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第63話 アイスクリーム

 ――耳を疑うとは、きっとこういうことを言うのだろう。


 得意気に笑みを浮かべて銀色のスプーンを突き出すエステルに、ハンクは不信感の籠った視線を向けた。眼前で煌めく銀色のスプーンを眺めながら、つい今しがたエステルが言った言葉を思い出す。


「わたしね、秘密へーきなんだ。お父さんと2人なら、護衛なんていらないよ」


 ……出会った初日に、路地裏でチンピラに絡まれて泣いていたのはどこのどいつだ。


 反射的に出そうになったその言葉を、ハンクはすんでのところで無理矢理飲み込んだ。約束通り、甘いものを奢ったお蔭でエステルが機嫌を直したというのに、余計なことを言って再びへそを曲げられては本末転倒である。なにより、甘味料が貴重な異世界では、スイーツを提供する店も少なく料金も高い。当然のことながら、高級な嗜好品に属するのだ。

 となれば、この3か月、帝都フレイベルクで潜伏生活をしていたハンクに、そんな高級品を何度も奢ってやるような懐の余裕は無い。しかも、分かり易く看板が出ている訳でもないのだから、店を探すのだって一苦労だった。ご機嫌取りは、さっさと1回で終わらせてしまいたい。

 再び上機嫌でスプーンを口へ運ぶエステルに、ハンクは中途半端な返事をしながらテーブルの上で頬杖を突いた。


「あ! お兄ちゃん、お行儀悪い!」

「俺は食ってないからいいんだよ。それより、新作らしいからゆっくり味わって食えよ」

「……だったらお兄ちゃんも頼めばよかったのに」


 文句を言いながらも、冷えた白いクリームを口に運ぶたびにエステルの頬が緩む。ハンクにとって見慣れたそれは、彼が奥村桐矢であった頃、アイスクリームと呼ばれていたものだ。

(まぁ、期待するほど同じってことは無いよな)

 ハンクは内心でそう独り言ちてから、徐々にその体積を減らしていくアイスクリームをぼんやりと眺める。

 折角だから一口くらい味見してみようかと思うものの、もし、食べてみてハズレだったらと思うと、何となく食指が動かない。その所為か、かえって記憶の中の濃厚な甘みが鮮明に蘇ってきて、元の世界への懐かしさが胸に溢れた。


 けれど、奥村桐矢――元の世界の自分は、そこにいてはいけない人間だ。交通事故で生命活動を停止した自らの体は、とうの昔に荼毘に付され、物理的にも精神的にも過去の存在と成り果てているだろう。


 だから、今更元の世界に戻りたいとも思わないし、帰る方法を探すつもりもない。

 なにより、全くの別人となったこの身体で戻ったところで、誰が”奥村桐矢”だと気づいてくれるというのだろう。両親? 友人? それとも――


(――なに、しょーもないこと考えてんだ俺。四十九日なんてとっくに終わってるんだし、これで戻ったらホラーにもほどがあるだろ)

 記憶の中で蘇る濃厚な甘みと、二度と会うことのない懐かしい顔を強引に振り払って、ハンクは話題を元に戻すべく口を開いた。

 もちろん、エステルが自身のことを”秘密へーき”と呼称するに至った、その事についてである。


「それより、ホントにザカリアとエステルの2人だけで旅をしてきて、護衛の一人もいないのは、お前が秘密兵器だからなのか?」

「だから、そうだっていってるのに。お兄ちゃんは疑り深いなぁ」


 先程も同じ質問をして同じ答えを返された。やはり、さっきのは聞き間違いではなかったらしい。

 お蔭で余計な一言を突っ込みそうになってしまったが……


「でもね、お父さんの”承認”が無いと、私は本気を出せないんだ。一度本気を出したら最後、敵も味方も全部なぎ倒しちゃうから。だから、特級冒険者だったお父さん以外の人が近くにいっぱいいると、かえって危険なんだよ」


 そう話しながら、エステルはスプーンを咥えて得意気に腕を組んで見せる。とても一国の王女とは思えないその仕草に、ハンクは半眼を送り付けた。


「……親父が安全装置とは、物騒な秘密兵器がいたもんだな。狂戦士(バーサーカー)かよ」

「そんなんじゃないもん。秘密へーきなんだもん! 神器解放の”承認”が無いと封印は――


 ハンクの言葉に頬を膨らませたエステルが、急に自分の身体を見回す。


 ――え? なんで? ……解除されてる」


 呆然とするエステルとハンクの目が合った。次いで、エステルの瞳に動揺の色が浮かぶ。

 だが、ハンクとて内心は穏やかでは無い。出し抜けにエステルが発した言葉は、年端もいかない少女とはまったく無縁のものだ。


 ――神器解放の”承認”。


 それは、人外の領域にある言葉であり、その証明でもある。

 アイスクリームをゆっくり味わうどころの状態ではなくなってしまったエステルを前に、ハンクは眼前の少女の口から出たその言葉を脳内で反芻した。

 もし、エステルの言葉が真実であるのならば、彼女は何かしらの神の依代であり、勇者もしくは魔王だということになる。

 だが、一つ疑問なのは、神器を使用するためになぜザカリアの承認が必要なのか? という点だ。


 ――しかし、今はそこに拘っている場合ではない。

 もし本当に、エステルの言った通り、彼女の持っている神器が狂戦士化を伴うものであったとしよう。それ故に、神器の起動にはザカリアの承認が安全装置として必要であったということならば、目の前に彼がいないこの状況は非常にマズい。

 なぜなら、神器解放の承認が成されているということは、ザカリア達の身にそうしなければならない緊急事態が発生したということだ。


(……フレイに挨拶に行こうって言うんだから、ザカリアとエステルは天上神側――勇者ってことだろうけど、いったい何があったんだ?)


