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生まれ変わった直後

 深く深く闇に沈むに任せて、でも不安も恐怖も無くて、温かくて心地よい空間にゆらゆらと漂う感覚。


 還るべき場所に戻って来たという安心感と、新天地に巡り着いたような高揚感と。


 永遠に目を閉じていたいと思う反面、広い世界へ飛び出したいという渇望。



 聖女として活躍した少女時代。公爵夫人となり貴族淑女の模範として立った数十年。貧しい民や身寄りの無い子供達に寄り添い、聖母と呼ばれた壮年期。静かな領地で夫と穏やかな時を過ごした晩年。


 これが走馬燈というものかと、朧気にしているうちに暗くも温かい場所におりました。

 最期に目を閉じてからどれだけの時間が経ったのでしょう。


 目も開けられず、手足も動かせません。まるで自分の体ではないようです。

 そもそもわたくしは今、生きているのでしょうか。


 確かにわたくし、天からお迎えが来たと悟り、息子に家督を譲った夫と余生を過ごすために移り住んだ田舎の別宅の寝台で、静かにその時を待っていたはずなのですが。


 あら?あら?と考えていると。


 突然強い力でこの心地良い空間から押し出されるような感覚、いえ、これは確実にわたくしを追い出そうとしています。


 この強い力に抗うことは出来ず、流れに身を任せていると、暗闇の中に感じた一筋の光。

 あの光を切望していたと突如として悟り、無我夢中でそれを目指します。


 そうして目の前を目映い光で包まれ、聖剣の光を思い出したもの束の間。


 息がっ…苦しい…!


 魔王討伐の聖女時代でも無かった苦しさです。敵との戦闘で傷を負っても呪いを掛けられても、持ち前の聖なる力で即治癒させてきたわたくしです。

 このような胸が詰まるような苦しみ、経験がありません…!


 なんとか回復魔法を発動しようと体内の魔力を練ろうとしますが、何故かまるで手応えが感じられません。


 発動しない魔法を諦め、わたくしは必死に空気を胸に取り込もうとします。きっとみっともなく喉を鳴らせていることでしょう。

 というかしていました。ていうか大声を上げて泣いていました。


 どうにか空気を取り込み、息が楽になるにつれて段々とわたくしの現状がわかってきました。

 一先ずわたくし泣いております。ものすんごい泣いております。

 淑女たるもの、感情を表に出すべからずと、物心付く頃から躾けられておしましたが、その努力も無駄であると言わんばかりに制御が出来ません。それこそわたくしの意思に関係無く。しかし何故かは分かりませんが、それが自然であると理解ができます。

 そしてその泣き声は確かにわたくしから出ているのですが、聞き慣れた老女のものではありません。まるで赤子の泣き声のようです。


 …赤子?


 混乱してしまいましたが、一瞬の浮遊感ののち、誰かの胸の上に降ろされたようです。そして肌と肌が触れあう感覚。わたくし全裸のようです…。

 目を開けることは未だ叶いませんが、何故そこが胸の上であるかと分かったかというと、心地の良いトクトクという懐かしい音、安心する呼吸音、柔らかく温かな乳房の感触…あら失礼。


 そして慈愛に満ちた声と大きな手に触れられ、わたくしをその胸の中に包み込んで下さっている方が、わたくしのお母様であると本能で知ることができます。


 おかしいですわね。わたくしのお母様はずいぶん前に天上の国へ還られたのですが…。


 とにかくわたくしを胸に乗せる“お母様”はわたくしの背を撫で、何かを話かけておられるようですが…聞いたことのない言語ですわね…。


 と、つらつらと考えている内に、制御不能だった泣き声はいつの間にか落ち着いておりました。

 あら、うっかり欠伸をしてしまいましたわ。淑女がこんな大口を開けていてはお母様に呆れられてしまいます。ところが聞こえて来たのは叱責ではなく愛おしげな笑い声。…わたくしそんなに変な顔で欠伸をしてしまったのでしょうか。恥ずかしいですわ。


 そして再びの浮遊感。あら、お母様と離れてしまっては寂しいですわ。なんか淑女とかどうでもよくなってきましたので、泣いてもよろしいでしょうか?

