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僕の名前を呼んでみて

 その声は少し低い、しかし男性のそれではなく大人の女性のような落ち着いていて不思議な声だった。


 その声質のせいか怪しむ気持ちも忘れ、少しの疑問も持つことなくその声に応える。


「分からない。もう、疲れたなぁって思っているだけだよ。」


「疲れたなら休んだらいいのに。どうして休まないの?」


「休めないから。どうしてもずっと、疲れがついてくるの。逃げられないの。あなたは疲れないの?」


「疲れるっていう事がよくわからないんだ。前は知っていたような気もするけど、今は自分では動けないから。でもここに来て、僕にすがって命を落とす人間を見ている時は、ただ見ているしかないのがとても……重たいんだ。僕が声をかけても届かないから。」


「ここで死んだ人がいるの?あなたはどのくらいここにいるの?」


「さぁ、わからない。数字は知っているけれど僕の生きる道には必要のないものだったから、数えていないんだ。でも、たくさんだよ。みんな訳も話さず涙も流さず、逝ってしまうんだ。」


「そんなのをずっと見ていて、気が狂いそうにならないの。私にはきっと耐えられない。あなたは立っているだけで葉がエネルギーを作るし、動物のように心臓も脳もないのだから自ら死ぬこともできない。そんなにたくさん腕があるのに、動かすことはできないのね。あなたは自由がなにもない。ただ生きているだけ……。ああ、でもそれも、今の私とはあまり変わらないか。」


 自分の口から出た言葉にはいくらか失望した。それは罪なき大木に対する嫌味と妬みを詰め込んだ私の本性をそのものだったから。


 私が話してからしばらく間が空いて、確かに、とその木は言葉を繋いでいく。


「僕は立っているだけしかできないけど、立っているだけで役に立てるから。役に立っている限り生きているし、だからこそ死のうと思うことなんてないんだ。」


「そっか、羨ましいな。私は力をつけても役に立てるのか、そんなのわからない。私はきっと誰の役にも立たない。私の人生にもあなたの葉っぱのようなものがついていたら良かったのに。」



 そうしたらこんなに無力だと思わない。


「あなたのように生きていたいも死んでいたいも考えなかったかもしれないね。何かに関わる枝もないのなら、傷ついたりもしないのに。」


 思いの丈を言い切ると、深い溜息が出た。


 本当に疲れたな、考えることも、死ぬことも。


 脱力して木の幹のすぐそばに座り込み、膝を抱え込んで目を閉じる。


 それからしばらく私も木も、なにも喋らなかった。


 静寂の中で、風の音とそれに吹かれて揺れる葉が擦れる音だけがガサガサと、やけに大きく聞こえ続けていた。



 もう、ここで終わりでいい。

 家に帰って道具を持って、そうしたら終わりにしよう。木に登れないなら刃物でいい。

 なぜかわからないけど、私はここで終わりを迎えたい。この木のいる場所で。


 そう思い、閉じていた目からスーッと涙が流れた時だった。


「ねぇ、傷つくってどんなこと?僕知らないんだ。教えてよ。だれも僕の声、聞こえないから。頼めるのは君だけなんだ。」


 木がこれまでと違って明るい声で言い放つ。

 無邪気で好奇心旺盛な子供のように。


「ごめんね、私もう何もしたくないから……。」


「君は死ぬんだろう、もう最後なんだろう。役に立てないのが嫌だったのなら、僕の役に立ってよ。君のことが気に入ったよ。だって僕の声に気づいてくれたから。嬉しかった。君が来てくれて、話してくれて嬉しかった。」


「だからお礼も兼ねて、僕に傷つくってどういうことなのかを教えてよ。僕が代わりに傷ついてあげる。君の代わりに傷ついてあげる。」



「傷つくって、そうだな……苦しくて息ができなくなることかな。……ありがとう、あなたは優しいね。でもそんなこと誰にも出来ない。傷ってみんな同じじゃないんだよ。受ける人によって違うから、私が受ける傷をあなたの傷には出来ないよ。」


「大丈夫、僕はこう見えて、結構神様に愛されているんだ。ねぇ、僕が願ったらきっとなんでも叶うよ。本当に成就したことがあるんだ。信じてみてよ。君はもうすぐ死ぬんだろう。それならなにも怖くないだろう。やってみてもいいだろう。」


