第43話 ノーライフキング
突如として前庭の中心に現れたアルタナの周囲を、一陣の風が吹き抜けていった。アルタナの肩まで伸びた艶やかな黒髪が、その風にふわりと舞う。
不敵な嗤いはそのままに、アルタナが風に舞った髪を左手で耳にかけると、うなじから首元にかけて雪のような白い肌が露になった。
正直、平時であれば、ハンクはその姿にあっさりと目を奪われただろう。
だが、現在彼らがいる場所は、街ごとアンデッドの棲家と化した、その中心だ。呆けている場合では無い。
なにより、アルタナが現れる前に感じた、全身が粟つ程強烈なプレッシャー。それは、気配感知を修得したからこそ解る、アルタナの存在そのものである。
このことは、奥村桐矢として現代日本で育ったハンクにとって、初めて「神」と言う存在を実感した瞬間でもあった。
しかし、だからと言って素直に畏敬の念を抱く事が出来る程、ハンクは信仰心を持ち合わせてなどいない。それに、目の前の神は試練を言う名目の下、事あるごとにハンクへ刺客を差し向けて来た。今もまた、試練をくれてやるなどと言って、魔物を召喚しようとしている。
――だったら、利用してやるまでだ。
ハンクはゆっくりと大きく呼吸して、気持ちを落ち着かせた後、コルナフース城の前庭をアルタナに向かって歩きながら口を開いた。
「毎度毎度、そう都合よく”元”人間ばかり素材になるなんて限らないだろ。それに、ちょっとひらめいたこともある。俺だって何も考えてない訳じゃない」
先ほど、ハンクはゴーストの少女に剣を向けた事に、後ろめたさが残っているとアリアに言ったばかりである。舌の根も乾かない内にこんな事言うのはどうかと思うが、仲間を守るために強くなると決めたのは自分だ。
決意を込めた目で、ハンクがアルタナを見据えると、黒髪の少女が嘆息を漏らした。
「……威勢のいいことだなハンクよ。だが、お前がラダマンティスの生命核を拒絶した所為で、許容量を超える力を得たリンは、いつ暴走してもおかしくない状態だ。もっと早くその心境に辿り着くべきであったな」
「……なっ! どういう事だよ!」
アルタナの口から出た予想外の返答にハンクがたじろぐと、その後ろを歩いていたアリア達が、イザークを残して息を飲むのが分かった。
「あの時、我はリンに潮時だと告げたのだがな。ラダマンティスの生命核を神器に吸収したところで、神の力を取り戻す事はおろか、既に崩壊した依代の生命核を復活する事など不可能だと。だが、臆病風に吹かれたお前と、この世界で生きる目的を、神と依代の復活に依存していたリン。お前達の心の弱さが、結果として、リンに許容量を超える過剰な生命核の吸収をさせたのだ」
「なにいってるのさ! リンは……リンは神様や友達の為に必死で生きて来たってのに! そんな言い方ってないじゃないのさ!」
悪いのはお前達自身だ。そう言ったアルタナの言葉にハンクが絶句していると、その代わりとばかりに、ハッシュが食って掛かった。
「ハンクよ。お前の悪い影響だな。お前の仲間たちは、平気で神に食って掛かる。だが、我は機嫌がいい。その無礼、許してやろう。それに、全ての話はリンがここへ到着してからだ。それまでは、我が僕と戯れるがいい」
言い終わるや否や、アルタナは左手を虚空に伸ばす。すると、アルタナの肘から先が、見え無い何かに呑み込まれるようにして消えた。
そして、左手を虚空に突き刺したまま右手を空へ向かって掲げると、コルナフースの街の上空から、瞬く間に街全体を漆黒の帳が覆い尽くした。
突然訪れた夜に驚愕するハンク達を後目に、アルタナが左手を虚空から引き抜くと、その手には1体のアンデッドが掴まれていた。
だが、そのアンデッドの異様に、ハンク達は息を飲んだ。なぜなら、黒い布で目を隠されたそのアンデッドは血まみれで、左の鎖骨から腹部にかけて、一本の剣がその体を貫いていたからである。
「オオォォオォアァア!」
突然引っ張り出されたアンデッドが言葉に成らない絶叫を上げると、その周囲に、何体ものアンデッドが次々と出現していく。そのどれもが、薄暗い瘴気の様な物を纏っており、一目で強力な個体だと言う事が見て取れた。
「どういう事だハンク! 彼女は信用できるんじゃなかったのか!? しかも、アンデッドを召喚するアンデッドなど…………ノーライフキング以外ありえんが、あれでは寧ろ……クッ、それこそ御伽噺だ。なのに、それをまるで子ども扱いするヤツは何者だ? 高位の魔王なのか?」
「イザーク……。あいつは――
創造神アルタナが依代の身体を支配し、現世に顕現した姿だ。そうハンクが続けようとした瞬間、アルタナがイザークを一瞥する。
直後、イザークが苦しげに呻いてその場に崩れた。慌ててシゼルがイザークの体を受け止めて呼吸を確認し、ハッシュが咄嗟に盾魔法を展開する。