 ですが柔らかな布に包まれてすぐにお母様の元に戻されました。はあ…、このお胸の上とっても安心しますわ…。


 ここまで来たらもうわかります。目で確認しなくとも、肌で感じるこの一連の流れ。わたくし赤子になってしまっております。伊達に子を五人産んではいませんわ。


 ですがどういう事でしょう?天寿を全うしたら天上の国に還り、神の御許で悠久の時を安寧に過ごすと神殿は説いておりました。特に善行を積んだ者は、生前に最も充実した時期の肉体を与えられるとも…。結構わたくし善行積んだと思いますのよ。いえ、生前の行いに下心など決してありませんでしたわっ。


 それにしても赤子、しかも本当の生まれたてというのは何なのでしょう。わたくしの“最も充実した時期”というのは誕生直後だったのでしょうか。


 おかしいですわ、と考えている間にお母様以外の者の腕に次々と受け渡されているようです。

 敵意や邪な雰囲気は感じませんが、さすがにこうもひょいひょい回されると不安になってきます。

 と、ようやく目も開きそうな気がしてきました。わたくしが置かれている状況としかと確認しようと瞼を持ち上げます。


 すると、目に入ってきたのは。



 天上に輝く太陽のような金色の双眸。


 それは召喚された異世界の勇者様の証。



 わたくしの古い記憶にある彼の方よりもお年を召してはいますが、間違いなく、かつてわたくし達の世界を魔王の脅威から救ってくださった、勇者様その人です。


 魔王の消滅後、すぐに元の世界へと戻ってしまわれた勇者様。御礼を申し上げたかった勇者様。わたくしの初恋の相手の勇者様。


 どうやら赤子となったわたくし、勇者様の腕の中にいるようです。


 まさかの展開にわたくし目を見開いてしまいましたわ。こんなに驚愕の表情を見せてしまっては勇者様に失礼です。


 と思っておりましたら、勇者様もすごく目を見開いてわたくしの顔を、目を覗き込んでいます。…そんなに見つめられたら照れてしまいますわ。

 ああ、でもその真剣な眼差し。何か運命を感じてしまいます。


 そして勇者様は口づけをしそうなほどお顔を近づけて、極々小さなお声でこうおっしゃりました。


 「…聖女か?」


 「ぁぅぃ」


 「はい」と即お返事したつもりでしたが、悲しいかな赤子の喉からは言葉とは取れない音が漏れるばかりでした。しかし勇者様はしっかりわたくしの目を見て頷かれたのです。

 なんてことでしょう。勇者様は赤子となってしまったわたくしを“聖女”だと認識して下さいました。

 そして勇者様はおもむろにお顔をあげると。


 「この子の名前はセイで」


 なんと名付けまでして下さいました。赤子になる前はもちろん教会の司祭様より賜った名前があったのですが、何故か今は「セイ」という名がとてもしっくりします。


 赤子となり“お母様”の胸に抱かれ、そして現在、男性たる勇者様の腕…。


 ということは、勇者様は(推定)天上の国ではわたくしのお父様なのでしょうか。


 なんだか周りザワザワしています。勇者様のお言葉は理解できるのに、どういう訳か、先ほどからお母様は疎か、他にも幾人か近くにおり何やら話されていますが、内容を理解することが出来ません。まるで異国の言葉を聞いているようです。


 勇者様がわたくしに話しかけて下さったとき、わたくしの国の公用語を話されているのかと思ったのですが、会話を聞いている限りそうでは無いようです。


 どうにか勇者様以外の方々の言葉を理解しようと必死に耳を傾けていたのですが、なんだか疲れてきてしまいました。


 それに勇者様の温度と絶妙な揺れが心地よくて、とても眠くなってしまいます。


 これ以上眠りに抗うことは出来ないようです。赤子である以上、眠ることも大切な仕事です(子供五人産み育てましたからこの辺は熟知しております)。

 勇者様の腕の中で眠りに就くという、過去に憧れた状景に甘んじて目を閉じることにしたのです。


 そして眠りに落ちる直前、勇者様がまた小さく呟かれました。



 「聖女も転生したのか…」


 …転生とは?





 勇者様の腕の中という大変至福な状況で眠りについてから、長いのか短いのか、どれだけの時間が経ったのかわかりませんでしたが、再び意識が浮上するとまだ誰かの腕に抱かれているようです。


 ですがお母様でも勇者様でも無いようです。


 …なんと言いますか、抱き方に安心感がありません。慣れない感じといいますか、恐る恐る、緊張感が伝わって来ると言いますか…。

 抱かれているわたくしも不安になってきます。


 何事かとまた目を開くと、年若い男性の顔がわたくしを見下ろしております。そのお顔はどこか勇者様に似通ったところがありますが、別の方であることは明白です。


 何故なら、目の前の男性の瞳は、勇者様の金色の瞳では無く、魔族の頂点に座する者であるという証の紫色。


 それは紛れもなく、魔王の物です。

 

