第56話 悪巧みはディナーのあとで……? ①
……断言しよう。
ハンクが異世界に転生して約5か月。間違いなく、今ここで食べた料理が一番の味であったと。
何か問題があるとすれば、ハンクにその料理を提供した相手が、敵方である”聖女”ヴェロニカ=ドレッセルその人であり、美味しそうに湯気を立てる食後の紅茶が置かれたテーブルのある場所は、彼女の屋敷の中だということである。
最初こそ、料理に睡眠薬や毒薬の類が仕込まれていないかと警戒したハンクであった。
だが、ハンクの向かいの席に座ったヴェロニカは、それを見透かすように、
「”聖女”の名に懸けて、そんな卑怯な真似はしないわ」
と言って立ち上がり、両者のスープ入れ替えた。
そして、ハンクの前に置かれたスプーンを持つと、再び自らの席に着席してスープを口に運んだ。
「じゃあ、オレ達も安心していただこう」
「うん! いただきまーす」
澄ました表情で食事を始めたヴェロニカを見て、上座に座ったザカリアとエステルも目の前の料理に手を伸ばした。
美味しそうに料理を口へと運ぶ3人に、毒気を抜かれたハンクが目の前のテーブルへ視線を落とす。
そこには、他の3人と同じ料理が並べられていた。ふわりと食欲をそそる匂いがして、ハンクは思わず生唾を飲み込む。
よく思い出してみれば、朝食は適当だったし、昼食も串焼きを数本食べただけだ。しかも、午後は迷子になったエステルの両親を探して平民街を歩き回ったときている。
つまり、ハンクは今日、未だまともな食事にありつけていないのだ。
……空腹なのは言うまでもない。
その上でヴェロニカにああまで言われてしまえば、ひょっとして罠かもしれないという程度の疑念で、これ以上食欲を押さえつけておくことなど、ハンクに出来るはずもなかった。
「疑って悪かった。俺も有り難くいただくよ」
「あなたと私の立場を考えれば、疑って当然よ。気にしてないわ」
それに、と言葉を区切ってから、テーブルの上の料理に目を落としていたヴェロニカが、顔を上げてハンクと視線を合わせた。途端、ふわり、とその顔に笑顔を浮かべる。
「歓迎するって言ったでしょう?」
プラチナブロンドの髪にアルビノの瞳。華やぐようなヴェロニカの笑顔に、思わずドキリとするハンク。だが、ハンクはそんな照れを隠すように、わざとぶっきらぼうに口を開いた。
「……話は、メシが終わってからにしてくれ」
「当然よ。料理が美味しくなくなっちゃうわ」
そして、今に至るわけであるが、目の前に出された紅茶も多分高級なものであろうと思われる。
正直、紅茶の味などよくわからないが、先程の料理を思えば、目の前にあるそれも決して安いものではないだろう。
(恩を感じそうになってどうするんだ俺は……。ザカリアもヴェロニカも、下心があるにきまってるだろ)
夕飯を1回ご馳走になっただけで絆されるわけにはいかない。なにせ、ヴェロニカはフレイに一番近い人物なのだ。
……それに、ザカリア。
フレイに招かれてこの帝都フレイベルクにやってきた、ドワーフの王。どう考えてもフレイ陣営の二人が、そろいもそろって自分に話があるという。
いったい何が目的かは分からないが、気を許すわけにはいかないのだ。
もう一口紅茶を飲むふりをしながら、ハンクは小さく呼吸を整える。そのまま、ゆっくりとティーカップをテーブルに置いて、
「そろそろ、話ってのを聞かせてくれもいいんじゃないか?」
少しばかり責めるような口調で、ハンクはザカリアとヴェロニカの両方を視界に収めた。
「そういえばそうだったな。危うく忘れるところであったわ」
「話を聞いてもらうぞとか言って俺をここまで連れてきたのはアンタだろ……てか、酒飲み過ぎ。かなり酔っぱらってるじゃねえか」
この偉丈夫は、そもそも話をする気があるのだろうか? 水でも飲むかのようにエールを何杯も呷っていたが、あれでは酔うなという方が無理というものだ。
ザカリアは赤ら顔で、「フン。こんな程度、酒を飲んだうちに入らん。多少、舌の滑りがよくなる程度だ」と憚る様子もない。
そんなザカリアに、ハンクとエステルがそろって半眼を向けていると、
