序
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【果報は寝て待て】
意:運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時期を待つのが良いということ。
一般的な意味はこんな言葉だ。というか、普通にこれ以外の意味はない。
『寝て待て』と言うところの印象が強く、どうにも努力嫌いでめんどくさがりな人間が好むイメージの言葉だと思う。
これが俺の座右の銘だ。
何事も運任せで努力を嫌う、面倒くさがりな人間――ではない。いや、面倒くさがりと言う点は否定できないが、努力を嫌ってはいない。
ご存知であろうか?
【果報】と言う言葉は、仏教用語で以前――つまり前世に行った行為によって、後――すなわち死後、転生後に“報”いを受ける結“果”という意味もある。それが転じて、自身の行いの結果と言う意味で捉えることもできるのだ。
そちらの意味で考えれば(こじつけのようではあるが)この諺には、人事を尽くして天命を待つという諺のようにやることはやっておいて、その結果は寝ながら待ってろと言う捉え方もできる。
一般的に知られる諺で人事を尽くして天命を待つと言うものがあるのだから、そちらを座右の銘にすればいいと言う意見もあるだろう。
しかし、何度でも言うが俺は自分が面倒くさがりであることは否定しない。むしろけっこうな面倒くさがりだ。
どういうことかと言えば、運だけに任せず自分でやるべきことはやるが、待ってる間は寝ていたいのだ。
そんな俺の性格からすると、人事を尽くして天命を待つと言う諺はいささか、ニュアンスが堅い。ならば、多少一般的な意味からは離れるとしても果報は寝て待てのようなだらけ具合がピッタリなのである。
…………うん。
現実逃避はここまでにしよう。
森の中ではあるものの、木々が開けた場所に立っていると言うのに俺の周囲は薄暗い。
なぜかと言えば、陽光が遮られて陰になっているからだ。
いったい何が陽光を遮っているかって? 見上げる視線の先には全長40mはあろうかという巨大な黒い竜がホバリングしているのだから笑えない。
『さぁ、答えよ人間』
渋い声で詰問されるが、どう答えようか?
そもそもこんな状況にならないように八方手を尽くして待ち受けるのが俺のスタイルなのだから、こんな状況に置かれるのは勘弁してほしい。