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贖罪

 翌日、ビニール袋を手に公園へ向かった。


 中には近くのホームセンターで購入した植物用の液体栄養剤が入っている。

 あの大木には必要ないとは分かっているが、それでも気持ちが伝わればと思ったから。


 そんなもの、僕には必要ないのにと言われるかな、そうだよねごめんねって笑って話せるかな、と期待でいっぱいだった。


 そんな想像しつつ車を走らせ、到着したのはちょうどお昼頃だっただろうか。


 


 車を近くのコインパーキングに停め、歩いて公園に向かう。割れ物でもなんでもないそのプレゼントを両腕で胸に抱えながら。

 

 しかし、その公園が視界に入ったその時から、ゾッと背筋を撫でられるような不快な違和感を感じた。

 考えるよりも早く、体がその違和感を良からぬものであると悟っているようで、心臓の音が大きくなっていく。

 その鼓動に駆り立てられるように、歩く速度も速くなる。


 そして公園の入り口にたどり着き、その光景と事実を突きつけられる。


 「木が、ない……。」


 いや、木がないというのは語弊がある。私の記憶に存在する、あの木の姿ではなくなっていた。


 身体の中心を貫かれたような感覚がする。

 全身の熱が一瞬にして引き、手足がしびれる。同時に、ガサッと音をたてながら抱えていた栄養剤入りのビニール袋が滑り落ちていった。


 冷や汗がこめかみから頬をつたい、蒼白呆然となる自分をはっきりと感じる。


 木は、すべての葉を落としていた。


 3ヶ月前にはあんなに青々としてたくさんの葉を茂らせていたのに、1枚の葉もついてはいなかった。


 こんなに短い期間で、しかもこの夏に突然全ての葉が落ちるなんて有り得ない。


 「なに……? 」


 信じがたい状況を何とか理解しようと、かろうじて木と分かるその幹の跡を一周し、情報を得ようとする。

 木の幹らしきものは、縦に大きく2つに裂かれていて、その内側は黒く焦げているようだ。


 落雷……? 


 幹の先端に残っている枝の節々は欠けていて、何かにかじりとられたようである。



 “ー”



 呼びかけても返事がない。

 いつもは3度と言わず、1度でも届いていたのに。


 「なんで……? 」


 私が傷を押し付けたから……?


 その疑問が正解である、と頭が叫んでいる。

 


 木は死んだ。



 私が殺した。



 お前が、殺した!



 後悔と罪悪が大波のようにして全身を襲い、止めることは出来なくなる。


 あれほど形容し難く生きてはいられないとした苦痛の全てを簡単に押し付けた。


 名前を唱えるだけだったから。


 ただ、それだけだったから。



 瞬間に蘇る、この1ヶ月間の自分の行動。



 その全てが私の罪そのものであった。




 自分が傷つきたくないから人に押し付け、自分が幸せを感じたら他人の傷には気付けない。それがあまりにも重なりすぎて、私はこの木を、私を助けてくれたこの木を殺してしまった。



 どうするの、どうしたらいいの。



 どうしたら私は償うことができるの。

 


 この木は私と同じだったのに。




 傷つけられてもその訴えは誰にも届かず、もがくことも死ぬこともできない私と同じだったのに。


 なぜ、気がつくことができなかった?

 なぜ、その声に耳を傾けようとしなかった?

 どうして存在を思い出すことすらできなかった?




 私は自分が満たされた瞬間に、痛みを忘れたのだ。

 気づくことができるのは、声が聞こえる私だけだったのに。少し考えればわかることだったのに。




 誰も助けてなどくれない救いなどどこにもない、と呪っていた世の歯車に、私もなったのだ。




 無意識だろうと、傷つけてしまったら結果は同じ。

 相手が命を落とすまでに至ったのなら、後悔も懺悔も、償いも許されない。



 許しを乞うべき相手がそこに無くしてできる償いなど存在しない。





 無邪気とは恐ろしい。

 鈍感とは恐怖そのものだ。




 何も元には戻せない。

 仮に私が死んだって、それが償いになることはない。


 この木はなにを思ったのだろう。

 最後に私を恨んだだろうか。

 もうやめてくれと声にならない叫びをあげていたのだろうか。


 私はその叫びを糧に笑っていたのか。



 音が止まる。

 風が止まる。

 息が止まる。

 

 上も下も、目がぐるぐるとして、もうわからない。

 足下もふわふわと浮いているよう。

 


