第58話 城壁破り
今回は少し短めです
ハンクとエステルが”薬屋”へ向かって歩を進めてからしばらくの後、2人は第2防壁の真下にいた。貴族街と上級平民街を隔てる第2防壁は、使用された巨石一つ一つが、横長のコンテナほどの大きさに成形されて積み上げられており、建造から1000年近い時間を経た今でもその威容を保っていた。
ハンクは、3階建てのビルを少し超える高さの第2防壁を真下から見上げながら、石壁を物色するように見回して、これはと言う場所で足を止めた。ぴたり、と右の掌を石壁に当てる。
「このへんかな……向こう側にも気配は感じないし、ちょっと邪魔させてもらうぜ」
ぼそりと呟いて周囲を見渡し、人気がないことを確認していると、不可思議なものを見るような目をしたエステルと視線が重なった。
「ハンクお兄ちゃん、壁に話かけてる。私、なにも見なかったことにしといたほうがいいかな?」
「……いや、そういう捉え方は間違っちゃないが…… あのな、エステル。オレはフレイに所在をバレるわけにはいかない。だから、兵士のいる城門じゃなくて、別の道で城壁を越える必要があるんだ」
諭す様にハンクがそう言うと、エステルが真顔でこくりと頷いた。
「うん。分かってるよ。だから、お父さんはハンクお兄ちゃんを馬車に突っ込んで連れて行ったんだよね」
「そういやそうだったな……。まあ、それは置いといて、だ。俺たちが”薬屋”に戻るためには、この城壁を何とか越えなくちゃならない」
「どうするの?」
エステルの問いにハンクは、こうするのさ、とニッと笑みを浮かべた。そして、掌に魔力を集中させて一つ目の魔法を構成する。
それは、昨日帝国密偵が街中でザカリアに接触してきたとき、周囲からその存在を隠匿するために用いた魔法だ。
と言っても、ハンクはその魔法がどう構成されているのか、密偵から直接教えてもらったわけではない。見た目と効果から、何となく想像して作り上げたものである。
つまるところ、見様見真似だ。
しかし、そうは言ってもハンクの脳内には、転生前の奥村桐矢であった頃の現代知識が残っている。うろ覚えや知ったかぶりも多いが、それはそれで役に立っているのだ。
そして、現在。ハンクの周囲では可視化寸前まで濃縮させた魔力が、球体となって渦を巻き、潮流の様に表面から内部へ向かって高速で流れていた。
自身の周囲で循環する魔力は光を屈折させ、音を飲み込む。まるで海の様に潮汐を繰り返す魔力は、内部にいる者の姿を隠し音を遮断する。
自らのイメージの中で魔法の構成を完了したハンクが、静かな声で隠密魔法 《ミラージュ・タイド》を魔法起動した。
傍目になんの変化も起こさないその魔法に、エステルが何度か周囲を見渡す。
視界の端で左右に揺れるツインテールを尻目に、ハンクは更に集中を続け、2つ目の魔法を壁に向かって解き放った。
「《ディスインテグレート》」
その途端、石でできた城壁が音も無く崩れ、ちょうど人一人が通れるほどのトンネルが現れた。ハンクの魔法によって原子レベルで崩壊した岩石が、砂すら残さず文字通りその場から消失する。
「……まあ、こんなもんだろ。行くぞ、エステル。向こう側に出たら、今度は穴を塞ぐからな」
ハンクは、驚きの余り口を開けて呆然とするエステルの背中を押して第2防壁の内側に出来たトンネルを通り抜けると、くるりとトンネルに向かって振り返った。
『土の精霊たち、石となって道を塞いでくれ』
魔力をのせたその言葉が、城壁に開いたトンネルに響く。
数秒の後、ハンクとエステルが通ってきたトンネルは、土中から新たに盛り上がった石でぴったりと塞がれていた。
そして、ハンクが隠密魔法を解除すると、急激に周囲の音が戻った。
……内部の音ばかりだけではなく、外部からの音も遮断してしまっていたらしい。
これでは、どこかに潜むことは出来ても情報収集には向かないだろう。
まだ改良の余地があるな……というか、イメージが足らなかったのかも。
そういえば、エステルが驚いたように口を開けていたが、呆気に取られていたんじゃなくて、何か声を上げていたのかもしれない。だとしたら、こっちの声も届いていなかった可能性がある。……意外と難しいなこの魔法。
穴のふさがった城壁を見つめながら、のんびり考えに耽っていたハンクに、突然エステルが掴みかかってきた。
「すごい! 急にトンネルが出来て、通り抜けたと思ったらまた石で元通りになっちゃった! ハンクお兄ちゃんがやったの!? 魔法? ねえねえ、もう一回見せて! お願い!」
興奮気味にまくしたてるエステルが、ピョンピョン飛び跳ねながらハンクの体を前後に激しく揺らす。自身の思考に沈んでいたハンクの意識が一気に現実へと引き戻され、ハッとなって思わず周囲を見渡した。
トンネルを作る前に気配感知で探った通り、人の気配は無い。その事にハンクは、ほっと胸を撫で下ろす。もし、今のエステルの大声を誰かに聞かれでもしたら大問題だ。城壁破りは極刑である。すぐさま警邏の兵士を呼ばれてしまうだろう。とはいえ、もしそうなったとしても、城壁は元通りに直してある。しらばっくれてしまえばいいのだろうが、出来れば騒ぎを起こしたくない。
だが、それよりも今は――
「エステル。デカい声でそんなこと言うな。誰かに聞かれたらどうする。城壁破りは極刑なんだぞ!」
「――フガッ!」
大慌てでエステルの口を塞ごうとハンクが右手を伸ばす――が、その手には健康的な少女の犬歯が、ガブリと食い込んでいた。
堪らずハンクが右手を抑えて蹲った。血こそ出ていないが、そこには奇麗な歯形が刻み込まれている。
「うぇ、ハンクお兄ちゃんの手噛んじゃった……もう! 急に手なんか出すからでしょ!」
「お前が騒ぎ過ぎなんだよ……」
涙目で見上げるハンクの視界に、目を三角にしたエステルが映る。とはいえ、不用意に手出したのはハンクだ。しかも、よく思い出してみれば、むしろ自分の方が大きな声で城壁破りなどと言っている。
(あれ? なんか俺が悪いみたいな空気なってないか?)
はたとハンクがそのことに気が付いた時には、眼前にエステルの人差し指が突き出されていた。
「だからって口を塞ごうなんてヒドイよ! 私、怒ってるんだからね! すぐには許してあげないんだから!」
これは、フレイよりも強敵かもしれない。口をへの字に曲げ、その上ヘソまで曲げたエステルを見ながら、ハンクは内心で独り言ちる。
どうしたものかと、わずかな時間で思案に耽って出た答えは、素直に謝るの一択であった。もちろん、おまけもつけて。
過去の経験からも、この方法は非常に有効だと立証されている。きっとうまくいくに違いない。
――勿論、その経験はハンク自身のものではなく、彼が目にした創作物の中での出来事ではあるが。
「ごめん。エステル。俺が悪かった。”薬屋”に着く前に甘いものでもご馳走してやるから、それで機嫌を直してくれ」
「本当!? じゃあ私もう怒ってないよ! やったー!」
……どうやら、未来の甘味を担保として、エステルの機嫌を直すことに見事成功したようである。
(何で俺はガキンチョ相手にこんなに必死なんだ……?)
無邪気にはしゃぐエスエルを見ながら、ハンクはガックリと項垂れたのであった。




