1話 ドラゴンの卵1
01
今日も今日とて仕事に精を出す。
楽をするためにも一切の手を抜いてはいけない。
矛盾していると言うことなかれ、楽をするのと仕事の手を抜かないことは両立するのだ。
早く仕事を終わらせても、わざわざ次の仕事を探してあくせく働くことを是とする日本人には分からないだろう。
腰に巻いている空間拡張したポシェットをポンと叩けば何も入っていないかのような感触を返してくるが、実際のところポシェットの中は薬草でいっぱいだ。
普通の手段でこれと同じ量の薬草を集めようと思えば、昼夜を問わずに1週間は森中を駆け回る必要があるだろう。が、俺は今朝方森に入ったばかりで、1週間なんて長い間働き続けるような苦労はしていない。
それもこれも、あらかじめ群生地を見つけ、定期的に手入れを行っているおかげだ。
獣避けの確認を行い、薬草以外の雑草を抜き、場合によっては肥料も与えて管理する。そうすることで安定的に多くの薬草を得ることが出来る。
念のために言えば、農業と言えるほど大層なものじゃない。生命力が強い野草である薬草だからこそ月に数回の手入れで済むのだ。毎日毎日朝早くから畑仕事をするなんてやっていられない。
ついでに、熊や猪なんかを狩って帰れば、自分で食べることもできるし、いらない分は肉屋に卸すことも出来る。
つまり、効率よく仕事をすれば時間が空き、その分楽が出来る。会社勤めなら追加の仕事なんかもあるだろうが、こちとら自由に仕事が出来る冒険者だ。週一ぐらいでテキトーに仕事しておけば生活に困ることもない。
「うん、本日の仕事はここまで」
獣避けの確認を終え、そう独りごちる。
あとは帰りの途中にでも何か狩ることができれば儲けものだ。
大きく体を伸ばし、しばし森の中のマイナスイオンを吸収するようにのんびりと一息つく。
「ん?」
さて帰ろうかと木の枝にかけておいたマントを手に取ったところで、音に気がついた。
怒声と金属がぶつかる音だな。
誰かが戦っているようだ。
「ん~……まずいか?」
音がするのは、方角的には道があるはずだ。しかし、距離がいささか近い気がする。そもそも、ここは森の中でも最深部に近く、下手な奴が戦えば周囲どころか人命的な意味か周辺環境的な意味で甚大な被害が出るような獣が多い。
ついでに言うと、最寄りの街にはこんな場所で仕事が出来るような手練れはいないはずなんだが……
「新人が迷い込んだのか?」
森の先にあるのは竜の山と呼ばれる険しい上に採掘もまともにできない山があるだけで、わざわざ通り道に使う馬鹿がいるはずもない場所しかない。
可能性としてあり得るのは、最寄りの街から何らかの依頼でこの森を訪れた新人冒険者が依頼の品を上手いこと見つけられずに奥へ奥へと進んでしまったことぐらいだろう。
「しゃあないな」
万が一にもこちらに逃げ込まれ、薬草畑が荒らされたらたまったものじゃない。面倒だけど助けに行くとするか。
そうと決まればさっさと済ませてしまおう。
マントを肩にかけ、音のする方へと駆け出す。
剣戟の音はまだ聞こえるし、まだどちらも生きているだろう。
「ぐぁあっ!」
「あっ!?」
なんてこったい。
俺がたどり着くのと同時に最後の1人が槍で貫かれた。
倒れているのは3人――見た感じ予想していた通りに冒険者だろう。
相手は猪頭か。
猪頭は豚頭の上位種で、豚鬼系の最上位種だ。
具体的に言うと、豚鬼、上豚鬼、豚鬼兵、豚鬼騎士、豚鬼将軍、豚鬼王、豚頭、猪頭となる。
見た目は豚鬼を猪に変えただけにしか見えないのだが、実力は天と地ほど違う。
「南無南無」
とりあえず両手を合わせて倒れている冒険者たちを拝んでおく。
冒険者家業は何事も自己責任だ。
迷い込んだ先に自分が適わない相手がいたのは運が悪かったな。
さて、猪頭は俺を新たな獲物と見なしたようで、しきりにこちらを威嚇してくる。
フゴフゴ言っても雑魚相手におびえる必要なんぞありはしない。
