転生する前
前に書いた「元勇者の平穏な生涯」にちょーーーっとだけ出てきた聖女ちゃん視点のお話です。
あまり長くならないです。週一くらいの間隔で更新する予定です。よろしくお願いします。
皆様ごきげんよう。わたくし前世では聖女を勤めさせて頂いておりました、シブタニ セイと申します。現在日本人でございます。
はい、所謂中二病、という物ではございません。ガチです。マジです。日本人としてこの世界で生を受けた瞬間から、地球とは異なる世界の記憶がバッチリ残っておりました。
どれくらい鮮明かと申しますと…、長くなりますが、わたくしの話を聞いてくださいませ。
わたくしは世界有数の大国、ユグルニエイル王国の公爵家の一人娘として生を受けました。また幼少の時分から聖なる力を宿しており、聖なる乙女、聖女として人々の安寧と世界の平和を日々祈っておりました。
しかし、平和とは突然崩れるもの。長い眠りに就いていた歴代最悪といわれる魔王が目を覚まし、多くの国々を蹂躙し始めてしまったのです。
八百年前に突如として現れた当代魔王は、行く先々で多くの命を奪い自然をも破壊していました。その力は凄まじく討伐など夢のまた夢。封印できれは御の字、といった具合でしたが、史実のほとんどは魔王が自然と眠りに就くまでの数年から数十年、ひたすら堪え忍ぶしか無いという有様でした。
眠りあるいは封印も数百年程度で解けてしまい、その度に多くの犠牲を出していたのです。
そして一度魔王に破壊されつくした地は黒い魔力で満ち、二度と生命を抱く豊かな大地へと戻ることはありません。
こうして数百年毎に世界はじわりじわりと破滅へと進んで行っているのです。
眠りから覚める度に力を強め、凶暴で無慈悲、もはや理性すらあるかも怪しい災害のような魔王に何人も近づくことすら叶いません。
我がユグルニエイル王国が誇る精鋭、聖騎士団でさえ魔王の前では赤子も同然。
当代一の聖なる力を持つと言われていた聖女であるわたくしでしたが、当時準成人も迎えていない子供のわたくしは聖騎士団に同行することは叶わず、その代わりと力の限り加護を聖騎士団に授けました。しかし勇ましく進撃した彼らは、誰一人として帰還する者はおりませんでした。
このままでは王国どころか世界が破滅するのは時間の問題です。そこで、わたくしの祖父でもある国王は一つの決断を下しました。
それは「異世界勇者召喚」です。
召喚される異世界の勇者様は膨大な魔力と戦闘能力を秘めていると言われています。過去には頻繁に行われていたという勇者召喚の儀ですが、異世界から招く、いえ誘拐するといっても過言ではないこの儀式は、時代とともに勇者の人権を侵害するものとして次第に行われなくなっておりました。
しかし今は世界滅亡の危機。事は一刻を争います。
魔王の封印、あわよくば討伐という最重要事項を恙無く遂行していただけるよう、また召喚する勇者様に一切の不利益が生じないよう一年をかけて手配を行い、勇者召喚の儀が執り行われたのでした。
かくして召喚された勇者様は白い衣を身に纏い、黒い髪にこの国では見られない端正な顔立ち、伏せられていた瞼が上がれば燦然と輝く天上の太陽のような金色の瞳を持ち、そして何より圧倒的な魔力をお持ちでした。足下にはお召し物は有りませんでしたが、白い光放つ召喚陣の上に立って真っ直ぐ前を見据える様子は神々しさすら感じます。
突然召喚されたにも関わらず、勇者様は取り乱す事無く大変落ち着いており、国王が説明されるこの世界の危機、そして勇者様への嘆願を粛々と聞いておられるようでした。
その凜としたお姿にはしたなくも、わたくしキュン…としてしまいましたわ。思えば一目惚れ、初恋というものだったのでしょう。
常人であれば命の危険も伴うこちら側からの一方的とも言える要求激怒し、拒絶することでしょう。