「……ザカリア様。私から話します。ですので、ゆっくりとお寛ぎ下さい」
そう言って微笑んだヴェロニカの後ろに、いつの間にか現れた給仕の女性が、新たなエールを持って控えていた。
「くくく……すまし顔で立派に女主人をしておるではないか。だが、いつまでも酒につられるオレだと思うなよヴェル」
「……ザック。あなたに任せるといつも話がややこしくなるのよ。エールでも飲んで座ってて」
「断る。オレは勝負に勝ってハンクをここへ連れてきた。伝承の”守護者”に勝ったんだ。優先権を主張してもいいだろう?」
「はぁ。口が滑ったわ……その代わり、話が逸れるようなら私が割り込むから。いいわね?」
突然砕けた態度で話すザカリアとヴェロニカを見て、ハンクが呆気にとられる。てっきり2人は初対面だとばかり思っていたが、愛称で呼び合うところを見ると旧知の間柄のようだ。
どうやら、この二人には共通の目的があり、それが件の話とやらであることは間違いないのだろう。
だが、お互いに情報を共有しているわけではない。
その証拠に、ハンクが守護者であることを知っているのはヴェロニカのみで、ザカリアはそのことを全く知らなかった。
……とは言え、これからザカリアが話そうとしている内容が厄介なものである、ということだけは確かだ。
なにせ、ハンクが”守護者”と知ってなお、その話とやらを聞かせようとしているのだから。
「ずいぶん親しいんだな。まるで、昔一緒に戦った仲間を集めて、何かをしでかそうとしてるように見えるけど、いったい2人で何を企んでるんだ?」
正直、これ以上会話の主導権を彼らに握らせておくのは嫌な予感しかしない。それに、勝負に勝ったとザカリアは言うが、負けたのは情報を得るためにワザとやったことである。何となく予想はついていたが、それを盾にあれこれやらされるのは少しばかり癪に障る。
その程度の薄っぺらい虚栄心から出たハンクの言葉は、見事に話の核心を突いた。
「鋭いなハンクよ。オレとヴェルはな、昔同じ部隊に所属していた。もちろん、そこにはヴィリー、サラ、イレーネもいた」
「ちょっと! ザック!」
素っ頓狂な声を上げたヴェロニカには構わず、ザカリアは「10年前のことだ」と言ってからエールを口に運び、一気にそれを飲み干してから話を続けた。
当時リガルド帝国は、北方に連なる大蛇の尾根を越えて侵攻してきた魔王と戦争状態にあった。
膨大な数の魔物を率いて戦う魔王に、バスティア海周辺国最強と言われていた帝国軍は為す術もなく敗戦を繰り返し、瞬く間に国土の半分を占領されてしまった。
だが、これは人同士の戦いではない。相手は魔物だ。占領とはつまり、その地に住む人間が駆逐され魔物の生息域となった、ということである。
勿論、リガルド帝国もそれに手をこまねいていた訳ではない。バスティア海周辺国に援軍を求め、傭兵として各地より冒険者を集め、後方支援となる司祭と神殿騎士の派遣をミズガルズ聖教会に依頼した。
それでも、帝国軍の劣勢を覆すには至らなかった。
最早、帝国は終わりだ。そんな声が彼方此方から上がる中、特級冒険者のザカリアは傭兵部隊に参加していた。
日々、散発的に繰り返されるゲリラ戦に対処するため、仲間たちと共に各地を転戦していたが状況は一向に芳しくない。それどころか、帝国に見切りを付けた仲間たちは、一人また一人とパーティを抜けていく。気が付けば、パーティは自分以外誰もいなくなっていた。正直、これ以上は限界だ。冒険ではなく戦争で命を落とすなど、愚かにもほどがある。
――帝国を離れよう。
事あるごとに故郷の家族は帰って来いと煩いし、娘のエステルも5歳になった。まあ、顔を見せに戻るというのも理由にはなるか。ぼんやりとそんなことを考えながら帝国軍の野営地に暇をもらいに赴くと、そこで白髪の青年――ヴィリーに出会った。
「すべてが変わったのはそこからだ」
そう言った後、ザカリアは大きく嘆息を漏らした。
彼は勇者なのだと紹介を受けた。とはいえ、いくら勇者だからと言って、たった一人の人間の力で戦況を覆せるとは思えない。それに今更、という思いもある。