「ガァァッ!」
「てぃ」
叫びながらヒュンと風切り音を鳴らしてノロノロと突き出された槍を掴む。そのまま掴んだ槍を引っ張ればその分だけ猪頭がこちらに近づくので、ちょうど良い位置まで来た横っ面にフック気味の拳をたたき込む。
おそらく猪頭は、最後に世界がきれいに一周する景色を見たことだろう。
槍から抵抗がなくなり、猪頭はそのまま後ろに倒れ込んだ。
何をしたのかと言えば至極簡単な方法で猪頭を仕留めただけである。
どうやったかと言えば――まず、前に突き出た鼻先を横から殴る。以上。
これで君も今日から猪頭ハンターの仲間入りだ。注意点は力加減だけで、弱ければ半周――頭が真後ろを向く程度のダメージではちょっとの間は息がある。
強すぎると頭がぐるぐると何周もすることになって下手すれば頭がとれてしまう。そんなことになれば、皮の価値が落ちてしまうので、気をつけなくてはいけない。
適切な力で殴りつければ、頭がきれいに一回転してそのまま事切れてくれる。皮や肉をほとんど痛めずに倒せるので、オススメの方法だ。
「今夜は牡丹鍋か焼き肉か……さて」
舌なめずりしながら今夜の夕飯を考えるよりも、先に面倒ごとを片付けてしまおうか。
転がっている遺体は猪頭を除いて3つ、装備なんかを見た感じ冒険者で間違いなさそうだ。
まったくもって面倒なことに巻き込まれてしまった。
こんなところまで来てしまうような馬鹿な連中など放置して、猪頭だけ持って帰りたいところだが、遺品と冒険者カードを回収して街に持って帰ればそれなりの収入になるし、十中八九ありえない可能性だが、万が一にも俺が遺体を放置したことがバレた場合、ペナルティを受ける羽目になる。
冒険者の仕事はすべて自己責任なので、死にそうなのを助けないことは罪ではないが、死んだ冒険者をそのまま放置するのはCクラス冒険者の義務ってやつに違反してしまうのだ。
手近な遺体から順番に遺髪と冒険者カード、短剣に加えていくらかの装備を回収していく。
「ん?」
おそらく猪頭によって最初に殺されたであろう3人目の遺体が倒れている近くに荷車があった。こいつらはこれを運んでいたのだろう。
それほど大きくもない荷車にかけられていた布を外せば、木くずやらを緩衝材代わりにしている中央に卵が1つ鎮座していた。
「何の卵だ?」
見たことのない卵だ。
大きさはダチョウの卵より2回りほど大きく、灰がかった白い色をしている。
モンスターなハンターのゲームで納品する卵よりは小さいが、少なくとも片手で持てるサイズじゃないな。
一般的な食用卵は普通に鶏卵、ウズラのように小さいサイズのものもあるが、一般的な範囲で食用にされている卵でこんなデカいものは見たことがない。
「ライノスの卵か?」
大きさを考えればライノスの卵だと思う。まぁ、実物は見たことないけど……
ライノスと言えば、魔獣だが温厚でそれなりに足も速くパワーもある、牛と馬を足して2で割ったような田舎村で重宝がられる魔獣だ。
牛やら馬やらのようだと言っているが基本的にこいつらは卵生で、見た目はフリルのないトリケラトプスと言ったところだろうか。
問題は、こんなところでライノスの卵を運ぶ理由が分からない。
ライノスは平原に生息している場合が多く、地方によって品種というか生態というか、まぁそんなものに微妙な差違が見られるから研究もそれなりに活発に行われている。
人工的な交配もされていて、足の速い品種を生み出して競馬の真似事や、力の強い品種によるばんえい競馬の真似事までされているほどだ。
そう言った理由から様々な場所からライノスの卵を入手しようとする研究者が多くいるのも事実だが、わざわざこんな場所を通って運ぶなんて正気の沙汰じゃない。
荷車を引く方向――つまり、進行方向的には森の外を目指していたんだろう。
おそらくは、俺が拠点にしている街が目的地なんじゃないだろうか?