「気絶させられただけだ。息はある!」
「一睨みで気絶って、無茶苦茶じゃないのさ! 《アイギス!》」
気絶したイザークを庇う様に《アイギス》を展開したハッシュを横目で見てから、ハンクはアルタナへ視線を戻す。増え続けるアンデッドの中心で、何事も無かったかのように立つアルタナと目が合った。
上級冒険者と同等の実力を持つ神殿騎士といえど、アルタナにしてみれば、所詮人間。意識を奪うなど、一瞥で十分なのだ。
アリアやハッシュがアルタナに意見しても尚、意識を保ったまま立っていられるのは、ただ単に運が良かっただけ。まさに神の気まぐれである。
「無関係なイザークを狙うことは無いだろ……」
「愚か者め! そのような者、この場にいらぬわ。とはいえ、その男だけがこの魔物が何か即座に気が付いていた。それだけは褒めてやろう」
「……ノーライフキングか、たしか、何百年もかけて力を蓄えたアンデッドが辿り着く極地だって聞いた」
「うむ。それ自体は間違っていない。アンデッドの極致であるが故に、彼等は生命核を持つ。代償は数百年間毎日繰り返される死の恐怖と痛みだ。勿論、生前の記憶など持ち合わせていない。だが、この個体について、それは間違いだ」
アルタナの言葉の意味が分からず、ハンクが怪訝な表情を浮かべた。要領を得ないハンクを見て、アルタナは仕方ないとばかりに、小さく1つ溜め息をつく。
「この者はな、つい3か月前まで”人間”として生きていたのだ。ノーライフキングなどと言うのは、過程にすぎん。生前の性別は女であったようだが、関係あるまい。それに、ある程度記憶も残っている。まあ、この状態はただの”成り損ない”とでも言おうか。……後はお前次第だ。お前の決意とやら、見せて貰おう」
心底楽しみで仕方ない。そんな表情をハンクに向けたまま、アルタナは、傍らに佇むノーライフキングの肩口に突き刺さった剣の柄に手を掛ける。すると、ノーライフキングが両膝を折って、祈りを奉げるような姿勢を取り、頭を垂れた刹那――アルタナがその剣を無造作に引き抜いた。
その途端、ノーライフキングの肩から真っ赤な鮮血が溢れ出し、アルタナの頬を汚す。アルタナは、血液を手の甲で拭ってから、満足そうな笑みを浮かべてハンクの方を見た。
漆黒の装いに、血塗れの頬と剣。創造神というより死神だ。
ハンクは目前の光景にそんな感想を持つが、はたと違和感に気が付いた。死後3ヶ月経過しているはずのアンデッドから鮮血が溢れ出る理由が分からない。いくらなんでもおかしな話である。しかも、ノーライフキングからは魔物の気配とも違う、もっと強力な気配がする。
(一体何がどうなってる?)
理解不能の事態をハンクが呆然と眺めていると、後ろにいたはずのアリアがハンクの隣へ駆け寄った。
「ハンク! アレはノーライフキングなんかじゃないわ!」
「……え? どういう事だよ?」
「この街には精霊力が全く働いて無いの。死者の街なんだから当然かと思ってたけど、そうじゃないわ。意図的に精霊力を枯渇させられてる。私の予想が正しいなら、あそこにいるのは”悪魔”と呼ばれる存在よ」
「は!? それこそ意味が解らないだろ? 悪魔だって!?」
素っ頓狂な声を上げたハンクが、アルタナの横で座り込むソレに目を向けると、ソレは糸の切れた人形の様に立ち上がり、血塗れの身体で天を仰いだ。
「オォオオォオオォ……ガ、グ、アァアアアァ!」
「やっぱり! 受肉が始まるわ! 階級は解らないけど、悪魔が顕現する……」
恨み、呪い、殺意。そう言ったものすべてを凝縮した叫びが辺りに響き渡ると、周囲を取り巻いていたアンデッドの集団が一斉に崩れ去った。そして、替わってその場に現れた真っ黒な球体が、アルタナの横で天を仰ぐ”ソレ”に向かって殺到していく。
気が付くと、黒い球体はコルナフース城のみならず、街全体からおびただしい量の流れとなって押し寄せ、アルタナの横に人間がすっぽり収まる大きさの、真っ黒な塊が出現する。さらに、その黒い塊からは大勢の人間が呻くような声が響き、時折、甲高い悲鳴の様な声も聞こえてくる。
「なんなのさこれ……一体何が起きてるって言うのさ」
「分からん。だが、警戒を怠るなよハッシュ。場合によっては、筋力強化でイザークを担いで離脱する事も考えねばならん」
「そうだね……」
前方で巻き起こる現実離れした光景と、ぐったりと地面に横たわるイザークを交互に見ながら、ハッシュは杖を握りしめた。隣にいるシゼルも、眉間に皺を寄せ、油断なく前方を見つめている。
前方でハンクとアリアが、深刻な表情で何度か話した後、ゆっくりとこちらへ後退してくる姿を視界の端に収めながら、ハッシュはイザークの状態を確認した。