ですが勇者様はいくつか質問をなさったあと魔王討伐を承諾して下さいました。
そんな懐の深い勇者様のお役に立ちたいと、わたくしは強く願いました。
わたくしの聖なる力は邪気や悪しき魔力を払い、傷を癒やす事ができます。きっと勇者様のお役に立つことが出来るでしょう。
勇者召喚の儀の準備期間の間に初潮を迎え、準ずる、という立場ではありますがわたくしも成人として認められています。幾多の困難が立ちはだかることが予想される旅に今度こそ、わたくしもお供をさせて頂くことを強く望み、そしてそれは王命として叶うこととなりました。
ただしその王命には、世界を救うという以外にも思惑があったことは確かです。
過去の記録に残る召喚された勇者様方は、わたくしたちの世界の危機を救うだけでは無く、異世界の知識や経験を元に治政や産業、農業、教育、医療に関することなど実に多くの利益をもたらして下さいました。
またこの世界の女性と恋仲となり、元の世界には戻らず生涯を終えた勇者様もいらっしゃり、その血筋を引く子孫もまた豊富な魔力保持者でした。
しかし、悲しいことに勇者様から得られる恩恵に目が眩んだ過去の者達の中には、魔王討伐後は勇者様の意思や人権を無視して、搾取するようになったことも史実にあります。
本来罪人に使われる魔封じの枷を付けられ、知識も体も精神さえも貪り尽くされた勇者様もいたと言います。…言っておきますが我が国ではないですからね?他の国ですからね?
ですが世界を救った勇者様にそのような仕打ちを許容するほど、この世界の人々は腐っておりません。
勇者様に恩を仇で返すような所業をしていたことが発覚した国は、他の国から非難され交易を断絶され、「勇者救済」を建前に戦争を仕掛けられ、さらにその国の民は世界の恩人への仕打ちに怒り暴動を興され全て滅びの道を辿って行きました。
あるいは、非人道的な扱いを受けた勇者様の怒りで、魔封じの枷で抑えられていた魔力が大暴発し、物理的に滅んだ国もあったようです。一夜にして跡形も無く一つの国が無くなってしまったので、そう推測されるのみですが。
ですから勇者様を招いた国は、魔王討伐後は元の世界へ戻るかこの世界に残るかなど、勇者様の意思を尊重することが大前提となったのです。
その内「勇者召喚の儀」自体が他の世界で平穏に暮らす勇者様の人権そのものを侵害するものとして、あるいは勇者様そのものが次なる世界の脅威となる可能性があるものとして、忌避され禁忌であるとなりました。
今回勇者様をやむを得ず召喚することとなった我が国も、勇者様に万が一でも不利益が生じないよう、根回しや配慮が成されていました。
しかし人というのは欲深く、罪深いもの。
表面上では勇者様の意思を尊重していることを演じつつ、国王や国の重鎮、神殿は魔王討伐達成の暁には勇者様がこの国に留まることを望んでいるようでした。
異世界の知識や技術が国の中枢に近いところに存在するとなれば、国力を底上げできる可能性も考えられます。
そして国王はいずれ勇者様と聖女が結ばれることを望んでおられました。
国王の孫であり、公爵令嬢でもあるわたくしと勇者様が婚姻をすれば、ユグルニエイル王国の王族に近しい系譜に豊富な魔力を持つ勇者様の血筋を取り入れることができます。当時、王家には三人の王子がおりましたが全員平凡な魔力量しか持っていませんでしたから尚のこと。
ですが全ての決定権は勇者様のもの。ならば勇者様がこの世界に残られるよう、旅すがらこの国の名所を訪れたり、魅力的な企画を用意したりすることも手配されたのです(…今だから言えますが、世界の危機が目の前にあるというのに、ずいぶん悠長なことを考えたものです)。
勇者様の伴侶となること、わたくしもやぶさかではございません。勇者様が魔王討伐後もこの世界へ留まることを選択してくださるよう、誠心誠意努力いたしますわ!