――しかしそうなると、こいつらは竜の山からやって来たと言うことだ。
何度でも言うが、ライノスは平原に生息する魔獣であり、山に生息するなんてことはあり得ない。いや、もしかしたら定説を覆す山間部に生息するライノスがいるのかもしれないが、まかり間違っても竜の山に生息しているなんてことは絶対にあり得ない。
竜の山――文字通り竜の住まう山だ。そして、竜以外の生物がまったく生息していない山でもある。先ほど仕留めた猪頭どころか、下手をすれば街が壊滅するような力を持った魔獣ですら生きていけない場所なのだ。少なくとも戦闘力と言う意味では貧弱この上ないライノスみたいな弱い魔獣が生きていける環境ではない。
竜の山の向こうからやって来た?
――しかし、それもまず間違いなくあり得ない。
竜の山は総面積約80万平方キロメートル、幅は最低100キロほど、最大に至っては600キロを超える、総延長2000キロ超というアルプス山脈もびっくりの巨大な山脈なのだ。と言うか、総面積が日本の倍以上もある。
まぁ、この数字を知ってもらえればお分かりいただけるだろう。
竜の山みたいにふざけた範囲の山脈をわざわざ越えるような馬鹿はいない。万が一にもいたとして、少なくともこんなちゃちい荷車なんぞで越えられるような場所ではない。
「何なんだろうな……」
まったくもって分からない。
首をひねるが、そもそも俺は生物学者や研究者の類いではない。
そう言ったお勉強が嫌いで冒険者になった口なので、頭脳労働や知識を求められる問題において俺は完全に門外漢なのだ。
「しかし、どうするか……」
考えたところで、何の卵なのかも分からないのだから対処もくそもない。
とりあえず、興味本位ながら持ってみようと卵に触れる。
そして、次の瞬間変化が起こった。
「ん?」
見ている間は何の変哲もなく微動だにしていなかった卵が、俺が触れたのを切っ掛けにしたのか、わずかに震えている。
んでもって、さっきまではなかったはずの罅が入っている。そして、パキリパキリと森の中で聞いたことのない音がする。
「おぉ?」
慌てて手を離すと、卵がこんもりと膨らんでいる。いや、割れたところを中から押し上げたようだ。
「お、おぉ?」
パッカンと小気味のいい音でも聞こえてきそうな勢いで卵が割れてそいつは姿を現した。
ライノスではない。
あいつは、見た目サイというか小さなトリケラトプスみたいな感じだが、こいつは違う。
ライノスのようにずんぐりとした足ではなく、細い上に猛禽類を思わせる鋭い爪が生えている。
ライノスのように首と胴体の境界がどこだか分からないような見た目ではなく、前足の生え際から長い首が伸びている。
角だってライノスのように鼻先や額から前向きには生えておらず、後頭部から後ろ向きに生えている。
………………。
…………。
……。
うん、あれだ。
ドラゴンって奴だ。
「クォッ!」
よぅ! とでも軽く挨拶するようにそいつは一鳴きした。
うん、鳴き声も違うな。だって、ライノスの鳴き声「ブォ」って感じだもんな。
「っちょ、ええぇえぇぇぇぇっ!?」
森中に響きそうなほどに大きな声で情けない悲鳴を上げた俺は、別に悪くないと思う。