ノーゲーム? 偉大なカガワ・ルージュはそんな地点で留まらぬ
香川県と言えば、ゲームは一時間条例だの頭のおかしな条例制定をやっている。まぁ~それに賛意を示すような、いわゆるゲーム脳論者というような存在がこの令和にも生き残っている事にウンザリしたものだ。ゲームとすらまともに付き合えない人間が、どうやって自分を律して社会で生きていくのか見当もつかない。そんな程度の抑制も出来ない人間は、結局のところ別のモノに同じようにはまり込むだけだ。ゲームにハマって点数を落とすのはよろしくないというが、テレビの見過ぎで落とすのは良いのか? という話である。
ここまでの話は、香川県の話ではなく、いわゆるゲーム脳論者の話だ。ゲームを規制しても、テレビだの、ネットだの、漫画だの、そういうモノに流れるだけだろという至極分かり切った反論、そんなモノは敬愛なるカガワ・ルージュ指導部の革命的解答の前に一吹きで消し飛ぶだろう。
偉大なる空に輝く白頭山の星にしてポルポトの生まれ変わりたるカガーワ指導部の回答は単純明快である。『全部規制すればヨシ!』
革命的過ぎて一般人には理解できないだろう。『全部』というのは文字通りの意味で全部だ。テレビだの、ネットだの、『メディア』と分類されるモノは全て規制の対象なのだ。香川県高松市の公式ホームページに『ノーメディア事業』なるモノがあり、そこにはこう書かれている。
”本市の小学生・中学生を対象に、各校・各家庭の実態に応じてインターネットやゲーム等の利用を休止もしくは制限する「ノーメディアデー(ウィーク)」を設定し、生活習慣の見直しや家族の時間の確保に努め、ネット依存の防止や自己管理能力の育成とともに温かい家庭づくりにつなげます。”
そうして小中学生にチャレンジシートを配っているのだが、実に革命的な部分を抜粋しよう。まずメディアの定義として、スマートフォン(携帯電話)・ゲーム機・テレビ・パソコン・音楽プレーヤーなどの機器とある。それで”自分に合ったコースを選択して挑戦してみよう。”と書いてあり、こんなコースがある。”完全ノーメディア:テレビや音楽プレーヤーなども含め、メディアを使用しない”
そして、家族一緒にクソを舐め合う事で絆を深めようというカガ~ワ指導部の篤~い厚意により”家族向けコース”がある。コース内容も一切の妥協は無い。惰弱な人間の弱さを考慮し一時間もメディアに触れる事を許している事を感謝すべきである。当然、9時以降にメディアに触れるなどあり得ない。敬虔なカガワ市民ならば、労働以外でメディアに触れるなど到底あり得る事では無いのだ。
端的に言って狂っとるね。この形容しがたい気色悪さは何だろうね?
だいたい、こんなモノで”自己管理能力の育成”? 何処に自己というモノが存在しているのかサッパリ判らない。こんな、ポルポトじみたキチガイは残念なことに日本中に偏在しており、狂っているとしか思えない僕の考えた最高の世界を現実化しようと蠢いているのである。
結局のところ、『無駄』というのは”政治力が無い事”である。レントシーカーにあまりカネを貢げない、或いはこういうカルトじみたキチガイに敵視される。そういったモノが『無駄』として葬られる。政治というモノは常に常に悪い方に動いていると考えて間違いはない。なぜか? 大多数の純朴な人間は政治なんて考えないからだ。よって声ばかりがやたらと大きい連中の意見ばかりが通るわけである。