と思っていた頃もありましたわ。
過去の伝承にあるように、召喚された勇者様はこの世界で類を見ない膨大な魔力をお持ちですが、元の世界には魔法は存在しないとされています。
魔法の使い方にきっと不慣れなことでしょう。そのような状態で過酷な旅に放り出すほど我が国は無情ではありません。勇者様にはお伴をする討伐員の候補との相性を見ることも兼ね、教師役が付けられることになりました。
なおわたくしが勇者様のお世話係をすることは、すでに決定事項です。
そこでわたくし文字通り手取足取り魔法の使い方、魔力の練り上げ方などをお教えする腹積もりでございましたが(本当は魔法使いが教師役)、勇者様、普っ通に魔法を使い熟しておりました…。それも当代一と言われている魔法使いもご存じ無い魔法を無詠唱でぶっ放しておりました。
さらに剣の腕の方も、指南役の戦士(騎士団長も一目を置く傑物)も伸してしまうほどの実力でした。なんか技を決めるとき妙な声を上げているのが気になりましたが…。
「え、俺たちいらなくね?」と意識を取り戻してから思わずこぼした戦士に、わたくし達思わず同意してしまいましたわ。
ですが「魔法の正しい使い方や魔族、魔物の生態ついては分からないし、実戦での戦い方も経験がありません。土地勘も全くありませんので、どうか旅に同行して、ご指導ご鞭撻頂けないでしょうか」と実力に傲ること無く、わたくし達に頭を下げる勇者様の謙虚さに、ますます惚れてしまいました。
普段、必要最低限の会話しかされない方でしたので尚更です。
その真摯な姿に戦士は感涙し、魔法使いは「違う扉開きそう」と呟いて、なんとなく頬を赤く染めておりました。大丈夫でしょうか。
勇者様の実力が申し分ない(なさ過ぎる)ことが判明した後、いよいよ魔王を倒す旅(加えて勇者様にこの世界を気に入るよう企画てんこ盛り)が始まりました。
驚くことに召喚の儀から一週間しか経っていない早さでした。
本当は勇者様の実力が付くまで数週間から数ヶ月は必要と予測し、その間に歓迎の儀(という名の器量の良い令嬢達とのお茶会や夜会。わたくしが見初められなかったとしても数打ちゃ当たるの保険ですわ)や城下町での平民との交流会(平民の暮らしから異世界の知識を披露される勇者様もいらっしゃったそうなので)などの予定が設けられていたのですが。
しかし魔王の影響により人々に被害が出ている現状で、討伐開始が早まることは決して悪いことではありません。むしろ僥倖と言っていいでしょう。
王城の関係者や城下の民は消化不良感ありありのようでしたけれども。
何はともあれ、まずは王都にほど近い場所で名所に寄りつつ、弱い魔物相手に慣し戦闘です!
いくら勇者様の実力が申し分無くても演習と実戦は異なるもの。幸い、魔王の現在地は北の国境付近にあるという情報がありますから、勇者様の様子を見ながら旅を進めるという方針です。
が、勇者様は「いや、無駄だから」とおっしゃり脇目も振りません。進軍は魔王まっしぐら、といった感じでございました。
共に旅をすることとなった魔法使いと戦士も戸惑いが隠せません。
本当はあらゆる試練を乗り越えてようやく手に入れられる聖剣も、サクっと手にされていました(勇者様は「うらわざうらわざ」とおっしゃっていましたが、新しい魔法でしょうか)。
各地の名所巡りは「寄り道している場合ではない」と案内を断られ(確かに最もですわね)、勇者様の心を揺さぶる(予定の)企画はことごとく回避され…。それはまるで、これから始まる事をあらかじめご存じであったかのようでした。
こちらの企画情報を勇者様に漏らす内通者がいるのか、果ては勇者様には人の心や未来を読む能力でも備わっているのかと、わたくし達の間で憶測が飛び交ったことは言うまでもありません。
結局のところ真相は分からず終いでしたが、勇者様が各種企画に引っかかることが無い以上、この世界に残って頂く鍵はわたくしに委ねられたと言っても過言ではありません。
わたくしの魅力一本勝負。今こそ令嬢同士のお茶会や指南書(侍女おすすめの恋物語)から享受された誘惑を今こそ発揮するとき!