 正直、路地裏でチンピラに囲まれて泣いていた少女が、勇者だとはとても思えない。子供の嘘にしたって、もう少しマシな嘘があるだろう。

 しかし、現在進行形でエステルの瞳を揺らす動揺の色に、ハンクを騙そうとか驚かせてやろうといった悪ふざけは一切感じない。寧ろ、真剣そのものだ。

 それほど、エステルの言動は真に迫ったものであった。 


「エステル、大丈夫か? なにがあったんだ?」


 ともかく、まずはエステルを話の出来る状態に戻さなくては。呆然とするエステルに向かって、ハンクは努めて冷静に問い掛けた。


「……お城でお父さん達に何かあったかもしれない。ううん……きっと助けを呼んでる。お兄ちゃん、行かなきゃ!」

「どういうことだ? ザカリアとヴェロニカは挨拶に行っただけだろ?」

「分からないよ! 神器の封印が解除されっぱなしなの!」


 エステルが不安と焦燥の入り混じった眼をハンクに向ける。その目が何を言わずとも、ハンクに助けを求めていることなど明白だ。なにせ相手は天上神の長フレイである。単身でリンを瀕死に追い込んだ彼ならば、エステル一人が立ち向かったところで返り討ちにされるだけだろう。

 そして、ザカリアの身に危険が及んでいることが承認による封印解除とイコールであり、それがエステルの持つ神器の安全装置を外したままにしているのであれば、その先に待っているのは最悪の結末だ。

 だとしたら、エステル一人でザカリア達の下へ行かせるわけにはいかない。


「……分かった。俺も一緒に行く。ただし、最悪の場合、俺はエステルだけを助ける。それが城へ向かう条件だ」


 身の安全を盾にした卑怯な大人の論法に、エステルは首を縦に振らないかもしれない。そんな後ろ向きの考えが、ちらりとハンクの脳裏をかすめる。だがエステルは、にかっと満面の笑みを浮かべて、ハンクのネガティブな思考を吹き飛ばした。


「お兄ちゃん、ありがとう! 急ごう。お父さん達が危ない!」


 そうと決まれば、善は急げである。エステルは最後に残ったアイスクリームの一塊りを一気に口へ放り込むと、「ごちそうさまっ!」と笑みを浮かべた。

 その後、支払いを済ませて店の外へ出たところで、ハンクが隠密魔法 《ミラージュ・タイド》を魔法起動(コール)した。

 今更と言えば今更ではあるが、隠密魔法で音も姿も認識されないのなら、最初からそれで突っ切ればいいだけの話なのだ。なにも、わざわざ城壁に穴を開けたり修復したりする必要はないのである。

 ハンクは、ほんの少しだけ魔力を解放して、身体能力の強化にあてがう。瞬時に魔力が全身を巡った感触を確認してから、「掴まれ」と言ってエステルに向かって手を伸ばした。


「大丈夫。今のわたしは、神器ダインスレイフの待機状態にあるから、自分の足で付いて行けるよ」


 ダインスレイフ。それがエステルの持つ神器の名前らしい。どういったものかは分からないが、ふと、ハンクの脳裏にエルザが神聖魔法を奪われた時の記憶が蘇った。


「ところで、エステルは勇者なのか? もしそうなら、天上神の長であるフレイに逆らって、その能力を消されるってことは無いのか?」

「……違うよ。わたしは勇者じゃない。ダインスレイフは、ドワーフの王様だけに与えられる特別な力なんだ」

「え? 王様はザカリアじゃないのか? だって、エステルの親父なんだろ?」


 どういうことだ? と、ハンクの顔に疑問符が張り付く。そんなハンクに、エステルは無邪気に笑って見せて、


「急ごう、お兄ちゃん。詳しいことは、移動しながら説明するよ」


 と、一足飛びに手近な建物の屋根まで駆け上った。慌ててハンクもエステルを追いかけて、その隣へ立つ。


「……一人で危ないことしないって、約束したじゃん……」

「え?」


 ボソリと蚊の鳴くような声で呟いたエステルの言葉が、ハンクの鼓膜を僅かに揺らした。思わず聞き返してから、ハンクは視線を下に向ける。

 そこには、眼一杯に涙を溜めて歯を食いしばるエステルの姿があった。


「わたし、本当は王様になんてなりたくなかった……。普通の女の子のままでいたかった!」


 大粒の涙が頬を伝って零れ落ち、少女の叫び声は隠密魔法 《ミラージュ・タイド》によって作られた魔力の層に吸い込まれて消えた。

 華奢な両肩を震わせて涙を流すエステルの姿に、ハンクはまるで後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。


 ――俺はバカだ! 最悪の場合はエステルだけ助けるだと? 親の生死を心配する子供に向かって、よくそんなことが言えたもんだ。 エステルはまだ年端もいかない、ただの女の子だろ!


「もう説明なんていい。だから、しっかりつかまってろ。誰にも聞こえない様にしててやるよ。だから、好きなだけ泣いとけ」


 それだけ言ってから、ハンクはエステルを片手で抱き上げた。最初こそ、突然のことにエステルが抗議の声を上げるが、すぐに大人しくなってハンクの肩に顔をうずめた。

 そして、嗚咽交じりの号哭は、潮汐の様に揺らめく魔力に絡めとられて瞬時に掻き消された。

 

 かつて、大森林で呆然自失となった時と同じくらいの自己嫌悪が、ハンクの心臓を鷲掴みにする。その事が、自身の魔力を抑えるための箍を容易く外しそうになるのを必死に堪えながら、ハンクは屋根を蹴った。

 間に合ってくれ! ただ、それだけを念じながら。

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