあちゃんは言っていました(おじいちゃんは真顔でそれを聞きます)。
だからわたしのお父さんとお母さんはもう大丈夫です!
お父さんはたまに夜遅くに帰って来る事もありますが、わたしが寝る頃になると「おやすみ」の電話をかけてくれます。ですがお父さんからの電話が嬉しくていつもはしゃいで眠気が飛んでしまうので、よくお母さんに怒られています。お父さんが。
それにお休みの日はまた遊んでくれるようになりました。最近のお気に入りは聖女ごっこです。わたしは聖女でお父さんは魔王です。「普通お姫様と王子様じゃないのかな…?」とお父さんは困惑気味ですが、これは譲れないです。お父さんは魔王以外考えられませんから。
ちなみにお母さんは勇者です。爆笑しながら「じゃあ聖女様は私が助けるー!」と言っておもちゃの剣でお父さんに殴りか…振りかぶります。とても楽しそうです。
やがてお父さん魔王は「ぐあぁぁぁ」と(ノリノリで)断末魔をあげ胸を押さえて倒れ込みます。
でも魔王は死にません。これからもずっとわたしが癒やしますから!