ところが、ところがでございます。
自分で言うのも何ですが、聖女色と言われる白金の髪、殿方の庇護欲をそそる垂れ目がちで薄桃色の瞳、白い陶器の様な滑らかな肌、お胸…はこれから育つとして、王国一の美姫として名高いわたくしに勇者様は一瞥もくれることはありませんでしたの!
美貌も教養も血筋もこの国随一で!聖女で!さらに公爵家唯一の子であるわたくしと婚姻すれば、もれなく次期公爵の位を得られるという美味しすぎる優良物件でございますのに!
わたくし、聖女たるもの謙虚であれ清廉であれと教育を受けて参りましたが、ここまで殿方に袖にされると憤慨というものを憶えます。
…取り乱しましたわ。
幾多の困難を共に乗り越え、信頼を得ていずれは愛を育み、魔王を討伐した後は夫婦に…という計画でございましたが、勇者様はわたくしの渾身のお色気作戦にも無反応でした…。
偶然を装って躓き抱きついてみようとしても、勇者様のお体に触れる前に浮遊魔法を掛けられて立たされたり、勇者様が入浴中の浴室にうっかり間違って薄着で入ってしまいましたわ、キャッ!風の時は、絶対不可視結界を張られたり…。
ただひたすらに虚しいだけでしたわ…。しかも勇者様ってば、こちらを見ること無く魔法を使っているのですよ?どうなっていますの?
ここまで来るとわたくし自身に女の魅力が無いのかと自信喪失ですわ…。
ですが「あれは無理だ。落とせない」とは討伐員の一人、魔法使いの言葉でしたでしょうか。魔法使いも戦士も、勇者様と同性同士、友情を育もうと奮闘しているようでしたが、まさかの脈無しでした(魔法使いは友情以外の何かを求めてかえって引かれているようでしたが…)。
このように勇者様はわたくし以外の者にも、壁を作っておられるように感じました。…壁という生温いものではございません。アレは鉄壁です、国防レベルの結界です、古代ハンガルプス帝国の天空の壁(この世界最長、最高、最厚の国防壁の遺跡でございますわ)の如きです。
会話はどなたとでも必要最低限。まるで非効率を嫌う文官から受ける業務連絡のようでした。
思えば一番長く喋られたのが、旅の前の「ご指導ご鞭撻―――」の件でやしないでしょうか…。
戦士(脳筋)には「まあ、要点がまとまっていて理解しやすかったけどな」と好評のようでしたが。
兎にも角にも、勇者様はこの世界に残るおつもりは毛頭ないようです。元の世界に一刻も早くお戻りになる為に魔王を倒しに行く、という雰囲気を全力で出しておいででした。やはり元の世界への思いは、わたくし達が考えている以上に強いのでしょう。
勇者様の怒濤の進撃に目の回るような旅でしたが、勇者様は道中、魔王が撒き散らす黒い魔力の影響で凶暴化した魔物や増長した魔族から被害を受けている民は決して見捨てることはなく必ずお救いになっておりました。
…ですが、無表情、問答無用、時々奇声を上げて敵を切り捨てる勇者様に、助けられてすぐの民は大変怯えておりました。勇気を出して御礼を申し上げた幼子にも塩対応でしたし…。
民を襲う魔族、魔物に条件反射的に容赦無く飛びかかっていく様は、普段戦いとは縁遠い民からしてみたら、嬉々として戦いに身を投じる戦闘狂にも見えたことでしょう。大量の返り血を浴びても平然としておられましたし。
勇者様が立ち去った後、戦いを目の当たりにした民の伝聞に尾ひれ背びれが付き「この世と相容れない魔力を持つ異世界の勇者が通った後には草も生えない」とか「無理矢理魔王討伐をさせられてこの世界の憎んでいる勇者と言葉を交わすと呪われる」などと噂され、「凶勇者」として畏怖の念とともに後世に語り継がれることとなったのでした。
