第57話 悪巧みはディナーのあとで……? ②
「今回、オレが帝都フレイベルクに来た目的は、天上神フレイが新たに国名をリガルド帝国からミズガルズ神聖皇国へと改め、自らその帝位へ就くことに、祝いの言葉を述べるため挨拶に参上した、と言うのが表向きの理由だ」
だが、本当は違う。ザカリアはそう言って、目をすっと細めた。
「単刀直入に言おう。オレ達の目的は勇者ヴィリーの奪還だ。ハンク、お前にはそれを手伝って欲しい。偶然とはいえお前と出会えたこと、創造神アルタナに感謝しよう。危うくオレ達は犬死にするところだった」
コルナフースで起きた顛末の全てを聞き終えた後、ザカリアの口から出た本当の目的は、ハンクの予想通りのものであった。彼らがヴィリーと旧知の間柄であると聞いた時から、何となくそんな気がしていたのだ。
それにも関わらず、ヴェロニカはザカリアを出迎えた時、やたら余所余所しい態度をとっていた。
だが、本当の理由を聞いた今なら、それを何故? と言う必要は既にない。
つまり、首謀者はヴェロニカであり、ザカリアはその求めに応じてやってきた協力者。もとい、共犯者だということである。
”将”とはそう言う意味だったのだ。
スッと腑に落ちたその答えと共に、ハンクはザカリアの要請に肯首で応じた。
「恩に着るぞハンク! 友人が挨拶に来るだけなのに供をぞろぞろ連れていては、何事かと勘繰られるかもしれない。父娘の2人なら油断も誘えるかと思ったが、正直不安だったのだ」
守護者自ら協力してくれるなら、こんなに心強いことは無い、と喜色を浮かべたザカリアが立ち上がってハンクに手を差し出した。ハンクはザカリアの手を取り、おもむろに視線を合わせる。
……その顔に笑顔は無い。
なぜなら、ハンクにもフレイベルクでやるべきことがあるのだ。
エルフ王アルヴィスより、国王指名依頼という形で託された信頼の証であり、ハンクがこの異世界で最初に掲げた目標。
「ったく。エステルにお供くらい付けてやれよ。……まぁ、それはいいとして条件がある」
「条件?」
ザカリアの眉が片方、ピクリと跳ね上がった。
「俺たちの目的は、ハイエルフのサラを奪還することだ。だから、彼女を俺たちに引き渡してほしい。エルフ王から正式に依頼も受けてる。理由は、精霊魔法の軍事利用を阻止するためだ。それがどうしてか、なんてことはもう言わなくてもいいだろ?」
「ああ。精霊力の枯渇がもたらす結果は、さっきお前の口から聞いたばかりだ。必要ない」
「神様は天上神なのに、悪魔の力を取り込もうなんてどうかしてるよ。そんなの、絶対おかしいよ……」
ザカリアは嫌悪感に眉を顰めるエステルの頭を撫でながら、「その条件、了承しよう」とゆっくり頷いた。そして、同意を求めるようにヴェロニカの方を向く。
「無理よ。もう、それは無理なの……」
だが、俯いたヴェロニカの口から出た言葉は、拒絶とも、否定とも違うものだった。
――束の間の沈黙。
ヴェロニカの言葉の真意を量りかねたハンクとザカリアの顔に疑問符が張り付く。
ややあって、最初に沈黙を破ったのはハンクだった。
ついに見つけたサラへとつながる糸を、目前で引っ込めるかのようなヴェロニカに、ハンクの語調が自然と強まる。
「どういうことだよ? サラはこのフレイベルクで今も暮らしてるはずだろ? それとも、俺が守護者だから、一緒に戦うことは出来ないってことか? だったら、ヴェロニカの目的はいったい何なんだ? エルザの話じゃ、ヴィリーとヴェロニカは半年前行方不明になってる。それなのにあの時、まるで狙ったかのように、2人は密偵を引き連れてコルナフースに現れた」
タイミング良すぎるだろ、と一言呟いてからハンクは奥歯を噛みしめた。その脳裏に去来するのは、ハンクが多重結界型対消滅魔法を魔法起動する直前に、間に割り込んだヴェロニカの姿と、去り際にエルザを治療してくれたことに対する礼を言った時に返された言葉だ。
「あの時の君は、フレイじゃなくてヴィリーを守ろうとしてた。そのために、イレーネを生贄だと平然と言い、司祭であるエルザの命まで軽んじる天上神に従うふりでもしてたってのか? あんなに怯えた顔で――