 そう認識した瞬間。わたくしギャン泣きでございます。


 黒い魔力を撒き散らして不毛の大地を広げ空を汚し、無慈悲に多くの命を奪い、国を滅ぼし、我がユグルニエイル王国が勇者様を召喚するに至った全ての元凶、魔王。


 淑女の心得など跡形も無く吹っ飛び、わたくし条件反射的に泣き叫びます。


 「お母様助けて-!」という気持ちを込めて必死に泣きます。魔王の手から救いを求めるならばここは「勇者様お助け下さいまし!」と思うべきなのでしょうが、どういう訳かこの時は勇者様の存在がすっぽ抜けておりました。

 なんとか魔王の拘束から逃れようと上手く動かせない手足を全力(のつもり)でばたつかせます。


 すると魔王はわたくしの抵抗にびくり!と体を揺らし「どうしようどうしよう」と言いながらオロオロ右往左往し始めました。

 あまり動かないで下さいませ!赤子の体は脆いのですから!


 助けを求めて泣き叫んでいますと、魔王の腕から別の腕にわたくし受け渡されました。それは勇者様です。

 なんと勇者様が聖女(わたくし)を魔王から救い出して下さった模様です。お伽噺の様な展開に思わずうっとりしてしまいます。うっとりついでに泣き止みました。


 ですが、勇者様。笑いを堪えるその表情は何なのですの…?


 「…なんで父さんだと泣き止むんだよ」


 「今までの行いの結果だろ」


 どういう訳か勇者様と魔王が穏やかに会話をしています。

 そして落ち着いて気がついたのですが、わたくし魔王の言葉も理解できます。後ろで爆笑しているお母様の言葉は相変わらず理解することはできませんが、二人の会話の受け答えはしっかり分かります。


 「というかなんで名前『セイ』なんだよ」


 「俺が『ユウシ』でお前が『マオ』だからだよ」


 「全然意味わかんねぇし…」


 「男の子だったら『セイジ』だったなぁ」


 「長男で『セイ()』は()ぇだろ…」


 「今時、漢字次第で全然オッケイだ」


 「ていうか命名権なんで父さんにある(てい)なの?オレの子なのに…」


 …なんと言いますか、かつて敵対していたとは思えないほど和やか会話です。落ち着いて考えますと、顔かたちがかつての魔王と違いますから別(魔王)の可能性もありますが、世界の敵である魔王と穏やかな関係を見せていることが考えられません。

 結局わたくしの名前の由来は、わたくしも理解出来ませんが…。

 そして二人の会話からどうやらわたくしのお父様は勇者様ではないようです。


 勇者様は“お父様”ではなく“お祖父様”でした。

 お母様は若い方のようですが、貴族社会では親子程の年の差ある夫婦は珍しいことではありませんでしたので、お年を召された勇者様がお父様で間違い無いと思っておりましたのに。ちょっとがっかりです。


 そして信じられないことに、なんと魔王がわたくしの“お父様”ということのようです。かなりがっかりです。


 悪行を犯した者は死後、天上の国には招かれず永遠の虚無を彷徨うと言われています。ですが悪意の塊であるはずの魔王は、以前とは姿形は変わっているので同一人物(魔王)では無い可能性もありますが、わたくしの“お父様”として同じ場にいます。


 ここが天上の国であるのなら、魔王はその罪を赦された、ということなのでしょうか?それともわたくしも勇者様も知らず罪を犯して天上の国では無い所にいるのでしょうか?



 本当にここはどこなのでしょう?



 「―――――、―――?」


 あら?いつの間にかお母様の元に戻されたようです。この時になって初めてお母様のお顔を見ることが叶いましたが、やはりお母様は随分前に亡くなられた“お母様”とは全くの別人です。ユグルニエイル王国では見かけない顔立ちですが、勇者様(お祖父様)に通じる民族性が見て取れます。

 話し掛けられておりますが、相変わらずお母様の言葉は理解出来ません。ですがわたくしを愛おしく思っておられることは伝わりますし、何よりも安心するお声です。


 お母様の心安らぐお声を聞いているうちに、また眠たくなってきましたわ…。


 まだ勇者様(お祖父様)魔王(お父様)は会話をしていますが、もう内容はどうでもよくなって来ました。ここは睡眠欲に抗わず目を閉じることにいたします。


 お休みなさいませ…。



 「娘の目がピンクってなんなの…」


 魔王(お父様)が何か言っていますが、わたくしの耳にははっきりとは聞こえませんでした。



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