こういったこともあり、後に各国で「やっぱり勇者召喚はやるもんじゃない」という考えがより強くなったことは言うまでもありません。
なお勇者様(とわたくし達)の為に弁明いたしますと、草が生えないのは魔王の黒い魔力の影響のせいです。勇者様に無理矢理やらされている感が出ていたのは氷のような無表情のせいです(…この点については否定仕切れないですが)。
その後、勇者様の「元の世界に早く帰りたい」という意思を強烈に感じ取った(諦めとも言います)わたくし達は、彼との適度な距離を保ちつつ旅を続けました。
そうして、旅の果てについに魔王との対峙するに至りましたが、歴代最悪の魔王は、それはそれはとてつもなく強かったのです。
戦いは三日三晩に及びました。
勇者様と戦士が魔王との接近戦に臨み、魔法使いが遠方攻撃魔法で後方支援、聖女は回復魔法や補助魔法で討伐員達を援助、さらに聖なる力で魔王の悪しき黒い魔力を浄化…こちらに関しては勇者様が手に入れた聖剣に遠く及ばない微々たるものでしたが…。
最初に戦士が勇者様を庇って魔王の攻撃の直撃を受けて倒れ、次いで不眠不休で遠方攻撃を続けていた魔法使いが魔力切れで意識を失います。戦いが始まってなんとか二日はわたくしも立つことが出来ましたが、我が身に宿る聖なる力の限界を感じ、残りの力を勇者様と聖剣に注ぎ込んでついに膝を折ってしまったのでございます。
しかしわたくし達の連携攻撃は決して無駄では無く、魔王との戦いが始まって三日目、ついに魔王の動きに陰りが見えたのです。
無限に、とも思える程、大量にまき散らされていた禍々しい黒い魔力が目に見えて減少し、傷など付かなかった体には血が流れ始めています。
戦いも佳境に入った頃には勇者様も魔王も魔力による攻撃は行わず、純粋な剣撃のみの打ち合いとなっておりました。
もはや足手纏いとなったわたくし達は、目を覚ましてわずかに魔力を回復した魔法使いの移転魔法で戦いの圏内から離れ、遠くからその様子を見守るしかありませんでした。しかししばらく見守っていると、どういう訳か双方からは戦いを楽しんでいるような雰囲気が流れ始めます。
どのような状況なのかまるで分かりませんでしたが、長い打ち合いの末、勇者様の動きに戸惑いが見え、次いで魔王がなんと動きを止めて両腕を広げた後、とうとう勇者様の聖剣が魔王の心臓を貫いたのです。
数百年に渡って多くの命を奪い、国を滅ぼし、黒い魔力によって大気や海や大地を汚した魔王の最期を目の当たりにした魔法使いと戦士は快哉を叫びます。
わたくしも感無量となり神へ感謝の祈りを捧げました。
そうして再び勇者様の元へ皆で駆けつけると、勇者様は地に伏した魔王の上体を支え、何かを話しているようです。勇者様はこちらに背を向けているので何を話されているかははっきりとは聞こえませんでしたが、胸に聖剣が刺さったままの魔王は、これまでの暴虐ぶりが嘘のようにとても穏やかな表情をしています。
そして、狂気と怨嗟に染まり淀んでいると言われていた魔王の証である紫の瞳は、禍々しさがすっかり消えておりました。
やがて力尽きた魔王は、勇者様の腕の中で砂となって、崩れ去って行ったのです。
今までの戦乱が嘘のような静かなその光景に、戦士も魔法使いも聖女も声を発することができません。
魔王が消え去った後もしばらくその場で膝を着いていた勇者様が、残された聖剣を手に取っておもむろに立ち上がります。
そうしてわたくし達に背を向けたまま、聖剣を横に鋭く一閃させました。
すると勇者様を中心に目が眩むほどの光が発せられ、強力な聖なる力が周囲を駆け抜けて行ったのです。
清らかな力が体を満たす感覚がし、思わず伏せていた目を開けるとあれほどひどい傷を負っていたわたくし達の体はすっかり癒えていたのです。