「ハンクお兄ちゃん! 落ち着いて! もうやめて!」
不意に袖を引っ張られたハンクは、エステルが出した静止の声にハッと息を飲んだ。
「――っ! 悪い、ちょっと支離滅裂過ぎた」
思い出したことをそのまま口に出しただけのその言葉に一貫性は無く、感情的になってしまった事をハンクは詫びた。続けざまに、ハンクはエステルに向かって「止めてくてれて、ありがとな」と礼を言う。
すると、エステルは子供らしい笑顔で、
「ケンカはダメだよ。ちゃんとお話ししなきゃ」
と、得意げに鼻を鳴らした。エステル越しに見えるザカリアが満足気に頷いているが、きっとあれは親バカゆえのものだろう。酒も飲んでいることだし、下手に絡んだらたっぷりと娘自慢を語られかねない。
――見なかったことにしよう。
その事に知らない振りを決め込んたハンクが、ヴェロニカの方を向くと、同じようにザカリアから視線を外した彼女と目が合った。形の良いアルビノがわずかに見開かれ、ほんの一瞬、虚空を彷徨う。
「一つ、聞いていい? エルザは元気にしているかしら?」
「ああ。一時は出血の影響で酷い貧血だったけど、アリアの薬が効いて、今では元通り生活できるくらい元気だ。ただ……神聖魔法は全部失ったって言ってたよ」
「ちゃんと、助かったのね…………本当に、よかった……」
慈しむような瞳で本心から胸をなでおろすヴェロニカに、ハンクは彼女たちが姉妹であったことを思い出した。同時に、イレーネの言った双子という言葉もその脳裏に浮かび上がる。
「そんな目が出来るなら、なんでエルザを突き放したんだ? ずっと気に病んでたぞ。……まあ、上手いこと慰められない俺が言うことじゃないけどな」
「ふふ。でしょうね。でも、礼を言わせてもらうわ。あの子は、私の大事な妹だから」
その「でしょうね」はどっちに対する肯定だよ、とそんなことを考えながらも、居住まいを正すヴェロニカに気が付いてハンクは口を噤んだ。
「あなたの言う通り、私はフレイに従うふりをしているわ。7か月前、ヴィリー様がサラの裏切りによって、神器レーヴァテインに囚われた日から」
「は? 裏切り!? 囚われた?」
目を見開き絶句するハンクに、ヴェロニカは一言肯定の言葉を返し、小さく頷いてから話を続けた。
「2の月の終わり頃だったかしら。私とヴィリー様、それとサラはフレイベルク皇宮の地下にいたわ――目的は、神器レーヴァテインを破壊する為よ」
「……どういうことだ?」
ザカリアの問いにかぶりを振った後、ヴェロニカはその端正な顔を後悔に歪めた。
「詳しくは判らないわ。ただ、皇宮全体の精霊力が乱れてるってサラから話があって、それをヴィリー様に伝えたら、多分あそこだろうって私達2人をそこに連れて行ってくれたの。…………今思えば、サラはあの時どこかおかしかったわ。それにもっと早く気づいてさえいれば――いえ、いっそ殺しておくべきだった」
その言葉に、ヴェロニカ以外の全員が息を飲んだ。
特に、サラを奪還しようとしていたハンクへの衝撃は計り知れない。
なぜなら、ラーナの記憶の中で見たサラの微笑みは限りなく優しく、騙すとか裏切ると言った行動とは、とても結びつきそうになかったからだ。
だというのに、サラはヴィリーを裏切ったという。彼の生命核を神器レーヴァテインに捕らえ、自らはどこで何をしているのか。ヴェロニカの「無理」という言葉の真意はどこにあるのか。ちらちらとよぎる最悪の結末に、ハンクはゴクリと生唾を飲みこんだ。
「サラは……どうなったんだ?」
「多分、心が壊れてしまったんだと思う。サラはレーヴァテインの安置所に着くなり、台座からそれを引きぬいたわ。何重もの結界魔術を全てその身に受けて。……致命傷だったわ。私の神聖魔法ですら治癒が追い付かないほどの」
でも、それで終わりじゃなかった。そう続けるヴェロニカの顔が更に歪んだ。
「ヴィリー様は半狂乱になってサラを抱きかかえたわ。サラが流した血液で、レーヴァテインともども2人は血まみれになった。そして――