 とんでもないことを言う木だな、と思いながら何を言い返そうかとその姿を見上げる。


「確かに愛されているかもね。そんなに大きくなるまで長く生き続けているんだもの……。でもどうやって。」


「君が傷ついたら僕を呼んでくれたらいい。心の中で……そうだな、3回くらい唱えてくれるかい?そしたらきっと僕にも届く。」


「あなたを呼ぶの?3回……3回ね。あなたはきっと嘘をつかないのだろうけど、あなたが私の傷を代わりに受けられるなんて、信じられない。だから気が向いて、覚えていたらね。」


「いや、きっと君は僕を呼ぶよ。僕にはわかる。」


「なぜ?」


「だって君は……僕と同じだから。」


「同じって何が?」


「大丈夫、いつか分かるよ。」


「ふぅん……。」





 話が終わって気がついた。


 いつの間にか、さっきまでの涙も絶望も薄れているということに。


 少しだけ生きる気力が湧いてきて、何かをする気分になった。


 家に帰らなければいけない。明日も仕事があるのだから。


 立ち上がって埃を払い、幹に手を当てながら声をかける。


「今日はありがとう。あなたと話せて少し気が晴れたみたい。さようなら。」



 木に背を向け公園の去ろうとしたその時、風に体を撫でられて、木が囁く。


 “僕の名前はー”






 翌日、仕事に向かった私はいつもよりひどく傷を負った。

 昨日の不思議な出来事で油断して、行動する自分と見守る自分に解離しなかったからだろう。

 見えないけれど、剣で体を貫かれるよりもずっと深く痛む傷。


 歩道を尻目に道路の白線の内側を歩きながら、ふらふらと家へ向かう。


 家に着くと電気もつけず、朝起き抜けた形のままの布団に倒れこむ。


 頭がなにも考えていない。真っ白でも真っ黒でもない、なにも色がついていない。

 意識しようとしても五感は完全に麻痺し、呼吸も鼓動もはっきりとはしない。


 涙も出ない。


 糸はついに切れてしまったのか……。


 瞬間に絶望感がせり上がってきて皮膚が粟立つ。もう本当に私をこの世につなぎ止めてくれるものが何も無くなってしまったんだ、と。


 ここまでだ。


 そう思った時、ふと公園の風が蘇ってきた。


「僕を呼んで。」


 あの木の声が聞こえた気がした。


 口には出さず、心の中で唱える。


 “ー”


 “ー”


 “ー”


 すると、ぶわっと体からどす黒い重たい空気が抜けたような感じがして体の軽さを感じ、一気に五感が戻ってくる。


 それと同時に、着替えなきゃ、ご飯食べようかな……そんな頭も働くようになってきた。


 ほんとに……?


 本当にあの木は私の傷を代わりに受けたのだろうか。


 普通の考えを取り戻した状態がにわかに信じられなかった。

 しかし、いつもとは確実に違っていて、その日は全ての寝支度を終えて夜10時には就寝したのだった。


 明日のことなど微塵も考えずに。



 翌日から私は、辛いことがある度にあの木の名を唱えるようになった。


 最初は頼りきってはいけない、と1日に一回……。


 3日後には1日に2回……。


 1週間後には5回……。



 6回、7回、8回。



 どんどん増えていく回数と、それに伴うまるで苦しみを感じない、”普通”の人生。


 嘘みたいだった。


 そうしていくうちに、自分が唱えている言葉がどんな結果をもたらしているのかという事を、考えなくなっていった。


 まるで魔法の杖を振っているかのような感覚だった。



 3ヶ月後、幸せというものが何かを感覚的にわかるようになってきた。


 あの木の声もすっかり思い出せなくなった。


 どんな声だったか……。


 今の自分はあの木のおかげなのだから、お礼をしに行かなければいけない。

 明日は休みだから、あの公園に行こう。



 今日はなぜかすごく調子が良くって、怒られもしなかった。仕事ももうすぐ終わりそうだし……。


 木にお礼って、どうやってやるんだろう。何かをプレゼントするとしたら何を持っていったらいいのだろう。木に菓子折りなんて、おかしいな。

 声にこそ出さないが頬を緩め、そんなくだらないことを考えながら帰路についた。




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