イザークは規則正しく呼吸を繰り返しており、命に別状は無さそうに見える。だが、精神に重大なダメージを負っているかもしれない。神のプレッシャーをまともに喰らったのだ。最悪、精神崩壊だってあり得るだろう。
――こんな時、エルザがいてくれたら。
どうすることも出来ない現状に、ハッシュが唇を噛んだその時、アリアと一緒に後退してきたハンクの声が頭上から聞こえた。
「シゼル、ハッシュ。アリアが言うには、アレは悪魔らしい。正直、どんないやらしい事をしてくるか、予想もつかない。それに、イザークもこんな状態だ。防御結界を張るから、此処で護ってやってくれ」
「は? 悪魔!? ドラゴンの次は悪魔って……伝説上の魔物ばかりじゃないのさ!」
「悪魔に剣か……流石に相性が悪いな。了解だ。言う通りにしよう」
「頼りにしてるぜ。ハッシュ。いざとなったら、結界の内側から《アイギス》で防御してくれ」
「分かったよ。この状況だし、護ってやろうじゃないのさ!」
気絶したイザークを護る。シゼルとハッシュにとって、これ以上の殺し文句は無いだろう。少し狡い気もするが、案の定、二人はあっさりと言う事を聞いてくれた。
だが、問題はアリアだ。大人しく結界の中で護られてくれるといいのだが……
期待を込めて、ハンクはゆっくりとアリアと視線を合わせた。
「キミ、悪魔の倒し方なんて知ってるの?」
「え? いや? 知らないけど……でも、悪魔って言うくらいなんだ。間違いなく生命核を持ってる。それを何とか出来れば勝てるはずだろ?」
「それをどうやってなんとかするのよ? いい? 悪魔は概念の存在よ。受肉したとはいえ、彼等の生命核は通常の方法で砕くことは出来ないの。だけど、悪魔を倒すには2つの方法があると言われてるわ。1つ目は神聖な神の力で浄化する方法、2つ目は光の精霊の力で打ち倒す方法よ。キミはどっちの方法も使えないでしょ? 」
「そうだけど……じゃあ、どうしろって言うんだよ?」
「簡単よ。キミが強力な魔法でこの帳に穴をあけるの。光さえ差し込めば、後は私が何とかしてこの周囲の精霊力を回復させるわ。準備が出来たら合図するから、それまでにキミが悪魔の生命核を剥き出しにしておいて」
当然のように言ってから、アリアはフードを脱いでにっこりと微笑んだ。
……こうなったら何を言っても無駄だろう。
なにより、現状アリアの言う方法でしか悪魔を倒す方法が思いつかない。神聖な神の力とは、即ち天上神の事だ。エルザがいない今、そのような力、誰も持ち合わせてなどいない。
「……解ったよ。でも、絶対俺から離れるなよ」
「たまには恰好良い事も言えるのね。――って、茶化してる場合じゃないか。受肉が終わるわ。結界、急いで」
「……まったく。シゼル、ハッシュ! イザークは任せた。《アイソレーション・ウォール!》」
ハンクの魔法起動に合わせて、円柱状の隔絶障壁魔法がシゼル達3人を護る様に包み込んだ。それを確認して、ハンクはアリアの前に半身を被せるように立ち、前方に目を向けた。
その顔に喜色を浮かべるアルタナの隣に黒い塊は無く、そこには人間の女性らしき姿が見える。
「作戦会議は終わったようだな。せいぜい頑張るといい。では、祝福しよう、我が眷属よ!」
片側の頬を血で汚したまま、高らかにアルタナがそう言うと、傍らに控えた人型の悪魔がスッと立ち上がり、ハンクの方を向いて両目を覆っていた目隠しを外した。そこに、彼女がアンデッドであった面影は無い。替わって現れたのは、長く伸びたプラチナブロンドにアルビノの目、白を基調とした衣装に真紅の長剣を携えた、一人の美しい少女だった。
「さてハンクよ。この世界の悪魔に名は無い。階級があるのみだ。勿論、彼女の階級は最高位の悪魔王。残念だが、”元”人間だ。ちなみに、人であった時の名前は、イレーネ・フリージア。その手に付けられたミスリル製のタグは冒険者としても最高位の証だったか? 謎は深まるばかりだが、しっかりと我を楽しませてくれ」
腕を組んだアルタナが、ハンクに向かって微笑む。それと同時に、真紅の長剣を構えたイレーネが一気に距離を詰めてハンクに斬りかかった。
ハンクも咄嗟に長剣を抜き、剣身に魔力を流して応戦する。時間にして、ほんの数秒。その間に、イレーネはハンクに15回の斬撃を叩き込み、甲高い金属音を響かせた。勿論、ハンクが斬撃のすべてを受け流した音である。
「今のは久しぶりに本気で受け流したな……」
ぼそりとハンクがそう呟くと、イレーネが整った口元を歪ませ、すっと真紅の長剣をハンクに向けた。
「《エクスプロージョン・オクタ》」
一言、艶のある声でイレーネが魔法起動の言葉を口にすると、ハンクを中心に強烈な爆発が、8つ纏めて巻き起こったのだった。