ヴィリー。あなたの魂は私だけのもの。一緒に永遠の世界で微睡みましょう。
その言葉と共に、ヴィリー様とサラはその場から忽然と消えたわ。……天上神フレイという別人を残して」
ヴェロニカはゆっくりとハンクと視線を合わせ、「無理でしょう? だって、サラは……」と言葉を詰まらせた。
その続きは聞かなくても分かる。サラはもう戻れない。自らの血肉を捧げ、永遠を欲する余り、自らヴィリーの魂を捕らえるための檻となった。だとしたら、サラの情報が何一つ掴めないのも道理である。なぜなら、彼女は愛する男を自らの虜囚とし、神器の内側に籠っているのだから。
「なんだよそれ……そんなの愛じゃなくてただの呪いだ…………アリアは、ラーナは……サラが生きてるって信じてるんだぞ? 二人だけじゃない、エルフの街の人たちだって!」
この事実を何と言ってアリア達に伝えればいいのだろう。まったくいい方法が思いつかない。
それに、嫌でも思い知らされるのは、自らの愚かさだ。どこかで、そうではないと解っていながらも、サラは自らの意思に反してリガルド帝国へ連れていかれたのだと思っていた。
だが、それは間違いだった。
サラは自分自身の意思で、リガルド帝国へと赴きヴィリーに協力していたのだ。最期の言葉を聞けば、理由など考えるまでもない。
目の前が真っ暗になるとはまさにこのことである。
ぐっと拳を強く握るハンクに、ヴェロニカが硬い表情のまま口を開いた。
「私たちの目的は、ヴィリー様の奪還。サラと言う名の檻を破壊し、彼の魂を解放する事。狙いはザックがフレイに謁見し、臣下となるべく跪いたその瞬間よ。レーヴァテインは”聖女”である私に一時預けられるわ。その時、全魔力を以ってその呪いを焼き切る。たとえ、サラの存在をこの世から消し去ることになったとしても…………それが、計画のすべてよ」
更け行く晩夏の夜に、ゆらり、とアルビノの瞳が冷たい輝きを纏った。
――次の日の朝。
ヴェロニカとザカリアは馬車で皇宮へと向かい、ハンクとエステルはその後ろを見送った。
「お父さん達、大丈夫かな……?」
「今日は挨拶に行くだけらしいし、大丈夫だろ。計画の実行は、みんな揃うのを待つように言っといたしな」
「でも、勇者様は悪い神様に乗っ取られてるんでしょ? ……心配だよ」
「二人を信じようぜ。なにせ、歴戦のドワーフ王と稀代の天才司祭なんだからな。うまくやるさ」
か細い声で頷くエステルの頭に、ハンクはポンッと手をのせた。不安そうに上を向くエステルを安心させようと、ハンクは少し大げさに破顔して見せる。すると、エステルの顔に笑顔が戻った。
「よし! 今日は俺がエステルを悪い奴から守ってやるよ。ザカリアからも留守は頼まれてるしな。どっか行きたいところがあれば、一緒に街でもぶらつくか」
「じゃあ……みんなのいた薬屋さんに行きたい! これから仲間になるんでしょ? ご挨拶に行かなきゃ!」
ハンクを置いて歩き出すエステルのませた仕草に思わず口元が緩む。ハンクは前方で左右に揺れるツインテールを見ながら、「よし! 行こう」と勢いをつけるように言ってからゆっくりと歩き出した。
ちらり、とハンクは横目で先ほど出てきたばかりの屋敷に目を向ける。もとはヴィリーの為に下賜されたという屋敷は、彼が王宮に住むようになった3か月前よりヴェロニカの預かるところとなっていた。
そして、昨晩そこでハンク達が交わした約束とサラの真実。
一晩経って冷静になってみれば、サラの行動には不可解な点が多い。正直なところ、「どうして?」と思わざるを得ない。7年間、このフレイベルクでヴィリーに庇護されていた彼女が、何故狂気に囚われたのか。どれだけ考えても、答えにたどり着くことは出来なかった。
とはいえ、この事実をアリアとラーナに隠したくはないと思う。もし、それをしてしまったら、アイアタルを消滅させたあの夜の自分に、嘘をつくことになってしまうのだ。……それだけは絶対に出来ない。
「……いろいろ、いや……ちゃんと話さないとな……」
揺れるツインテールを追いながら、ポツリと呟いたハンクの言葉が、朝の帝都に人知れず零れた。