オレには関係ない。そう切り捨ててさっさと帝国軍を離れようとした。
だが、ヴィリーはそれをさせてくれなかった。彼は人懐っこい笑顔で無理矢理ザカリアを連れ出したかと思うと、気が付いた時には、ヴィリーは冒険者を纏めた部隊の司令官となり、ザカリアはその副官となっていた。
破格の戦闘力に加え、誰も見たことのない用兵術。瞬く間に3年が過ぎて、魔物の占領区域は帝国領土の3分の1まで減少していた。
そのころ、ヴィリーの部隊にハイエルフのサラ、司祭ヴェロニカ、特級冒険者のイレーネが加わった。
「まあ、加わったと言っても、サラはフレイベルクにいて孤児の面倒を見ていたがな。時々、精霊魔法の力を借りたいときに、ヴィリーが転移魔方陣で連れてきてはいろいろ頼んでいたのだ」
「……転移、魔法陣」
思いがけない形でつながったザカリア達とサラ。ヴィリーが長距離を転移した魔法陣。そして、イレーネの名前。
我知らずポツリと呟いたハンクの脳裏に、コルナフースでの出来事がフラッシュバックして一つの結論に至る。
「なあ、ザカリア。ヴィリーは人間に魔法陣を仕込んだり出来たのか?」
出来れば、その答えは否定であってほしい。そうでなければ、コルナフースでエルザを飛ばしたあの魔方陣の本当の意味は――
「……ああ。ヴィリーはオレ達4人があいつ抜きで魔王と対峙した時、敵を特別な結界の張られた場所へ送る魔法陣を仕込んでいた。多分、それはまだ有効だろう」
「――くっそ!」
ドン! と盛大な音を立てて、ハンクが両手をテーブルに打ち付けた。
呪いによって伝播した善意の加護。
あの時、リンとエルザを転移させた魔法陣は、何者かによって仕掛けられた罠などではなく、ヴィリーがイレーネに残した善意によるものだった。皮肉なことに、たまたま魔王であるリンに反応して、あの魔方陣は姿を現しただけにすぎない。
「結局、ヴィリーはイレーネのことをずっと守ろうとしてたのかよ。なのに、フレイのやつがそれを踏みにじった……天上神だか何だか知らないが、何様のつもりだよ!」
怒りに顔を歪めるハンクを見て、ヴェロニカの表情が曇った。
「どういうことだ? ハンク、お前はイレーネと知り合いなのか? それに、フレイのことまで……」
突如、怒りを露わにしたハンクに、ザカリアが訝しむような視線を向けた。そして、はたとあることに気が付く。
「ヴェル。イレーネはどうした? 当然、声はかけてあるんだろう?」
「ザック、イレーネは……コルナフースで…………」
「コルナフース? あのアンデッドに占領された街がどうしたのだ?」
詰問するような口調のザカリアに、唇をきゅっと引き結んだヴェロニカが俯いた。
しん、となる室内で、おもむろに立ち上がったハンクが、壁に立て掛けておいた自らの剣を手に持った。
「イレーネは死んだ。……殺したのは、俺だ。でも、あいつが残してくれたものは俺が全部持ってる」
「なん、だと……?」
抑揚を抑え、ゆっくりと言ったハンクの言葉に、ザカリアが眦を吊り上げた。その顔は怒りに紅潮し、殺気がハンクを見る目にさらなる鋭さを加える。
そんなザカリアの視線を遮るように、ハンクは長剣を自らの胸の高さで水平に掲げ、漆黒の鞘からすらりと引き抜いた。
深紅の剣身をあらわにしたそれは、リガルド帝国によって厳重管理されていたはずの特級呪物である。
名を魔剣グラム。「怒り」を意味する人造の神器。
赤く染まった剣身は邪竜ファフニールの血液によるものとも言われ、並の人間がそれを持てば邪竜の呪いでその意識は怒りに呑まれてしまう。
かつて、その魔剣はドワーフによって作られ、コルナフースでイレーネを悪魔化させる為の触媒に使われた。
「コルナフースで何があったか、アンタには知る権利があると思う。だから、全部教えてやるよ。コイツがなんに使われたのか。イレーネの最後も、俺が何者なのかも」
ハンクは深紅の剣身を漆黒の鞘に戻してから、ザカリアの瞳を真っ直ぐ見据えて口を開いた。
コルナフースで起きた出来事の全てを語るために。