 もう何もわからない……。





 それからしばらくの間、もの言わぬその木に寄り添って座っていた。


 1番高いところから私を照り付けていたはずの陽は姿を消し、赤黒い空に変わっている。


 空の変化に気づいたと同時に足が立ち上がり、腕も動き始める。

 思考がはっきりしないから、後は足と腕とが動きたいように、と身を委ねる。


 腕が近くに落ちていた鞄の紐を掴み、ズズッと手繰り寄せる。


 そのまま鞄を荒っぽく広げ、反対の手で近くに落ちていた枯れ葉と少しの枝を折って詰める。


 ひたすら詰め、もう溢れて入らないというまで詰め続けた。



 そして家に帰り、庭でカバンをひっくり返す。


 財布やメモ帳や携帯や社員証が、枯れ葉や枯れ木とともにボトボトと落ちていく。


 地面に散らばった木の残骸を手でかき集めて山にする。

 その山が風で散ってしまわないように両手を添え、そのまま冷たい地べたに座り続けた。


 時間も分からぬまま、痺れた頭で明日は……と考えているうちに朝日が登った。


 時計の短針が10時を指すのを確認し、着替えもせずに薄汚れた出で立ちであのホームセンターへ向かう。


 植物が売られている土の匂いのするコーナーで小さな小さな苗木とスコップを、新しい栄養剤とともに買った。


 家へ帰り庭先に苗木を植える。そしてあの山を崩して枯れ葉と枯れ木を手で出来るだけ細かく優しくちぎる。

 土と混ぜ、苗木に沿える。




 そうして、その苗木に向かって言う。



 私があなたをただ死なせはしない。

 あなたの居場所はここにある。


 1人にしない。絶対に1人にはしない。


 罪悪感と虚しさで胸をいっぱいにして、目の前の幼い木に声をかけ続けた。






 私はその日から、その木を見守るためだけに生きた。


 死にたいとも考えず、生きたいとも考えず、ただ見守るためだけに。


 いつか木が苗木の力を借りて、私に恨み言の一つでも言ってくれたらと期待して。



 苗木に吸い込まれた枯れ葉たちはやがて、幼樹へと成長し、私は白髪の老人へと変化していった。


 足腰の自由が奪われても杖をついて庭に出て、毎日変わらずあなたを守る、と声をかける。



 そしてとうとう杖もつくことができなくなった。



 毎日布団から庭先で生きるあの木を眺めるだけ。

 なにを思っているのか、声にならない声を発していないかただ見守るだけ。



 あの木は確かに役に立つのだろう。



 そう、あの時彼が言ったように、ただそこに立っているだけで。

 喋りもせず、存在のみで私をここまで生かした。

 



 寝たきりになって随分経ち、家事も全てホームヘルパーを頼るようになった夏。




 すこぶる調子の良い朝があった。

 



 ただ布団から天井を眺めているだけの体勢なのに、なぜ調子が良いとわかるのだろう。



 自分でも可笑しいとくすくすしながらいつものように、いや、今日は特別長く木に問いかける。


 昨日は辛いことはなかった? と。


 私はあなたの命を糧にして生きてしまったけど、私はあなたを役立たぬ物にしたくなくって苗木と一緒にした。

 もしあなたが傷を受けたときは私の名前を呼んでください。

 私は神に愛されてなどいない。あなたの傷を代わりに受けることはできないけれど、必ずあなたの声に応えます、と。



 一通り声をかけ終わると何故か、どうしても今手紙を書かなきゃいけないと感じた。

 すると、いつもなら起き上がることでさえ人の手を借りねばできないのであるが、今日は一人で座ることも、文字を書くこともできた。



 封筒と便箋を布団横の棚から取り出して広げる。

 


 その真っ白な便箋に、私の最後の我儘を書き綴る。



 署名と日付と判子を押し、宛名を書いた封筒に三つ折りにして入れる。




 後から来るホームヘルパーか介護士が気づいてくれるように、兼ねてから用意していた金封と一緒にテーブルの中央にそっと置く。


 そうしてまた横になり、布団を足元から掛け直して寝る体勢を整える。


 

 役目は終わった、と一呼吸つくと、心にとても心地よく爽やかな風がひとつだけ吹いた気がした。



 その瞬間、これまでのことが白昼夢のように次々と浮かんでは消えていって、夢見心地になる。





 生きていく辛さや希死念慮と共に生きた日々も、既に死んだあの木を見守ると言って埋めたあの日の贖罪も、全ての記憶が穏やかに流れていく。



 そうしてその夢は去り際に、私に一つの気づきを授けていった。


 耳の奥であの日の、あの木のささやきが響く。



 「君は……僕と同じだから。大丈夫、いつかわかるよ。」




 悲哀と少しの安堵が混じったような優しい声。


 やっと分かった。


 あなたが言った、「君は僕と同じ」という言葉の本当の意味を。


 きっとあなたも私と同じように、誰かを糧にして生きたのでしょう。

 あなたが数字を知っていたのも私に話しかけたのも、きっとこうなることは分かっていたのでしょう。

 私の代わりに死ぬことも、きっと知っていたのでしょう。

 私もまた罪深いあなたの後に継ぐ、そういう運命だったのだと。




 ああ、それなら良かったのかもしれない。

 あなたのそばで眠るのはあなたの声を聞くためと思ったけれど、あなたのそばで眠れたら色んな人の声も聞こえる。




 最高で、でもとても罪深い最後の我儘になった。



 人間としての私はここで尽きてしまうけれど、あなたのように、誰かの役に立ちたいの。



 私も人の声を聞きましょう。




 生きて欲しい誰かのために、その人の声に応えましょう。





 「これまで本当にお世話になりました。感謝しています。最後の我儘ですが、どうか、どうか庭のあの木のそばで眠らせてください。」






 これ以上はない、というくらいの苦しみを味わったことがあるとしても、それが過去のことになった瞬間から他人の痛みに鈍くなると私は思っています。意識しなければ。

 そして、何の罪においても「償い」とは一体どういう事なんだろうかと思いますが、未だに納得のいく答えは出ていません。

 この主人公は都合の良い考え方をしていると思うし、書いていて腹が立ちます。例え次の声を聞けたとしても、このままでは同じ運命に次の人間を引き摺り込むだけです。

 心の傷だって誰かの生きる道を奪うほどの深い罪ならなおさら、正しい償いなんてものはどこにも存在しないかな、と。人が訴える前に自分がその人の声を聞きにいかないといけない、と自分に喝を入れながら書きました。


 もっとすっきりハッピーエンドにするつもりが、途中から……。でも、モヤモヤするのはそれで結果オーライかも知れません。


拙い文章、読んでいただきありがとうございます。

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