体だけではありません。邪悪な黒い魔力で不毛の地と化していた大地には植物が芽吹き、清らかな水が湧き出し、清浄な風が吹き、再び生命が溢れる豊かな地へと変貌しました。
なんということでしょうか。もはや“奇跡”と言っても過言では無い、聖剣から発せられた膨大な聖なる力で壊された世界が再生していったのです。
この奇跡に皆呆然としてしまいましたが、はっと我に返り勇者様の方を見やると。
そこには、ただ輝きを失った聖剣が大地に突き刺さるのみでした。
その後、王城へ帰還したわたくし達は、魔王を滅ぼすことに成功したこと、勇者様が元の世界に帰還されたことを報告しました。
勇者様を引き留めることが出来なかったことに責任を感じておりましたが、勇者様は元の世界へ帰りたがっていたこと、取付く島も無かったことを戦士と魔法使いが証言して下さり(彼らから滲み出た諦念がより説得力を強めていました)、そして何より王都にまで伝わっていた「凶勇者」の逸話が「帰ってもらえて良かったね」な空気を作り出しており、叱責されることはありませんでした。
そして王城に帰還してから気がついたことがあります。正確には国王様の「討伐すごい早かったね」というお言葉からですが…。
魔王討伐の為王城を発ってから帰還するまで、なんと三ヶ月しか経っておりませんでしたの!過去の魔王討伐の記録を紐解くと、最短でも二年はかかっておりましたので、今回はとんでもなく素早い討伐劇だったと言えます。
その分、時と共に増えるであっただろう被害を抑えることが出来ましたし、さらに財務担当官も「想定より討伐費用と被害額がずいぶん少なかった」と驚いておりました。
…これはおそらく、いえ絶対、わたくし達が準備していた企画を呑気に堪能していたら、もっと犠牲になる民が増えていたことは想像に難くありません。それに被害が少なかったおかげで、税を増やすようなこともしなくて済みました。
今回召喚した勇者様は、過去に勇者様達のように異世界の知識や技術、血筋を残すことは一切ありませんでしたが、「迅速な対応は被害を最小限にする手立てである」ということを教えて下さったと言えます。
むしろ何故これまで気がつかなかったのでしょうか…。今回の勇者様のように最初から実力が伴っていなければ実現は難しいですが。
今回の魔王討伐の祝賀会にて、国王様から賛辞を賜り、戦士と魔法使いと共に「救世の英雄」の称号を頂戴しましたが、わたくしの心は晴れません。
なぜなら、一番の功労者である勇者様に一言も御礼を申し上げられておりませんから。
その数年後、新たに聖なる力を宿した乙女が誕生したことを期に、わたくしは聖女を引退して、公爵家に第二王子を婿養子に迎え入れ婚姻をしました。
婚姻とともに公爵を継いだ第二王子にはとても大切にされ、政略結婚でしたが愛のある幸せな人生を送れたと思います。
ですが晩年、天へ還る時が近づくにつれ、やはり思い返すことは勇者様のこと。
御礼もさることながら、若かりしあの頃、勇者様をお慕いしていたことを申し上げられなかった後悔があります。勇気を出してわたくしの思いの丈を告げることが出来ておりましたら、何か変わっていたかもしれませんから。
もちろん、今は婚姻した夫を愛しておりますが、それはそれでございます。
もし死後に迎え入れられるという天上の国が、世界を異とする者も訪れる場所であるのなら。
勇者様に再び見えることが叶うのなら。
必ずこの思いを申し上げたいと強く願うことしかできませんでした。
勇者様がお召しの白い衣はお母さんが買ってきた白い上下セットのスウェット。胸に「GO TO HELL!」って書いてあるけど、お母さんは深く考えていない。勇者様は寝巻きの代わりに着ていたやつ。